色々起こったようですわ。
「―――敵襲!」
真夜中に、カンカンカンカン、と簡易の見張り台に設置された鐘が打ち鳴らされて、ワイルズは飛び起きた。
「敵襲だと!?」
キャンプ地にはサーダラ兄ぃが結界を張って、魔獣が寄りつかないようにしていた筈である。
なのに何故、と思いながらワイルズは剣だけを握って飛び出すと、『魔獣の大樹林』の方角に向かって走り出した。
あっという間に端にたどり着くと、そこには既にサーダラ兄ぃが居た。
「サーダラ兄ぃ、早いな!?」
「結界以外にも、エリュシータ草の粉末を撒いて瘴気の影響を減らす試みを新たにしているからね。経過を確認していた時に、連中が現れた」
サーダラ兄ぃは、何故か落ち着いている。
彼には魔獣を操る瞳の力があるので、もし結界を破られたとしても心配はない……が。
「敵は!?」
「外だ。が、少し様子がおかしい」
魔力の光の中、白い瞳をこちらに向けたサーダラ兄ぃは、軽く顎をしゃくる。
ワイルズが示された方向に目を向けると、やはり結界を破れないのか、薄青く輝く光の外に魔獣らが蠢いている。
が、こちらに目を向けて、キシャァ、と威嚇しているだけで、結界に踏み込もうとする様子はない。
「……どういうことだ?」
未だに鐘は打ち鳴らされているが、兵士らも結界の内側に留まったまま、睨み合いのような状態になっていた。
「魔獣の様子を観察していたが、何かを守っているような様子を見せている。稀な行動だから、どういう意図があってそうした行動を取っているのか、少し興味があってな」
「守る?」
ワイルズはキョトンとした。
昨日見た通り、魔獣といえど獣は獣なので、そうした行動を取ることもあるのだろう。
が。
「自分達から襲って来ておいて?」
「だから、襲って来ているわけではないんだろう」
そこで、ウォルフとアガペロも姿を見せた。
「兄上! また魔獣観察ですか!?」
「今観察していたのは私ではない!」
三叉槍を担いで、あっけらかんと笑うウォルフに言い返して、ワイルズはアガペロに目を向ける。
彼は、相変わらず元気がなさそうな様子のチュチェを肩に乗せていた。
夕食の時に聞いた話によると、天幕の中で休ませようとしても、彼から離れようとしないらしい。
「アガペロ。別に危険はないらしいから、別に来なくても……」
と、チュチェを心配して声を掛けたのだが。
『フュゥルゥ―――』
突然顔を上げたチュチェが、全身の炎を真っ白に膨れ上がらせ、笛が鳴るような鳴き声を上げる。
まるで、何かに呼びかけるように。
同時に、キラキラと蛍のような火の粉がチュチェから舞い上がり、螺旋を描きながら魔獣らの方向に舞い進み始めた。
「チュチェ……!?」
「アガペロ、これは何だ!?」
「わ、分からん……! こんなことは初めてだ……!」
驚いているのは彼も同じようで、戸惑っていた。
次いでサーダラ兄ぃに目を向けるが、同じように分からないのか、首を横に振る。
が、答えらしきものは、予想外の人物から齎された。
「おぉ、青龍の敬燐に似ているな! 昔一度見たことがあるやつだ!」
「ケイリン? 何だそれは?」
「知性ある魔獣が自分より上位の存在に見せる、俺たちで言う敬礼みたいなモノだな! あの時は海の上で、はぐれ青龍が応龍に出会って……」
と、ウォルフが語り出すのを放っておいて、ワイルズはチュチェの光の先に目を向けた。
―――上位の存在?
光の向いた方角には、あの妙な気配がする台地があったが、それだろうか。
そんな風に思ったが……光の向かった先は、もっと近かった。
光を避けるように割れた魔獣らの奥に、それはいた。
一見して、鹿のような姿の魔獣である。
大きさは人間くらいだろうか。
先端の丸い一本角を持っており、飛竜に似たような顔をしている。
よくよく見ると、ツノそのものが薄い肉に包まれている不思議な魔獣で……ちょっと神聖な気配すら感じた。
頭から尾に向かって長く伸びる鬣は虹のような色合いをしており、根元から先端に向けて黒、青、赤、黄、白と徐々に明るくなっている。
全身は鱗に覆われており、チュチェの炎の毛並みに似た金の輝きが毛のように揺らめている。
ワイルズが、そのあまりの綺麗さにポカンとしていると。
「麒麟……」
サーダラ兄ぃがポツリと呟くと同時に、地面に鼻先を擦り付けていた麒麟が、チュチェの放った光に反応してピクリと顔を上げる。
そしてチュチェと、おそらくは視線を交わした。
麒麟の方も、敬燐というらしい光に対して鼻を動かし、反応しようとしたが……すぐに別の場所に視線を向け、『魔性の大樹林』の方に向かってポーンと跳ねた。
そんな、重さを感じさせずに跳ねていく麒麟が自分達から離れる気配を感じたのか、魔獣の群れがこちらから注意を逸らし……。
直後に、麒麟が先ほど視線を向けた方向から、とんでもない魔獣の咆哮が響いて来た。
「うるさっ……!?」
地面まで揺るがすような響きを恐れたのか、あるいは単に麒麟を追ったのか、魔獣の群れも一斉に引いていく。
思わず耳を押さえていたワイルズは、咆哮が収まった後にキーンと耳鳴りがするのに眉根を寄せせながら、小さく愚痴った。
「……何なんだ一体! 次から次へと!」
多分、今咆哮を放った魔獣は、先ほどまで群れていた魔獣達より遥かに強い。
剣を抜いたワイルズがその方角に踏み出すと、単騎で駆ける馬よりも二周りは巨大な4足の獣が、沿岸を走って接近してくる。
月明かりに微かに煌めいているのは、金色。
麒麟の炎のように揺らめくものとは違い、こちらは本物の毛並みである。
そしてもう一つ違う点があった。
「誰か乗ってる?」
その鬣が大きく顔の周りに広がった獣には鞍がついていて、誰かが手綱を握っていた。
ワイルズが一人で結界の外に出ると、四足獣……獅子王と呼ばれる種類の魔獣も、乗り手の指示に従って足を止める。
「誰か!」
ワイルズが誰何すると、乗り手は訝しげな気配を見せた後に、明かりの魔術を行使して間に光球を浮かべた。
「貴方は……ワーワイルズ殿下か?」
その呼びかけ声に、ワイルズも聞き覚えがあった。
獅子王から降り立った人物はワイルズと同じくらいの背丈で、少し年上の青年だった。
本来金の瞳に紫の髪を持つはずの彼だが、今は黒髪黒目である。
「影武者か?」
「いや、一応国外に出る時の決まりで、瞳と髪の色は隠すように言われているのですよ。それより、何故アトランテ王族である貴方がここに?」
そう不思議そうに首を傾げたのは。
『魔獣の大樹林』の西に位置するライオネル王国の王子、レオニール・ライオネル王太子殿下だった。




