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破却の新世  作者: Y
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2.熊童子


 ムレネズミは醜悪で怪奇な生物だ。


 ドブネズミ八体で一匹の個体を形成している。七体の尻尾が長く伸びて、ボスネズミの額に突き出た瘤に繋がっている。


 ドブネズミはネズミにしては巨大だが、ヒトの脳は収まらない。そこで、八体に分散し、尻尾の神経回路でネットワーク型の知能を形成している。


 不思議なことに、尻尾を断ち切っても、しばらくは連携が維持されるという。


 そのムレネズミの大群に襲われた。三十匹近くいる。つまり二百以上の個体が歯をむき出して飛びかかってきた。


 腹を食い破り、体内に潜り込もうとする。


 私は振り払おうとしてギョッとした。


 産まれたばかりの息子、颯馬が腕の中にいた。温かい重みが私を縛り付けた。


 下腹部からの激痛と恐怖が全身を撃った。


 耐えきれず、颯馬を取り落とした。


 颯馬が飢えたネズミの群に飲み込まれていく。最後に見えたのは、泣き声を上げる小さな口に、ネズミが潜り込んでいくさまだった。


 違う。そうではなかった。


 優子は颯馬を決して手放さなかった。


 あのとき、優子はあの子を抱え、腹を食われながら守ったのだ。



 心拍の上昇と、聞き覚えのある輸送ヘリの羽ばたきで覚醒めた。アドレナリンか何かを注射されたようだ。


 涙を拭こうとしたが、両腕に力が入らない。


 痛みは鈍い。麻酔が効いているからだろう。だが、応急的な脊髄麻酔なら激痛はぶり返す。下腹をごっそり裂かれたはずだ。


「気がついたか、一馬」と声をかけられた。


 私は目だけを動かした。焦点が合う前に、声だけで誰かわかった。「ああ、兄貴か」


 兄の遼馬と、もう一人。戦闘服の男がいた。羽根木一等陸佐、特殊作戦群の元上官だ。


「久しぶりだ」羽根木は口元を緩めた。「ようやく捕まえたな。ここはバートルの中。まあ、安全だ」


 V―107。旧型の輸送ヘリで搬送中か。ちらっと目の端に、流れる星空が見えた。


 私は脱走兵だ。逃亡の果て、拘束された。見殺しにされても文句は言えない立場だ。


 助けてもらった礼を言った。「あのヒグマは…。百々瀬の家族は大丈夫でしょうか?」と尋ねた。


 羽根木は表情をあらためた。「奴らは挟撃を狙ってたんだな。ヒグマ野郎は、先に農場の奥さんと子どもらを襲った。一家全員が犠牲になった。気の毒だ」


「だが」と続けた。「M2の十二.七ミリ弾で八つ裂きにしてやったよ。俺たちにできる供養はそれぐらいだ」


 私は彼らを守れなかった。“すまない”と心のなかで手を合わせたが、それも虚しい。


 あの一帯も、“外来種”つまり“テラ”の入植者たちに占拠されていくのだろう。


 復讐し、奪還するしかない。


 だが、今は気が沈み、痛みがぶり返してきた。


 自分の身体の欠損の状態を知りたかったが、言葉が出なかった。


「死にかけてるときに悪いが」羽根木は顔を近づけた。


「聞こえるか?お前は今すぐ選択をしなければならない。俺に逮捕されるか、緋村先生に連れて行かれるかだ」


 緋村は、私たち兄弟の姓だ。兄の遼馬は、まだ防衛研究所で働いているはずだ。


 羽根木に連行され、自衛隊法に基づく軍事裁判で逃亡罪が確定し、投獄。手っ取り早く処理するなら、ここから投げ落とされる。


 処罰が既定路線だったはずだが様子が違う。遼馬に引き渡されるということは…


「親父は、青鬼は生きてるのか?」


「オーグは生きてる」遼馬が答えた。


「あのオーグに乗れるのは、手近じゃ俺たち兄弟しかいない。もう四の五の言えん。俺が研究を続けて、お前があれに乗る。それしかないんだ」


「俺が監察部に連行しても、お前は満足な治療も受けずに死ぬだけだ。考えてくれ」羽根木は言うと、顔を背けた。


 


 二〇二八年、京都の鬼鎮神社の地下に封印された石棺が発掘され、その中から仮死状態の奇妙な生物が発見された。体表は鱗状に青く、頭部から二本の角が生えていた。


 現在、我々が“青鬼”や“オーグ”と呼んでいるものだ。


 年代測定によれば、千年前に埋められたという。


 平安時代、京の都を酒呑童子という鬼とその一党が荒らした。一条天皇の勅命で、武士団の頭領、源頼光が鬼斬丸を使って討伐する。


 この酒呑童子の配下に四天王と呼ばれた最強の鬼どもがいた。


 発見された生物は、青鬼であること、討伐の際に右手を切り落とされたとの伝承にも一致することから、四天王の一角、熊童子だと考えられている。


 米軍のコードネームは“ベアボーイ”。横須賀の米軍基地で生物兵器としての研究が始まった。



「一馬。実は、オーグは生きてるが、親父は去年死んだ」遼馬の声が冷たく乾いた。


「なぜだ?」


「暴走してしまってな。止めるしかなかった。親父が暴れたせいで、特殊作戦群の小隊が全滅しかけた」


「兄貴が、親父を殺したのか?」


「俺じゃない」


 だが、責任はあるだろう。


 青鬼の脳神経受容体に緋村のDNAが適合すると判明して以降、遼馬は米軍の研究に協力してきた。


 青鬼に脳移植できるのは、今のところ私たちの血統しかない。


「青鬼なしで闘ってるのか」私は目を閉じた。


「いや」


 遼馬の口調が変だ。


「他の一族に適合者がいたのか?」


「いや」


「俺たちに他の兄弟がいた?」


「いや。颯馬だ」


 優子と私の息子。


 優子がムレネズミの襲撃で死んだ後、遼馬の妻が面倒を見ていたはずだ。


 私はカテーテルを引き抜くと遼馬に飛びかかった。「ぶっ殺してやる!」


 急に力が抜けてよろめいた。


 口を目一杯開いて喉元に食いついた。頸動脈を食いちぎってやる。


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