心の余裕
ヴィクトルと婚約を正式に交わしたエメリーヌ。
彼女は宣言通り、アラベルの部屋を訪れた。
ドアをノックすると、機嫌のよさそうな調子で「どうぞ」と返答が。
エメリーヌはさっそく部屋のドアを開けたのだが……
「ようこそ! エメリーヌ・フィネル嬢……お会いできて光栄だよ。
アラベル・アンリだ。以後お見知りおきを」
謎のフラッシュと共に紙吹雪が舞い、エメリーヌは面食らう。
戸惑いながら部屋の前に立ち尽くす。
部屋の中では黒い長髪の麗人が両手を広げていた。
男性と言っても差し支えないほどスタイルがよく、服装もきっちりとした黒いスーツに身を包んでいる。
服次第で美青年にも美女にもなれそうな人だった。
「おや、そんなところで立ってないでさ。さあ、中へどうぞ」
「は、はい……失礼いたします」
戸惑いながらもエメリーヌは歩を進め、アラベルが引いてくれた椅子に座る。
ラウンドテーブルの向かいにアラベルも座り、向かい合う形となった。
彼女は興味津々と言わんばかりにテーブルに身を乗り出した。
「ほお……この方が才能なしで有名なエメリーヌ嬢。見目はとても秀麗で、取り立てて欠点があるようには見えないが……」
アラベルはエメリーヌの入室から、座るまで一連の動作を見ていた。
達人のアラベルにかかれば、そのわずかな時間だけでマナーレベルを見抜くのは容易。
エメリーヌにこれといってマナー的な問題はない。
むしろ、今まで見てきたほとんどの令嬢よりも優れている。
「あの……突然お邪魔して申し訳ございません。今回はお話があり……」
「ああ、いいさ。どうせヴィクトルから指導を受けるように言われたんだろう? アラベルもエメリーヌ嬢を指導する気しかなかったからね。才能がないほど育てがいがある」
エメリーヌの言わんとしていることを、アラベルは簡潔に見抜いた。
こうもあっさり引き受けてくれるとは。
嬉しくはあるが、同時に不安でもある。
国内で最も優れた令嬢魔法の教師アラベル。
彼女にすらエメリーヌの才能を矯正できないのならば、もはや希望はない。
そんなエメリーヌの不安を感じ取ったのか、アラベルは語り出す。
「令嬢魔法。実に優雅で、輝かしい代物だ。
だが、アラベルは貴族じゃない。平民出身のアラベルがどうして令嬢魔法を使えると思う?」
彼女の問いにエメリーヌは窮する。
本来、令嬢魔法は貴族のみに許された特権。
平民のアラベルが使えるのはおかしいことなのだ。
「実は貴族の血が入っていた……とか?」
エメリーヌの返答にアラベルは硬直する。
そして、しばし時を置いて笑い転げた。
「ふっ……はははははっ! ア、アラベルにお貴族さまの血が入ってるなんて……そりゃ面白いね! まあ実際、疑われたことはあるんだけど……血統診断でそれはないと明らかになったんだ」
アラベルは椅子の上で足を組んでにやりと笑う。
その笑みがどこか末恐ろしく、蠱惑的でもあった。
「『余裕』さ。アラベルは生まれつき、実に楽観的な性格だった。飢饉が起きても疫病が流行っても、『なんとかなるか』の精神で。常に心に余裕を持っていたのさ
実際、なんとかなったし。死にかけたけど」
彼女は遠い日を回想するように瞳を閉じる。
実際、少し付き合っただけでもアラベルが愉快な性格だというのは理解できた。
「一般的に令嬢魔法は、家格が高いほど洗練されると言われている。それはね、高位の人たちの心に余裕があるからなのさ」
「つまり、令嬢魔法の根源は『心の余裕』?」
「イグザクトリー! いい勘だ、エメリーヌ嬢!
一切生活レベルが揺るがない富と余裕、令嬢魔法の教育が受けられるほどの家庭環境。これがあれば誰だって令嬢魔法を扱える。惜しむらくは、平民がその条件をほとんど揃えられないことだろうね。アラベルの場合は、かつて王宮仕えしていた人に拾ってもらって、そこで令嬢魔法の教育をみっちり受けられたんだけど」
令嬢魔法を教わってきたのはエメリーヌも同じ。
教育水準の条件はクリアしている。
ならば、足りないモノは……余裕。
フィネル伯爵家はお世辞にも金持ちとは言えなかったし、領地経営も難航していた。
かろうじてアンドレの実家から援助を受けて存続していたが、周囲からの目は冷たいもので。
アンドレに婚約破棄された当時、一家存続の危機と言っても過言ではなかった。
幸いにもヴィクトルの援助により破滅は免れたが。
「エメリーヌ嬢さ、心に余裕はあったかな? 今までの人生を振り返ってごらん」
「ええと……正直に申し上げますと、あまり余裕はありませんでしたわ。公爵令息の婚約者として、常に完璧なマナーが要求されていましたし、実家もあまりお金持ちではなく欲しい物も買ってもらえませんでしたし……」
だが、伯爵である父の苦悩は理解していた。
わがままも言わず、賢明に淑女としての振る舞いを身につけてきたのだ。
そんな余裕のない生活がかえってエメリーヌの才能を奪っていたというのか。
「ま、仕方ないよね。実家の経済状況はどうにもできないし、アラベルのように楽観的な価値観を持ってる人は稀だ。だけど、心の余裕もできそうじゃないかい?」
たしかに、ベランジェ公爵家であればどの条件も満たせる。
アラベルという最高の家庭教師に、まったく苦しまない経済規模。
そして……エメリーヌを理解してくれる婚約者ヴィクトル。
ヴィクトルの存在が何よりも大きかった。
才能のないエメリーヌを見捨て、冷たく接していたアンドレとはわけが違う。
自分の理解者がいるだけで心は大きく変わるだろう。
「ヴィクトルにもよき理解者となるよう、アラベルから進言しておこう。
さて、まずはお手並み拝見かな。エメリーヌ嬢、きみの紅茶を飲ませてくれる?」
先程のヴィクトルと同じ要求だ。
またこの展開か……と億劫になりながらも、エメリーヌは紅茶を淹れた。
その後、アラベルがあまりのマズさに卒倒したのは言うまでもない。




