ベランジェ公爵家へ
「な、何ということだ……」
書状を受け取った父、グザヴィエは顔を青くした。
わなわなと震える手。
額から滲む冷や汗。
そんな父の様子を見て、エメリーヌは説得を試みる。
「お父様。アンドレ様に婚約破棄された私が、このような良縁を結べたのは喜ばしいことです。
これでフィネル家の家格も上がることかと……」
エメリーヌが役に立つにはこれしかないのだ。
令嬢魔法が使えない令嬢など、本来は見向きもされない。
婚姻が重要な貴族にとって、これは思わぬ好機だった。
「そうではない! エメリーヌ……嫌なら辞退しても良いのだぞ? 陛下になんとか交渉し、王命を取り下げていただくことも……」
「いえ。そんなことをすれば、ますますフィネル家の評判は落ちてしまいます。私に文句はありませんわ」
経済難に、才能のない娘。
後継ぎの兄も大した器ではなく、フィネル家は没落の一途をたどっていた。
エメリーヌが我慢することで多くの問題が解決されるのだ。
ならば、喜んで婚約を受け入れよう。
「だが、ヴィクトル公は……私も何度かお話したことがある。彼は本当に容赦がなく、王族相手にすら退くことを知らん。
今回の王命も突っぱねるかもしれんぞ?」
「もしヴィクトル公が拒否すれば、私はそれまでです。二度と婚約者は見つからないでしょうし、諦めることにしますわ」
いっそ修道女にでもなってしまおうか。
もう貴族社会は疲れた。
いくら努力しても報われない世界。
すべてが魔法の才能で決まってしまう世界。
そんな社交に、エメリーヌは嫌気が差していた。
「……わかった。
だが、もしも体罰や嫌がらせをベランジェ公爵家で受けたら、いつでも我が家に戻ってくるのだぞ? とりあえずヴィクトル公の返事を待とう」
「お父様……ありがとうございます」
ヴィクトルから嫌がらせを受ける可能性も、もちろん考えていた。
だが才能のないエメリーヌは、今まで何度も社交場で馬鹿にされてきた。
ゆえにストレス耐性もそれなりにある。
度が過ぎない不遇なら許容できると考えていた。
父の思いに感謝し、エメリーヌは自室に戻った。
***
数日後。
結局、ヴィクトルも王命を承諾したようだ。
「……」
「……」
エメリーヌとグザヴィエは黙して屋敷の前に立っていた。
先程連絡があり、領内にベランジェ公爵家の馬車が入ったと。
出迎えで待つ間、二人は緊張してひたすら沈黙していた。
やがて、遠方から馬車が見えてくる。
なだらかな道の上を走る白馬。
ベランジェ公爵家の家紋が入った、芸術品のように美しい馬車だ。
「お待たせいたしました。
エメリーヌ・フィネル伯爵令嬢でよろしいでしょうか?」
馬車の御者が確認する。
エメリーヌは頷き、慣れた所作でカーテシーした。
「お初にお目にかかります。エメリーヌ・フィネルです。
どうぞよろしくお願いいたします」
馬車の扉が開き、入るように促される。
グザヴィエは物憂げな視線でエメリーヌの背を押した。
「……気をつけるのだぞ」
「はい、行って参ります」
向かう先はベランジェ公爵領。
国の中でも随一の勢力を誇る地だ。
エメリーヌは緊張しつつも馬車に乗り込んだ。