失格ですわ。
イルフィール様と、スラーア様がいらっしゃってから、数週間。
「まぁ、我が国と大国の間に海賊が?」
「ああ、頻繁にね。今年は豊作で、そこまで治安の悪くなりようがないはずなんだけど。原因がよく分からないようだよ」
「それはそれは。どなたかの思惑が絡んでいるのでしょうか?」
「どうだろうね。我々の友好を歓迎しない手合いがいるのかもしれない。討伐隊を編成しているのだけど、中々捕まらなくてね」
そんな会話を、東屋でイルフィールとディオーラがする横で。
「おーっほっほっほ! ワイルズ殿下? こちらの果物は大変美味しいですわ! ワタクシ自ら、あーんして差し上げましてよっ!」
「いや、自分で食べれるし食べ慣れてるから! ちょ、もう少し淑女らしい振る舞いをしないのか!?」
ずいぶんとスラーア様と仲が良さそうなワイルズ殿下が、果物を一切れ口に押し込まれそうになりながら、チラチラとこちらを見てくる。
授業、食事、行楽、お茶会に夜会。
勉強と歓待を様々にこなす最中、あらゆる場面で散見されるこうしたやり取りは、当然ながら学校内でも社交界でも噂が飛び交っていた。
ーーー婚約者交代があり得るのか? と。
王家や高位貴族の婚姻など、しょせんは政略によって結ばれるものゆえに。
隣国との情勢や友好関係について、目ざとい者たちは既に深く調べ始めているそうだ。
イルフィール様は見目と紳士的なスマートさからご令嬢がたからの評判も良く、男性の交友関係も難なくこなし、スラーア様も面倒見が良い姉御肌で慕われているよう。
そうなると、優しげだがわたわたして子どもっぽい一面が暴かれ出しているワイルズ殿下よりも、イルフィール様の方がディオーラに相応しいのではという無責任な意見もあり。
皆の前では控えめに殿下を立てる印象のディオーラよりも、殿下にガンガン物を言う風に見えるスラーア様の方が彼を御せるのではという無責任な意見もある。
ーーー愚かですわねぇ。
お二方とも悪い方では決してないけれど。
ディオーラが隣国に嫁げば、少々不味い問題が起こるし。
次期国王が他国から嫁いで来る次期王妃の尻に敷かれているなど、内政干渉を許す格好の口実になってしまう。
という、危機感をお持ちの方も勿論いらっしゃって。
「どうなっておりますの!?」
ご友人のオーリオ公爵令嬢が、イルフィール様達がいないタイミングで、ディオーラを睨みつけた。
「まさかスラーア様にワイルズ殿下をお譲りになるなど、ふざけた事を考えてはおりませんわよね!? わたくし、貴方だから国母の立場をお譲りしたのですわよ!?」
立場としては、侯爵令嬢であるディオーラと、二代前の王弟から公爵家となった家の令嬢であるオーリオはほぼ立場としては平等で、どちらが王太子妃になってもおかしくはなかったのである。
今では第二王子殿下と心を通わせようと勤めているオーリオ様だけれど、ワイルズ殿下の妃の座をスラーア様に持っていかれるのは我慢ならないらしい。
「あらあら、ご心配ありがとうございます」
「わたくしは真剣ですのよ!」
コロコロと笑うディオーラに、彼女はますます眉間の皺を深める。
そして、あわあわとそれを諌めようにも諌められないフェレッテ様が周りをウロウロしていた。
「ご心配なさらずとも、フロフロスト国王陛下は、毛の先ほどもそのような事を考えておられませんわよ」
というか、未だご健在であらせられる前王ご夫妻……特に、ワイルズ殿下の祖母に当たられるベルベリーチェ上妃陛下がまず許さない。
「いかに皇国が望もうとも、それこそ戦を辞さない姿勢であろうとも、それは変わりませんわ」
先立って、イルフィール様が気にしていた賊についても。
詳しく調べれば、村が襲われるほどのものではない。
守りの届かない山道を行く行商が襲われるのは、由々しき事態ではあるけれど。
というか、十中八九向こうの王位継承争いによる余波で、そうなると、他国の害意ある者が……我が国の、臣民が住む場所を大規模に襲うことは、不可能なのだ。
ーーーなのに、不穏な動きが収まらない、となると。
可能性として考えられるのは、一つ。
ディオーラがオーリオ様を宥めて、数日後に……それは起こった。
「敵襲!」
襲われたのは、ワイルズ殿下とイルフィール殿下が遠乗りをする為に訪れた、王家の離宮。
ディオーラがイルフィール殿下の、スラーア様がその組み合わせを嫌がるワイルズ殿下の馬に、それぞれに相乗りしている最中の出来事だった。
「あらあら」
襲ってきた連中は、そこそこ数がいた。
見た限り、一個中隊ほど。
竜に比べて馬を操るのが少々苦手なワイルズ殿下と、その為に数を分けていた護衛騎兵、一番先にいたディオーラとイルフィール様にそれぞれに分断されてしまった。
「手練れですわねぇ」
相乗りの馬では逃げ切れないほどの数がいて、イルフィール殿下は魔術を放ちながら剣を抜く。
「迎え撃ちます。少々荒事になりますが、失礼を」
「ええ」
ディオーラは、危なげなく二騎を始末したイルフィール様から、合流した護衛騎兵に身柄を預けられる。
「こちらでお待ち下さい」
背後を馬の駆けれない深い下生えに包まれた林に定め、ディオーラにそう告げたイルフィール様は、そのまま踵を返して、騎乗の敵を始末して行ったが……。
「減点ですわ」
ふ、と息を吐いたディオーラは、腰に手を伸ばした。
扇で口元を覆いながら、逆の手で引き抜いたのは……腰に巻き付けていた蛇腹剣だった。
鞭のごとき長さと柔らかさを持つ金属の刀身を備えた暗器の一つであり、ディオーラが最も得意とする武器だ。
それを、音もなく下生えから忍び寄っていた暗殺の伏兵に向かって振るう。
血飛沫と悲鳴に、敵を察した騎兵の数人が馬を降りて林の中に飛び込み、残りを制圧していく。
しかしその間に、さらに増援が駆けてくるのが見えた。
ーーー大規模ですこと。
これほどの練度と人数による襲撃となれば、かなり力のある貴族が絡んでいるのは間違いない。
しかも王都から多少離れた飛地とはいえ、ここは王家所有の離宮である。
ーーー国内貴族の裏切り者の炙り出し、隣国のイルフィール殿下がたを狙う勢力の一掃……。
そもそも国内に入れないはずの隣国の手先が入っているとなれば、もうディオーラに疑いの余地はなかった。
「……めんどくさくなって、一気に始末するおつもりですわね」
上王陛下か、上妃陛下か、国王陛下か。
この誰かの策略であることは間違いない。
こちらに戻ってこられたイルフィール様は、厳しい表情で告げた。
「いくらなんでも、数が多すぎる。敵陣を突破して貴女を連れて離宮に戻ろうと思うが、ディオーラ嬢の魔術の腕をお借りできるか?」
命の危険が迫っている状況で、四の五の言っていられないということだろう。
そんなイルフィール様に、ディオーラはクスリと笑みを見せる。
「大変申し訳ないのですけれど、今、わたくしは当番ですので魔術が使えませんの」
「!?」
「我が国の守護結界のことはご存じでしょう? 今は聖女様と、上妃陛下と、王妃陛下と、わたくしで持ち回りですのよ」
悪意ある存在に越境させない守護結界は、国土全域を覆っている。
その結界を維持できるのは、現在この四人であり、隣国には同規模の結界を維持できるだけの魔力量と練度を持つ人材がいない。
だからこそイルフィール様は、ディオーラを望んだのだけれど。
「失格ですわ、イルフィール殿下。結界を維持している間、魔術の使えない妃を守るだけの能力があること。それが、わたくしを手にする最低条件ですの」
上妃陛下は、結界を維持しながら魔術を行使できる規格外の存在だけれど。
歴代聖女や王妃の条件と共に、国王や守護騎士にもそのような条件が求められるのがこの国だった。
「……ワイルズには、その素質があると?」
「ええ。皆様勘違いなさるのですけれど。殿下は、確かにわたくしに体力以外のあらゆる能力で劣っておりますわ」
今まで、ディオーラは彼に剣術を含む全ての実技と教養において、負けたことがない。
それ自体にも理由があるけれど、そこについては何も言わず、うっとりと微笑む。
「ーーーですが、わたくし以外の誰かに劣っている面など、あの方にはございませんの」
と、そう口にしたところで。
遠くから、閃光が走った。
広い平原の中に数多くいた敵が、閃光が走るたびに馬や自身の首を落とされて、落馬していく。
右も左も関係なく。
そして、その度に爆発するように地面が弾けて天高くえぐれた土が砂埃となって、空に舞っていた。
「なん……」
その光景に、イルフィール殿下が絶句すると、間近で護衛騎兵と戦っていた者たちも瞬殺されて。
「無事かディオォオオオオラァアアアア!! ゴメン、スラーア嬢を離宮に届けてて遅くなったぁああああああああ!!!」
馬すらなく。
剣一本と馬よりも遥かに速い己の足だけで敵兵を掃討したワイルズ殿下が、汗だくになりながら目の前に姿を見せて、ディオーラが蛇腹剣を握った手を取る。
「怪我は!? 気分が悪くなったりとかはしてないか!?」
「ご心配なさらず、殿下。かすり傷一つございませんわ。イルフィール様にもお守りいただきましたし」
心底心配そうな青い瞳を見上げて、ふふふ、と目を細めてみせると、殿下はホッとした様子で肩の力を抜いた。
魔術を使えなくとも、しばらく持ち堪えるつもりはあったけれど、思った以上に早く来てくれたことを嬉しく思いながら。
「でも、わたくしよりスラーア様を優先なさるなんて、わたくし傷付きますわ……」
と、心にもないことを言ってみる。
「いや、仕方ないだろう!? 皇国の姫に何かあったら一大事だろう!?」
「冗談ですわ。それにもう、この状況そのものが一大事ですわ」
ディオーラは、唖然とするイルフィール様に流し目をくれてから、焦るワイルズ殿下に目を戻す。
ーーー大体、実技で愛する婚約者に本気で剣を向ける殿方など、いらっしゃる訳がないでしょう。
そもそも普通は剣を合わせること自体が稀だけれど、いつからか殿下が手を抜いていることに、ディオーラは当然気づいていた。
「わたくし、殿下以外の方に貞操を奪われるつもりは毛頭ございませんの」
ほんのりと頬を染めてディオーラが告げると、パッとワイルズ殿下が顔を赤くした後。
何かに気づいたようにいきなり抱きしめて、イルフィール殿下を威嚇するように睨みつける。
「おい、イルフィール! ディオーラは私の婚約者だからな! お前にはやらんからな! ふ、ふしだらな事をしたらいくらお前でも首を刎ねるからな!」
ーーーまぁ、そういう触れ合いは別に望まれていないのですけれど。
ディオーラは役得なので、その誤解を解かない。
すぐにわたくしの言葉を間に受けて。
愚かで可愛くてカッコいい、わたくしの殿下。
実はとんでもなく強かったワイルズ殿下でした。
そう、ディオーラ様は『わたくしに劣る』とは言っても『他の人に劣る』とは一言も言っていません。
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