1.襲撃
鋼鉄製の単管パイプが互いにぶつかると、カーンという響きつつも内にくぐもった金属音がする。
私は足場を組む要領で鉄パイプを組み合わせ、“砦”を作っている。
強度を確保するため、なるべく針金は使わず、ジョイントで接合する。ラチェットでキリキリと、つなぎ目のボルトを締め上げていく。
早朝からの作業で指先が疼き、背中がこわばってしまった。もう昼を過ぎた。だが、日没前に“砦”は完成しそうだ。
日が暮れたら、きっと奴らが襲ってくる。
農場主の百々瀬が、弁当と水筒をかごに下げて来た。浮かない表情だ。
「なんとかなりそう?」
「後はテッポウに発火装置をセットしたら完成」と私は答えた。
百々瀬が不用意に砦の前をうろついた。のそのそと射線の一つを横切る。
私は注意した。「こっから絶対にそっち側を通らないで。ちょっとした火の気でドカン!蜂の巣だから」
私は、鉄パイプの“砦”に攻撃要素を取り入れた。
構造は簡単なもので、黒色火薬でパチンコ玉を射出する原始的な散弾銃だ。豆電球を細工した電熱線で着火する。
単管パイプを代用した銃砲をコンクリートで包み、黒色火薬の爆轟に耐えられるよう固めた。
その結果、やたら重く、固定された水平射撃しかできない。黒色火薬なので雷管を必要としないが、暴発しやすく、物騒な仕掛けになってしまった。
「あとは猟銃の点検して、日の入りまでちょっと昼寝させてもらうよ」
今夜は武器を抱えて、徹夜で畑を守る予定だ。
「俺も付き合うが、役に立つか自信がねえ」と百々瀬がため息を付いた。
「俺に任せろ。モモさんには、運んでほしい大事な機材があるんだ。あと、救急医療の道具も預かってくれ」
デイバッグに一式詰め込んである。
百々瀬は頷いた。
「あんたは特殊部隊のエリートだったんだろ?何でも言ってくれ。奴らに種イモまで食われたら来年からの食料がヤバくなる」
「任せろ」私は百々瀬の肩を叩いた。
彼が心配するのも解る。一人の人間ができることには限界がある。
「さっき、無線が繋がった。やっぱり昨日の夜、隣村の畑は全滅だと。死人も出た。今夜、こっちに来るのは間違いない」
「何匹だ?」私は尋ねた。
百々瀬は暗い目をした。
「三十。デケえのばっかり、三十匹」
「そうか。所詮ブタだ。全部退治してやる。ベーコンにしないと食いきれんな?」私はニヤリと口を歪め、不安を抑えた。
その夜は何事もなく、襲撃は翌日の夜になった。
背後に回られるのではないか、と内心ヒヤヒヤしていたが、正面から突っ込んできた。
確かに大きい。遠目にも牙が目立つ雄ばかり、体長は二メートル、体重は三〇〇キロ近くあるだろう。
猪どもは谷間の笹林から地を這うように疾走し、隊列を組んで農場に侵入した。だが、入口は天然の隘路になっている。
そこに集中砲火を浴びせた。数千発の金属弾が獣の群れを薙ぎ払った。
月が明るく視界は良好だ。
“砦”の周辺だけ、白煙で塞がった。
私はその煙の壁を抜けて飛び出した。武器は猟銃二丁とナタだ。ナタは腰に下げ、猟銃一つは背中にしょっている。
生き残り、喚きつつ逃げ惑う猪に襲いかかった。なるべく銃弾一発で殺すが、倒れた猪には首の付け根にナタを叩き込む。すぐに血まみれになった。
立ち向かってくる猪は数匹だけで、それも勇猛ゆえに先陣を切って弾幕に突っ込んだため、みな負傷している。慎重に距離を取って、スラグ弾で仕留めた。
五、六匹逃げたが、追うのは諦めた。先にやるべきことがある。
私は落とし穴に駆けつけた。罠にかかったようだ。二匹いる。
一匹はピクリとも動かないが、もう片方はよじ登ろうと足掻いている。
百々瀬を呼び寄せると、預けたデイバッグを受け取り、麻酔弾を生き残った猪に撃ち込んだ。
「そいつは何だ?」百々瀬がのぞき込んだ。
「脳波計」
私は正直に答えた。
百々瀬は息を呑んだ。「こいつらの、あの話は本当か?冗談だろ?」
「それを確認する」私は答えた。
機材を抱えて穴に飛び込み、猪の頭部をハサミで毛刈りし、先の尖った電極を分厚い皮に突き刺す。
麻酔が効いているようだが、死んではいない。荒い息遣いだ。猪の体表に、月光を浴びて蠢く南京虫の姿があり、コードを伸ばして後ずさった。
脳波の計測を始めた。
「どうだ?」百々瀬が上ずった声で急かした。
私は答えない。
人間。やはり、人間の脳だ。
猪どもにはヒトの脳が移植されている。
突然、生臭いにおいにさらに不快で異質な湿った空気が混じった。
ぶつかり合う物音と百々瀬の叫び声が聞こえ、私は慌てて穴を飛び出そうとした。
猪の生き残りを見落としたのか。
鼻先に百々瀬の顔があった。奇妙に歪んでいる。
頭を巨大な顎、牙と牙に挟まれていた。
「あーっ」という虚ろな叫びが最後だった。
一瞬で噛み砕かれ、百々瀬の顔が血しぶきとともに消え去り、白い破片と肉塊がドシャリと穴の底に落ちた。
熊だ。それも、普通の大きさではない。
ヒグマだ。
私は死にものぐるいで反対側をよじ登り、ナタを構えた。平地で走って逃げてもすぐに追いつかれる。背中を裂かれるだけだ。
こいつも頭脳だけ人間だろう。獣の反射神経とスピードは持たないはずだ。
私はフェイントをかけて潜り込み、脇の下にナタを叩き込んだ。
回り込んで、さらに猟銃で内臓を狙った。
風を感じた瞬間、私の腹が裂かれていた。攻撃は見えなかった。だが、私の腸が腹圧で吹き出し、地面に垂れ下がった。
太刀打ちできる動きではない。
残りの一発を撃ったが外れた。
大地が傾いて、私の側頭部を襲った。身体の中で骨が砕けた。
激痛の間隙を縫い、一匹の鬼が脳裏を疾走った。
青銅色の鱗に覆われた異形。二つの角。黒ぐろとした眼窩に紅く光る眼。
熊童子という名の青鬼。
あの鬼であったなら、こんな惨めな敗け方はしないだろうに。
「あのとき我を受け入れておればのう。つくづく解し難き愚か者よ」
侮蔑。
そして含み笑い。
私は暗闇に落とされた。