The Ripper
鼻から牛乳を垂らしてる子泣き爺を見て、俺の方が派手に牛乳を噴き出しちまった。
爺の頭を思いっきりハリセンで叩く。
スパーン! という乾いた音が響く。
なかなか良い感触だ。
今回、子泣き爺と組むことになった時、所長がくれたのだ。
わかってるなぁ、所長。
紹介が遅れたが、俺の名前は桐島浩介。
こんなところで妖怪ジジイと一緒になってアンパン&白牛乳を頬張ってはいるが、歴とした人間だ。
二十六歳、男子、霧島探偵事務所の新入社員だ。
妙な巡り合わせで、就職氷河期を遭難していた俺を拾ってくれたのが、ここの所長。
霧島と桐島、似ているがまったく関係ない。というか所長も妖怪だ。
とにかく今は張り込み中なので、詳しい話はまたいずれ。
「おいコースケ! 痛いぢゃないか!」
頭をさすりながらこっちを睨んでいる。妖怪が一丁前の口を叩きやがる。
「俺だって鼻が痛ぇよ! 静かにしてろって言ってんのに音たてんなよ!」
「お前がハリセンで叩いたんぢゃろうが。まったく……呆れるほど自分勝手なヤツぢゃ」
爺は文句を言いながら牛乳を飲んで――いるそばから、また垂らし始めたよこの馬鹿は。
スパーン!
「お前、それどーなってんだよ? 鼻栓でもしておけよ!」
爺は目を白黒させながら反論しようとするが、俺は慌ててその口を押さえた。
「しっ! ヤツが戻ってきたぞ!」
通りを挟んだ向かいの雑居ビルに、男女のカップルが入ろうとしていた。
男の方は背が高く、黒いトレンチコートを着ている。俺たちが追っているヤツだ。
このところ頻発している、女性が惨殺されて臓器が抜き取られる連続殺人事件。
その犯人だ。
「クラスBぢゃぞ。応援を呼んだ方が良くないか?」
カウンターを見ながら爺が言う。
「爺さん、妖怪のクセにビビッてんのかよ」
グロックのマガジンを確認しながら俺は答える。
コイツは普通の電動ガンだが、弾は普通じゃない。滑面加工されたBB弾の一発一発に、特殊な縛印が刻まれている特注品だ。妖怪連中にとっちゃ痛いじゃあ済まない、恐ろしいオモチャってわけ。
銃を腰に挿すと、俺はビルに向かった。ちょっと遅れて爺がついて来る。
「おい爺さん、俺は下から階段で行くから、エレベーターで上がって下りてきてくれよ」
ヤツのねぐらは四階、このビルは八階建てだ。
「挟み撃ちってわけぢゃな。心得た! ぢゃが武器無しでクラスBとは戦えんぞ?」
面倒くさい爺だ。自分の武器くらい自分で用意しておけと思ったが、黙ってハリセンを渡してやると、満面の笑みでスキップしながら駆け出していった。
頭はちょっと弱いが元気なお年寄りだったな……。
俺は両手を合わせると、おもむろに階段を上り始めた。
ヤツはいつも人気の無い雑居ビルを見つけては女性を誘い込み、そこで「食事」をする。
警察は血眼になって追っているが、おそらく捕まえることは出来ないだろう。
何故なら、普通の人間に妖怪を捕まえることなど不可能だからだ。
気配を感づかれないよう慎重に歩きながら、所長の言葉を思い出す。
「妖怪とは本来、秩序を守る生き物なのよ。でも最近は無法なことを仕出かす輩も多いの。そういった連中を取り締まって、秩序を維持するのが私達の仕事なのよ」
まぁ何の因果か、人間である俺がこんな仕事をしているわけだが……。
そんな事を考えながら四階のドアの前に立つ。
俺ひとりだ。
爺さん、何やってんだ?
到着を待とうと思ったが、どうやらそんな暇は無さそうだ。部屋の中から女の悲鳴が聞こえてきたからな。
思いっきりドアを蹴っ飛ばす。
蹴っ飛ばした反動で、思いっきり転んでしまった。尻をしこたま打ち付ける。
ドアって意外に頑丈だという発見に驚いている場合ではない。
「このぉ! 開け!」
ヤケクソになって何度も蹴っていると、ようやく壊れて扉が開いた。格好悪いが四の五の言ってられない。
中に入ると女が倒れているのが見えた。床に黒い水溜りが出来ている。
「くそ! 遅かったか……」
――瞬間、背筋に冷たいものを感じて俺は伏せた。直後、首の後ろで空気を切り裂くような音がする。
「チッ! 勘のいいヤツ!」
振り向くとヤツが立っていた。手にはデカい刃物のようなモノを持っている。というか手が刃物だ。
「まぁな! 勘だけはいいんだ、俺は!」
雰囲気に飲まれないように、とりあえず言い返しておく。
「そんなモン振り回したって俺には当たらないぜ?」
こちとら生身の人間が妖怪を相手にしようってんだ。口喧嘩で負けてたら勝負にならない。
俺はヤツを睨みつけたまま腰に手をのばす――が、無い?
ヤバイ! 銃が無い!
ふいに、ヤツの影がゆらめく。
反射的に横っ飛びをした俺の視界の端に、ギラリと光る刃物が映る。
ガキン! という金属音。
振り返ると、刃渡り一メートルはあろうかという化物ナイフが壁に刺さっていた。
「見えているのか。お前、本当に人間か?」
「当たり前じゃねぇか。そんなへなちょこチョップじゃ俺は倒せないぜ?」
いやまったく、今のは正直かなり危なかった。この状況で軽口を叩ける自分に驚いているくらいだ。
それにしても、銃はどこで落とした? さっき尻餅をついた時か?
辺りを見回すが落ちていないようだ。ならば部屋の外か。
ヤツはこっちを睨みながら次の攻撃を迷っているようだ。
やるなら今しかない。
俺は思いっきり奇声を上げると、入口に向かって猛然とダッシュした。
あと少し、三歩、二歩――というところで、急に目の前が暗くなった。
いや、暗くなったのではない。黒いコートだ。目の前にヤツが回り込んだのだ。
ゆっくり見上げると、恐ろしく残忍な笑い顔があった。
「ハッタリはそこまでだな、人間」
ヤバイ、死んだ。
――と思った瞬間、ヤツの巨躯が急に縮んだ。
縮んだというか、床にめり込んだ。
「コースケ! 無事か?」
子泣き爺だった。ヤツの背中にちょんと乗っている。
「遅ぇよ! このバカ!」
憎まれ口を叩いてみたが、悔しいほど完璧なタイミングだ。俺が女だったら惚れてたかもしれん。
「いやぁエレベーターのな、八階のボタンに手が届かなくてな、仕方ないので階段で来たんぢゃよ」
言ってることは間が抜けているが、爺に乗っかられたヤツはあまりの重量に身動き出来ないまま、メリメリと床に沈みこんでいく。
恐ろしい高齢者だ。
銃を拾って腰に挿すと、立ち上がって俺は言った。
「何か言い残すことはあるか? ジャック」
苦しそうな表情でヤツが答える。
「見下ろしてんじゃねぇよ、人間ごときが」
「ああ、そうかい」
俺はポケットから札を出すと、ヤツの額に貼りつけた。
「それじゃあ、百年ばっかり眠っててくれや」
短い悲鳴と共に閃光が辺りを包む。
再び闇が戻った時、ヤツの身体は消え、爺だけがちょこんと床に座っていた。
「助かったぢゃろ?」
帰り道、歩きながらしきりに人の顔を覗き込んでくる。いやらしい年寄りだ。
無視しているのだが、しつこく言い寄ってくる。
「ワシのありがたみがわかったというものぢゃな。そういう意味では、いい事件ぢゃった」
「俺がヤツの気を引いてたから成功したんだろ」
「ほほぉ。殺されそうになってたくせに、減らず口だけは大したモンぢゃのぅ」
悔しいが言い返せない。いやらしい年寄りだ。
ふと、携帯に着信があったのに気づいた。
「あれ? 所長からだ……」
「響子ちゃんから?」
「爺さん、所長のこと名前で呼ぶなよ」
言いながら俺は事務所に電話をかける。しかし、繋がらない。
おかしいな? この時間ならまだ誰かいると思うんだが……。
もう一度かけ直してみるが、やはり繋がらない。
電話を切って爺と顔を見合わせる。
「何かあったのかもしれんのぅ」
「とりあえず事務所に戻ってみようぜ」
俺たちは不安な気持ちのまま、事務所への道を急ぐのだった。