惹かれた理由
エメリーヌは部屋に案内され、ほっと一息つく。
公爵家だけあって、かなり豪華な一室だ。
前婚約者のアンドレは部屋にすら招待してくれなかったので、これが公爵家かと戦々恐々しているところだ。
「ええと……ナタリーさん、だったわよね?」
「呼び捨てで構いませんよ、奥様」
「お、奥様……そうよね。私はヴィクトル様の妻になるものね」
未だに実感がわかない。
同じ公爵家なのに、アンドレの婚約者になるのとは別ベクトルの感覚があったのだ。
エメリーヌはヴィクトルの人物像を知らない。
表立っては無情と呼ばれるほど容赦のない人物。
だが、実生活でどんな振る舞いをしているのか。
実態が未知だからこそ恐ろしかった。
「ふう……では、ナタリー。
ヴィクトル様の人となりを教えてくださる?」
椅子に腰を落ち着けてエメリーヌは尋ねた。
質問されたナタリーは面食らう。
開口一番、そんな問いが投げられるとは思っていなかった。
「人となり、ですか? 私は旦那様に仕えて数年ですが……そうですね。とても有能で、合理的なお方です。合理的なあまり、他人に容赦ない物言いをしてしまいますが」
「ええ、そうね。社交界でもヴィクトル様は有名だわ。
そして誰も近づかない」
主人の評判を聞いてナタリーは俯いた。
ヴィクトルは冷徹だが、臣下からの信は厚い。
社交界で囁かれているような悪人ではない。
暴力を振るうという噂も、陰湿だという噂も。
ナタリーからすれば納得いかないものだった。
「ご主人様の人となりは、婚約者として過ごす間にわかると思いますよ。ですが、ご心配なさらず。決してご主人様はあなたを傷つけません。
……あらぬ誤解で心に傷を負うことはあるかもしれませんが」
人の本質は長らく共に過ごしていれば見えてくる。
エメリーヌには実感があった。
幼少期は優しかったアンドレも、歳を経るにつれ冷たくなっていった。
正確に言えば『令嬢魔法の才能がないと知ったころから』だが。
「さて、エメリーヌ様。これからのご予定はいかがいたしましょう?
午後は婚約について、改めて旦那様とお話があるそうですが」
新居に来て早々、何をすべきか。
エメリーヌはしばし考えて返答した。
「公爵家を見て回りたいわ。実は私、アンドレ公爵令息の婚約者だったのだけれど……ほとんど家に招いてもらったことがないの。よろしければ、国内最大規模の公爵家を見学しても?」
「もちろんです! ここはすでにエメリーヌ様のご自宅。遠慮なく利用してください。
では、私がご案内いたします」
「ええ、よろしくね」
来る前は心配だったが、意外と居心地がよさそうだ。
ヴィクトルはともかくとして使用人は優しい。
主人の妻として務めを果たすためにも、ベランジェ公爵家の情報は把握しておく必要があるだろう。
エメリーヌは立ち上がり、城内を見て回り始めた。
***
「…………」
ヴィクトルは書類を睨みながら沈黙していた。
先程から仕事が身に入らない。
理由はエメリーヌ嬢という存在。
想像とそれなりにかけ離れた人物だった。
直接話したことがなかったので人物像を知らなかったが……社交界での評判は非常に悪かった。
令嬢魔法の才能がすべてとされる貴族たち。
その中でも無才と罵られ、アンドレ公爵令息の娼婦とまで揶揄されていた存在。
そんなエメリーヌだから、当然のごとくヴィクトルとの婚約は嫌がると思っていた。
「おつかれさーん! なに渋い顔してるんだい、旦那?」
いきなりドアを開けて入ってきた者に、ヴィクトルは渋面する。
彼女の名はアラベル・アンリ。
中性的な顔立ちをした家庭教師である。
黒い長髪をひとつにまとめており、すらりとした体型。
美男子と言っても違和感がない。
令嬢魔法の達人としても知られており、ヴィクトルの妹にも令嬢魔法を教えていた。
「アラベル、いい加減にしろ。入室する際はノックをしろと言っているだろう。首を飛ばすぞ」
「そんなこと言って、まったく処罰しないよな旦那は。ツンデレってやつ?」
「黙れ。用件があるのならば言え」
相変わらず厳しいヴィクトルの態度に、アラベルは肩を竦めた。
これが平常運転なので慣れているが。
「特に用件はないけど? 暇だから来ただけ。
それと、旦那がエメリーヌ嬢に対してどう思ってるのか……とか気になるんで」
「……それが本命か。どうでもいい。
エメリーヌ嬢が婚約者として振る舞ってくれれば、俺は満足だ。もっとも、最低限のマナーすらなっていないようなら指導するがな。彼女の所作を見る限り、問題はないだろう」
「へえ? 旦那にしては甘い評価だね?」
「前提評価が低かったというだけだ。悪評を聞く限り、エメリーヌ嬢はもっと問題のある人物かと思っていた。もっとも、これから本性を表すかもしれんがな」
アラベルから見ても、エメリーヌのマナーは洗練されていた。
表面上は問題があるように見えない。
だが、令嬢魔法の才能がないというのは事実なのだろう。
それは社交界で深刻な問題になる。
「でもさ、旦那。
旦那は令嬢魔法が云々、気にしないだろう?」
「──そうだな。令嬢魔法は才能に依存する。
俺はそういったものは嫌いだ」
ヴィクトルが無才のエメリーヌとの婚約を引き受けた理由。
それは偏に、『才能のなさ』という情報に釣られたからだった。
そしてエメリーヌが婚約破棄されたパーティー会場にて、あの現場をヴィクトルは目撃していた。
だからこそ、彼はエメリーヌに興味を持っているのだった。