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よひらのつぼみ

たまにぽつぽつと家があるだけの寂しい帰路をただただ車で走っていく。周りは辺り一面山に囲まれている。初めてきた時は、その迫り来る圧迫感に驚きと共に恐怖を感じていたが、慣れてみればこれも自分にとっての当たり前のような風景になってしまう。今はそっちの方が怖い。先程まで雨が降っていたからだろうか、真夏の太陽を目一杯嫌というほど浴びて暖かくなっていた山が、雨を受けて一気にさまされたせいで、水蒸気をもうもうと放っている。なんだか怪しげな雰囲気に不安を感じる。テレビで定期的に放送される怖い話シリーズに出てきそうな雰囲気だ。

「松原」 わたしは耐えかねなくなって、隣で運転している松原に声をかけた。

「なに」 松原はそっけない返事を返す。

「すごい水蒸気、雨すごかったもんね」

ああと気のない返事をした後、わたしのほうをちらっと横目で見る。不安そうに目を泳がせてしまっていたのだろう、松原は「なに、怖いの?」と腹立つようなニヤケ面で言ってくる。

「昔っから怖がりだもんな紬は」

「今は期末試験の方が怖いよ」

ふっと鼻で笑った後松原は確かになと加えた。

「でもどっちも怖いだろ紬は、優越付けられない怖いもんってあるよな、怖いは怖いんだっつーのって」

確かに今瞬間的にこの雰囲気が怖いのと、迫り来る期末試験がじわじわ恐怖を感じさせているのとではまるで次元が違う。怖いの種類が違う。

「単位やばいんだろう?」 松原がさりげなく聞いてくるのでわたしは体をこわばらせた。

「なんで知ってるの」 

「俺らの仲だろう」 

「ただの幼馴染じゃん」わたしが軽く笑い飛ばすとひどいなあと松原がわざとらしく言う。

「本当になんで知ってるの?」

身に覚えがないからこそ、それこそ今この瞬間が山の水蒸気よりもはるかに違和感を含んだ恐怖に感じられた。まさか、、。わたしは想像でしかない考えの風船を少しずつ不安の空気で膨らましていく。はち切れそうに張っているそれはわたしの震える内面のように、不安定で、それでもって怖い。はち切れて飛び出した内容物は、頭の中で形づくりたくないほどのものだから、わたしは一生懸命に不安の空気をセーブし続ける。先刻よりも深刻な面持ちだったのだろう、松原は「別にどうっていうことじゃないよ」

と少し嘲笑しながら吐いた。

「紬がこの前酔い潰れる寸前に勝手に言ってただけだろう」

すこしの沈黙が生まれる。膨らました風船をしぼませる時間が必要なのだ。

「この前家で飲んだ時?」

「そう」 やっと頭がスッキリしてきた。そうだ。わたしと松原は先週の金曜日、家で夜遅くまで飲んでいたのだ。晴れた表情のわたしに、松原はやれやれと言わんばかりの顔で笑みを浮かべた。

「本当に深刻そうな感じだったよ。留年なんてしたらたまったもんじゃないからな。」

「そうだよね、わかってる」

空気が重く私の肩にがんじがらめになってしがみついてきたので、わたしは息が詰まって窓の外を見た。もう山の水蒸気なんて怖くない。次元が違う怖さだからこそ、一方が大きくなると片方はどうでもよくなる。ちらっと窓に反射して松原がうつった。松原もなんだか重い空気にのしかかられているらしい。

「松原、今日飲もうよ」

ぽつりと放った言葉に松原は細い目を見開いてこちらを見た。言いたいことはわかっている。

「お前なあ、極度の心配性だと思ったら今度は急に楽観的になるの本当どうにかした方がいいよ」 松原が呆れたようにこちらを見る。

「よそ見はだめだよ」 

「さっきからしてる」 話を逸らそうとしたことが見え見えだったのだろう、松原はわたしの言葉を軽くあしらう。だめじゃんと頬を膨らませるわたしを尻目に続ける。

「そうやって急に楽観的になるから後々溜まってった物が大変になった時に余計心配になるんだよ」 

「だってそうしないと心配症が悪化する」

松原が一瞬はっとした表情になった。すこしの間黙り込んで、ふうんとずっと先の景色を透視するかのように目を眇める。

「心配性ゆえの楽観、楽観ゆえの心配性ってことか。嫌な関係だな」

松原が言い終わる頃には車がアパートの駐車場にきっちりと停められていた。エンジンを切ると同時に車の中を彷徨っていた私達の空気感がすっと散っていく感じがした。私たちは同時に車から降りる。

「運転上手いね」

白の軽自動車が、砂利の敷き詰められた中に広がるラインの中にすっぽり収まっている。

「紬とは訳が違うからな」

満更でもない様子で松原が車に鍵をかける。

「しょうがない、飲もうぜ」

松原は勢いよく階段を登っていった。アルミの薄っぺらい階段がかつんかつんとその金属音を響かせている。

「まってよ」私は内心ほっとしながら松原の背中を追いかけた。あんなことをずばりと言う割には松原は宅飲みを許可してくれた。なんだかんだで松原は優しいなと今更ながらに思う。さっき釘を刺してくれたのも優しさだろうが、私に寄り添ってくれるこっちの優しさに埋もれたい。息切れを起こしかけながら、ぐんぐん1人で進んでいく松原の背中を追いかけてボロアパートの3階まで階段をハイペースで登っている途中、一瞬松原の優しさって、結局どっちなんだかわからなくなった。果たしてこれは優しさなのだろうか。私はずっと一緒にいる人のことも細部までわからないことに逆に面白みを感じてくすりと笑ってしまった。

「松原、階段登るの、早い」

やっと息切れしながらも登り切った階段の先には、玄関の前で立ち尽くしてこちらを見ている松原がいる。

「遅い」松原はそう呟いてガチャリと玄関のドアを開けた。意地悪だ。


「紬が酒の話したからとてつもなく飲みたくなった」 松原が荷物やら何やらを自室に放り投げて、真っ先に冷蔵庫の前に立つ。

「ちょっとお風呂洗って洗濯取り込んじゃうから待っててよ」

わたしがそう言って荷物を自室に置きに行こうとすると、松原に腕を掴まれて引き止められた。ぎょっとしているわたしに松原が「まってよ」と言う。

「すぐ終わるよ」 わたしがそう言うにも関わらず、松原は掴んだ腕を離さない。

「早く飲みたい」 松原は私の腕をそのまま引っ張っていき、ソファーに座らせた。お風呂と洗濯は自分がやると言ってくれれば私だってすぐに飲みたいのに。


ぷはあとわざとらしく缶ビールを飲んで見せる。私も仕方がなくプシュリと勢いに任せて缶ビールの蓋を開けてゴクリと思いきりビールを喉に流し込む。ビールはスルスルとわたしの食道を降りていき、胃でじんわりとしたあたたかみを広がらせた。ビールの存在感と共に体全体も火照っていく。先ほどわたしが持ってきた枝豆やら、帰りに買った焼き鳥やらも一緒に食べる。ビールとおつまみのコンビは最高だ。その絶妙なコンビネーションに舌鼓を打っていると、ソファーの隣に座っている松原がふいにエアコン付けてと私に言う。はいはいと、わたしは小さくうめきごえをあげて、目の前のテーブルに乗った、ちょうどギリギリ手が届かないエアコンのリモコンをなんとか手にした。冷房のボタンを押すと、エアコンがピッとかわいい音を立てて稼働しだす。松原もこんなふうだったらいいのに。

今日はなんだか不満の溜まる日だ。まあそんな日もあるだろう。

「乾杯!!!」 わたしは急に思い立ったように天高々にビール缶を突き上げた。松原が驚いて私を見る。

「乾杯!」急かすように声をもう一度張り上げると、松原は渋々、乾杯と言って、そして一気に缶ビールを飲み干した。


「美味い!!」

声を張り上げてみるといつも私を脅かす何かがいっせいに逃げていくような気がした。

もういちど1人で乾杯と言って今度はしんみりと、そして一気に缶ビールを飲み干す。


気づいた頃にはもう体の熱は火照り切っていて、瞼が重力に逆らえなくなりそうだった。松原はわたしと違って下戸ではないので、全然飲んでいるとはわからないくらいピンピンとしている。


わたしはだるい体に耐えられなくなって、そのまま体を松原のひざに一直線に倒した。のしかかった私に松原は一瞬はっとした表情になったが、すっと目を閉じた数秒後、もう意識が保っていられないくらいになったとき、何かが聞こえた。瞬間その声に酔った脳で恐怖を感じた。酔いが回った体では何も考えられない。きっと聞き間違えだろう。だって酔っ払ってるのだから。松原が、そんなこと言うはずない。

しかし意識がなくなるまでの数秒間、それはわたしのビールでいっぱいになった体の中を駆け巡り続けた。


またやれないのかよ



朝の、優しくよりそうような、ふんわりとした、でも力強い光がカーテン越しに差し込んできて目が覚めた。カーテンをするりとかわして差し込んでくる光に目をすぼめて起き上がる。

起きた途端、頭全体を締め付けられるような痛みに襲われた。二日酔いだ。唸りながら周りを見回すと、そこは私の部屋だった。きちんとベットで寝ていたことを確認して、松原がここまで運んできてくれたことを知る。また迷惑かけちゃったなと、酔いの覚めた頭で考える。


ベットから降りて、一歩踏み出すほどに響く頭の痛みに耐えながら、だるい体を引きずって着替える。今更ながらに、机の隅にちょこんと鎮座している置き時計を見ると、針は11時を指していた。松原はもう講義に出ている頃だろう。私は今日講義を取っていない。誰もいないリビングに行くと、ひっそりとしたところに足音がびきびき鳴った。


ピコン。ふいに、スキニーのポケットに歪に入れていたスマホが震えた。どうせただのお知らせメールだと思ったが、なんだかこの静寂に耐えきれなくなって、スマホを取り出した。


【赤坂さんお疲れ様です!今日の午後5時から××屋で飲み会をしようと思いますので、時間があれば是非来てください!】


瞬間的にため息が出た。

私が所属するサークルの先輩からのメールだった。根本的に、私は重いものがどやうしても嫌いで、それを軽くしたいから酒を飲む。どうせ後から重くなってまたのしかかってくるけれど、飲んだ後はその重さも少し耐えられるようになる。それは私にとっての逃げであり救済だ。だけれど、わたしは15人くらいいる中で、年功序列を気にしながら飲む酒は、ただ大荷物を胃に詰め込むのと同じだと思ってる。

不味い。

おまけに今日は二日酔いで頭が痛い。今日無理して飲んでしまったら3日酔いどころか5日酔いだ。

【お誘いありがとうございます。是非参加したかったのですが、今日は都合が合わないので、次の機会に見送らさせてください。】


重い頭でなるべく早く軽く文字を起こしていく。スマホの画面を見下ろすわたしの顔はたいそう酷い顔だっただろう。

スポンと送信ボタンを潔く押してしまうと、頭痛に耐えられなくなって、ソファーに倒れ込んでしまった。ソファーがじんわり温かくなっている。部屋が暑いのだ。でもわたしはエアコンをつける気力など、もうない。じんわりとした温かみから昨日の松原の体温を思い出した。 

もう温もりなんてさらさら夏の熱気に上書きされてしまったのに、それでも感じてしまう松原の存在感。

私たちはずっと一緒だった。だけれど、それは恋人とか友達とか幼馴染とか、そんな決まった型には収まらないし、クッキーの型抜きみたいに押されてしまえば楽なのだが、押されてそういう形にもなれない。

なんて言ったらいいのか未だに分からないのがどうしても歯痒いが、わたしはこの関係を、私たちだけの特別だと思う。 

だけれど、昨日の松原の言葉が、喉に刺さった小骨のように、つっかえて、とれない。

私ももう、べろんべろんに酔っていた。酔っていたから聞き間違えたのだろうと何度も言い聞かせた。だけれどわたしの頭は頑固にそれを否定し続ける。嫌な予感がした。この絶妙な関係を揺るがす何かがその言葉にある気がする。

そういえば、最近松原の言動がいつもより自分本位だった。普段から松原は我慢をしない方だし、言いたいことははっきり言う。しかし、いつもより態度が大きくなったのは置いといて、今回は、何も言わない。昨日ボソッと言った言葉が偶然聞こえてしまっただけで、松原は私に何かを伝えようとしているが、言葉を発さない。

怖い。脳内で大きな風船が膨れ上がる。早く割って欲しい。いつもならすぐに松原が割ってくれるはずなのに、今はいない。松原、何か言ってよ。早く鋭利な言葉の針でわたしの不安で膨らんだ風船を壊して。


分かりたくないのに、分かりたい。ずっと一緒にいたから、分からないのがとても可笑しい。

わたしはもう考えるのもめんどくさくなってしまって、せっかく起きたのに、また目を瞑ってしまった。



「紬」

低いけど澄んだ清水のような声。

次に目を開けた時にはカーテンから黄金色の光がちらちらしていて、もう少しで日が落ちるところだった。

「紬どうしたんだよ」

少し疲れたような表情の松原が、しゃがんでわたしの顔を覗き込んでいる。

「今何時?」 体感時間と日が落ちかけている光景がなかなか自分のなかの感覚と一致しない。

「もう6時だよ」

ああそうと、わたしは適当に溢してまた目を瞑る。頭の痛みはなんとか和らいだのだが、眠りから覚めた後の、重力がわたしをどこまでも引きずっていくような感覚に耐えられない。

「紬、今日のご飯は?」

松原がそう言うので仕方なく目を開けた。今日の夕飯担当はわたしだ。

「今からやる」

眠い目を擦ってぼそりと呟くと、松原は呆れたような目をして、するりとわたしから視点を逃して立ち上がった。

「いいよ食べに行こう」

松原はそう言った後、さっさと身支度をし始めた。正直食べたい気分ではなかったのだが、寝てしまったわたしが悪い。浮かない気分のまま起き上がって、和らいだがまだ響く頭痛に顔をしかめてしまう。そのまま耐え忍んで洗面台に向かった。細長の鏡に顔をうつす。浮腫んだ鼻やら腫れぼったい目。おまけに髪の毛がボサボサだ。その姿にうんざりして、心の底から外に出たくなくなった。しかしやりたくないときでもやらなくてはならないときがいくつもある。テストとか。

わたしは顔にビチャビチャといい加減に、とびっきり冷えた、、、と言いたいところだけれど、夏の暑さに完敗した生ぬるい水道水をかける。寝ている間に皮脂を覆った脂や汗がヌメヌメと生ぬるい水と混ざっていくのがとても気持ち悪い。何回も水道水をかけてやっとさっぱりしてきたというところで蛇口を捻って水を止めた。横にかけてあるフカフカのタオルで顔を包み込む。次に鏡を見た時には、顔のむくみも幾分かマシになっていたので少し安堵した。ついでにボサボサになった髪の毛を誤魔化すように低めに髪の毛をまとめ上げた。化粧は、まあ近場の飲食店だろうからしなくてもいいだろう。

適当な準備をし終えて、わたしはのろのろとリビングに戻る。松原はもうとっくに準備し終えていて、わたしのことを待っている様子だった。準備し終えたわたしを見るなり、踵を返して玄関に向かう。わたしもとろとろと後をついていく。

「××屋でいい?」 松原が言った時、わたしの足は途端床に固定されてしまった。

「××屋?」

「近くて安いから」 松原はそう吐き捨てて靴を履くなりつま先をトントンと地面に叩きつける。

「どうしたんだよ紬」

浮かない顔のまま動かないわたしに松原がいかにも面倒くさそうな顔をした。どうしたもなにも、断ったサークルの飲み会が行われている飲み会に誰が行こうか。しかし、それを松原に言ったところで更に松原は機嫌を悪くするだろう。わたしはもうどうすることもできない。

「ちがくて」

わたしはなんとか言葉を絞り出す。おもたすぎるその空気はわたしの肩を剥いでいくように下へ下へとゆっくりわたしを引きずり込んでいく。何も違くはないんだ。違くはないけれど、わたしの言いたいことが言えないその場は、まず否定しておかないとわたしが壊れてしまいそうなのだ。

「えっと」 

松原の顔がどんどん曇っていく。曇天の空のようにしかめられたその顔を見ていられなくて、でも言いたくなくて。

「なんなんだよ」

松原が痺れを切らした。もう、言うしかないんだ。わたしは震える腹筋で言葉を絞り出す。

「今日、サークルの飲み会に誘われて。」

松原は何も言わない。

「それで、面倒くさくて断った、だから、××屋はいけない」

しばらく松原は黙ったままだった。目はうつろで何を考えているか全く分からない。負の感情も何もかも全部仕舞い込んで、真っ先にその事実だけを考えているような、松原の合理的な面が垣間見える。ただ、仕舞い込んだその感情の中の十割九部は負の感情であることは確かだと思って、わたしは説教待ちの子供のように肩をすぼめてうつむいた。

「それ」

松原がぽつりと言葉を発する。びくりとわたしの肩が少し揺れる。

「それ、今から行こう」

「え」 わたしは思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。行きたくないとか、面倒くさいとか、化粧をしていないとか、違うサークルの松原も行くのかとか、そんなんじゃなくて、松原が何を考えているのかますます分からなって、ただただ混乱する。

「一回断っちゃったよ」

何から言えばいいのかわからず、とりあえずしどろもどろして言うわたしに松原はきっぱりとこう言った。

「まだ6時だろう、終わってないよ」

論点の合わない問答に唖然として硬直する。

本当に?本当に行くの?現実味のない松原の発言に、わたしは道に迷った小さな子猫のような、そんな頼りない物質になって、空気に混ざって消えそうだ。

「早く連絡して」

松原の目はもうひとつの点しか見ていないようだった。わたしは急にとてつもない圧を感じてグ先輩のLINEを開く。

【わかりました!また今度の機会に飲みましょう】 

 わたしが寝ている間に届いたメッセージとは逆のことを打つのに多少の躊躇いも感じながら、松原の圧に耐えられなく、わたしは自分のしていることも不明確に文字を起こしていく。 【こんばんは、赤坂です。先ほどお断りさせていただいた飲み会の件ですが、都合がついたので参加したいと思います。突然ですみませんが、大丈夫でしょうか】 

打ってしまった後、わたしは松原を見た。子供が親の指示を仰ぐように。どうしたらいいと。

すると音もなく既読という文字がついた。

あっと言う間もなく、先輩からのメッセージがスポンと画面上に浮き出る。

【是非来てください!】

人数が足りなかったのだろうか、それとも形上明るく振る舞っているのか。いずらにしろ送られてきた文章に松原は目に少し光を織り交ぜて

「俺も言っていいか聞いて」

と更に圧をかけてくる。どうしてこんなに。

わたしは得体の知れないわだかまりを胸に、スマートフォンのキーボードを操作する。

【すみませんが、】

一瞬わたしの指が動くのを躊躇った。数秒考えたあと、いいや、これでいいんだと、また指を動かす。

【友達の同居人も一緒に参加していいですか?】

送ると同時にまたすぐに既読という文字が浮かぶ。数秒の間を経てメッセージが返される。

【一緒に飲みましょう】


「大丈夫だってさ」

「早く行こう」

メッセージを見るなり松原は真っ先に玄関のドアを開けた。夏のもうもうとした空気が夕方の闇にも負けずにわたしの頬を殴っていく。気持ちの悪いそれにわたしはうめき声を飲み込んだ。うめき声はわたしの胃の中までゆっくり落ちていき、胃の中で大きな荷物となった。その荷物を胃に詰め込みながら、そこに酒も流し込むのかと思うと、奈落の底に落ちてしまいそうな気持ちになる。

「何人くらいくるの?」

「何も聞いてない」

わたしは別に聞く必要がないと思った。だから聞かなかった。しかし松原の前ではそれがとても罰の悪いことのように思える。

松原はふうんとそれだけ言って細い目をさらに少し細めた。

「紬鍵かけといて」

それだけ言って松原はスタスタと歩き出した。


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