第一話 序章
できたてほやほや
直径(線)にして一万三千、面積(面)にして五万平方キロメートル。
地球、と後に呼ばれることになる一つの惑星を舞台に生物は今まで激しい生存競争を繰り返した。
千年(千)を遥かに超える長き戦いの末、人類は見事この熾烈な椅子取りゲームに勝ち残り、他の種族(生物)に命を脅かされる心配のなくなった人類は文字通り、この惑星の食物連鎖の頂点の座へと上り詰めた。
種としての確固たる地位を獲得して以降、人類は種としての発展ではなくその営み――文明を発展させることに種全体の力を注いでいった。結果、人類は地球史上類を見ないほどの多角的で多面的な文明・文化圏を実現させた。
その代償に人類の種(生物)としての進化は停滞した。
変わらない形態に変わりない生態様式。人類が心血を注いで育て上げてきた文化という名の日常がより人類を、人類が種として発展していくことを阻んでいた。
ここが人類という種の、そして生物全体の最高点。人類という種はすでに完成(終焉)を迎えているのだと誰もが思った。
ある日、突然、人類の新たな姿(形)――後に神人類と区分されることになる新たな人類、人類の進化系――次世代型の人類が現れるまでは………………
若い女:「きゃっ」
商業施設が立ち並ぶ平日昼間の大通り。せわしなくも、平穏な日常風景が広がる何気ない一幕を突然、若い女の悲鳴が引き裂いた。
男:「どけっ」
信号待ちする若い女の背後から忍び寄った男は信号が変わる直前に、女の注意が変わる信号機に向いた一瞬の隙を突いて、女が肩から掛けていたバッグを力ずくで奪い取った。
若い女:「ひったくりよ、誰か捕まえて」
突如発せられた、女の言葉(SOS)に即座に反応できる者はその場に誰もいなかった。皆、突然の出来事(非日常)に驚き、その場で足を止め、思考を停止させた。
ひったくり男:「捕まるかよ」
女から金目の物が入ったバックを奪った男は、硬直する観衆を余所目に、一目散にその場から逃走。
女が叫び声を上げてから一分。現場に居合わせた者たちが状況を理解した頃には、時すでに遅く、ひったくり男は現場からはるかかなたにいた。例えこの場に短距離走の記録保持者がいたとしても、今からひったくり男に追いつくのは至難の業。
男は犯行現場である見晴らしのいい大通りから日当たりの悪い裏道へ。男はこの辺りを縄張りにしているひったくりの常習犯。ここら一帯の地理は熟知している。迷路のように幾つも枝分かれする道を男は迷わずに最短最速でひったくり現場から離れられる道を選択。途中女のバッグから金になりそうな物だけを抜き取り、後は近くに置いてあったゴミ箱に投げ捨てた。
ひったくり男:「ちょろいぜ」
男は意気揚々と裏道を抜け、さっきとはまた別の大通りへと出て、人の波に自分の姿を隠れさせた。
犯行が上手くいった《逃げ切れた》逃げ切れたと確信し、内心ガッポーズをとる男の背後から、突然
女が声を掛けてきた。
???:「何がちょろいの」
ひったくり男:「!!!」
背後から声を掛けられ、男は驚愕した。
声の掛けられた方へ振り返ると紺色の長い髪をした女が男を不思議そうな顔で男の顔を下からのぞき込んでいた。
ひったくり男:「な、何だお前」
男の常識で考えて、犯行直後すぐに取り押さえられなかった時点で自分に追いつける者は誰もいない。もし仮に、あの場に短距離走のメダリストがいたとしても、周辺の地理に精通していた男には逃げ切れる自信があった。
ひったくり男:(偶然か)
しかし、男の顔を覗く女のキラキラ輝かく瞳には「おまえが星(犯人)だろ」という言葉がはっきりと書かれていた。
女が話しかけてきたのは偶然ではない。女は男がひったくり犯であると確信して話しかけてきた。
男はそう確信した。
ひったくり男:(クソッタレ)
男は再び一目散に走り出した。
群衆の中に身を隠す自分がどうしてひったくり犯だとばれたのか、どうして今会ったばかりの、初対面の女が自分をひったくり犯だと知っているのか――頭の中に湧き出てきた幾つもの疑問を男は一旦、頭の隅へと追いやった。今はまずこの女を巻くのが先決だと、男は咄嗟に判断した。
誰かしらの通報を受け警察が包囲網を敷いたにしては手際が良すぎる。
常習犯といっても所詮男はけちなひったくり。被害額だって今までの総額合わせても百万程度。全国的に指名手配されているわけでもなければ、一部界隈で名が通っている有名人というわけでもない。世の中にはもっと悪名を轟かせている奴らがごろごろといる。
ヤクザまがいの不良集団や領土拡大のため他国に戦争を吹っ掛ける無法国家。過去には自分の主義主張を実現させるため世界に宣戦布告した頭のネジがぶっとんだ者までいた。
ひったくり犯であるとバレたとはいえ、相手は小柄で華奢な女一人。男はこの状況でもまだ自分がこの現状(場)から逃げ果せられると本気で思い込んでいた。
全力疾走する男にあっという間に追いついた女の、服の胸の部分に刺繍された背中から羽を生やしたウェーブのかかった少女(天使)のエンブレムを見るまでは――
ひったくり男:「そのエンブレムは――」
女:「おっ、気づいちゃった」
男と並走しながら女は片方の手を額に挙げ、敬礼のポーズを男にとってみせた。
正騎士の女:「信正騎士団極島支部所属の正騎士――天使優といいます。どうぞお見知りおきを」
ひったくり男:(正騎士、だとっ)
動きにくそうな見た目とは裏腹に伸縮性、柔軟性に富む、白を基調とした制服に身を包む女は極島――第二次人類大戦前は日本と呼ばれていた島国――に支部を置く正騎士。
対神人類特化の治安維持組織――信正騎士団に所属する正騎士、天使優だった。
ユウ:「君、ひったくりの現行犯だよね。もうどうやっても逃げられないんだし、おとなしく捕まっちゃえば」
ひったくり男:「っ――」
顔を歪ませながら必死で走る自身の隣を余裕たっぷりの笑みを浮かべ走る女から告げられる「もうお前終わったぜ」宣告。
当然、ひったくり男がユウのこの上から目線な通告を素直に受け入れるわけもなく――
ひったくり男:「ざけんな。正騎士は引っ込んでろっ」
男は逃走を諦め、ユウとの闘争を選んだ。
それがどれだけ勝ち目のない愚かな行為であると分かっていても――
ユウ:「おっと」
横なぎに振るわれた男の腕をユウは余裕たっぷりに、ギリギリまで男の腕を引きつけてかわした。
ひったくり男:「く、このっっっ」
間髪入れず、男は硬く握ったこぶしをユウのかわいらしい小さな顔目掛けて何度も突きだした。それら全てをユウは余裕綽々の笑みでもって全て躱しながら、男の周囲を一回転した。
ひったくり男:「はあ、はあ、何で当たんねえんだ」
息つく暇もなく拳を振り続けたひったくり男だが、ついに体中の酸素が底を尽き、膝に手を当てた。
ユウ:「はい――これで、おしまい」
ひったくり男:「っ――」
同時にユウは男の首元に刀身が黄色に輝く剣をそっと、当てがった。
ユウ:「警察の人が来るまでおとなしくしてね」
ひったくり男:「…………」
ユウがひったくり男を捕えてから数分後。
平日の昼間真っただ中に突如行われた捕り物劇、それを遠巻きで見物していた野次馬たちの中から一人の少女が飛び出した。
女:「ちょっと、すみません、すいません、どいてっ」
見守る群衆たちの中から飛び出した鮮やかな赤い色の髪をしたツインテールの小柄な少女は特徴である犬歯をこれでもかと向きだしながら、ひったくり犯を拘束するユウの元へ、額に青筋を浮かばせながら近づいた。
ツインテールの少女:「ばっかやろおおおおおおお」
少女はユウの脳天目掛け、ありったけの力(念)
を込めた渾身のげんこつを叩き込んだ。
ユウ:「いったぁああ、何でこんなことするのサイサイ」
ユウにサイサイという愛称で呼ばれた、ユウと同じ白の制服を着る赤髪の少女――鬼島彩夏。彼女もまたユウと同じ信正騎士団極島支部に所属する正騎士であり、かつ、警察と同様二人一組での行動が基本である信正騎士団でユウの相棒を務める、信正騎士団入団前からユウと交流のある唯一無二の大親友である。
そんな大親友が同じく大親友である相棒に渾身のげんこつを叩き込んだのだ。
サイカ:「何するのサイサイ、じゃないわよ。あんたはまた勝手な行動をして」
ユウ:「でもぉ」
サイカ:「でもじゃないっ」
サイカが声を荒げているのにはれっきとした理由があった。
サイカ:「何度言ったらわかるの、私たちは信正騎士団。対神人類に特化した国際的な治安維持組織」
いつもの、もう何度聞かされたかわからないサイカの小言(お説教)にユウは顔をげんなりさせた。
ユウ:「そんなこと言われなくてもわかってるよ。私だって正騎士になってもうそこそこになるんだから」
母親に叱られている中学生男子のようなユウは体を丸めた。そのユウの幼稚な態度がサイカの火に油を注ぎ、サイカの怒りはついに怒髪衝天、天元突破、超新星爆発してしまった。
サイカ:「わかってないから何度も言ってるんでしょうがぁあああああああ」
ユウ:「鼓膜が破けるぅ」
硬く握った拳をブルブル震わせるサイカ。
ユウの小玉スイカのように小さい頭を勢いよくかち割ってやりたいという衝動をサイカはなんとかグッと抑え込んだ。
危なかった。長女じゃなかったら我慢できずヤってしまっていた。
息を一つ吐き、サイカは無理やり荒ぶる心を落ち着かせた。
サイカ:「いい、信正騎士団は対神人類に特化した国際的治安維持組織。神人類が関係している事件についてだけ超法規的捜査が認められてるの」
ユウ:「それが(どうしたの)」
サイカ:「っ――」
一瞬酷い頭痛がしたような錯覚に襲われ、サイカは自身の頭を強く押さえた。
やっとのことで抑え込んだサイカの今にも破裂してしまいそうな堪忍袋をユウは再び悪気ない純真無垢な一言で突いてしまったのだ。
サイカ:「いい、私達に認められてるのは神人類が関与していると思われる事件の超法規的な捜査っ。そいつ、どこからどうみても旧・人類でしょ」
サイカの言う通り、信正騎士団は警察と異なり国家が直々(じきじき)に管轄運営する治安維持組織ではなく、神人類が関連していると思われる事件の捜査のみ超法規的に国際的な捜査活動が認められている非営利組織。
要するに信正騎士団は民間の組織なのである。
ひったくり男:(びくともしねぇ)
傍から見ればかわいい容姿をした仲の良い女の子二人が仲睦まじく話し込んでいる青春の一ページにしか見えないのだが、ひったくり男は何とか自身に注意が向いていないこの隙に逃亡を図れないかと身をよじらせた。だが、自分よりも遥かに小柄なユウに後ろ手に回した両腕を片手一つ、万力のようにがっちり拘束されてしまっており、やがて男は逃げる気力を完全に失ってしまった。
ユウ:「で、でも現行犯での逮捕権は誰にでも認められているわけで」
サイカ:「あんたねぇ……」
拗ねた子供のように口を尖らせ、言い訳をするユウ。
そうこうしているうちに通報を受けた近くの交番勤務の警察官二人組が現場に到着した。
ユウたちは駆けつけた二人の警察官に事情を説明、ひったくり男を現行犯で引き渡した…………
ユウたちにひったくり犯を引き渡された警察官たちは共に何とも言えない微妙な笑みを浮かべながら、「ご協力感謝します」とだけ言ってとぼとぼとひったくり男を連行していった。
ユウ:「あーあ、せっかくひったくり犯を現行犯で捕まえたのに。警察の人たちあんまり喜んでくれなかったね」
サイカ:「仕方ないわよ。警察は国、信正騎士団は民間。いくら国際的に認めらてる組織だからって諸手を上げて活躍を喜んだりできないわよ、立場上ね」
表面上は国家直属の治安維持組織である警察と良好な協力関係を維持している信正騎士団だが、所詮は他人の芝生。ユウたち信正騎士団の活躍を面白くないと思っている者は少なくない。
ユウ:「目的は同じなんだから仲良くすればいいのに」
サイカ:「夢見すぎ。人間関係と一緒で必要な時に必要最低限だけ関わって、後はお互い他人のふり、そういう関係が一番煩わしくなくていいわよ」
ユウ:「そうかなぁ」
サイカ:「そうよ」
お隣さん同士でも難しい、人との関わり方。それがましてや、一個人ではなく、個が集まった集――組織同士のものとなるとなおの事。目的地に着くまでの雑談(暇つぶし)にしてはデリケートすぎる話題を話しながらユウとサイカは人通りの多かった表通りを離れていき、人気の少ないエリアへ。いくつかの狭い裏道を進んでいき、目的地である廃ビルへと辿り着いた――
ユウ:「ここが密告にあった廃ビル」
今回、ユウとサイカがココにやってきたのは正騎士の任務のため。先日信正騎士団極島支部にとある密告があった。今日ここでテロリスト同士の武器取引があると――ユウたちの目的はその現場を押さえること。
サイカ:「急ぐわよ」
ただの武器取引ならばわざわざ正騎士であるユウたちが出張る案件ではない――警察で十分対応できる範疇(案件)である。
情報提供者(濁してはいるが恐らく組織に潜入している正騎士だろうとサイカは睨んでいる)の話によれば今日行われる武器取引、片方は海外を拠点に活動している極島ではあまり名の知られていない武器商人だがもう片方は国内の有名な過激派テロリスト集団。
ここ最近はすっかり鳴りを潜めていたが――最近はもっぱら不良たちによる暴力事件が巷を騒がせている――風の噂ではユウたちと同じ神人類が若干名(数名)在籍していると囁かれている、武装派組織。
その話が本当であれば警察の手には余る。
そこで上層部は命令違反多数、事件解決件数ダントツ最下位、書いた始末書の数は数知れず、信正騎士団きっての不良債権(お荷物)コンビ――ユウ、サイカコンビに白羽の矢を刺したのだ。
本当は他の正騎士コンビに任せたかったのだが、今手が空いている正騎士が二人しかいなかった…………
ユウとサイカはタレコミのあった廃ビルの中へ入るとすぐ、目の前のエレベーター、ではなく部屋の隅に備え付けられた非常階段から目的の階目掛けて駆け上がっていった。
サイカ:「密告が正しければ、もう取引は始まってるはず。逃げられる前に急いで突入するわよ」
ユウ:「了解」
当初の作戦では取引現場に先回りして、身を潜め待ち伏せ、取引現場に現れたテロリスト共を一気に一網打尽するつもりだったが、ユウのせい(久々に商業施設が立ち並ぶ大通りに来てテンションが上がってしまい思う存分ウィンドウショッピングをした挙句に道が分からくなり迷子。挙句の果てに、任務中にも関わらず領域外の仕事――ひったくりの現行犯逮捕までしてしまった)で一時間以上も前に現着したはずなのにすでに取引予定時刻を過ぎてしまっている。
二人は勢いよく階段を駆け上がり、武器取引が行われると密告のあった階層へ。目的の階へ辿り着いた二人はアイコンタクトのみで息をぴったりと合わせ、目的の部屋へ突入した。
サイカ:「そこまでよ。直ちに取引をやめて、その場に膝をついてしゃがみなさいっ」
ユウ:「さいっ――」
二人が部屋の中へと突入した瞬間、部屋中に溜まっていた埃が視界いっぱいに舞いあがった。
サイカ:「……………………………………………………」
ユウ:「…………………………………………………………誰も、いないね」
もぬけの殻、どころではない。
二人が突入した部屋はついさっきまで人がいたとは到底思えないほど体温や足跡(息遣い)を一切感じさせない、コンクリートの壁に囲まれた無機質な箱だった。
ユウ:「コホッ、コホッ」
誰がどう見ても長い時間何人たりとも足を踏み入れていないだろう埃まみれの部屋を見て、二人は確信した。
ユウ:「情報はガセだったみたいだね」
武器取引の情報がガセと分かった瞬間、サイカは近くにあった壁を力の限りぶん殴り、拳をめり込ませた。
サイカ:「クソが。上層部の馬鹿どもっ、碌に情報を精査せず私たちに仕事ぶん投げてきやがって」
ユウ:「素が出てるよ、サイサイ」
サイカが拳を叩きつけた壁はまるで鉄球を時速百キロでぶつけられたように一面いっぱいにひびが走った。
ユウ:「一応手掛かりになりそうなものがないか探してみようよ」
ユウたちがいるのは再開発途中に土地の権利者が消息不明となりそのまま長年放置されてきた、廃ビル群生地の一角に建てられた、耐久年数を優に過ぎた紛う事なき死んだビル。
部屋全体にはサイカが付けた傷とは別に長年にわたって増やしてきた無数の皺(亀裂)が無数に。今にでも倒壊してしまいそうなほどの廃れ具合だった。
一応、室内に何か密告にあったテロリストたちの手掛かりがないか、探し回ったユウとサイカだが結局手掛かりになりそうなものは何も見つからなかった。
ユウ:「何もないね」
探すといっても小さな窓が一枚あるだけの、他には家具一つ置かれていない、コンクリートに囲まれた部屋。念のため隠し通路や隠し部屋がないか床や壁(サイカが八つ当たりした壁は除く)を注意深く観察したり、叩いて空洞がないか確認したりしたが、何のことはない、いたって普通の空き部屋だった。
サイカ:「やっぱり情報はガセだったみたいね……帰ったらたっぷり文句言ってやる」
ユウ:「あはは」
情報が偽物だったということは今回ユウたちに課せられた任務は始まることなくここで終了となる。後は支部に戻って報告を済ませれば仕事完遂。
無駄足を踏まされたことに苛立つサイカとは対照的にユウは武器取引現場取り押さえ任務が空振りに終わり、内心ソワソワしていた。
久しぶりに定時で家に帰れる。
任務が無駄足(空振り)に終わり、残念に思う気持ちよりも久しぶりに定時帰宅できる喜びが勝った。
ユウはうれしさを隠しきれていないぎこちない笑みをサイカに向けると、ある人へメールを送るためこの部屋唯一の小窓のはめられた壁際の方へ、おもむろに近づいた。
ユウ:「ん、あれって――」
そそくさと指を動かし短文のメールを送ったすぐ後、ユウはこの部屋の中で唯一建物の外の様子を視ることが出来る小窓、逆に言えば、外から唯一この部屋の中の様子を伺うことができるその場所でユウは何かが太陽の光を反射してキラリと光るのを見た。
その直後――
バリンッ
音速を超え飛来した弾丸(鉄の塊)が特殊な加工も何もされていないただの厚さ六ミリ程度の窓ガラスをいとも容易く突き破り、そのまま近くにいたユウの頭――左側頭部へ直撃した。
サイカ:「っ、ユウ」
直後、ユウの体がグラッと斜めに傾いた。
│─\│/─│
ユウの頭を狙撃した男:「ヒット」
ユウたちのいる廃ビルからいくつかの雑居ビルを挟み、少し離れた場所に建てられた、これまた今は誰にも使われていない廃墟と化した雑居ビルの最上階に位置する空き部屋で男が一人、スコープから目を離して拳をグッと握り締めた。
双眼鏡を覗く男:「油断するな。相手は人間の見た目をした化け物だぞ」
狙撃に成功し浮足立つ男の隣に立つ、双眼鏡を持ったもう一人の男。
二人は同じOD色と呼ばれるくすんだ緑色の服を着ていた。
それは昔、現極島が日本という旧称で呼ばれていた時代にある組織の構成員たちが着用していた、組織に所属していることを示すためだけでなく風景に溶け込むための、迷彩の役割も兼ねた特別な隊服。他国からの侵略や大規模な自然災害から国民を守るため設置された国家直属の防衛組織――自衛隊。
男たちが着ているのはその中でもかつて最大の規模と人数を誇った最強部隊、陸上特化型の部隊で用いられていた隊服の一つである。
二人の他にも同じ隊服を着た者が部屋に十人。皆手にアサルトライフルを把持している。
狙撃男:「おいおい装甲車も貫く対物狙撃銃だぞ。いくら神人類が人間離れしてるからって、まさか――」
男がユウを狙撃するため使ったのは、かつて国際法で人に向けて撃つことが禁止されていた狙撃銃――対物狙撃銃。生身の人間が食らえば瞬時にばらばらの肉塊にしてしまう超強力な代物である。
ぶ厚い防弾ガラスすら容易く貫通する狙撃銃の弾を頭にもろ撃ち込んだのだ、誰だって殺したと錯覚してしまう。
狙撃成功を知った瞬間、皆無意識の内にアサルトライフルを持つ手の力を少しだけ緩めてしまっていた。
ユウたちの様子を彼女らが部屋に入る前から双眼鏡でずっと見張っていた男ですら、目的を達成し、今は双眼鏡から目を離してしまっている。
ただ一人、部屋の中央に立ち状況を冷静に伺っていた――この部隊の指揮を一任された男――隊長だけがソレに気が付いていた。
隊長:「来るぞ」
隊長が言葉を発した直後、それが合図であったかのように狙撃男と双眼鏡男の目の前にあったコンクリートの壁が崩壊(爆発)した。
│─\│/─│
何が起こったのか、サイカは理解することができなかった。
窓ガラスが突然割れたと思ったら目の前で相棒の体がありえないほど勢いよく斜めにグラッと傾き、倒れる寸前――で、片足一本、踏みとどまった。
サイカ:「ユウっっっっっ」
神人類といえど音速を超えて飛来する弾丸を目で捉えることはできなかった。だが、ユウが目にも留まらぬスピードで何者かの攻撃を受けたことは直感的に理解することができた。
サイカ:「大丈夫っ」
ユウの無事を確かめるため、慌ててユウの元へ駆け寄るサイカ。しかし――
ユウ:「痛ってぇえええええええなっ、こんちくしょぉおおおおおお」
それよりも早く、額にキレイな青筋を浮かばせたユウは何もない空中に一振りの剣を顕現。自身を攻撃してきた狙撃手がいると思われる方角――頭を打たれる直前見た、ライフルスコープに反射された光目掛け、腰に差した剣を勢いよく振り抜いた。
ひったくり男を捕まえた時に持っていた剣と姿形は同じだが、刀身の色は黄色から赤に変わっている。
ユウが赤い刀身の剣を横なぎに振った瞬間、空を切り裂く剣の残像が炎を纏い、具現化。狙撃手たちのいるビル最上階に向かって、文字通り宙を駆けていった。
ユウ:「っ」
サイカ:「あ、ちょ、ユウ」
突然の相棒の激昂。未だ事態を呑み込めず呆気にとられるサイカをその場に残し、ユウはぽっかり穴の開いてしまった壁から躊躇なく、飛び出した。
迷彩服を着た男A:「うぉ、なんだ」
迷彩服を着た男B:「急に壁が吹き飛んだぞ」
狙撃手たちのいる場所から狙撃ポイントまで数百メートル以上離れているはずなのだが、ユウは周りの建物の天井や壁を足場にわずか十秒で襲撃者たちのいる場所まで辿り着いた。
突然コンクリートの壁が爆発し、近くにいた狙撃男、双眼鏡男ががれきの下敷きになり意識を失った。
気を失う寸前、彼らが最後に見たのは、神秘的な青い瞳をした剣を持つ黒髪少女の姿だった。
ユウ:「新妻の顔に傷をつけようとするなんて、君たち……死ぬ覚悟はできてるんだよね」
迷彩服を着た男C:「ひっ」
敵意を通り越して殺意に転じた冷たい視線。全身からほとばしる圧倒的強者の威圧感。本能で分からされてしまう生物としての格の違い。
ユウの心に呼応するよう手にした剣からは炎が激しく燃え上がっていた。
日々厳しい鍛錬に耐え、身も心も屈強に鍛え上げてきたはずの戦士たちが見た目はただの幼かわいい少女に視線で射竦められ、縮み上がらされた。ただ一人を除いては……
隊長:「総員、撃て」
上官の命令を聞き、恐怖で全身カチコチに固まっていたはずの元陸上自衛隊の男たちの体が自分の意思とは無関係に目の前の脅威へアサルトライフルの銃口を向け、その引き金を躊躇なく引いた――
ババババババババババババババババババババババババババババババババババババ
部屋全体に響く銃の断末魔。
いくら委縮していようと上官の命令には自然と体が反応する。そうなるよう男たちは過酷な訓練を今まで受けてきた。
肉体だけでなく心も、無機質な鉄のように何も感じることがなくなるよう何度も打ち付けてきた。
最強の個ではなく最強の集となるため、己を軍という大きな戦艦を動かすための歯車にする訓練を積み重ねてきた彼らの努力の結晶は――
ユウ:「うるさいな、鼓膜破れちゃうよ」
神人類(圧倒的な個)――種の進化という一握りの奇跡(偶然)の前にいとも容易く握りつぶされた。
迷彩服を着た男D:「こんだけ銃弾浴びせてんのになんでピンピンしてられんだよ」
迷彩服を着た男A:「化け物が」
どれだけ銃弾の雨の浴びせかけてもユウの膝が折れることはない――折れる、わけがない。なぜなら濁流のように押し寄せる無数の銃弾、どれひとつとしてユウの体に傷をつけることはおろか、全身を覆う表皮一枚、着ている服の繊維一本に触れることすらできていないのだから。
ユウ:「無駄な努力だって分かってるんだから、おとなしく投降してくれればいいのに。弾の無駄使いだよ、もったいない」
迷彩服を着た男E:「くそがぁああああああああああああああ」
どれだけ獰猛な雄たけびを上げようが、四方から弾丸を撃ち込もうが、火力のある狙撃銃を使おうがユウの、神人類と呼ばれる進化した人類の体を傷つけることはできない。
理由はこの地球上で唯一神人類のみがその存在を感知し操ることができる神意という摩訶不思議な存在にある。神意とは魂より零れでた、魂(神)の残滓。生物であればどんな小さい生き物にでも宿っているとされる、生物を生物とたらしめる神より与えられし贈り物。
この世のモノではない。
隊長:「やはり神意を纏った相手に近代兵器は無力か」
神意を自身に纏わせ、あらゆる攻撃から自身の身を守る。これを神依と呼ぶ。
神意を全身に纏うことはつまり全身全霊でもって神の加護を受けるということ。いくら人類が強力な兵器を作り出そうが、神の護りを打ち破ることはできない。
男たちの放った何千何万という弾丸はすべてユウの滑らかな、瑞々しいすべすべの肌にその硬く屹立した先端を押し付けることなく、体全体に薄く纏わせた神意(神のベール)に触れた瞬間、マップの外――侵入不可能領域に行きついてしまったゲームキャラのように不自然にそれまでの勢いを殺され、その場にポトリと落ちていった。まるでこの先は不可侵であることがこの世の摂理であるかのように。
ユウ:「ふぁあ、まだやるの」
銃乱射(無駄な足掻き)を続けるむさくるしい男たちの姿にもそろそろ見飽きてきたころ――
隊長:(頃合いか)
自分の隊員(部下)たちが絶望的な差を前にしながらも必死に銃撃(無駄な足掻き)を続ける中、隊長は目の前の状況を冷静に分析。旧人類と神人類の圧倒的な、生物ととしての格の違い。絶望的な差を目の当たりにして心が折れる寸前の隊員たち。そんな隊員(旧人類)たちの姿を見て勝ちを確信する標的。
敵は眼前に迫った勝利に目が眩み、油断している。
隊長はこの時をずっと待っていた。
ここが一番の好機と判断した隊長は懐から一丁の黒い拳銃を取り出し、ユウに向けて引き金を引いた。
ユウ:「っ」
隊長が引き金を引く寸前、隊長の持つ拳銃が放つただならぬ気配を感じるよりも早く、ユウの背筋を全身を冷たい毛虫が高速で這ったような嫌な感触が襲った。
ユウはすぐに余裕の表情を消し、嫌な予感の発生源、自分に銃を向ける隊長に視線を動かした。
ユウ:(あの銃、神意を纏ってる。てことはこの弾も)
ありとあらゆる攻撃――自身の体に害をなす行為を防ぐ神の衣(鎧)だが、それはあくまで神意の宿っていない、神の意に反する、神の意にそぐわぬ行為(攻撃)のみ。
神の意思は同じ神の意思によってのみ捻じ曲げられる。
神意は物に纏わせることもできる。自身の体のどこか一部に触れている必要はあるが――
神意を纏ったナイフは空気を裂くかのように容易に神の鎧を纏った皮膚を引き裂き、肉を断つ。
ユウ:(さっきからしてた弾の無駄遣いはこれを隠すためのカモフラージュっ)
隊長の持つ銃から何者かの神意を感じとったユウはすぐさま臨戦態勢(剣をいつでも振れる態勢)をとり、迫る銃弾に目を凝らした。
ユウ:(一直線に飛んでくる。小細工はなさそう)
狙撃銃ほどではないにしろ高速で飛来する弾丸を剣一振りで叩き切るなどどんなに修練を積んだ剣の達人であってもまずできない、人知を超えた神業である。
だがしかし、神人類はそんな神のような御業を人間の身でありながら可能にする。自身の体を神意で纏う、神依。神依は神意を纏っていないすべての攻撃を防ぐだけではなく、自身の身体能力を人間という生物の枠組みを遥かに超え、飛躍的に向上させる。
ユウが建物の壁や屋根を足場にはるか先の建物まで跳躍して辿り着けたのもこの神依による肉体強化のおかげである。
ユウ:(いけるっ――)
ユウは自身の眉間中央目掛けて、的確に進んでくる弾丸を一刀のもと、切り伏せれると確信した…………ユウは気づいていなかった。
視界の外、ユウから見て左側より迫るもう一つの本命(神意を帯びた弾丸)の存在に――
ユウ:(しまった)
ユウがそれに気づいた時は、時すでに遅かった。
片方を切り伏せれば、もう片方に頭を撃ち抜かれる。躱すには弾丸が迫り過ぎている。万事休すである。
ユウ:(ダーリン……)
最後の悪あがきにとユウはできるだけ頭を前に傾ける前傾姿勢をとり、左から来る弾丸を少しでも頭の中央から外れた位置に着弾するようにした。しかし、致命傷は避けられない。
ユウ:(ごめん――)
せっかく今日は早く帰れるとメールを送ったユウだったが、その夢は儚くも散ってしまいそうだった。
ユウは炎を猛らせる剣を振り抜き、正面の弾丸を切った。直後、一刀両断された弾丸が燃え上がり跡形もなく焼失。同時に死角よりユウの頭蓋骨を抉ろうと回転しながら空中を突き進む弾丸が薄い神意で覆われた無防備なユウの側頭部まであと一メートルの地点を通過、そして――
頭蓋骨へめり込むよりも早く、地面に勢いよくめり込まされた。
サイカ:「ユウ、何勝手に突っ走ってんのよ」
ユウ:「サイサイッ」
もうだめだと諦めた時、突如として現れた救世主――頭から真っすぐな角を二本生やしたメシアにユウは思いっ切り抱き着いた。
サイカは自分の背丈よりもさらに長い棘の付いた棒――昔話の絵本で、とある種族がよく肩から担いでいる姿が描かれている――金棒でユウが捌ききれなかったもう一つの銃弾を地面に叩きつけたのである。
迷彩服を着た男D:「嘘、だろ」
鬼よりヤンキーが持っていそうな金属バットに棘を付けたようなサイカの金棒に、文字通り作戦をおしゃかにされ、襲撃者である男たちは全員、心を折られた。
隊長:「……ここまでか」
サイカの登場によりかろうじて保っていた部隊の指揮が完全に地の底へ落ちた。それを察し、隊長はそっと手を後ろに回し、その場にひざまずいた。隊長の姿を見て、隊員たちも一人また一人と両膝を地べたへ付けユウたちの前に跪いた――降伏の意思表示である。
サイカ:「これで終わりみたいね」
ユウ:「だね」
ふたを開けてみれば、あっさりとした幕引きで終わった今回の事件。だが、二人は気づいていなかった。練りに練った作戦が失敗に終わり男たちが失意を噛みしめる中、一人この部屋からこっそり抜け出した今回の事件の本当の指揮官がいることに。
この事件がこれから起こる人類全土を巻き込む大事件のほんの些細な序章以前の閑話休題でしかないことを、この時の二人は知る由もなかった。
全二十七話
すでに第一部の最後まで書いていますので、時間をあけて連続して投稿する予定…………たぶん