プロローグ 少年の最期
僕の朝は仏壇に手を合わせることから始まる。
といっても、この行為は先祖への敬意からくるものではない。
もちろん、先祖に対しては一定の敬意を払って生きている。
と思う。
(いつも見守ってくれて、ありがとね!御先祖様)
が、僕が手を合わせるのは、満面の笑みをみせる7歳の少女。
そしてその両隣で微笑む彼女の両親の写真である。
(いやぁ、いい笑顔だ)
彼女が生きていれば、僕と同じ17歳。
今も毎朝一緒に登校でもしていただろう。
誕生日は僕と同じ8月5日。
僕と共に二卵性の双子の片割れとしてこの世に生をうけた少女、姉の凛華である。
仏壇に並ぶ写真は僕の家族のものだ。
「……」
目を瞑り、手を合わせている間の約20秒間。
特に何かを考えたり、心の中で唱えたりするわけではない。
死後の世界を信じていない僕にとって、家族の仏壇に手を合わせることはただの日課となってしまった。
かといって、十年近く続けてきた朝の合掌を辞めてしまえば、なにか大切なものを失ってしまうような気がしている。
実際、大寝坊の為に一度合掌を忘れて登校した日があった。
その日は一日中、漠然とした不安感に付き纏われたような感覚に陥ったものだ。
それ以来、毎朝欠かさず向き合ってきた。
「おはよう」
台所に立つ叔母と一言交わし、椅子に着き朝食を食べる。
叔父は、僕が起きるよりもずっと前に車のエンジン音と共に家を出発している。
(――に関する法律が国会で可決されました。
これにより―)
テレビから流れるニュースの内容は、政策についてのことらしい。
が、余裕のない中で支度をする高校生に、政治と真面目に向き合う時間なんてない。
朝食を食べ終え、歯磨き、洗顔をした後、制服に着替える。
本日の授業分の教科書をカバンに詰め込むと、いつも通り7時20分に家を出る。
家族が死んでから今に至るまで、父の弟である叔父家族のもとに身を置いている。
いや、置かせてもらっている。
一家には、小学6年生の一人息子がいる。
彼のことは赤ちゃんの頃から見てきた。
が、どうやらまだ起きてくる気配はない。
「行ってきます」
声をかけても、玄関で見送りをしてくれることはない。
叔父家族は、家族を亡くし一人になった僕を受け入れてくれた。
小学生であった僕を今まで、家に置いてくれた。
学校関係に必要な費用、遊びに行くときの資金などは全て両親の遺産やバイトで補っており、彼らが資金的に援助してくれることはない。
大学に入学するならば奨学金を使うことになるのだろうか。
不安だ。
とにかく、高校を卒業したらこの家を出るべきだろう。
僕の為にも、彼らの為にも。
彼らは僕に居場所を与えてくれた。
それだけで十分である。
たとえ、家の中でどんなふうに扱われようとも。
いや、扱われることさえなくとも。
彼らの思う家庭のなかに僕はいない。
こうして僕は家を出発し、五分かけてバス停へと向かう。
暖かい春の陽気に身を包む。
バス停に並ぶサラリーマン達は皆顔見知りだ。
まぁ挨拶なんてしないが、毎朝顔を見ていればちょっとした知り合いだ。
道端で困っているところを無視して素通りするのは、気が引ける程度には。
そこから二回の信号の切り替わりを経てバスが来る。
いつも通りだ。
そこからバス、電車を利用して約一時間ほどかけて学校の最寄駅へと向かう。
さらに徒歩で駅から20分歩けば学校到着である。
「おっはよー!」
教室に入るとすぐに友人が気づいてくれる。こうして一日がはじまる。
学校は好きだ。
高校入学から一年以上も共に過ごしていれば、同期の大体は見たことくらいある。
勿論、仲良くなれない奴らはいる。
そういう人種の人間達である。
どこに行っても、奴らのような人種はいる。
まぁ、そういった人達とは関わらないのが一番である。
友人には恵まれ、楽しい毎日を過ごしている。
勉強も部活も中の上、彼女いない歴=年齢。
だが特に不満はない。
「今日電車乗ってたらめちゃくちゃ綺麗なお姉さんが正面に立っててさ!」
「何分着?何号車?」
「明日その電車乗るわ!」
なんて、毎日友人とバカな話で盛り上がり、授業中は睡魔と葛藤。
そうして一日がおわる。
ありふれた高校生活。
だが、かけがえのない日常である。
と同時に、僕が僕という人間「曙流華」を感じるのことのできる唯一の居場所だ。
放課後は、週二でバイト。
それ以外の日は基本速帰宅である。
大抵の場合、友人と共に学校を出発し、電車に乗って帰宅する。
自宅の最寄駅についてからは(友人と時間が合わない時は学校からだが、)翌日最寄駅、もしくは学校で友人と会うまで、残酷なまでの孤独のスタートである。
家に着いてからは、自室に直行である。
それからは晩御飯、風呂、トイレ以外で部屋から出ることはまずない。
自室で勉強、趣味のギターの練習をしているうちに1日が終わる。
そして寝る前にもういちど家族と向き合うのだ。
目を閉じると、昨日のことのように蘇る記憶。
小学二年生の夏休みだった。
あの日僕が家にいなかったのは偶然、はたまた運命なのか。
その日は、仲の良かった友人三人と共に、そのうちの一人の家でお泊まり会をすることになっていた。
深夜
お泊まり会で浮かれた僕たちは、友人の両親を起こさないよう夜更かしをして、ゲームをしていた。
「ちょっと、お前うますぎないか」
「努力の成せる技」ドヤァ
「赤甲羅やめろって!」
「しっ、静かに!声でかい」
沈黙に包まれた友人宅の一階で電話が鳴り響いた。
(―プルルルルルル ― プルルルルルルル ― • • )
突然の着信音に全員、一瞬体が反応した。
すぐさま、電話だと気づき顔を見合わせて笑ったものだ。
「ビビったぁ」×4
目を覚ました友人母が電話に出たのを感じつつ、僕らはゲーム続行。
小学二年生が四人集まった深夜12時半の子供部屋は、無邪気な幸せに包まれていた。
そしてその幸せは、いとも簡単に崩れ去った。
血相を変えた友人母が部屋に飛び込んでくるまで、電話にでてから実に一分も経っていなかったであろう。
「っ!」
そこから僕は最低限の荷物を持って、友人三人と別れを告げたのち、友人母の車に乗せられ急いで家に帰った。
そこに、家はもうなかった。
家を成していたものがあるだけで、2歳の頃から慣れ親しんだ我が家は黒い塊と化していた。
「………」
言葉も出なかった。
我が家から両親の遺体が運び出されるのを、ただ茫然と眺めていた。
そして、長い長い夜が明けた。
僕と凛華の、8歳の誕生日のちょうど一週間前のことであった。
姉は見つからなかった。
その後も、姉の捜索は続いた。
捜索範囲を広げて、誘拐の可能性や、火事から一人で逃げ出したのではないかとも考えられたが、結果は変わらなかった。
大して広くもない敷地の中から人間が一人消えたのだ。
火事は、放火犯によるものであった。
犯行理由は「死刑になって死にたかった」とのことだ。
どうでもいい。
彼が死のうと家族は戻らない。彼を殺す気にすらならなかった。
僕の家族は、運悪く死んだ。
そして僕は、幸いなことに死ななかった。
結局葬儀は両親二人のものとして執り行われた。
生死が定かでない人間の葬式をあげることはできない。
姉は今でも、何処かで生きているのか。
現在も失踪事件として捜査されている。
事件後直ぐに、捜索部隊が組まれたが、時間の経過とともに規模は縮小されていった。
次第に親族の中でも、姉の失踪については諦められていった。
あの夜、姉に何があったのか。未だ謎である。
十年近く経った今でも、姉のことをよく考える。
今になって、17歳の姉が突然家を訪ねてくるのではないか。
きっと美人なjkになっていることだろう。
だが、そんなことは起きない。
知っている。
「おやすみ」
そう告げた後、僕は灯りを消して眠りについた。
いつも通りの朝を過ごした。
家族に合掌をした後、叔母と最低限の会話をして、家を出る。
毎日、同じような日々な繰り返し。
非日常を期待してなどはいない。
無駄だと知っているから。
ただ日常がこれ以上壊れないことを望むだけだ。
そして今日もいちにちがはじま
信号が青になったのを確認し、横断歩道を三歩ほど歩き始めた時、右半身にとてつもない衝撃を感じた。
そのまま体は、十メートルほど吹き飛ばされた。
(一体…何が……?…身体が動か…ない)
感じた衝撃による痛みが和らいでいくのを感じたと同時に、視界の端に大きなトラックを捉えた。
(あぁ…)
起きたこと全てを理解した。
そして自分がまもなく生き絶えようとしていることもわかった。
こう言う時の自分の理解力の高さには驚かされる。
こんな時は何を考えればいいのだろうか。
まぁ、考えても何もできないが。
目を閉じると、脳内を走馬灯が駆け巡った。
まず頭に浮かんできたのは、青春ともに過ごした友人たちの顔であった。
彼らと共に、まだまだ思い出を作りたい。
悔しい。
自分が死んだら、彼らはきっと泣いて悲しんでくれるだろう。
そんな人達がいるのだと考えると、自分の人生もさほど悪いものではなかったのだろうと思えてくる。
次に思い浮かんだのは伯父一家のことであった。
彼らはきっと悲しまない。厄介払いができて、むしろ良かったとも思うほどだろうか。
いや、そこまで悪い人たちではないだろう。
まぁ、考えても無駄なことだ。
死後のことなんてどうでもいい、か。
最後に脳裏に浮かんだのは、幼き日の家族との記憶の数々、これまで幾度となくみてきた彼らの笑顔であった。
自分だけ生き残ったのに、こんな形で命を落としてしまう僕を両親は許してくれるだろうか。
きっとあの世で叱られるのだろう。
「命を粗末にするな」と。
だが、それすらも幸せに感じることができるだろう。
これで、いいのかもしれない。
それか、もしもまだ姉が生きていたのなら、悲しませてしまうだろう。
それこそ、姉はひとりぼっちになってしまう。
願いが叶うのならば、最後に一目姉に会いたかった。
あぁ、やっぱり
「死にたくなぃ…なぁ」
少年は意識を失った。
不幸な少年の周りには、人々が集まっていた。
トラックの運転手、偶然通りかかった数人の歩行者たち、対向車線を走っていた車の運転手。
十人ほどだろうか。
誰もが、非日常の前で行動をした。
トラックの運転手が頭を抱えながら警察に電話をかけ、あまりの罪悪感から痛々しい少年の身体から目を逸らした時。
偶然通りかかった歩行者達が救急車を呼ぶ為、AEDを探す為、興味本意の動画を撮る為に、各々が携帯に視線を下ろした時。
対向車線の運転手が、周囲の安全を確認していた時。
誰もが少年から目を逸らしたその瞬間。
刹那。少年の身体は姿を消した。