殿下が、また何かを思いついたようですわ。
「仮にも王族でありながら、市井で揉め事を起こすとは何事じゃーーーーーーーーーーッッ!」
突如応接間の中に響き渡った大声と共に、ワイルズは後頭部に衝撃を感じた。
「おごッ!?」
そのあまりの威力に、ソファに座ったまま思い切り前に置かれたテーブルにゴン! と頭をぶつけたワイルズは、即座に顔を上げてそちらを見る。
「いきなり何をす……じ、上妃陛下!?」
手にした扇で頭をはたかれたらしいと気づいたワイルズは、青筋を額に浮かべたベルベリーチェ上妃陛下の邪竜の如き眼光を受けて、頬が引き攣る。
「殿下……何をなさってますの」
彼女の横には、呆れ顔のディオーラも立っていた。
「〝影〟から報告があったわ! こんの……大たわけがッッッ!」
落ちてきた雷に、ギュッと目を瞑って体をビクッとさせたワイルズは、チラッと床に落ちた自分の影に目を向ける。
アガペロと話している間、静かにしていると思ったら、ワイルズの身が安全と見て、さっさと告げ口をしに行っていたらしい。
突然現れたのは、〝影〟が報告に赴く際に使えるというワイルズとディオーラの影を繋いでいる、ベルベリーチェ上妃陛下の魔術によるものなのだろう。
―――後で覚えておけよ……!
ワイルズは上妃陛下に目を戻し、一応言い訳しておく。
「さ、騒ぎを起こしたわけではありません! ただ興味があってスザクとギルドを見たら、結果的に騒ぎになっただけです!」
「一緒じゃアホタレが!」
またスパーン! と頭をはたかれて、口をつぐむ。
上妃陛下の横でディオーラが口元に扇を広げているが、ワイルズには分かる。
この状況を、めちゃくちゃ面白がっているに違いない。
『愚かですわねぇ、殿下』という心の声が聞こえてくるようだ。
「殿下、殿下。隠しておこうとしても多分無駄ですわよ。応接室に通されているということは、魔獣狩りギルドの方からも上妃陛下に連絡が……ほら、来ましたわ」
ベルベリーチェ上妃陛下の怒号を聞きつけたのだろう、慌てたようなバタバタという足音が部屋の外から聞こえてきて、バン! とドアが開いて、強面で大柄な中年が蒼白な顔をしながら姿を見せる。
「じ、上妃陛下! お早いお着きで!」
「ギルド長か。たわけについておる〝影〟は、性格は軽いが有能での。身内が迷惑を掛けてすまぬ」
「と、とんでもございません! 魔獣狩りには荒くれが多くてですね……お付きの者も見当たらず、そのまま殿下を外に出すのは危ういかと思いまして!」
「……いかに荒くれでも、アトランテの王族に手を出すような愚行はしないと思いますけれど……」
と、ディオーラが小さく呟く。
まぁ、あのギルドでの名乗った後の様子を見る限り、それはそうだろうなとワイルズも思う。
というか、自分は参加していないが、魔獣大侵攻を王族だけで収めた事件は、皆の記憶に新しい筈である。
「……ギルド長は心配性なのか? アガペロ」
こっそり尋ねると、彼は眉根を寄せながら小さく肩を竦めた。
「体はデカいしそこそこ強いがな。荒くれを纏めるだけならともかく、細かい性格じゃないと上妃陛下の期待に答えられないだろう」
「それはそうかもしれんな」
ワイルズが頷いていると、それが聞こえたのかジロリとベルベリーチェ上妃陛下がこちらを見て……目をぱちくりさせ、珍しく微笑みを浮かべた。
「何じゃ、そなた、アガペロか。まだ現役とは随分頑張っておるのう」
「……!?」
彼女の言葉に、アガペロが目を見開いた。
そして、軽く肩を震わせながら、軽く俯く。
「覚えて、いただけておりましたか……」
「人の顔もチュチュも忘れてはおらぬ。そも、スザクに懐かれる様を見るような、稀有なことを忘れるわけもなかろう。そこまで耄碌してはおらぬつもりじゃ」
「……光栄にございます」
アガペロの声が僅かに震えていたのは、多分涙を堪えているんじゃないかと、ワイルズは思った。
よく分からないが、命の恩人というものも、その人が自分を覚えていることも、そのくらい感動的なことなのかもしれない。
「そうか、バカ孫が興味を惹かれたというスザクは、チュチュか。そなたにも迷惑を掛けたの」
顔を上げたアガペロは、ほほほ、と笑うベルベリーチェ上妃陛下に対して、眩しそうに目を細めた。
「滅相もありません。それに殿下は少々気安過ぎるお方ですが、根が腐っている方ではございませんでしたので、さほど迷惑とも思っておりません」
「ほう?」
上妃陛下が意外そうに軽く眉を上げるのに、アガペロはニヤリと笑みを浮かべる。
「ご本人にも伝えましたが、若い頃の上王陛下にそっくりですので」
「つまり、軽率な愚か者という評価じゃの」
「俺は、上王陛下の性格を好ましく思っておりますので……」
アガペロの笑みが苦笑に変わると、ふん、と上妃陛下が鼻を鳴らした。
―――いつもよりさらに上妃陛下の口が悪い気がする。
そして少し砕けている感じもするのは、ギルド長やアガペロに気を許しているからなのか、逆に普段が気を張っているのか、ワイルズにはイマイチ判断がつかなかった。
「まぁ、そなたやギルド長がよいと言うのなら、よかろう。謹慎でも言い渡してやろうかと思っておったが」
「そ、それは困ります!」
ワイルズは、上妃陛下の言葉に慌てた。
「こ、これからアガペロに、魔獣の生捕りの仕方を習おうと思っているので!」
「「「「『は?」」」」』
その場にいる全員……一緒に戻ってきていたらしい〝影〟まで含めて……ポカンとした声を発した。
何かおかしなことを言っただろうか。
「そもそもアガペロにくっついてギルドの中に入ったのは、それを教えて貰おうと思ったからですし。祝賀祭で魔獣園を作るのに、魔獣を集めてくるのに手間と金が掛かるなら、自分で集めたらそれで済むでしょう!」
ワイルズは胸を張った。
我ながら名案であり、その点については、思いついた自分を褒めてやりたいとすら思っていた。
何せ、自分でやればタダである。
私財を出すなとうるさく言われることもない。
設備や場所の問題はまだ残っているものの、商人や資産家との面倒臭い交渉などもしなくて良いのだ。
アガペロは良いヤツだし、彼だけ自分で雇えば言う事なしである。
が。
「殿下……殿下は……本当に愚かですわねぇ……」
どこか呆れたようなディオーラに。
「魔獣狩りを、ご自身で……? いや、アトランテ王族の方であれば容易いとは思いますが……」
よく分からないものを見るような目でこちらを見るギルド長に。
「…………俺の意思は?」
頭痛を覚えたような顔のアガペロ。
そして、最後にわなわなと肩を震わせた後に、上妃陛下の全身から魔力の圧が吹き出した。
「毎度毎度、思いつきで動いてしょーもない騒ぎを起こしおって……! そなたは王族ぞ!」
「うぇ!?」
一体何を怒られるようなことがあったのか分からず、ワイルズが身構えると、ベルベリーチェ上妃陛下がクワッと目を見開く。
「何かする際には、きちんと順序を踏まんかッッ! この大たわけがッッ!」




