4.専属侍女
「これからあなたたちには、クラウス王子の侍女になってもらいます」
そう告げられた瞬間、エマはぽかんと口を開けたまま固まってしまった。
隣に立つハンナも、きっと同じ顔をしているに違いない。
(……え? 今なんて……?)
言葉の意味は理解できる。だが、現実として受け止めるにはあまりにも唐突すぎた。
頭の中で何度も反芻するうちに、侍女長はわずかに眉をひそめた。
「……何か、異議がありますか?」
その静かな問いに、エマは慌てて首を横に振った。
「い、いえっ。異議は……ありません!」
ぎこちなく返事をすると、侍女長の表情がふっと緩んだ。
少し安心したように見えたのは、気のせいではないだろう。
その顔はどこか――エマの反応を『喜んでいる』ように感じられた。
(なぜ、この任命が“喜ばしいこと”のように思えるの……?)
疑問が胸に引っかかる。
だが、それを聞いていいものか迷っていたエマは、自分の中でどうしてもぬぐえない違和感を、意を決して口にした。
「ただ……」
「ただ?」
「面接に合格したとはいえ、私たちは隣国から来た身です。そのような私たちが、王太子であるクラウス王子の侍女で本当に良いのでしょうか?」
「ええ、問題ありません」
即答した侍女長は、少し間を置いてから続けた。
「いずれは知ることになるでしょうから」
その声音には、妙な重みがあった。
まるで、これから語られる話が“秘密の告白”であるかのように。
「それは……クラウス王子が十三歳の誕生祭を迎えた日のことでした」
侍女長は静かに語り出す。
その日、式典の席で挨拶に訪れた侯爵に対し、王子は突然こう言ったのだという。
『今日は、馬車を替えて帰られた方がいいですよ』
思いがけない忠告に、侯爵は膝を折って首を傾げた。
『どうしてですか?』
『怪我をするかもしれません。……運が悪ければ、命を落とすかも』
『クラウス!』
言葉の重さに、王は声を荒げて王子の名を呼んだ。
その場が一瞬にして凍りついたのが想像できる。
だが、侯爵はひとつ笑って受け流したという。
『ははは! なるほど、それは恐ろしい。……では、本当になるか試してみましょうか』
『本当なんです! 信じてください!』
王子は真剣だった。必死だった。
けれど、大人たちはそれを“子供の冗談”としてしか受け取らなかった。
『黙りなさい、クラウス。王子としての分を弁えなさい』
父である国王が、強くそう言い放ったのだ。
『……はい。お父様……』
その場では、それで終わった。
だが――。
その日の帰り道、侯爵の馬車の車輪が外れ、御者が制御を失った馬が暴れた。
侯爵は、無残にも命を落としたという。
最初は“偶然の事故”として片づけられた。
けれど、それが始まりだった。
王子はそれ以降も、他人の“死”にまつわる警告を口にするようになる。
そしてその予言は、次々と現実になった。
一部の者は彼の忠告によって死を回避した。
だが、それ以上に多くの者が――彼の言葉を畏れ、遠ざけるようになった。
そして、いつしか人々は彼をこう呼び始めた。
『死神王子』と。
「それ以降、王子は自室にこもるようになりました。ほとんど外に出られず、他人との接触も避けられておられます」
侍女長の言葉に、エマの胸がきゅっと締めつけられる。
(なんてこと……)
王子は、ただ人の死を止めたかっただけだったはず。
けれど、信じてもらえず、叱られ、畏れられた。
そんな少年の孤独を思うと、胸が痛む。
ふと、過去の記憶が脳裏をよぎる。
『デブ令嬢のくせに』
あれはまだ幼い頃。
父が近衛騎士団長であることもあって、エマは他の子供達と一緒に訓練に参加することがあった。
剣の試合で勝ったとき、相手がぽつりとそう呟いたのだ。
(……あの時の私は……)
思い出すたび、胸がちくりと痛む。
誰かに向けた小さな偏見や冷たい言葉が、どれほど相手を傷つけるか。
(前の私が、死神王子なんて……言ってたなんて……)
恥ずかしさと自己嫌悪で、エマは顔を伏せた。
そんな彼女の様子を見て、侍女長が静かに問いかける。
「それでも、クラウス王子の侍女になってくださいますか?」
迷いはなかった。胸の奥から答えが溢れ出す。
「はい!」
エマの力強い返事に、侍女長は微笑む。
それはまるで、母が我が子を信じて見守るときのような、穏やかであたたかな微笑みだった。
「王子を、頼みますよ」
「はい! 精一杯、努めさせていただきます!」
「私も、頑張ります!」
横でハンナも拳を握りしめて宣言する。
その頼もしい声に、侍女長も深く頷いた。
だが――彼女はふと、何かを思い出したように顔を引き締めた。
「……ああ、それと。大事なことを言い忘れていました」
再び真剣な顔になると、ためらいなく口を開く。
「王子は……殿方をお部屋に連れ込まれることがあります。ですが、それについては――決して言及も、追及もしないこと。いいですね?」