6.手を繋ぐ
――甘い。
エマの王城の感想だった。
もちろん。味のことではない。警備のことだ。
(侍女の面接は、良かったのだけれど……)
あの面接の案は、良かったと思う。
いつも近くに居るのは、侍女か従僕だ。
護衛騎士をつけていないこの王族達で、一番近くに居るのは侍女か従僕となる。
だから、あの面接は画期的に見えた……のだが……。
この国は長年戦争も反乱もなかったためか、王城の警備はすっかり形だけになっている。
騎士達は訓練に励んでいるらしいが、夜の見回りは形ばかり。
誰も、王族が狙われるなどとは思っていない節があった。
そんなことを考えているエマは、主のいつもの薄暗い寝室のベッドの前に控えていた。
なぜなら――。
「部屋から出たくない。外に出たくない」
ベッドの上に、こんもりとした塊が出来ていた。
その塊から、ぶつぶつと呟きが聞こえてくる。
それは、上掛を被ったクラウスだ。
かれこれ、三十分ほどそんなことをしている。
こんなことになってしまったのは、国王が皆で食事をと、クラウスにも招集が掛かったからだ。
「なんで、いつもは皆それぞれで食事をとってるのに……なんで……」
今にも泣きだしそうな声が聞こえてきて、エマはその塊をぽんぽんと優しく叩いた。
それに驚いたのか、塊が跳ねる。
「ヒィ!」
「殿下、もう少しでお時間になってしまいますが……」
がばっと塊が動く。
王子が、上掛から顔を出したのだ。
「ど、どうせ、僕に食事に出ろって言うんだろっ」
「いいえ」
「……え?」
首を横に振ったエマに、王子は困惑した顔になる。
エマは安心させるように、床に片膝を着き、王子を見上げ微笑む。
「お断りしましょうと、提案するところでした」
どの言葉に、王子は目を見開いた。
「どうしますか?」
首を傾げてエマがたずねれば、王子ははっとしたように、首を横にぶんぶんと振った。
「父上がおっしゃられたことだから。断ったら、僕だけじゃなく君も怒られるかもしれない」
視線を右往左往させて、弱々しく言った。
優しい方ね。とエマは思う。
(ただの侍女のことを心配してくれるなんて……)
従えがいがあると言うものだ。
だから、エマは頷く。
「良いのですよ。一緒に怒られましょうか?」
「それとも」と、続ける。
「仮病でも使いましょうか? 協力いたしますよ」
ポンと自身の胸に手を当てる。
「……」
それをぼけっと見ていた王子は、首を横にゆっくりと振った。
「いや。そんなことしなくていいよ。……行くよ」
何か覚悟を決めたような眼差しをした王子に、エマは心配する。
「本当によろしいのですか?」
逃げてもよろしいのですよ。と言い出しそうなエマに、王子はぎこちなく微笑んだ。
「行くって、決めた」
「そう……ですか? では、支度をしなくてはなりませんね」
急遽決まった王との食事の席に、何を着て行けば良いのかエマは被服室の服を思い出し、何が適切か考えはじめた。
被服室には、着られたことがないであろう、華美な服がある。
王の前に出るのならば、それ相応の格好をしなくては……。
うんうんと考えていると、ベッドから降りた王子はエマを見上げ、首を振る。
「ううん。このままで大丈夫」
「え? このままですか?」
今日も今日とて、ローブにフードを被っている姿だ。
本人が、そのままで良いというなら、エマはそれで良いと思うが。
一般的には、よろしくない。
エマの不安が伝わったのだろう。
「いつも、この格好で参加してるから大丈夫」
「そうなのですか?」
「う、うん。咎められたりしたことはないよ」
王子がそういうのだから、大丈夫なのだろう。
(私の国とは違うのね……)
時戻り前の花嫁修業を思い出す。
あの時は、修行の際は、着ているドレスにもうるさかったのだ。
そして、お茶会も何もかも、着ているドレスで評判が決まってしまう時があった。
(その前に、この体形で陰口を言われていたものね)
『何故、あのデブ令嬢がアラン様の婚約相手になったのかしら?』と、よく言われたものだ。
「え、えっと、エマ?」
呼ばれてはっとする。
我に返って、王子の顔を見た。
「なんでございましょう?」
「ボーっとしてたから……」
「申し訳ございません」
赤い瞳を見つめて謝れば、王子は目を伏せる。
「い、いや別に……謝らなくて良いよ」
「さようでございますか?」
(――それにしても、初めて名前を呼ばれたわ)
ふふっとエマは、嬉しさを隠しきれずに笑う。
「では、そろそろお食事の時間に間に合うように、指定の部屋に行きましょう」
「う、うん」
返事をしたものの、王子は歩き出そうとしない。
急かすでもなくエマが待っていると、ぎゅっと両手を握るのが見えた。
(外に出るのが怖いのね)
その証拠に、身体が小さく震えている。
「殿下」
エマは、思わず手を差し伸べていた。
「手を繋いで行きましょう」
「え、え……?」
王子は、差し伸べられた手とエマの顔を交互に見て戸惑っている。
そこでああ。エマは思う。
そして、手を引っ込めた。
「すみませんでした」
「え?」
「私のような者の手など、触れたくありませんよね……」
自分の手を思い出した。
剣だこができていて、ぷっくりとした手――綺麗な手ではない。
(ハンナのような侍女の綺麗な手だったらよかったのに……)
そうだ。ハンナがもう少しで来るのだ。
「もう少しで、ハンナがやってきます。私も同行しますが、ハンナと手を繋いで……」
「いや。良い」
「え?」
今度は、エマが戸惑う番だった。
王子は、エマの手をとってぎゅっと手を握ったのだ。
エマが驚きで目をパチパチしていると、王子は照れくさそうに俯く。
「あ、ありがとう。これで、外に出れるよ」
「さようですか? ご無理はされていませんか? 先ほど言ったように、ハンナ――他の侍女が来ますので」
「君で良い」
エマの言葉をさえぎって、王子はそう言った。
顔は、フードに隠れていてわからない。
だが、これ以上、ハンナと手を握るという案を押し切るのも王子に失礼になるだろう。
「わかりました。では、参りましょう」
こうして、手を繋ぎながら、王子の部屋を出たのだった。