3.轍
口の中に入った肉のかたまりを食いちぎった。柔らかく小さい。遼馬の耳朶だった。嫌悪感でプッと吐き出した。
起き上がろうともがいたが、羽根木の部下に制圧された。拘束具に封じ込められ、一瞬沸き上がった体力も尽きた。
「子どもを置き去りにして逃げたやつが、何に怒る?」物静かに遼馬は言うと、耳の欠片を注意深く拾い上げ、近くの者に渡した。
「お前は、母さんも捨てた。親父が死んだとき、いなかった。何が問題だ?あの子は立派だった。自らオーグに乗ることを望んだんだぞ」
「まだ十五歳かそこらだ!兄貴でいいだろよ?俺を探したんなら、見つけてくれりゃ、喜んで代わってやったのに!」
「俺には大事な役目がある。俺のこの頭脳には別の使い道があるんだ」遼馬は自分の頭に指を突き立てた。
「あの子に会ってやれ」
「俺が交替したら、颯馬は自由になるんか?」私は尋ねた。
「あの子は若い。別の身体なら再接合も可能だ」遼馬は事もなげに言った。
バートルは、市ヶ谷の防衛省のA棟屋上のヘリポートに着陸した。
遼馬は「後で会おう」と呟き、厚生棟で耳を治療すると周りに言ってその場を離れた。
私は羽根木に預けられた。
「麻酔入りの点滴に変えるぞ。意識が少し混濁するが、息子に会いたいだろう」と羽根木は言う。
ストレッチャーに縛り付けられたまま、エレベーターで地下まで降りた。
地下の指揮所や会議室のフロアよりも深く、防衛研究所の別室に入った。
現在の青鬼は三重構造になっている。
鬼鎮神社の地下で発見されたのは、本来の熊童子だ。身長は一六〇センチほど。兇悪な面相と凶暴性で、平安時代の人々を恐怖させたであろうが、決して大きくはない。
千年以上あとの現代の感覚からすれば、非力とすら見える。車一台のパワーもないのだ。
米軍はその身体にさらにアーマードスーツを被せ、体長三メートル弱の生物兵器に仕立て上げた。一体として“ベアボーイ”というコードネームで呼んでいる。
その中核となる頭部外骨格の中にヒトの頭脳が収まる。これが血筋を選ぶ。
緋村家には鬼のDNAが混じっているのかもしれない。伝承によれば、酒呑童子の一党は、女を攫っては犯したという。
今のところ、この仮説が有力だ。私にも鬼の血が混じっているのか。
ストレッチャーを操作して上体を軽く持ち上げると、息子と対面した。七、八年ぶりだ。
颯馬は、口の端に何かの骨を咥え、チューチューと吸っていた。赤黒い肉か腱がこびりついており、火を通したものではない。比較的大きな生物の肋骨のようだ。
「パパ?」颯馬はニヤリと笑った。
暗い空洞。眼窩二つにそれぞれ紅い光が灯った。
「なんで寝てるの?」骨をぶらんと地面に放り捨て覗き込んできた。スンスンと鼻が蠢いた。「血の臭いがするね?」
「ああ、腹をちょっと怪我した。元気か?」
「大丈夫。なんで泣いてるの?」と首を傾げ、鋭い爪で尻をバリバリと搔いた。右手は義手だ。
「ごめんな。パパが代わってあげるから」私は声を絞り出した。
「逃げたこと謝ってるの?」颯馬は嗤った。「いいよ。パパは悪くない。弱い生き物は逃げる」
昨日は数百頭の牛の群れを襲ったそうだ。
「殺ってヤッて殺りまくった。メスもいたからヤりまくったよ」
また笑った。「あいつら全部、殺ってヤりまくってやる。パパもママも心配しないで」
「でもママは…」
青鬼はまた笑い、音もなく顔を寄せた。
「ママは僕が守る。だから、この身体がいいよ。誰にも渡さない」
スンスンと鼻を鳴らすと、興味を失くしたように去っていった。