殿下が、平民のことを学ぶようですわ。【後編】
「は? ……人数?」
「そう。このアトランテ大島は、山や谷ばっかりの土地だろう。西の沿岸にある王都から、大人の男が毎日朝から晩まで歩き詰めでも、東の端に着くのに一ヶ月近く掛かる」
山が多いというのは、起伏が激しいということ。
飛べば早いが、そんな手段を持っている者は数少ない。
グリフォンの繁殖にしたって、他国以上に自国にとって有用な存在であるから、そもそも研究が始まっているのである。
そしてアトランテ大島は、陸の広さこそ東や中央の大陸より小さいが、アトランテ王国としての国の規模は東の大陸のフェンジェフ皇国、中央大陸の覇者バルザム帝国に次ぐ。
中央大陸南部にある獅子の大国ライオネルと、同等程度の大きさがあるのだ。
理由は単純で、他の大陸と違い、アトランテ王国は大島全土が領土だからである。
ただし、国土の大きさに比して海沿いや平地や盆地くらいにしか人が集まって住めず、通っている道も、山間の道を除けば山道ばかりだ。
「そんな島全部を、女子どもまで含めて全員集めたところで千人居ないお貴族様で、守り切れるわけがないだろう。魔獣とも呼ばれない小型の魔物でもそこらの獣より強い上に、田舎に近けりゃ近いほど、そこそこの頻度で見かけるもんだ」
「……うむ」
掲示板に張り出されていた魔獣の紙を思い出して、ワイルズは頷いた。
多分、初心者が相手にするのだろう小型の魔物まで含めてあの数なら、確かにアトランテ貴族総出で掛かっても難しいかもしれない。
「あ〜……まぁ正直、上妃陛下ならやれそうではあるが」
「そうだな、あの方なら出来ないことはない気もするが……今の島の話に関しては、全部それこそ、その上妃陛下の受け売りだよ」
「そ、そうなのか!?」
「俺もあの方に同じ質問をしたんだ。『それだけ強いなら、貴族だけでも守れるんじゃないですか』ってな。その時の返答が、生業に関する話と、今の話だった」
アガペロは苦笑して、ベルベリーチェ上妃陛下が何を言ったかを教えてくれた。
『よいですか、アガペロ。出来ることとやっていいことは違うのです。わたくしが仮にこの島の全ての魔獣を滅ぼせたとしても、魔術の被害によって人や国ごと滅ぼすことになります』
ワイルズは、頭の中で容易に想像できたその言葉に、思わず頬を引き攣らせる。
怒りの一撃で『ベル湖』を呼ばれる王都近くの湖を作り出した上妃陛下が、本気で魔術を行使したら、島ごと滅んでも全然おかしくはない。
「そして、こうも仰られた。『ある程度凶悪な魔獣のみに的を絞って、〝風渡り〟の魔術などで赴いて倒し続けたとして、わたくしやバロバロッサ殿下が死んだ後はどうするのです』と」
「あ……」
確かに、それはその通りなのである。
それこそ、話に聞いたゴドクトウのような魔獣、あるいは魔獣大侵攻のような大規模災害であれば王族が出向く必要があるが、それ以外はダメだとする理由。
「全部自分でやっちゃうと、後継者が育たない……だよな?」
ベルベリーチェ上妃殿下は常々『人を育てる』ことを口にしていた。
多分、ワイルズがグリフォンの件で国外に赴く前に、『態度や実績に改善が見られなければ廃嫡』『王妃となるディオーラに相応しくない』と言い渡されたのも、同じ理由なのだろう。
そしてディオーラが『体力任せに全部自分でやる』ことに、あまりいい顔をしないのも。
乗騎である白い飛竜バンちゃんのお世話や、自分が溜め込んだ業務や宿題での徹夜くらいならともかく、『殿下はもう少し人に振り分けることも覚えて下さい』とはよく言われた。
今のアガペロの話を聞けば、その理由が分かる。
後継者が育たないと、国が傾く。
ふがいない者が国の上に立てば、国自体が傾く。
そして最後には、平民が迷惑するのだ。
だから、ベルベリーチェ上妃陛下は、魔獣狩りギルドを作った。
平民の魔獣狩りの命をなるべく守りつつ、魔獣の強さごとに対応できる人材を増やしていって、どうしても対応できない場合には王侯貴族が赴く……そういう形を。
上王陛下夫妻の命も、貴族の人数も、無限ではないから。
育てながら、後々の世まで守る為に。
「『国を守る為に優秀な人材は、多ければ多いほど良い。が、良い人材の多くは放っておいて育つものでも生まれるものでもない』のだそうだ。……古参になった今、俺もそう思ってるよ」
アガペロの言葉に、ワイルズは肩を竦めて小さくなる。
「な、ならアガペロは、失望しただろう。仮にも王位継承権の第一位にいるのが、私などで申し訳ない……」
ワイルズは今まで、そんな風に思ったことはなかった。
そのままではダメだと言ってきていたのは、基本的に自分より上にいる両親やお祖父様や上妃陛下であり、その配下である世話役や教育係だったのである。
公爵であるヨーヨリヨ叔父さんや、その奥さんで聖女であるアンナ叔母さんは『ディオーラが好きならそれで良い』と言ってくれたが、それは『目的』の話である。
自分の考えの足りなさを『善し』としてくれたわけではない。
アガペロの口調から、彼が上王陛下夫妻を敬っていることは分かる。
両親は優秀な人たちなので、きっと彼のような人が安心できる政務を行なっているだろう。
だが、アガペロから見たワイルズの印象はきっと最悪である。
―――ま、守るべき相手に失望されるというのは、こんなに落ち込むものか。
ディオーラは、どれほど自分を愚か愚かと言ったところで、嫌われる心配はない相手である。
だが、数多くの平民にとって、ワイルズはそうではないのだ。
ズーン、と沈んでいると、アガペロは片眉を上げてから、軽く首を傾げる。
「……まぁ、確かに甘ちゃんだが、別に失望したってことはない。言っただろ、殿下は、上王陛下の若い頃にソックリだって」
「そ、そうなのか?」
「明るくて気さくで、適当で強い人だったからな。あの人も上妃陛下に頭シバかれてたし、殿下にもいるんだろ? ケツ蹴ってくれる女が」
「それはいるな!」
きっと彼女がいなければ、ワイルズは今頃とっくに廃嫡である。
バカにされたり負けたりしていなければ、負けん気を発揮して勉強も武術もまともに努力することはなかっただろうし、上妃陛下に継承権を譲れと言われれば、あっさりやめていた自信がある。
「なら大丈夫だろ。間違っていたと思えば素直に反省するし、十分上等な類いの人間だよ」
どうやら、失望はされていなかったらしい。
ホッとしたワイルズは、そういえば、とドアの外に目を向ける。
「応接室に通されて待たされているが、これ、一体何の為なんだ?」
「さーな。俺もさっさと報酬を受け取って帰りたいんだが」
アガペロと二人で、そうして首を傾げていると。
―――直後に、嵐は訪れた。




