淹れてみろ
昼時、ヴィクトルはエメリーヌを待っていた。
これから婚約に関する話をするところだ。
しばし待つと、慌てた様子でエメリーヌが入ってくる。
「申し訳ございません、ヴィクトル様!
思ったよりも公爵家が広く……迷子になってしまいましたわ!」
「フッ……当家は広大だからな。問題はなかったか?」
「はい、ナタリーに助けられました」
「そうか。とりあえず座れ」
ヴィクトルが着席を促すと、エメリーヌは優雅な所作で向かいに座った。
今回は二人きりの話になる。
ベランジェ公爵家の内情なども話す可能性があるためだ。
だが、使用人も人払いしているとなると問題がある。
「さて、エメリーヌ嬢」
スッと……ヴィクトルはティーカップを滑らせた。
机の上に置かれた二つのティーカップ。
それを見てエメリーヌは硬直する。
「──淹れてみるがいい」
令嬢魔法の才能がないのは百も承知。
その上で、ヴィクトルはエメリーヌに茶会の魔法を使わせようとした。
「で、ですが……私の紅茶は、その……マズいです」
「知っている。百聞は一見に如かず。
噂の無才がどれほどの代物か、味わうとしよう」
そこまで言われると断れない。
マズいことを承知で飲んでくれるなら、何とかなるだろうか。
視線を上げるとヴィクトルと目が合った。
鋭い紫紺の瞳を見て、エメリーヌはどきりと震えた。
この美貌はまともに直視できそうにない。
「わ、わかりました……」
エメリーヌは恐る恐る魔法を発動する。
茶会の令嬢魔法。
発動自体は慣れたものだ。
血のにじむような努力をして、何度も注いできたのだから。
琥珀色の液体がティーカップに注がれる。
イメージするのは『蜜紅茶』……蜜のような甘味と、すっきりとした後味が魅力の茶だ。
「ほう、見目は悪くない」
ヴィクトルはカップを手に取って眺める。
色はいたって普通だ。
綺麗な密紅茶の色をしている。
香りも……悪くはない。
というか無臭だ。
本来なら、それなりに香りがあるはずなのだが……
「では、いただこう」
「気をつけてくださいね? マズいですよ?」
ヴィクトルは頷き、紅茶に口をつける。
瞬間。
「──まっず!? けほっ……」
とてつもない苦みが舌を襲い、ヴィクトルは噎せ返った。
これは逆にすごい。
令嬢魔法を初めて使う素人でも、こんな味にはならない。
「だ、大丈夫ですか!?」
「大丈夫だ……マナーのない姿を見せたな、すまん」
落ち着きを取り戻したヴィクトル。
彼はそっとティーカップをソーサーに戻した。
「端的に言えば泥水だな。
いや、泥水を飲んだことはないが」
「はい……すみません」
容赦のない物言いだ。
今までエメリーヌの茶はやんわりと否定されてきたが、ヴィクトルは忖度しない。
これは飲めたものではないと。
「謝る必要はない。一連の動作から、努力はしてきたのだとわかる。淹れる動作に関して、ここまでスムーズに淹れられる令嬢は見たことないぞ。
……味はともかくな」
「は、はい……ありがとうございます?」
魔法に関して称賛されたのは初めてのことだった。
味ではなく動作を評価されたとはいえ、奇妙な感覚をエメリーヌは覚える。
「そうだな……婚約の話をする前に、この話からしようか」
ヴィクトルは予め用意していた茶葉を使い、紅茶を淹れ始めた。
茶会の魔法が使える者がいない場合、こうして普通に茶葉を使うのだ。
「お前がアンドレから婚約破棄されたパーティー会場。
あそこに俺もいた」
「はい、存じ上げております」
アンドレの誕生日パーティーに、ヴィクトルがいたことは記憶している。
相変わらず誰も近寄っていなかったが。
もちろんエメリーヌも彼を恐れて近づかなかった。
「お前が婚約破棄され、黙ってあの場を去ろうとしたとき。俺は公衆の面前に出てアンドレを糾弾しようとした。公爵令息たる者が、なんという振る舞いか……とな」
「え……?」
「まあ、側近に止められたのだが」
そういえばエメリーヌが去ろうとしたとき、衆目の一角がざわついていた。
あれはヴィクトルが動こうとしたからなのだろうか。
「それで、これは……本当はお前に言わないつもりだったのだが」
「はい」
何を言われるのだろうか。
エメリーヌが身構えていると、ヴィクトルの口からとんでもない言葉が飛び出した。
「エメリーヌ嬢との婚約を王命として出させたのは、この俺だ」