殿下の秘密……ですの?
そうして、ワイルズの記憶を回復させた後。
ディ・ディオーラと面会した直後のベルベリーチェは、彼女に預けられた枯草を眺めて、深く息を吐いた。
―――真に心清き者……。
「上妃陛下。上王陛下がお呼びです」
「すぐに行くと伝えよ」
侍従にそう言い返して上王宮に向かうと、そこには皆が勢揃いしていた。
夫のみならず、国王のフロフロスト、妃のリリリーレン。
王弟でありベルベリーチェの実子であるヨーヨリヨと、その妻であり聖女のアンアンナ。
そしてフロフロストの実母、上王側妃ホワホワールである。
「上妃陛下〜、本日もご機嫌麗しく〜お美しくあらせられます〜」
「相変わらずじゃの、ホワホワール」
なかなか子が出来なかったベルベリーチェ自身が夫に娶らせたホワホワールは、ポヤポヤとした、ベルベリーチェのファンを自称する変わった女性である。
捉え所がないが、決して愚鈍というわけではない、フロフロストの実母。
あまりこうした場に顔を見せない彼女が現れたということは、そういうことなのだろう。
「ついに星が降るか、ホワホワール」
「はい〜、今一度、その夢を見たのです〜」
元々ベルベリーチェの友人であり、バロバロッサよりも付き合いの長い彼女は、予知の力を持っていた。
それ自体は、然程強い力ではない。
聖女が女神から賜ることのある『神託』と似ており、何かが起こることは分かるがその全てが詳細に分かるわけではない、というくらいの力である。
が、彼女の予知はかつて、非常に重要な示唆をアトランテ王族に齎したのだ。
「ホワールの予知が今一度訪れたこの時に、ワイルズが【幻想花】を手にした、と聞いたが」
珍しく真剣な表情で、夫のバロバロッサが顎を撫でる。
「ええ」
「決断の時期にそれが起こった……ある種の天啓じゃろうと思うが、どうかの?」
足を組み、椅子の肘掛けで頬杖をついたバロバロッサの口調は、いつものちゃらんぽらんなものではなかった。
そうしていると、フロフロストすら凌ぐ『王』の風格がある。
人前ではいつもこうであれば良いものを、と思いながら、ベルベリーチェは頷いた。
「皆の意見を聞こうかの」
バロバロッサはそう口にした。
ベルベリーチェは、ディ・ディオーラにアトランテ王家の秘密を話し、古代文明と【幻想花】の由来を語った。
不世出の第3代皇帝が、聖魔の全てを従える存在であったことも。
けれどまだ、太古より伝わる『伝承』と、ワーワイルズやディオーラに纏わる秘密の全てを語ったわけではなかった。
「第三代皇帝に従った《四凶》の魔性が一。その生まれ変わりであるワーワイルズを、このまま玉座に据えるか否か……これまでのあやつを見てきた其方らの賛否は」
ホワホワールの予知は、ワーワイルズが生まれた時に齎された。
『天より禍ツ星が降り、《四凶》の一が目覚め、〝銀環の紫瞳〟の聖女が立つ景色が見えた』
それが今後訪れる未来であることが、ベルベリーチェの瞳の力によって裏付けられたのだ。
ベルベリーチェの〝金環の紫瞳〟は、輪廻の内にある人の魂、そこに宿る前世よりの『宿命』を見通すことが出来る。
そうして、生まれたばかりのワーワイルズの『宿命』を……魔性の生まれ変わりであることを裏付けるそれを、目にしたのだ。
魔人王や魔王獣よりも、さらに強大な存在。
魔神の眷属であり、『魔王』にすら匹敵する力を秘めた魔性と言われるモノの、一柱。
それが人の身に……フロフロストの子として生まれ落ちた事実に、ベルベリーチェは戦慄した。
「危険であれば危険となる前に始末すべきじゃと、儂はかつて述べたがの」
冷徹な『王』の顔で、バロバロッサがそう口にする。
「今のあやつを見て、魔性の存在として人の脅威になるとは、とてもではないが思えんの」
「……」
「が、儂の意見は変わらぬ。ワイルズの王位継承は、実際に禍ツ星が降る時まで保留。その際に人の意識を失い、魔性として覚醒すれば、始末する」
バロバロッサは、躊躇いすらなくそう口にした。
「民草の脅威となるならば、否は認めぬ」
「……ええ」
「猶予も、お主らの意見を汲んでのこと。ワイルズが人に害なすモノと成り果てれば、その時は諦めよ。そうでなければ、奴が次の王。以上じゃ」
バロバロッサは揺れない。
普段どれだけ適当であっても、民の為に私情を殺すことが出来るからこそ、彼はかつて賢王足り得たのだ。
「さて、フロフロストはどうかの?」
少し厳しさを緩めたバロバロッサにそう問われたフロフロストは、バロバロッサ程には冷徹になり切れなかった。
かつてもそうであり、今もそれは変わらないだろう。
しかし彼は彼で、理と情を秤に掛ければ理を重んじる。
「……ワイルズは、鳳凰に選ばれました。母の予知は、あくまでも《四凶》の目覚めを予知したものです」
フロフロストは、まず事実を述べた。
「その《四凶》はワイルズではない別の柱かもしれませんし、仮にワイルズが《四凶》として目覚めたとしても、ワイルズのままであるかもしれません」
「希望的観測じゃの」
「ええ、ですが、我らは元より魔人王の血統。私は、実際に目にするまではワイルズを信じます」
「ふむ、よかろう。では、リリリーレンは」
「……〝銀環の紫瞳〟の聖女は、まだ見つかっておりません」
憂いを帯びた目で、ワイルズの実母はそう口を開く。
「近く生まれ落ちたディオーラの瞳は、赤でした。聖女として強い魔力を秘めながら、その力を制御し切れているとは、とてもではないですが言えません」
「そうじゃのう」
「予知夢と、同世代の中では突き抜けた魔力を持つことから《四凶》を御すかと婚約者に据えましたが、《四凶》を抑え切れる存在であるかどうか。今でも能力には、疑問が残ります」
リリリーレンは聡い。
元は王太子であったヨーヨリヨの婚約者として、ベルベリーチェ自身が選んだ女性である。
「予知は完全ではありません。予知の中に居た〝銀環の紫瞳〟の聖女が、実際は欠けているのであれば。星が降るまで待つのは、やはり危険かと思っております」
彼女はワイルズを想っていない訳ではない。
しかし為政者として、そして聖女の一人として、『公』の判断を違えることはなかった。
「……あの子が他者を手に掛けるモノとなるのなら、その前にわたくし自身の手で。その決意に変わりはありません」
「意見は変わらぬということじゃの。ヨーヨリヨとアンアンナは」
かつて王太子であったが、どこか甘さの抜けきらないままその座を辞した息子は、微笑みを浮かべて、自ら選んだ妻と目を見交わす。
「ワイルズは良い子ですよ。少しワガママかもしれませんが、素直で、優しい子です」
ヨーヨリヨは『個』を重んじる。
息子がワイルズの人柄について言及した後は、アンアンナが言葉を引き継いだ。
「それに、《幻想花》を手にしたんですよね? 私はもとより、リーレン妃陛下やベルベリーチェ妃陛下でも出来ないことをしたんですよ!」
アンアンナは、言うなれば俗人である。
聖女として強い力を持ち、人柄も良いが、平民の出。
聖女になったのも『一番カネが稼げるから』という理由だった。
故にこそ、楽観的で素直に物を見る。
「ワイルズがもし魔性になったとしても、私たちが浄化すれば良いんです! だって『真に心清き者』なんですから、きっと元に戻りますよ!」
グッと両拳を握りしめたアンアンナの肩を抱いて、ヨーヨリヨは表情を引き締める。
「……母上。あの花は女神の花だ。それを手にして、女神の遣わした瑞獣にも選ばれた。出自や『宿命』どうであっても、僕はワイルズはワイルズだと思ってますよ」
「……ふん」
ベルベリーチェが鼻を鳴らして扇を広げると、バロバロッサが最後にこちらに問いかけてくる。
「で、ベルよ」
夫は、そこで意地悪くニヤリと笑う。
「ワイルズを赤子の間に始末する案を最も強硬に反対したベル自身の意見は、どうかの? やはり変わらんか」
「……当然でしょう」
ベルベリーチェは、パチン、と扇を閉じて、バロバロッサを睨みつける。
「ワイルズは、ホワホワールの孫なのです。フロフロストとリリリーレンの子なのです。そして、次期国王なのですよ。貴方は元より、わたくしにとっても孫のようなものです」
血の繋がりはないかもしれない。
それでも、可愛いアトランテの後継者なのだ。
どれ程手が掛かろうとも、自由奔放であろうとも、愚かな振る舞いをしたとしても。
ひたむきで、失敗を反省し、斜め上であったとしても自分なりにモノを考える姿も、見ている。
それを知りながら。
「この段に至って『やはり諦める』など、あり得ないことです。アレは育ちます。今後もずっとです」
「一番あやつを叱りつけるのも、口うるさいのも、そなたであるがの。どう見ても期待しているようには見えんぞ」
「期待などしません。今もしていませんよ。『我々もあの子を魔性にせぬよう、育てる努力をする』……そう定めて、ここまで来たのでしょう。己が身の内の脅威を打ち払うことが出来るくらいまで」
自らの内に魔性が在るなら、それを降すのは心そのものだ。
「見ているだけが、わたくし達の為すことではありません。育てずにどうしますか。『危険かもしれぬから』と可能性を捨てるのは、わたくしのやり方ではないのです……!」
だからずっと、心を鍛えるよう苦言をして来たし、ワイルズは人よりも遅いかもしれないが、それに応えてきた。
「独り立ち前の子らを脅かす危険が来るのなら、我々が排すれば良いのです。そして独り立ち出来るよう、自らで危難を払う力を与えるのです!」
それは体や技の強さだけではなく、心も同じ。
心技体が揃って初めて、人は強者足り得る。
ヨーヨリヨのような選択をさせるには、あの子の抱く『宿命』は過酷過ぎたのだ。
『ワイルズが王太子でなくとも、王妃はディ・ディオーラ』だと、そう発破を掛けたのも、彼女の為なら一番頑張るワイルズを見てきたからこそである。
「後進の可能性を信じるのもまた、先達の務めでしょう。ディ・ディオーラも同じです。最後の手段に出るのは、出来ることを全てやった後です」
「強情よの」
「当たり前でしょう!!」
ベルベリーチェはさらに語気を強めた。
「血族の子どもたちすら守れずに、何が民草の為ですか!! 少しでも希望があるのなら、その希望を信じるのです!!」
「落ち着け落ち着け。分かっておる。魔力が噴出しておるぞ!」
少し慌てた様子で、バロバロッサが両手を上げた。
「ベルが誰よりも厳しい割に誰よりも優しいのは、昔っからよーーーく知っておる。わざわざ経験を積ませようとしておるのも、大樹林に行くのを許可したのも、あやつが《幻想花》を目にしたことを一番喜んでおるのがそなたであることも、全部知っておるとも」
バロバロッサが立石に水とまくし立てる間にベルベリーチェが魔力の噴出を抑えると、彼は息を吐いた。
「ベルも、もう少しその優しさを分かりやすく見せて、あやつらに素直になれば良いものを」
「二言も三言も余計ですわ! 本気で吹き飛ばしますわよ!」
「やめよ。……まぁ、最初に述べた通り、今のままのワイルズであれば儂も何もせぬ。降り来たる『禍ツ星』を滅して、それで終いじゃ」
「簡単に仰いますけれど、わざわざ予知が降るほどの脅威です。【魔獣大侵攻】とは訳が違いますわよ。楽観的では……」
「同じであろう。先ほど、守ると決めたら守り抜く、と言ったのはベルじゃろうに」
バロバロッサは不敵に笑いながら、顎を撫でて片目を大きく見開く。
迎え打つと決めたら決めたで、強敵の存在にわくわくしているのが丸わかりだ。
「我らはアトランテ王族ぞ。たかが魔性如き、どれ程強かろうと自らの手で、民草の為に始末するのじゃ」
「その凶戦士気質は、いつまで経っても直りませんでしたわね」
「ベルの強情っぷりが直らんのと同じじゃ。さて、方針は決まったの」
パン、と手を叩いて、バロバロッサが皆を見回す。
「やると決めたなた、目指すは『被害0』じゃ。各々、迎え撃つ為の準備をせよ」
皆が頷くと、それまで黙っていたホワホワールがふんわりと笑う。
「ワイルズは、恵まれておりますわね〜」




