2.時戻り
「……ま。エマ様!!」
耳の近くで大声を出されたエマは、はっとしたように目を開いた。
「エマお嬢様。おはようございます」
目の前には、幼さが少し残るハンナのさわやかな笑顔。
それにエマは困惑した。
「ハンナ?」
「はい。そうでございますよ。お嬢様」
「私、死んだんじゃ……」
エマの呟きに、『はあ?』と言いたげな顔をしたハンナに窘められる。
「縁起でもないことを言うものじゃありませんよ! しかも、あなたの十六歳の誕生日に!」
「十六歳?」
まだ夢から覚めていないように言えば、今度はハンナが困惑したような顔をする。
「まだ、十五歳で居たいのですか? 昨日まで『大人になるのが待ちきれない!』なんて、言っていたお方が。いつもは自分から起きてくるのに、今日は起きてこなかったですし、お風邪でも召されましたか?」
熱があるか手をエマの額にあてる心配顔のハンナに、エマはやっと我に返った。
「熱はありませんね」
「大丈夫よ。変な夢を見ていただけだから」
「それはどういう夢でした?」
手を外しながら真剣に問うてくるハンナに、エマは起き上がって、ハンナを振り返り唇に人差し指をあてる。
「秘密」
ぽかんとした顔のハンナは、けれど、すぐに笑った。
それに、自分らしくない行動をした自覚のあるエマも笑う。
そして、一通り笑い終わったハンナが微笑んで言う。
「何はともあれ、十六歳のお誕生日おめでとうございます。エマ様」
「ええ。ありがとう。ハンナ」
頷いて、ベッドから降りる。
洗面所に向かって歩き出す。
「今日は、おめかししなきゃですね! って、言っても、もうドレスは特注したドレスに決まっていますが」
ハンナに話し掛けられながら、蛇口を捻り、出てきた水で顔を洗う。
(それにしても、アレって本当に夢だったの?)
それにしては、現実味が帯びていて、奇妙なそれでいて悪夢のような夢だった。
ハンナが渡してきたタオルで顔を拭く。
「ハンナ。髪飾りなんだけれど、あなたに任せるわ」
「ええ!? 任せるってっ! 大人になった大切な誕生日なんですよ!?」
「うん。だから、あなたに頼みたいの」
前は、自分で選んだのだから。
そう言いかけて、『あれ?』とエマは思う。
前ってなんだ? ――と。
「わかりました! このハンナ。全身全霊を掛けて、エマお嬢様の髪飾りをお選びいたします!」
「大げさよ」
「何が大袈裟ですか! では、先に選んできますね」
「ええ。お願いよ」
「はい!」
洗面所からハンナが出て行くのを見届け、エマは鏡に顔を映して、ジッと自分を見やる。
紫をちょっぴり垂らしたような銀髪に、青い目――ぽっちゃりとした顔がそこにはあった。
それなりに整った顔なのだから、呪いで痩せられないのが、いつも恨めしく思う。
だが、記憶の自分より少し幼い。
(あの夢……いいえ。アレは夢じゃない。本当に起こったことかもしれない)
だって、全部とは言えないが二年先まで、何が起こり、自分が何をしたか覚えているのだから。
これは、時が戻ったのかもしれない。
(確認は簡単だわ。私が正気ならば、今日、アラン王子の婚約候補になったことをお父様から告げられるはずだから……)
しかも、あと少しで大人になった娘の部屋へ、無遠慮に入ってくる父親が見れるということだ。
その時だった、噂をすれば影といったように、エマの部屋の出入口の扉が、まさしく無遠慮に開け離れたのだった。
「エマ!」
そう呼ぶ声は、確かに父親の声だった。
蛇口を閉めて、その呼びかけに答える。
「はい! そちらに行きます!!」
父親に吊られて、大声を出したエマはふとまた鏡を見て頷く。
(これからが、答え合わせね)
ポンと頬を叩いて、父親が居るであろう場所へ向かう。
寝室を出れば、自身の部屋の出入り口に、長身で体躯の大きい――近衛騎士団長なので筋肉がかなりついていてぽっちゃりなので大きい――その父親が仁王立ちしている。
普通の令嬢が見たら、話し掛けるのを戸惑うだろう父親に、娘のエマはすんなりと挨拶をする。
「おはようございます。お父様」
「ああ、おはよう。エマ、誕生日おめでとう」
「ありがとうございます」
そわそわしている父親が、「それで」と競るように言葉を出す。
「エマ。おめでとう」
「え? お誕生日のお祝いの言葉は、もらいましたけど……」
エマが困惑して見せてみると、にこっと笑う父親。
「お前は、第一王子――アラン王子の婚約候補に選ばれたんだぞ!」
『さあ、喜べ』というような期待の目を向けられて、エマはグッと喉を詰まらせた。
(あの夢は、本当に現実だったのね。私は、時戻りをしたんだわ……)
夢は現実だった。
そう確信したエマが言うことは、一つだった。
「お断りいたします!」
そう。お断りをすることだ。
何故かって、選ばれてしまえば死への道へまっしぐら。
それは、回避しなければならない。
「何故だ!?」
娘の即返答にぽかんとしていた父親は、『良い縁談なのに!』と書いてある顔を娘に近づける。
こんなにわかりやすくて、近衛騎士団長が勤まっているのか?
甚だ疑問に思ったが、それよりも、どう返答すれば良いのか、言葉に詰まる。
「エマ。何故、断りたいんだ?」
「何故、断るかと言えば――」
父親の言葉を反芻して、ふと思い出したのは、クラウスの慈悲の籠った微笑みだった。
(私の恩人……)
先王と妃、弟の毒殺。
ちらつく言葉が脳裏に過らせながら、こちらを音もなく見守っているハンナの目と合う。
「隣国……ヴァスティール王国の宮中で侍女になりたいのです!」
気づいたら、エマはそんなことを言っていた。
「「え!?」」
息ぴったりに父親とハンナが声を上げた。
「エマ。昨日まで、そんな素振り見せなかったではないか」
父親は困惑したような顔で問うた。
「お父様に……いえ。皆に反対されると思っておりましたから。言えなかったんです」
エマは、うるっと目に涙を溜めて見せる。
そうしてしまえば、この父親は痩せていれば母親似の娘には弱いのだ。
エマの母親は、エマが産まれて物心つく頃、亡くなってしまっている。
父親は再婚はせず、男手一つで兄とエマを育てた人だった。
「うっ……娘が、こんなに思い悩んでいたとは……」
「お父様。ごめんなさい」
男泣きしはじめた父親に、エマは罪悪感で胸がいっぱいになった。
が、しかし、これはこれ。あれはあれである。
自分が生きるか死ぬかなのだ。
父親だって、娘が死刑になることなど望まないだろう。
「よし!」と父親は、泣くのを止めて手を打つ。
「わかった! お断りしよう!!」
「お父様!」
断ると言ってくれた言葉に感極まって、エマは父親に抱き着く。
父親は、エマの頭を撫でて優しい声で言う。
「エマ。何故、隣国の宮中で侍女をしたいのかわからないが、理由があるということだな?」
「はい。お父様」
「宮中に勤める為の推薦は、お父様に任せておきなさい」
「!! お父様、ありがとうございます!!」
どうやら、父親は隣――死神王……いや、今は王子か――の国の王城で侍女になるのを手助けしてくれるらしい。
(良かったわ! これで死神――いいえ。クラウス王子に恩返しができるわ!)
恩返しと言っても未来のことだが、エマには関係なかった。
時が戻る前のあの時、苦しみから救ってくれたのは他でもないあの王子なのだから。
――待っててください。私は、絶対にあなたを、そして、あなたの家族もお守ります!