第十二話 撤退
ヨハネの翼構成組織、その一つであるブルーオルカが立て籠もるオフィスビルを取り囲んでいた信正騎士団極島支部の正騎士たちにヨハネの翼構成組織であるレッドバイソン、グリーンベア、イエローモンキーがそれぞれ東、南、西から奇襲を仕掛けた。
フユキが向かった、東――レッドパイソンと交戦するエリアでは膠着する戦況に業を煮やしたレッドバイソンの頭――一ノ瀬闘也の提案により両者の統率者同士のタイマンが行われていた。
フユキ:「おりゃ――」
トウヤ:「ぐあっ……」
タイマンのルールはたった一つ、神器なし、神の御業なし、素手同士の、1vs1の殴り合い。
極島支部の正騎士A:「フユキさん頑張ってぇえええ」
レッドバイソンのメンバーA:「レッドバイソンの力見せてやってくださいよ、頭」
武道と一般に呼ばれるモノは一通り幼少期から習ってある程度のレベルまでに熟達しているフユキ。対して日々ケンカに明け暮れ、ケンカ一本でこの国にいる不良たちの頂点に立ったトウヤ。二人の実力は互いに拮抗、一進一退の攻防が繰り広げられていた。
トウヤ:「この――」
フユキ:(今だっ)
トウヤの右ストレートを躱した瞬間に繰り出したフユキ左ストレートがトウヤの右頬にクリティカルヒット。絵に描いたようなキレイなクロスカウンターをもらい、トウヤは思わず、後ずさった。
トウヤ:「あの冷徹支部長の腰巾着かと思ってたが、結構気合入ってんじゃねえか、てめぇ」
フユキの戦いぶりを素直に賞賛するトウヤ。それに対しフユキは――
フユキ:「それはこっちのセリフですよ。レッドバイソンの二代目頭さん」
嫌味たっぷりの笑みを浮かべ、トウヤの心を逆なでした。
トウヤ:「――殺す」
挑発も上手く決まり、状況は徐々にフユキ優勢に傾いている。かのように思えたが――
フユキに挑発され、感情に突き動かされるまま拳を振り上げるトウヤ。
狙い通り、感情のまま動いたトウヤの拳をギリギリで躱し、再びカウンターをお見舞いしようとしたフユキの拳をトウヤは頭突きで無理やり相殺した。
フユキ:「なっ――」
間髪入れず、トウヤの右ストレートがフユキの顔面を襲った。
フユキ:「ぐあっ」
極島支部の正騎士B:「フユキさんっ」
強烈な一発を喰らい、フユキの視界が数秒の間ぐらついた。
レッドバイソンのメンバーB:「さすがです、頭っ」
冷静さを失わせたことで単調な攻撃を誘うことには成功したフユキだが、トウヤはフユキの想像を超える力業でフユキの目論見を打ち破ってみせた。
フユキ:(これが一ノ瀬闘也。レッドバイソンの二代目頭)
圧倒的カリスマ性を誇った初代頭の脱退により衰退の一途をたどっていたレッドバイソンを一人で立て直し、裏社会でも名の知れる組織に増長させたのが今目の前にいる、一ノ瀬闘也という男である。
フユキ:(ここ最近頭角を現したばかりの新参者の頭目と侮ってましたが。まさかここまでとは)
レッドバイソンには意見がぶつかりあった際や組織の頭交代を求める際、代表者同士の素手での殴り合いが行われ、負けた方は勝った方の決定に従わなければならないという鉄の掟がある。
代表者同士での一対一を提案してきたのはトウヤたちの方だが、正直、神器と神の御業使用禁止のルールに助けられているのは自分の方だとフユキは感じていた。
もしそのルールがなければ、すでに自分は――
トウヤ:(これが曲がりなりにも信正騎士団の最高幹部――ラウンズの相棒(右腕)か)
普段はアキの陰に隠れて、パッとしないフユキだが、能力自体はそれほど悪くはない。むしろ平均より良い方である。ただ才能に恵まれなかっただけで…………
トウヤ:(いいとこのボンボンなだけかと思っていたが、まさかここまで骨のある奴とはな)
ヨハネの翼、その頭首の標的は信正騎士団ナンバーツー、アリサ・クラウン。アリサの暗殺には頭首の側近であるくすんだ金髪の少年が向かうことになっている。
トウヤたちが頭首に言い渡された役目は立て籠もり現場を包囲している正騎士たちの、戦力の分散と引き付け。いわゆる下っ端仕事である。
役目は全うする。でなければトウヤたちが頭首に消されてしまう。ブルーオルカボス溝口海溝と同じように。だが――ただ与えられた役目を全うするだけではおもしろくない。立ちはだかる正騎士たちを蹴散らし、自分たちもアリサ襲撃現場に乱入。あわよくば刺客との戦いで疲弊したアリサを横からハイエナしようと企んでいた。
自分たちを顎で使うヨハネの翼頭首に一泡吹かせてやろうと思ったのだが――
密かに立てていたトウヤの、トンビの油揚げ大作戦は、目の前のパッとしない正騎士に阻まれ、日の目を見ないまま自然消滅しようとしていた。
トウヤ:(こりゃ、俺の考えたトンビの油揚げ大作戦はおろか、こいつらをここに足止めするのもままならねえ状況だな。ちくしょう)
トウヤの考えた横取り作戦はともかく、ヨハネの翼頭首から言い渡された作戦は死んでも完遂しなければならない。
トウヤは、フユキを、命を賭しても倒されるわけにはいかない好敵手であると認識した。
フユキ:(能力だけなら他のグリーンベア、イエローモンキーに劣るが、一ノ瀬闘也……こいつの潜在的に眠る獣のような闘争心は侮れない。僕の役目はここでこいつの足止めをすることだ)
フユキもまた、トウヤをアキたちの元に近づけてはならない脅威であると認識を改めた。
トウヤ:「いくぞ、最高幹部の右腕」
フユキ:「こい」
互いの力量を認めた上で、後先考えず全力でぶつかろうとする二人。
少年のように目を爛々と輝かせながら踏み出しかけた足を、二人はそれぞれあらぬ方向から掛けられた声に止めさせられた。
極島支部の正騎士C:「フユキさん」
レッドバイソンのメンバーC:「トウヤさん」
慌てた様子で、組織のトップ同士の真剣勝負に割り込んできたのは上層部からの指令を伝達する互いのメッセンジャー。ほぼ同時に声を掛け、二人の元へ駆け寄った互いのメッセンジャーはそれぞれ全く同じ情報をフユキとトウヤに伝えた。
極島支部の正騎士C:「アリサさんが……」
メッセンジャーからの報告を受け、フユキとトウヤは共に同じ指示を部下たちに出した。
フユキ、トウヤ:「撤退だ」
フユキたちの号令を受け、その場にいた全員速やかに撤退を始めた。フユキたちが受けた伝令はフユキたちだけでなく、他の現場指揮をしていた正騎士たちにも伝えられた。トウヤと同じく正騎士たちを引き付けているシャラク、グリズリーにも……伝令を受けた者たちは皆一様にフユキたちと同じ指示を出し、その場から撤退を始めた。
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ブルーオルカの構成員たちが立てこもるオフィスビルから少し離れた大通り。
シャラク:「かっかっかっ、まさかあのアリサを本当に仕留めてしまうとはな。ワシらの君主様も中々やるではないか」
シャラクはアリサ襲撃作戦成功の報を部下であるイエローモンキーの団員から聞き、すぐに撤退の指示を出した。
毛深い大男:「何くっちゃべってんだよ、団長。もっと遠くに離れるぞ」
今はその正騎士たちと交戦していた場所から側近二人を連れ離脱している途中である。
和服を着た女:「クマ、若に馴れ馴れしすぎますよ」
野性味あふれる全身毛だるまの男を窘めるのは古風な和服美女。
この二人がイエローモンキー団長、東洋洒落の右腕と左腕――
シャラク:「かっかっかっ、良いではないかツル。そう目くじらを立てるな。クマもせっかくの祭りだ、そんなに速く退散しては趣がないであろう」
羽柴鶴と大隈大輔である。
クマ:「趣って……今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ」
現在立てこもり現場であるカイコウのオフィスビルを中心に、半径三十メートルの範囲が立ち入り禁止区域に指定されている。区域内はもちろん、外側にも避難勧告がされており、シャラクがいる通りも今は人っ子一人いない。
クマ:「追ってきた正騎士に見つかったらどうするんだ」
熊のような図体の割にメンタルは鳥のクマ。そんなクマの不安をシャラクは笑い、飛ばした。
シャラク:「その心配はなかろう。なんせ組織のナンバーツーが敵の襲撃を受けたのじゃ。今はそっちの対応で手が塞がっておろうって」
撤退する寸前見た、指揮官らしき敵の正騎士の青ざめた顔。敵側にも自分たちと同じ知らせが流れたのだとシャラクは推察した。
シャラク:「あのまま将の訃報に沈む敵に追い打ちをかけ、さらなる深みに沈没させてやるのも一興かと思ったが、逃げる敵を一方的に攻撃してもイマイチ派手さに欠けるからな」
クマ:「性格、悪」
ボソッと呟いたシャラクの悪口を耳聡く、聞き取ったツルは再びクマを睨みつけ、押し黙らせた。
シャラクはグリズリー・トムとも一ノ瀬闘也とも溝口海溝とも違う。
シャラクの行動原理はとにかく派手。誰もが振り向くほど派手で騒がしいことをして、少しでも多くの人の注目を集めたいと思っている。
死んでも貫きたい確固たる信念があるわけでも、何か大きな野望を内に秘めているわけでもない。金や権力にも全くと言っていいほど興味がない。
イエローモンキーという過激派迷惑組織を作ったのもただ自分と同じセンスを持つ仲間と派手なことをして世間の注目を集めたかったためだ。一人より大勢で何かやった方が注目を集めやすい。
頭首の威光を恐れて、屈服していたトウヤやカイコウと違い、シャラクは頭首の事を全くと言っていいほど恐れてはいない。戦いになればまず、シャラクに勝ち目はない。だがシャラクの神の御業を使えば、勝つのは無理でもヨハネの翼頭首の目を欺き逃げることはそれほど難しくない。少なくともシャラクはそう考えている。
そんなシャラクがヨハネの翼に参画し、今なお頭首の命令に従っている理由、それは――
シャラク:「祭りの前だ。今は我らが頭首様の言う通り、おとなしく引上げさせてもらうとしようぞ」
ヨハネの翼頭首が何か、ド派手で大きな事をこの国で起こそうとしている。それにより世界中の注目がこの極島に集まる。シャラクはその中心にいたいのだ。
ツル:「それにしても本当にあのアリサを……信じられませんね。いくら策に嵌めたといっても現正騎士最強と言われている方ですよ」
シャラク:「諸行無常、盛者必衰の理が如く。最強と言われている正騎士にだって必ず敗北する時はやって来る。今日がその日だったってことさ」
シャラクたちが今向かっているのは、自分たちの住処――イエローモンキーの隠れ家。いわゆるアジトである。イエローモンキーではその場から即時撤退する際、全員が同じ方向に向かって逃げるのではなく、四方八方、数人の組になって離散し、ある程度離れたところで目的地に向かうという逃走法がとられている。
下手にまとまっているよりこの方が追っ手から逃げられる確率が高く、避難先であるアジトの場所も推察されづらい。何より派手である。
シャラク達以外のイエローモンキーの団員たちも今頃は一目散に逃走するのをやめアジトに向かっているだろう。
ツル:「あの通りを左に曲がれば、あとは一本道です」
クマ:「逃げた方向的に俺たちがアジト一番乗りだろうな」
シャラク:「はぁああ、つっかれたぁああ。今日は早く帰って布団の上でゴロゴロしよう」
お行儀が悪いですよとツルに窘められながら、誰もいない通りを歩く三人の前に、ちょうどツルが指さした通りの曲がり角から灰色の瞳と髪をした若い男が現れた。
灰色の瞳と髪の男:「…………」
男は何も言わず、ただじっとシャラク達を順に見つめ、確信した。
クマ:「なんだ、てめぇ」
シャラク:「近づくな、クマっ」
数秒後、クマの目の前を黒い何かが右下から左上に勢いよく通り過ぎていった。
それが男の手に持つ刃渡り一メートルほどの黒い直剣の剣先がものすごいスピードで通った後の残像であることに気づくのは、そのまた数秒後のことだった。
シャラクの忠告が間に合い、クマは間一髪、胴体を真っ二つにされずに済んだ。
灰色の瞳と髪の男:「ち、しくじったか」
クマ:「…………てめぇ」
灰色の瞳と髪の男――マカミはすぐさま二の太刀をクマに向け放とうとするが、それよりも早く
ツル:「クマ、避けなさい」
鶴の神託を受けたツル、こと羽柴鶴はマカミが自分たちを攻撃してきた、敵と分かるや否や身を挺してシャラクを守るよう前に躍り出ると同時に化神化により背中より白い翼を生やした。そして白い翼からいくつもの羽をマカミに向かって投げつけた。
クマ:「っ――」
マカミ:「っ――」
クマの大きい体でできた死角。クマが体をどかしたことで突然開けた視界から襲い掛かって来る無数の羽をマカミは――
マカミ:「ワ――」
限界ギリギリまで息を吸い込んで発せられたただの大声ですべて吹き飛ばした。
ツル:「そんな、馬鹿な」
神意を自身の体に纏わせる神依。神依により向上しているのは身体能力だけではない。自身の内臓、その臓器が持つ機能も神意を纏っていることで向上している。
胃の持つ消化機能。心臓の持つ血液循環機能。そして肺の持つ呼吸機能。
これらは日常的な生活をする上で実感する場面が少ないため神人類の中でも、正騎士のように信正騎士団で基礎からしっかり神意の扱い方をレクチャーされた者でなければあまり知られていないことなのだが、マカミは強化された肺に取り込んだ空気に自身の神意を纏わせることで、スケールと威力をかなりダウンさせた超簡易的フユキの空気爆弾を実現させた。
クマ:「この――」
ツルの攻撃が防がれ、クマはマカミの危険性を直感、咄嗟に化神化で自身の腕をクマそっくりの獣の腕に変化。そのまま爪でマカミを引き裂こうと腕を振り上げた。だが――
クマ:「グアッ」
それよりも早く、マカミがクマを先ほどと同じ、左下から右上に袈裟斬りで斬り伏せた。
ツル:「クマっ――この」
クマがやられ、ツルは再び羽をマカミに向かって飛ばそうとした。今度は先ほどのように防がれないよう、一気にすべての羽を飛ばすのではなく時間差をつけて――
しかし、それよりも早く医療ドラマでよく見る細長い刃物――メスがツルの額に突き刺さった。
今度はマカミがクマのでかい体を利用して、影を具現化する神の御業、投影実像でシャラクたちに見られずメスを生成――同時に影で作った直剣は消滅――クマが倒れ、視界が開けた瞬間メスをツルの額中央に目掛けて投擲した。
シャラク:「ツル、クマ……」
ゆっくりと残ったシャラクに近づくマカミ。途中、ツルの額に刺さったメスを引き抜き、シャラクと相対した。
マカミ:「お前たちのボスの元に案内しろ」
この時シャラクは懐かしい、思い出したくもない、吐き捨てたくなるような、汚泥を極限まで濃縮圧縮させたような澱が体の奥深くから一気に全身に溢れ出す気色の悪い感覚に襲われた。
シャラク:「しょうがないな」
シャラクは久々に鍵をかけていた引き出しに仕舞っていた笑顔の仮面を取り出し、自身の顔に貼り付けた。
その後、シャラクが軽い足取りで入ったのは先ほどツルが指さした通り、ではなくその前にある、とある場所へと続く細い道。
シャラク:「どうしたの、こっちだよ、こっちこっち」
シャラクに連れられ、マカミもその薄暗い細道へと入っていった。




