第八話 選択
フユキ:「アキさん」
事件発生の報を受け一時間が経過――アキ現着。
アキ:「現場の状況は」
フユキ:「犯人たちは現在も目の前のオフィスビル八階(最上階)でビル内にいた人たちを人質に立て籠もっています」
オフィスビル立ち並ぶ街の一角にある八階建てのビルに本日正午、マフィアのような黒装束の恰好をした謎の不審者、約八十人が押し入り、中にいた人を人質に立てこもる事件が発生した。
運良くビル外に逃げ果せることができた何人かが警察に通報。周辺の避難を開始。同時に事件の詳細について調査が行われ、事件に神人類が関与していることが発覚。信正騎士団に協力要請がなされた。
アキ:「何か犯人たちからの要求は」
フユキ:「今のところは何も」
アキ:「そうか」
事件の規模と神人類が事件の中心深くに関与していることから、信正騎士団が主導で事件解決に当たることに。極島支部にいる多くの正騎士が現場に派遣された。
アキ:「犯人たちについて何か情報は」
フユキ:「目撃者たちの情報から恐らく犯人はブルーオルカの構成員と思われます」
アキ:「ブルーオルカ、だと」
立て籠もり犯の正体を聞き、アキは一瞬だけ動きを止め、フユキの方を見た。それもそのはず――
アキ:「確かこのビルは」
フユキ:「はい、このビルはブルーオルカのトップ、溝口海溝が所有しているビルで、中に入っている会社も溝口海溝が社長を務めるベンチャー企業です」
アキたちの目の前にあるビルはブルーオルカ・ボス、溝口海溝が代表取締役を務める会社のオフィスビルなのである。
アキ:「こいつらは自分たちのボスが経営している会社に押し入って、立て籠もっているのか」
フユキ:「そう、なりますね。どういうわけかはわかりませんけど」
連絡がとれなくなったブルーオルカ・ボスとそのボスが経営する会社を襲撃し立て籠もったブルーオルカ構成員たち。この二つに何の因果関係がないわけもなく――
アキ:「(溝口海溝と連絡が取れなくなったことと今回の事件、何か関係があるのか)……一体、何が起こっているんだ」
そこへ他の正騎士たちと一緒に呼ばれていたユウとサイカが慌てた様子でアキたちの元へとやって来た。
サイカ:「ちょっとアキ、大変よ」
アキ:「サイカ、ユウ」
二人とも手には液晶画面付きの通信機器が――
ユウ:「アキアキ、これ見て、これ」
ユウがアキの眼前ゼロ距離に突き付けてきたのは、現在生放送中のニュース番組。各局こぞって目の前のビル立て籠もり事件を報道する中、ユウたちが見ていた番組は他局が持っていないとあるマル秘情報を手にしていた。
その情報がつい先ほど極島全土に向け公開されたのだ。
アキ:「こいつは」
見やすい位置に調整した通信機器の液晶には黒いバックを背景に画面中央に立つ二メートルを超える肩幅のでかい大男が映し出されていた。
画面に映る大男にアキもフユキも見覚えがあった。
フユキ:「ブルーオルカのナンバーツー、鮫肌海次です」
流されていたのは事前に収録された録画映像。
カイジ:「ビル内部に全部で百個の爆弾を設置した」
アキ、フユキ:「っ――」
カイジの言うビル内部とはつまり、アキたちの目の前にあるオフィスビル内部のこと。そこにカイジたちブルーオルカ構成員たちは全部で百個の爆弾を設置したと番組を通じて極島全土に宣言したのである。
爆弾百個。爆弾の威力にもよるが、目の前のビルを木っ端みじんにして、中にいる人々を全員爆殺、バラバラの肉塊にするには十分すぎる量である。
衝撃の事実にアキとフユキは驚愕。カイジの手にはこれ見よがしに爆弾の起爆装置と見られる黒いリモコンが握られていた。
ブルーオルカナンバーツー、鮫肌海次は何の前置きもせず、ただ訥々と自分たちの要求を告げた。
カイジ:「今から一時間後、ビル内に設置したすべての爆弾を起動させる。我々の要求はただ一つ。信正騎士団極島支部支部長――高宮秋、並びに正騎士――天使優二人の命(首)と人質三百人の交換だ」
この言葉の数秒後、暗転――映像はここで終了した。
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その頃、ビル最上階(八階)の立て籠もり現場。
ブルーオルカ構成員A:「カイジさん、予定通り極島テレビ局は俺たちが送り付けたビデオメッセージをニュースで放送しました」
カイジ:「そうか、ここまでは計画通りみたいだな」
予定通りに事が進み、ブルーオルカナンバーツー、鮫肌海次は部下たちに気づかれないよう、内心ホッと胸をなでおろした。
カイジ:「もう俺たちに出来ることはなにもねえ。後は向こうさんがどう動くか、だな」
当然であるが、これはカイジたちブルーオルカ構成員が計画したことでもなければその元・ボス――溝口海溝が指示したことでもない。
今回のこの事件、計画したのはヨハネの翼頭首。カイジたちのボス――溝口海溝の頭を素手で握りつぶしたブルーオルカにとって仇のような相手である。
ブルーオルカ構成員A:「どうして俺たちがこんなことを」
カイジ:「仕方ねえ、ボスが――カイコウがしくじっちまったんだ」
ブルーオルカのボス、溝口海溝が組織を裏切った。カイジたちはその責を取るため、ヨハネの翼頭首よりある選択を求められた。
組織の解体と構成員全員、ヨハネの翼頭首への絶対服従。要するに自分の都合のいい捨て駒になれということだ。もしくは信正騎士団極島支部所属正騎士――天使優並びにその支部の支部長である高宮秋の暗殺。達成すれば今回の裏切りの件は全て水に流す。失敗すれば他三つの組織に粛清される。自分以外全て敵が基本の裏社会で、三つの敵勢力に狙われ続けながら生きていけるほど甘い世界ではない。
選択肢などあってないようなものだった。
ブルーオルカ構成員A:「でもあれは社長の独断で、俺たちは何も聞かされてなくて」
裏切りはカイコウの独断。カイコウ以外のブルーオルカ構成員たちは毛ほども関与していない。ヨハネの翼頭首から聞かされたカイコウの裏切りなど寝耳に水な話である。
だが、それはヨハネの翼頭首も重々承知のこと。承知の上でカイジにこの二択を強要したのである。なぜなら――
カイジ:「連帯責任だ。この世界じゃ、よくあることだ」
カイジたちはカイコウと同じ組織――ブルーオルカの構成員である。知っていたかどうかなど関係ない。上司の責任は部下の責任。それが組織というモノだ。
ブルーオルカ構成員A:「そんなの、理不尽だ」
カイジ:「……そうだな」
弱者生存は人間社会独特の摂理だが、だからといって自然社会と全く異なる摂理で人間の社会が動いているわけではない。
根は同じ。
弱肉強食――強者が決め、弱者はそれに従う。そうすることで人類は社会を動かし、歴史を紡いできた。結局、この世はどこまでいっても理不尽なのである。
カイジ:(己の信念と正義を貫く正騎士たちがどんな決断をするのか……弱者(末端)の俺たちにはもう見守る事しかできねえ)
神人類であるカイジたちですら、自分たちより強い者の前では与えられた役割を死ぬ気で全うする、ただの駒に成り下がるしかない。それが彼らにとっての神命であるからだ………………
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サイカ:「何よ、これ」
映像が終わると同時にスリープ状態になった通信機器の画面に、唖然とするユウたちの姿がうっすら反射で映し出されていた。
フユキ:「アキさん、これって」
フユキの問いにアキは「ああ」と言いながら頷いた。
アキ:「十中八九、ヨハネの翼の仕業だろうな」
ヨハネの翼という名前を聞き、ユウたちはそれぞれ三者三様の反応を示した。
ユウ:「それってこの間のシズカちゃんを苦しめてた奴が関わってたっていう」
サイカ:「例のユウの命を執拗に付け狙ってる組織ね」
フユキ:「グリーンベアの他にブルーオルカもヨハネの翼に関わっていたんですね」
アキ:「………………」
一早く裏組織連合(ヨハネの翼)の存在を察知していたアキは独自に組織へ探りを入れていたのだが、中々連合の存在を裏付けるような決定的な証拠を掴むことはできなかった。
ブルーオルカトップ――溝口海溝から得た内部告発も、これから行われる作戦の事前情報のみで連合組織の存在を裏付けるようなものではなかった。
だが、ようやくアキはヨハネの翼の存在を裏付ける証拠、ではなく証言を手にすることができた。先日の遊園地で起こった事件で信正騎士団が保護した少女――シズカの証言。
信正騎士団本部には応援要請のため、ある程度アキが事前に調査して得た情報も話したが、ユウたち極島支部所属の正騎士たちには、余計な混乱を避けるため、アキが独自に調査して掴んだ情報は伝えていない。
フユキ:「人質を無事解放してほしければ、アキさんとユウさんの首を差し出せだなんて」
テレビで放送されたカイジたちの要求はつまる所、ビル内に取り残された人質三百人とユウとアキ二人の命の取引(交換)。
当然受け入れられる話ではない。だが――
ユウ:「でもこのまま何もしなかったら、人質の人たちが全員」
アキ:「………………」
黒い画面を見ながら、考え込むアキ。
フユキ:「はったりじゃ……」
サイカ:「とてもそうには見えなかったけど」
数々の修羅場を乗り越えてきたサイカたちだからこそ画面越しでもわかる、カイジの並大抵ではない気迫と覚悟。まさに命懸けであった。
この取引が上手くいかなった場合は、人質三百人、その命を奪う覚悟をカイジは決めている。
そのことはここに居る全員が確信していた。
譲歩(話し合い)ができない以上、ユウたちは選択するしかない。そしてどんな選択肢を選ぶのか、決めることができるのはこの場でたった一人――現場の総指揮官であり極島にいる信正騎士団全員を統括する極島支部支部長――高宮秋しかいない。
アキ:「周囲の避難はすでに済んでいるだったな」
ユウたちが見守る中、アキはやがて――
フユキ:「は、はい、ビルを中心として半径三十メートルの範囲ですでに避難は完了しています」
アキ:「そうか――」
一歩、立て籠もり犯が篭城するオフィスビルの方へ踏み出した。
サイカ:「アキ、あんたまさか」
サイカが気づくよりも早くアキの真意に気づいたユウがアキの前に立ちはだかった。素早く顕現させた剣(神器)の先端をアキに向けて――アキは向けられた剣の先をじっと見据えた。
アキ:「退け、ユウ」
ユウ:「アキアキ………………」
アキが選んだのは、 だった。
アキ:「安心しろ、責任はすべて私がとる」
ユウ:「責任とか、そう言う問題じゃないでしょ。これは命の問題なんだよ」
アキ:「ああ、そうだ」
覚悟を決めたアキとその決断を断固として認められないユウ。真剣な顔でユウを見つめるアキをユウは泣きそうな顔で見上げていた。
アキ:「だから私は選んだ。人質の命より、私と――お前の命の方が大事だと………………だから、そこを退け、ユウ。これは上官命令だ」
二人の話は平行線。互いに交わることはない。
ユウ:「退かない。命に重いも軽いも、大事も、大事じゃないもない。命は、命なんだよ。この世にたった一つしかない。誰にとっても大切な、かけがえのない――たったひとつしかないものなんだよ」
アキ:「そんなことはわかっているっ」
アキの悲痛な叫び。
アキとて人質の命をどうでもいいなどと思っていない。騎士として非力な弱者を、無辜の民を一人でも多く救いたいと思っている。できることなら敵側であっても犠牲者を一人でも少なくして事件を終わらせたいと本気でそう思っている。
だが、現実はそれを許さない。時に残酷な決断をしろと迫って来る。
その時、人は、感情ではなく理性でどのような決断をするか考える。そうしなければ、心が壊れてしまうから。
アキ:「命に優劣がないのはわかっている。だが、正騎士と一般人、いや旧人類と神人類、どちらの命を優先するかなど、わかりきったことだろう」
アキの言っていることは明らかな人種、ではなく人類差別である。現世界で最大の禁忌とされる内の一つ。それでも、多くの人間がきっとこのアキと同じ選択をするであろう。
それだけ神人類という存在が特別で、他へ与える影響が大きすぎるのだ。
ユウ:「………………私は人質の人たちも、ビルに立て籠ってる人たちの命も諦めない」
アキ;「っ――」
ついにアキは、ユウの胸ぐらに手を掛けた。
アキ:「いつまで子供みたいなことを言ってるんだ。現実を見ろ。お前がいなくなったら、誰がこの国で暴虐を尽くす神人類たちから人々を守ってやるんだ」
アキから発せられる、自分に対する強い怒り。
感情の神託を授かり、目を凝らせば相手が自分をどう思っているのか視ることができるユウにはアキの、燃え上がる炎のような激しい負(怒り)の感情がはっきり見て取れる。それでもなおユウは自身に向けられる感情から目を逸らすことなく、アキの前に立ちはだかり続けた。
アキ:「お前には力がある。人をどん底の暗闇から救い出す力が。私が保証する…………世界中には何千、何万とお前の力を必要としている人々がいる。だからっ――」
揺るぎない意志を宿し、自身を真っすぐ見据え、立ちはだかるユウの姿に、アキの瞳からは涙が一粒――流れ落ちた。
アキ:「お前を、こんなところで死なせるわけにはいかないんだ……頼む、退いてくれ」
縋るように、両の手でユウの襟を握りしめながらアキは数滴、涙を零した。
サイカ:(アキ………………)
フユキ:(アキさん………………)
ユウの中で、子供のように涙を流すアキを見て、ユウはそっと――
ユウ:「ごめん――アキアキ」
襟を掴むアキの両指を解いた。
ユウ:「ここで退いたら、私はもう憧れた正騎士になれなくなるから」
アキ:「………………そうか」
ユウの答えを聞き、アキは自分の裾で目を拭った。
結局こうなることはアキ自身がよーくわかっていた。ユウが自分の信念を曲げないことも。自身がそれを捨てられないことも。結局こうするしかないのだということも。
アキもまた己の神器――湾曲した一メートルの刀身を持つ極島古来の伝統的な武具――日本刀、新風を顕現させた。
アキ:「なら、力尽くで通させてもらう」
ユウ:「っ――」
互いは静かに己の神器に手を置き、構えた。
ユウ、アキ:「………………………………」
距離にして一メートルもない、超至近距離。
勝負は一瞬で決まる。
アキ:(ユウなら全力でやっても命までは落とさないだろう)
駆け引きも小細工もない。労したところでこの距離では意味を為さない。アキは自身最速となる一刀を放つため、神器に神意を集中させた。ユウは逆に自身の心を極限まで研ぎ澄ませ、アキが動くのを待った。
二人が構えてからここまで、時間にして数秒。準備が整ったと同時にアキはすぐさま、刀の柄を握り、そして――
アキ:「かまっ――」
女の声:「そこまでっ」
勢いよく刀を引き抜こうとした瞬間、衝突寸前だった二人を凛とした声が静止させた。
アキ:「あ、あなたは――」
一触即発の現場に現れた、短い金髪の女。彼女の顔を見て、アリサとフユキは目を見開いた。
サイカ:「だ、誰」
フユキ:「し、知らないんですか」
ユウ:「あれ、君は――」
一拍遅れて、ユウは昔のある記憶を思い出した。
フユキ:「信正騎士団至上最年少で最高幹部の席に座ったアリサ・クラウン――現ラウンズの第二席ですよ」
黄金よりも輝く金色の髪と透き通ったサファイアの瞳。聖女という言葉を具現化したような気品ある美しさを纏う彼女こそ、裏組織の連合――ヨハネの翼壊滅のため本部より派遣された本部からの応援――現在の信正騎士団ナンバーツー、アリサ・クラウン、その人だった。
アリサ:「お久しぶりですね、ユウ、アキ」
ユウ:「アリサっ」
同じ最高幹部であるアキはもちろん、ユウもまたアリサと面識があった。久しぶりの再会にユウは顔をほころばせた。