目的地に着いたようですわ。
「こ、ここが『魔獣の大樹林』か!」
ちょっとヘロヘロだったワイルズは、ちょっと後悔しつつも無事に中央大陸東岸に辿り着いてホッとしていた。
昼間はともかく、流石に夜はバンちゃんも休ませないといけないので、寝る時には基本的に船に降りなければならず、船酔いからは結局解放されなかった。
頭の中で『愚かですわねぇ』と笑うディオーラをブンブンと頭を振って追い払い、バンちゃんの上から、遠くまで広がる自然を見下ろす。
沿岸は平坦なようだが、森の少し奥になると大地に走った奈落のような亀裂があり、そのさらに奥には見たこともない大きさの台地があって、その上にも少し普通とは樹木の様子が違う森が広がっていた。
そしてさらに奥に目を移すと、台地よりも巨大な煙を上げる活火山。
それ以外の部分も見渡す限り全て森であり、谷底にも川と樹林。
「かなり地形の起伏が激しいな……」
そして、何もかも規模が大き過ぎる。
この『魔獣の大樹林』自体の広さも、アトランテ大島に匹敵していた筈だ。
自然の雄大さを感じながら、ワイルズは沿岸沖に止まった海竜船に目を移す。
すると、海竜と船を繋ぐ鎖を外して、鞍の上にある馬車に似た台車部分に乗り込んだウォルフが、上陸する面々と共に沿岸に向かっていた。
ワイルズもそこに向かって降下し、久しぶりの地面に降り立つ。
「バンちゃん、しばらく休んでていいからな!」
「サーちゃん! お疲れ様だぞ!」
ワイルズが愛騎の飛竜を労っていると、同じように上陸し、王族なのに日焼け肌のウォルフが海竜の頭を撫でてニコニコする。
その横では、白目と黒目が逆転した瞳を持つサーダラ兄ぃが、何かの資料を捲っていた。
ワイルズが彼に上から見た様子を報告すると、資料から目を離さないまま、一つだけ頷く。
「地形は……少々資料と違うか? 瘴気量の増大もなし。浄化魔法を定期的に掛ければ問題ないか……キャンプ地には、新薬であるエリュシータ草の粉末による瘴気の浄化作用を試して……」
ブツブツと呟いている様子から、どうやら、過去の『魔性の大樹林』や魔獣調査のキャンプ地設営に関する資料らしい。
彼はテキパキと船員や連れてきた兵らに指示を出し始めたので、邪魔をしないようにしつつワイルズは船に目を向けた。
ちょうど良く、アガペロが降りてくるのが見えたので近づいていく。
「アガペロ! ……ん。どうした?」
「あぁ……今朝から、ちょっとチュチェの元気がなくてな。まぁ、トシだからな。長い船旅で疲れたのかもしれん」
見ると、確かにアガペロの手の中で丸まっている朱雀のチュチェは、いつもに比べて身に纏う炎が白っぽく、勢いがないように見える。
「少しサーダラ兄ぃにエリュシータ草の粉末を分けて貰って、食事に混ぜてやろう。それで休ませたら元気になるんじゃないか?」
「そうしてくれると助かる」
ワイルズは分けてもらったエリュシータ草をチュチェに与えると、今日はアガペロに休んでいて貰うことにした。
キャンプの設営を終え、昼食後に護衛としてウォルフを残し、ワイルズはサーダラ兄ぃと数名の兵を連れて、軽く視察する為に『魔獣の大樹林』内に赴いた。
「先ほどワイルズが言っていたあの台地は、やはり記憶にないな」
「そうなのか?」
「ああ。大地の変動が激しいという話は聞かないが、魔獣の生息域であり、瘴気のことは然程詳しく分かっていない。色合い的にも、何らかの影響が出ている可能性はあるな」
学者であり、幾度か『魔獣の大樹林』にフィールドワークに赴いたことがあるというサーダラの言葉に、そういうものか、と思いつつワイルズは台地に目を向ける。
他よりも岩肌が黒く、苔むした様子はずっとそこに鎮座していたような印象があるが、違うらしい。
そして、何となく。
「禍々しさよりも、神聖さを感じる気がするが」
あの台地、ただの地面の筈なのに、感覚的に畏怖のようなものを覚えるのである。
例えるなら、ベルベリーチェ上妃殿下が聖の魔術を使った時のような印象だ。
「……あまりよく分からないな。台地の方角に強い魔獣がいる気配はあるが」
サーダラ兄ぃは、瞳の力でそちらの感覚は鋭い筈だが、ワイルズの言葉にピンと来ないようだった。
「『魔獣の大樹林』に聖域が生まれる事もないと思うが。結界か?」
「そこまでは分からん。何となくだしな」
別に重要でもない気がしたワイルズは、それで話を終わらせた。
そこから奈落の谷底を覗き込んで、岩肌に巣を作る鳥や飛竜のような魔獣や、器用に岩肌に張り付いて立つ山羊のような魔獣を、鑑賞して楽しんだが。
ふと、思うことがあった。
―――なんか、平和だな。
魔獣の生息域ということで、もっと血生臭い様子を想像していたが、こうしてじっくり観察してみると、普通の獣と魔獣は特に変わらないように見える。
勿論魔獣は強いのだろうし、ただの獣がいないことからも、瘴気に侵されて普通の生物が生息できない地域であることに間違いはないだろう。
樹木も幹が歪んでいたり赤味がかっていたりする。
が、ここはここで、生の営みが普通にあるだけの場所のような感じがしたのだ。
魔獣の子らが戯れる様子も見え、この森に居る限りは人を襲うような事もないだろう。
―――狩るのか。
そこで初めて、ワイルズは自分の行動に疑問を覚えた。
この森の近隣に住む人々、西のライオネル王国の人々や北のバルザム帝国の人々なら、生活に隣接しているから、魔獣を始末することも正しいだろう。
アトランテ王国内であれば、ワイルズもそうして魔獣を狩ることに躊躇はしない。
最初から目的が研究の為であれば、許される気もする。
が、外から来て、ただ祝賀祭を盛り上げる為だけに、ここでそれをするのは、何となく。
「ダメな気がする……」
「何か言ったか?」
「あ、いや」
口から言葉が漏れてていたのか、サーダラ兄ぃが振り向いて首を傾げるのに、ワイルズは首を横に振る。
―――何か最近、調子が狂う感じがするなー。
思いついたらやらないと気が済まないのは相変わらずなのだが、今までに比べて、何だか色々な気になってしまうのである。
―――ディオーラに訊いたら、何か分かるかな?
帰ったら何でこんな気分になるのか訊いてみよう、と思いながら歩くワイルズ達の背中を。
台地の上から、一匹の魔獣が見下ろしていたのに、誰も気づかなかった。




