来ましたわ。
その後、『禍ツ星』が降るという情報はアトランテ王都内に伝達された。
もし大規模な避難などが必要となれば、【魔獣大侵攻】以上の混乱が起こることが予想されたからだ。
同じ魔獣の侵攻であったとしても、民の住む場所に到達するには猶予があった海からの侵攻と違い、今回はどこに降ってくるか分からない空からの脅威である。
しかも今回、相手は聖結界もどこまで通用するか未知数の存在。
王都全体がうっすらと不安に包まれながらも、表向きは平穏に、しかし裏では粛々と準備が整えられていった。
今回は魔獣狩りギルドの協力も得て、王都内の警備なども強化されている。
そんなある日……王城の中庭で、生徒会の総決算である生徒会総会のことを役員で話し合っている時に、それは訪れた。
背筋がゾワッと怖気立つような強烈な瘴気の気配が、空に現れたのである。
「「来た……!」」
「皆、一度王城内へ!」
バッとワイルズ殿下とウォルフ殿下が空を見上げ、ディオーラはオーリオ公爵令嬢、フェレッテ伯爵令嬢の二人に促す。
今回、『禍ツ星』と直接対峙するのはアトランテ王族と少数の精鋭だが、少しでも民の被害を抑えるために王都に住む貴族らは、全員召集の王命が下っている。
貴族学校の三年生と最上級生も成人である為、この対象だった。
成人済みであれば夫人・令嬢すら例外ではないとする旨に、此度の状況の危険さが伺えた。
『上妃陛下より伝令!』
全てを置いたまま城内に向かっている最中に、『影』が声を上げる。
『『禍ツ星』の落下地点予測は、ベル湖! 王城内貴族集合地点は、ベル湖側の高台! ディオーラ様は屋上テラス、聖結界魔力放出部へ! 以上です!』
「む……! 屋上まで送るか?」
「……いえ、一人で参ります」
上妃陛下は離れるなと言っていたけれど、伝令の中に『ワイルズと共に来い』という文言は含まれていなかった。
高台に集まる貴族の方が多い以上、皆の安全の為に王族は一人でも多い方がいい。
「殿下は皆様と共に高台へ!」
「分かった!」
ワイルズの質問にそう答えると、ワイルズが他の三人に向かって手を振る。
ウォルフ殿下を先頭に三人が通路を折れると、踵を返してその後ろにつこうとしたワイルズを、ディオーラは呼び止めた。
「ワイルズ殿下!」
「何だ?」
こちらを振り向いたワイルズに、ディオーラは迷う。
自分の予測した災難の中身を、伝えるべきか否か。
そして結局。
「殿下。わたくしは、殿下を信じております」
「……? いきなり何だ?」
「殿下の真の敵は、『禍ツ星』ではなく、殿下の心の中に差す『魔』です。……どうか、負けないで下さいませ」
「よく分からんが、任せろ!」
腕を上げて応えたワイルズが、今度こそ踵を返して走り去っていく音を聞きながら、ディオーラも屋上へ向かう。
結局、伝えてしまった。
ワイルズは言葉通りに、今は何も理解していないだろう。
これが正しかったのかどうか、ディオーラには分からなかったけれど、今はそれを考えている場合ではない。
屋上へ辿り着くと、既にベルベリーチェ上妃陛下、リリリーレン王妃殿下、そして大聖女アンアンナ様が待っていた。
「遅くなりました」
「良い。ワイルズは?」
「ウォルフ殿下やご令嬢がたと共に、高台へ向かわれました」
「あちらにはバロバロッサがおる。集合次第、王族はベル湖の沿岸に向かうじゃろう」
おそらく、ベル湖を見渡せる高台から飛び降りてそのまま行く、ということだろう。
普通なら貴族であっても命を落としかねない高さだけれど、王族がたは別だ。
「我らは全員で、今から聖結界を強化する。あの瘴気雲の向こうに、元凶らしき強烈な瘴気の塊がおる故の」
扇を広げた上妃陛下が見据える先に、陽光を完全に遮りそうな程の黒雲が渦巻いており、それが徐々に徐々に広がっていた。
「征くぞ。気張りどころじゃ」
「「「はい」」」
ディオーラは【整魔の指輪】を外し、首のチェーンに下がった留金に掛ける。
そうして、大島全土から王都を囲う程度まで範囲を縮小し、代わりに四人分の魔力で最大限まで強化された聖結界に、徐々に高度を下げていた黒雲が触れる。
同時に、バチバチと激しい明滅が起こった。
「……!?」
最大強度の聖結界が砕かれる程ではないけれど、それでも強い負荷が戻ってくる感覚がする。
―――ただの瘴気雲で……!?
まだ、本体が到達している訳でもないのに。
予想以上の状況に、ディオーラが少々驚いていると、アンナ様も口元を引き攣らせていた。
「だいぶ、とんでもないですねぇ〜」
すると、上妃陛下が鼻を鳴らす。
「雑魚を相手するのに、ここまでの厳戒態勢を取るわけがなかろうが。こうした状況を想定して、わたくしのみならず、其方らまでここに置いておるのじゃ」
言いながら不敵な笑みを浮かべた上妃陛下が、扇を閉じて前に突き出す。
「聖結界の維持に全力を割かずとも良いのなら、調子に乗らせる前に先制出来るからの」
すると、上妃陛下の体から、さらに聖なる魔力の気配が立ち上る。
「―――〝天照せ〟」
カッ、と、もう一つ太陽が生まれたかと思うような輝きが聖結界の外に生まれて、それが収まると、瘴気雲がごっそりと吹き払われ、台風の目のように空が見える穴が空いていた。
リーレン王妃が、ふわりと柔らかい微笑みを浮かべる。
「〝不世出の大魔導士〟は、健在にございますね」
「当然じゃ。この地を襲うあらゆる災厄を払うのが王族の役目」
息一つ切らしていない上妃陛下が、さらに小さく続ける。
「魔力量だけであれば、ディ・ディオーラもわらわに劣らぬのじゃがの。女神の采配も、難儀なものよ」
「……申し訳ありません」
「其方のせいではなかろう。残酷なことをなさると思っておるだけじゃ」
並外れた魔力量に、耐え切れない赤い瞳。
【整魔の腕輪】はあくまでも魔力の流れを整え、体調に影響が出ないように瞳の負担を減らす医療魔導具であり、全力で魔術を使えるようにしてくれるものではない。
その、ままならなさや歯痒さは、生まれた時からディオーラの半身のようなものだった。
「さて、『禍ツ星』の本体を拝もうかの。……魂亡き虚な力とやら、コソコソせずに姿を見せよ」
と、上妃陛下がもう一度〝天照らせ〟の輝きを放つと、再び本体らしき瘴気の塊に向かって集まりかけていた瘴気雲が完全に吹き払われる。
目視できるようになった本体は、黒水晶のような球体だった。




