第二十一話 落ちる影
ピー、ピー、ピー
極島ホテルの最上階、スイートルーム。
外から聞こえていた激しい戦闘音が止んでしばらくして、机の上に置かれていたユウの通信機器が鳴った。
ユウ:「出ていいかな」
敵か味方か、少なくとも寝ている間何も危害を加えられなかった以上問答無用で攻撃してくるような相手ではないことはわかるが、スノウの立場がわからないユウは一応スノウに通信に出る許可を取った。
ユウの問いにスノウは静かに頷いた。
通信機器から聞こえてきたのは、ユウも知っている、ある人物の声だった。
通信相手:「こちらオーディン・アースガルド」
ユウ:(オーディン――)
深い付き合いがあるというわけではないが、オーディンと何度か面識があったユウは通信機器から聞こえる声がオーディン本人であることはすぐにわかった。
ユウはスノウに疑念を持たれないようわざと通信機器をスノウにも聞こえるようにこっそりスピーカーへと変更した。
オーディン:「信正騎士団の最高幹部序列一位、シムルグ・ウインドが敵の、ヨハネの翼の襲撃に遭い、名誉の死を遂げられた」
ユウ、スノウ:「…………」
オーディンから告げられたシムルグの死。その衝撃にユウは言葉を失い、スノウは静観した。
組織のトップが敵対組織に襲撃され殺された。それが意味することはただの殺人とはわけが違う。信正騎士団という己の正義と信念を貫く組織の存在意義を問う、敵からの挑戦状。
元々この戦いは互いの組織の全面戦争という体ではあったが、信正騎士団側からすれば、アリサ――組織の重鎮(要人)を病院送りにされたことに対するお礼参り。信正騎士団に敵対すればどうなるか、信正騎士団の強さと恐ろしさを世に知らしめる、一種のパフォーマンス的な要素が強かったのだが、
状況は一変した。
この戦いに敗れれば、組織のトップを殺した実行犯を目の前でみすみす逃してしまうことになる。そうなれば、信正騎士団の信用は失墜。信正騎士団という組織の社会的な存在意義を失う。それは紛う事なき組織の死。
信正騎士団は今、ヨハネの翼というぽっと出の組織にがけっぷちまで追い込まれている状況なのである。
オーディン:「シムルグが襲撃された信正騎士団極島支部近くで謎の黒い怪物を目撃。怪物は現在、街中を逃走中。この黒い怪物がシムルグの死に深く関与していると思われる。街中にいる正騎士は直ちにこの怪物を見つけ出し、即刻始末しろ。シムルグの無念を晴らし、我々信正騎士団の正義を貫く姿勢を全世界に示すのだ」
オーディンはシムルグを襲ったとみられる謎の黒い怪物――マカミ討伐の命を極島にいる全正騎士に下した。
一見過激と思われるオーディンの命令だがシムルグ亡き今、トップ代理として統率者を失った組織をまとめ上げるため、オーディンの下した命令は間違っていない。それは通信機器越しにオーディンの話を聞いた全員が理解していた。
この組織として崖っぷちの状況の中でもオーディンがいればまだ信正騎士団は大丈夫だ、とオーディンの指示を聞いた正騎士たちは思い、思わせることに成功した。
ユウ:「……………………」
だが、ユウはこの時オーディンにある違和感を感じていた。
らしくない。
シムルグの右腕にして、信正騎士団のナンバー・スリー、最高幹部の参謀(頭脳)であり正騎士きっての切れ者であるオーディンがどこか焦ったような、オーディンの真意はどこか別にあるような、そんな気が…………
スノウ:「待ちなさい」
部屋を出ようとしたユウをスノウが止めた。
スノウ:「どこに行くつもり」
ユウ:「どこって…………」
スノウの質問にユウは困ったように頬を掻いて答えた。
ユウ:「どこ、だろうね」
ユウの答えにスノウは眉をひそめた。
ユウ:「どうしても行かなくちゃいけない気がして」
スノウ:「そう…………」
スノウは角灯付きの大鎌――神器、スカルを顕現。ユウに刃を向けた。
ユウ:「っ――」
スノウの大振りに振るわれた鎌による一撃をユウは間一髪、跳躍で躱すとそのまま振り抜いた後の鎌の上に飛び乗った。
ユウ:「悪いけど、急いでるんで」
そう言うと、ユウは神器――追想剣を顕現。神の御業、一撃確絶で極厚の防弾ガラスを粉砕。ホテルの外へと飛び出した。
★★★
信正騎士団極島支部から北西八百メートル地点。
駆けつけた極島支部の正騎士たちと極島支部へ向け進撃していたヨハネの翼構成組織の一つ、レッドバイソンのメンバーが全員気を失い――地面で爆睡している中、エンペラーは一人眠たげな顔をしながら重い瞼を擦っていた。
エンペラー:「ふわぁぁぁ、なんかすごく面倒くさいことになってきたな」
先ほどユウが聞いたオーディンの命令は当然、エンペラーたち、生き残った最高幹部たちにも伝えられた。
最高幹部序列一位、信正騎士団の現トップであるシムルグの訃報も。
聞いてなお、エンペラーの心は穏やかなまま。いつものように睡魔の甘い誘惑に酔いしれていた。
それは同じ最高幹部であるアボットも同じ。エンペラーから少し離れた場所で同僚の死を悼み、鎮魂の祈りを捧げてはいたが、彼の心もまた平穏そのもの。
それもそのはず、二人はいつしかこうなる日が来ることを心のどこかで薄々勘付いていた。実際、この戦いが起こるだいぶ前、具体的にはユウがグリーンベアの兵士たちに暗殺を仕掛けられる前にエンペラーたちは直接今回の、一連の事件の首謀者であるオーディンから事の内情を告げられていた。
『俺の計画に従え。そうすれば悪いようにはしない』
確かにシムルグは優秀な正騎士だが、オーディンがシムルグ程度の器に収まる力量の者でないことは初めから最高幹部(全員)わかっていた。オーディンの内に秘めた本当の実力は恐らくアリサと同等かそれ以上。
組織のトップは、その組織内で一番の実力者がなるもの。
シムルグは所詮オーディンの傀儡でしかなく、自身が信正騎士団のトップの座に就くまでに、ベストな環境を作り終えるまでの代役にしか過ぎない。
オーディンから自身が信正騎士団一位の席に着くため、シムルグを失脚させると話を聞いた時、エンペラーたちは考える間もなく了承した。
そして今、オーディンの計画通り、あるいはエンペラーたちの目算通り、シムルグが失脚し、オーディンが実質的に信正騎士団のトップの座に君臨した。
ある一つのイレギュラーを残して――
実質的に信正騎士団のトップになったオーディンから初めて下された指令。黒い謎の怪物の討伐。これは明らかに作戦の途中でオーディンの想定外なイレギュラーが起こったことを意味している。
エンペラー:「さて、これからどうしようかな」
エンペラーたちがオーディンに言われたことはただ一つ。自分たちの作戦の邪魔をするな。特に手を貸せとか自分たちの助力をしろとは言われていない。
故にオーディンたちの身にどんなイレギュラーが起きようとも、エンペラーたちがそれを支援する義理は何もないのだが…………
エンペラー:(ま、これからの序列一位様に恩を売っておくのは悪くないかもね)
普段は面倒くさがりで、任務以外では信正騎士団本部にある自室から一歩も出ないエンペラーだが、さすがに戦場でお昼寝をするわけにもいかない。一刻も早くこの茶番を終わらせて自分にあてがわれた部屋のふかふかベッドで熟睡しようと一歩、踏み出した直後――ソレはエンペラーの真後ろに猛スピードで跳躍した。
エンペラー:「君か…………噂の黒い怪物君とやらは」
振り返ると、そこにはエンペラーの何倍もの体躯はある黒い、獣のような姿をした怪物。
マカミ:「ガルルルル」
獰猛な顎に、手と足の先についた鋭い鉤爪、全身を具現化させた黒い影で覆ったその姿はまさに西洋で有名な空想上の怪物――ウェアウルフそのもの。印象と違う所があるとすれば、目の前の怪物は尻から地面に落ちる自身の影を繋ぐ一本のへその緒のような尻尾が生えていた。
エンペラー:「…………」
目の前に立つ闇を具現化したような怪物にエンペラーは無言で手の平を突きだした。
エンペラーの手の平から生成される虹色の水玉。神の御業――夢幻泡沫。泡は神意に触れるとたちまちはじけ、強烈な催眠作用のある気体を周囲に拡散。その空気を吸った者はたちまち夢の世界へ引き込まれる。
エンペラーは中でも飛びぬけて強力な催眠作用のある気体を閉じ込めたシャボンを生成、黒い怪物――化神化したマカミに泡を飛ばした。
泡が割れ、中に閉じ込められた気体が拡散。そして――
ザシュ
エンペラー:「がっ」
マカミは一回りも二回りも屈強になった腕を目にも留まらぬスピードで振りおろし、エンペラーの全身を深くえぐった。
マカミは具現した影を全身に纏っている。いわば着ぐるみを被っている状態。当然、通常の着ぐるみ――被り物には中にいる人が呼吸できるよう空気の通り道、空気穴が開けられている。でなければ数分と持たずに中の人間は気を失ってしまう。
だが今マカミは理性を失い、その代償に膨れ上がった神意(力)に呑まれている状態。文字通りの怪物となってしまっている。そんなマカミに空気穴をあらかじめ作っておくという至極当たり前の発想はでてこない。
マカミは深手を負い一瞬で気を失ったエンペラーに頭から齧りつくとエンペラーの上半身を食いちぎりそのまま咀嚼、次の獲物を求めて跳躍した。




