7.南へ
ブルー・リッジは横須賀港の沖合い、東京湾の内海寄りに停泊していた。
後甲板にはヘリポートがある。私と羽根木は海上自衛隊のSH―60で第七艦隊の旗艦に降り立った。
アメリカ合衆国が“テラ”に飲み込まれて以降、ブリュッセルのNATO本部は別として、実質的に、ここがアメリカ軍最後の司令部となった。
「CICでブリーフィングをするそうだ。…と言っても、日米双方でC4Iシステムは崩壊した。統合運用もクソもない」羽根木が先頭に立った。
案内されるまま、戦闘指揮所に直行した。
ディスプレイの半分近くがブラックアウトしており、オペレーターにも活気がない。ヘッドセットを外している者すらいた。
偵察衛星のコンステレーションや、陸海のイージス・システム、アメリカ本土のデータセンター機能が壊滅させられたせいで、圧倒的に情報不足なのだろう。
私たちの前に立ち上がったブリーファーは意外にも軍ではなくCIAだった。年配の女性の分析官で、ロニー・ジョーンズと名乗った。
「今回のオペレーションは、日米同盟に基づく最後の共同行動になるでしょう。さて、肝心の“テラ”のタイムスリップの仕組みは未だ解明されていません」
ロニーが説明を始めた。
「しかし、分かったことが一つあります。彼らは、現状を維持するために大量の電力を必要としている」
「なるほど。だから南極か?」アメリカ海軍の将校が口を挟んだ。
「そのとおり。あそこには世界最大の原子力発電所があります。タイムスリップと同時に彼らはあそこを支配下に置いた。タスマニア・ルートの海底ケーブルを切断した後、チリを経由して、秘密裏に電力を引き込んでいる」
「ヴォストーク基地」
ロニーは頷いた。
「欧州のNATO軍と連携して、あそこを叩くわけだな」別の将校が発言した。
「我々と日本軍のF―35、欧州のユーロファイターほか、四機編隊五個で飛行隊を編成しました」
ロニーは顔を歪めた。「もはや秘密ではない。この二十機が我々の最後の空軍戦力です」
「こいつら、原発を空爆するって、正気か?」私は日本語で呟いた。
羽根木が囁いた。「馬鹿だな。ヴォストーク原発は地下核融合炉だ。核爆発もメルトダウンもしない」
だが、心細い限りだ。
SH―60で移動中、羽根木から聞いた国際情勢も気が滅入る内容だった。
急激な気候変動やサプライチェーンの分断、国際通信網も機能停止する中、唯一国力を温存してきた中国が、“テラ”と水面下の交渉に入ったらしい。
「北京は奴らと手を組むつもりだ。というより、“テラ”は、基本的にはタイムスリップ後に、つまり、これからテラに移住する非欧米人の国だしな」と羽根木は説明した。
なるほど。
タイムスリップによって、アメリカ大陸の人々とその子孫は全滅した。
そして今まさに“テラ”は、ユーラシア大陸を標的に、欧米人とその文明を衰退させようとしている。白人優位の歴史は終わるのだろう。
そして、欧米に与する日本人は没落する側に立っているということか。
インドも中国と足並みを揃えつつあるという。地球規模のパラダイム・チェンジは決定的だ。援軍はない。
最後にロニーは私に話しかけた。
「ミスター・ベアボーイ。あなたも南極に向かいます。極めて重要な任務のため、別行動をしてもらいます」
彼女は微笑んだ。
「人類の希望につながる特別な任務です」
私は、“聞こえた”という意味で頷いた。
引っかかるのは、“人類”という意味だ。
彼らが言う“ヒト”の概念に、果たして人種や宗教、イデオロギーを超えた普遍性はあるのだろうか。
結論から言うと、ヴォストーク原発への総攻撃は失敗した。
「“テラ”は初期の飽和攻撃でミサイルを使い果たしたはずだ」という分析が誤りだった。
南極大陸の“テラ”側の警戒空域に入ったところで地対空ミサイルの集中攻撃を受け、飛行隊は全滅した。
私の巨体を載せたC―130輸送機は、一足遅れて戦闘空域に入ったため、被弾しつつも海上に不時着できた。
私は任務に必要な、四十フィート・コンテナ一個分の必要資機材を抱えて泳がざるをえなかった。
背ビレや尾を伸ばし、身体を左右にひねってイグアナのように泳ぐと、時速百キロほど出せる。
海底に黒ぐろとそびえる海嶺を越え、横殴りに流れる極寒の南極還流を突破し、ひとり南極大陸に上陸した。