今度は記憶喪失ですの?
―――祝賀祭り前日。
運営側なので、今年は殿下と楽しむことは出来ないかもしれないけれど、それでもディオーラは楽しみにしていた。
種々の問題もとりあえず解決して、魔獣園は無事開かれる運びである。
凶暴な大型の魔獣展示は、封印の方法と予算の関係で結局数種類に留まったものの、スフィンクスもいれば瑞獣もいて、玄武も戻った。
目玉と見栄えは十分、残りは【懐き薬】の効く小型の魔物を細かく檻に分けて、慣れていていざという時も対処可能なギルド職員で管理しつつ展示する方向で落ち着いている。
『ふれあい魔獣コーナー』も一ヶ所設置して子どもの好奇心を誘い、その横に読み書き計算教室の案内兼、簡単なお試し授業を受けられるコーナーを設けた。
興味のある親は、少し話を聞きに行くこともあるだろう。
行動としては小さいけれど、将来に繋がる大きな一歩である。
―――昼か夜の休憩時に、少しくらいは殿下と祝賀祭を回ることも出来るかもしれませんわ。
そんな風に楽しみにしていたディオーラは、ちょうど廊下の先にワイルズの姿を見かけて声を掛けた。
「殿下、おはようございます」
すると、ふらふらと歩いていたワイルズが立ち止まり……どこか、ぼんやりした目でこちらを見る。
「?」
ワイルズは、いつもと少し様子が違った。
彼は船酔いを除けば体調を崩すこともほとんどなく、寝つきも寝起きも悪くない。
軽率な行動をすることは多くとも、『ぼんやり』していることは実は少ないのである。
最近は特に、色々出会いや刺激があったからか珍しくやる気に満ちており、ディオーラとしては愚かわいさを愛でる機会が減って少し残念……もとい喜んでいたのだけれど。
「ワイルズ殿下?」
ディオーラが改めてそう声を掛けると、ワイルズはなぜかとても不思議そうな顔で首を傾げ、こう問い返してきた。
「君は誰だ?」
「……!?」
とぼけているのでもなければ、演技でもなさそうな様子に、ディオーラは軽く目を見開く。
「そのワイルズ、というのが、私の名前なのか?」
明らかにおかしい。
そう思ったディオーラは、ぱらりと口元に扇を広げて。とりあえず一番事情を知っていそうな人物に呼びかける。
「『影』」
『……はい』
「うぉ!?」
何故かいつもより歯切れの悪い返事をしながら現れた『影』に、ワイルズがひどく驚いて飛び退った。
「何だ!? 何で影から人が!?」
「一体、何がどうなっているのです?」
とりあえずワイルズを無視して問いかけたが、『影』は静かに首を横に振った。
『それが……私にもよく分からないのです』
「何故です?」
『私には、昨晩の記憶がありません』
「……記憶が?」
『はい』
「つまり……そういうことですの?」
『おそらくは』
『影』の返事に、ディオーラはふぅ、と軽くため息を吐いた。
「殿下……何だかまた、愚かなことをなさったのかしら?」
※※※
「ワイルズ殿下が記憶喪失……!?」
「ええ。それで、昨日の殿下の行動を追っておりますの」
とりあえず侍従らに殿下を預けたディオーラは、早速調査を開始していた。
訪ねた場所は、王城の前庭を開放して作られた祝賀祭運営本部。
訪ねた相手は、そこに詰めている公爵令嬢のオーリオである。
「現状、放課後に殿下に会った貴女が、最後に記憶のある殿下に出会った『外』の人ですのよ」
ワイルズと違い、『影』自身は完全に記憶を失っている訳ではなかった。
昨夜の記憶だけが、スッポリと抜け落ちていたのだ。
その『影』の記憶にある最後の人物が、オーリオ様だったのである。
殿下は『影』をつけられて監視されてはいるものの、アトランテ王国の成人は16歳である為、18歳、最高学年になった彼の行動が逐一、国王陛下夫妻や上王陛下夫妻に報告されている訳ではない。
特に何事もなければ、『影』も報告はしないのだ。
今回は、それが仇になった。
「殿下は昨夜、寝所には戻っておりませんの。近衛も、殿下がご自身の宮で活動する分には出入りくらいしか見張っておりませんし」
寝所に戻っていないこと自体は、割と普通のことである為、気づくのが遅れたのである。
ワイルズ他、直系王族は基本的にとんでもない体力を備えており、三日三晩寝なくてもケロッとしているからだ。
が、近衛達はそういう訳にもいかない。
そもそも王族方は皆強い上に〝影〟もいるので、外に出かける時以外は、王宮警備の兵らに任せて休んでいたりするのだ。
中でもワイルズは、特に近衛を置いて出かけることも多く……別に許されている訳ではないので後で怒られるけれど……余計に動向が読めなかった。
足取りを遡っていった結果、王宮に戻って飛竜舎でバンちゃんの体を洗い、その後ワイルズ自身も入浴して食事を摂ってから、姿が見えなくなっている。
「王宮に戻る前に、何か変わった様子がなかったかとお伺いしたくて」
「変わった様子……そうね」
オーリオ様は軽く口元に手を当てて、目を伏せる。
「特に様子がおかしいということはなかったけれど、祝賀祭の話以外に、少し雑談をしたわね。『バンちゃんに少し無理をさせたかもしれん。あまり元気がないのだ』と言っていたわ」
「バンちゃん……」
祝賀祭の指示は王都中に出す為、『伝達するのに一番早い』と、確かにワイルズは飛竜のバンちゃんとよく一緒に動いていた。
バンちゃんを着陸させるにはそれなりのスペースが必要なので、場所によっては馬車や竜車より手間と時間が掛かることもある。
けれど殿下の場合は、飛び降りて指示を伝えて、空を周遊するバンちゃんにまた跳躍して乗れば問題ないのである。
が、確かに最近飛び続けているバンちゃんには、少し負担が掛かったかもしれない。
「『王宮に戻ったらちょっと休ませて、夜も顔を見に行く』と言っていたわね」
―――ということは、入浴後にまた飛竜舎に?
あり得る話ではある。
ワイルズは、相手の機嫌の良し悪しという部分には疎いけれど、体調が悪そうな相手に気づくと過度に心配するのである。
朱雀のチュチェが具合悪そうだった時もそうだったようだし、何となく、今よりも遥かに病弱だった幼少の頃のディオーラに原因がある気がしなくもない。
「ありがとうございます、オーリオ様」
「参考になりまして?」
「ええ」
手がかりがあるとすれば、飛竜舎の可能性が高そうだった。
「にしても……よりによって、今ですの?」
オーリオ様がそう言いたい気持ちは、ディオーラにもよく分かる。
何せ、祝賀祭は明日。
前日は色々トラブルも起こりやすく、予期せぬ不足等の手配なども起こり得る為、これから本部は鉄火場になることが予想されるのだ。
「最近まともでしたのに」
「ワイルズ殿下ですもの♪」
こめかみを指先で揉みながら深いため息を吐くオーリオ様に、ディオーラはコロコロと笑った。
「ウォルフ様に、至急の場合に伝令の代理をしていただくよう、お伝えしておりますわ。緊急事態ですので、以前運営をお勤めになられているサーダラ様の助力も得ていいと言われましたので、お声がけしております。わたくしもなるべく早く戻りますので、少しの間、宜しくお願い致しますわね」
「抜かりなくて助かるわ。本当に出来るだけ早く戻ってちょうだい」
「ええ。フェレッテ様もお借りして行きますわね」
「ふぇ!?」
ワイルズの様子に心配そうな表情をしつつも、他人事と思っていたのだろう、ディオーラの声かけに彼女が肩を震わせる。
「あら、飛竜舎の様子ですもの。竜匠の方にもお願い致しますけれど、魔法生物学専攻の貴女から見ておかしなことがないか、見ていただける方がありがたいですわ」
「わ、分かりましたぁ!」
怯えた顔をしていたフェレッテは、得意分野に関する話と知ってコクコクと頷く。
ディオーラは彼女を伴い、飛竜舎へと赴いた。
※※※
「これは……【飛竜草】ですね!」
普段と特に変わった様子のないバンちゃんと、寝藁、飛竜を休める効果がある『風の符陣』を敷いた飛竜舎の中。
エサ置きと清掃用のモップから小さな草の破片を幾つか拾い上げたフェレッテ様は、匂いを嗅いだり指先で擦って色や感触を確かめて、深く頷いた。
「間違いないですぅ! ただ、一晩は経ってないですが、効能は薄れてますねぇ〜。後もう一つ、よく分からない枯草みたいなのがありますぅ〜」
―――【飛竜草】……。
「念の為、すぐに手を洗って下さいね」
「はい!」
【飛竜草】は、人間にとってはかなり刺激の強い薬草である。
群生地では濃密な草いきれで意識が朦朧とする上、葉で擦過傷を負うと確実に化膿し、誤って呑めば生の鶏肉を超える程の腹痛に襲われ、最悪胃が焼けて穴が空く。
が、飛竜にとっては滋養強壮になり、かつ大抵の体調不良であれば治してしまう良薬でもある。
一つ問題があるとすれば、標高の高い場所でしか育たず、新鮮なものでなければ飛竜を治す効果が得られない点だ。
半日置いておくだけで、毒性だけでなく効能も失われてしまう特性があるのだ。
「『影』。殿下は擦過傷を負っておりまして?」
『何とも言えませんね。王族の方々は体の頑丈さが常人と違いすぎて、軽い傷ならすぐに治ってしまいますし、確認出来ていないかもしれません』
「まぁ、そうですわね」
何せ王族は、無事とは言わないまでも、瘴気の影響下に長時間居ても大丈夫な体質でもある。
体を洗う以外、餌やりなどのバンちゃんのお世話をしている者達にも話を聞いたが、誰も【飛竜草】は与えていないらしい。
「殿下が自分で採りに行った、という線が濃厚ですわね……昨日、バンちゃんの元気がないと話しており、今は元気。新鮮でなければ効果のない【飛竜草】……」
あと引っかかるのは、『影』の一晩の記憶の欠落である。
ワイルズが一人で頭をぶつけた、というような話であれば、彼の記憶まで失われているのはおかしい。
「記憶を失わせる魔物や、魔術、あるいは罠……という可能性もあるかしら」
殿下がその影響を受けて記憶を失った時に、影響が『影』に波及したのかもしれない。
さらに、もう一つ。
「謎の枯草……」
確かに藁とは違う枯草で、花を咲かせる草のように見える。
けれど、鋸歯……ギザギザの葉を持つ【飛竜草】とは違い、全縁の滑らかな形状の葉を持っているようだ。
小さく呟いて情報を整理したディオーラは、改めてフェレッテ様にお礼を述べて祝賀祭運営本部に帰らせる。
「それにしても、愚かですわねぇ」
【飛竜草】のある山岳は、何故か道に惑う者が多い為、入山許可が必要な場所である。
誰にも相談せずにいきなり採りに行ったのは、バンちゃんが余程心配だったのだろうけれど。
「最近、王位を継ぐご自覚が出てきていても、やっぱりまだまだですわね」
人間は、いきなりは変われないもの。
ディオーラだって、ワイルズの成長を喜べるようになったのはごく最近である。
こうして、本人は一生懸命な、けれどはたから見たら愚かな行動を取ったことを、嬉しく思ってはいけないのだろうけれど。
「わたくしの殿下は、まだまだ愚かわいいですわ。……ですが、それでわたくしのことをずっと忘れたままでは、困りますものね」
―――必ず、記憶を取り戻しますわ。
ディオーラは、フェレッテ様を見送った後に、王宮の奥に向かう。
訪ねる相手は、この国で最も魔術に精通した女傑……ベルベリーチェ上妃陛下である。




