殿下が平民のことを学ぶそうですわ。【前編】
「そ、そんな経緯があったのか……」
アガペロに名前を告げた後、ギルドの人間が飛ぶような速度で近づいてきて案内された応接間で。
彼の過去話を聞いて……ワイルズは、心の底から反省した。
そう、魔獣によって人は死んでいるのだ。
ワイルズにも人を斬った経験がないわけではなく、身近なことではあるものの……その『死』の中に、自分の親類や親しい人々が含まれていた訳ではない。
村が壊滅したということは、アガペロは大切な人々を、魔獣によって失っているのである。
「あ〜、本当にその……軽率なことを言って悪かった……!」
一応『王族の権威を損なう』ということで戒められているので、頭を下げることはしないものの、そう謝罪する。
「分かってくれりゃいい。……平民ってのは王族の方々に比べりゃ、とんでもなく弱い。魔獣を退治できる連中だろうと、他の平民に比べりゃ魔力量が多いだけで、お貴族様にゃ程遠いからな」
ワイルズや周りの貴族の強靭さは、魔力の総量が多いことに支えられてのものだ。
貴族というのは、そもそもの成り立ちからして『魔力の強い者』が支配階級となったものである。
そして強い者同士で婚姻を結ぶことで、さらに子世代に渡るにつれて、どんどんその力を強めてきた歴史がある。
必要に迫られて、なのだ。
貴族の身に宿る魔力は、時に人の領域すら食い尽くす魔の存在に対抗する為に、女神から与えられた恩恵である。
貴族が強く人の上に立って暮らせるのは、多くの民をその脅威から守る為。
民草は逆に、その庇護の見返りとして働き、これを支えるものであると。
女神を信仰する聖テレサルノ教会の教典第一条に、そう記されている。
なのでどの国も、貴族は皆強い。
あまりにも多い魔力量には弊害が起こることもあるが、それを差し引いても脅威に対抗する魔力を強める必要があったからだ。
その負の側面が瞳の不完全なディオーラの魔力暴走の危険で、彼女が体調を崩しやすいのも精神的な不安定さが体内の魔力脈を乱し、それが体調に影響するからである。
彼女以外にも、魔力による弊害と思われる、皮膚病などの様々な症状に悩まされる者は多くいる。
そうした負の側面を許容する理由が……人々を守る為、なのだ。
耳にタコが出来るくらい聞いていた筈なのに、ワイルズの周りには基本的に王族か高位貴族しかおらず、今、実感を伴った話を聞くまではイマイチ理解出来ていなかったのである。
「一つ疑問があるのだが、聞いても良いだろうか……?」
ワイルズは、おずおずとそう口にしてみた。
この質問も失言になりかねないのだが、分からないことは、結局聞いてみないと分からないのである。
「答えられることならな」
「魔獣から皆を守る為に貴族がいて、魔獣は平民にとって危険な存在なら……むしろ何故、お祖父様達は魔獣狩りギルドなど作ったのだ?」
危ないなら、魔獣やその住処に手を出すことそのものを禁じてしまえばいい。
人の住む場所に来る魔獣は、貴族が始末すればいい。
何故そうしないのかが、よく分からなかったのだ。
アガペロは、ワイルズの質問に皮肉げに笑った。
「殿下は本当に、人が好い」
「……?」
いきなり、褒められたのかバカにされた微妙な言葉を投げられて、首を傾げる。
「人間ってのは、殿下が思うほど綺麗なもんでも賢いもんでもない。金になると思えば、危険だろうが魔獣を狩りに行くヤツはいるし……それしか生きていく手段を知らない、俺みたいな阿呆もいるんだよ」
アガペロが言うには、ツテがない人間は別の仕事に就けないし、学がない人間は役人にはなれないし、能力がない人間は食い潰されるもの、なのだという。
「たとえば俺は、文字も書けなけりゃ数字も分からん。魔獣狩りとして生きていくのに必要な魔術は使えるが、他に何の役に立つかは知らない。通貨の種類は分かるが、物を買うために、たまに値切ったりしながら言われた額を払うだけだ」
魔獣狩りギルドや、平民の中でも貧しい人々は、そうした者が多いと、アガペロは言葉を重ねる。
ギルド内に垂れ下がっている無数の紙や模様を刻んだ木札も、そうした事情から作られているのだと。
地図と一緒に飾られている魔獣の絵には、幾つかの模様が添えられていて、木札にもそれぞれ同じ模様が描かれているという。
その模様を見て、自分が受けられる依頼かどうかを判断し、受付に持っていって文字を書けるヤツに日付を記入してもらい、自分専用の木札に挟んで退治に向かう。
退治出来れば、証拠となる魔獣そのものか解体したものを持って帰って、換金して貰う。
期日までに帰って来なければ、次にもう一つ上の魔獣を対峙できる魔獣狩り複数人で捜索隊が組まれる、そういう風になっているのだと。
文字が読めない者達でも、仲間がいない者達でも、助け合えるように作られているのだと。
「金に目の眩んだ無謀な阿呆以外にとって、生業ってのは、自分が生きる為の唯一の手段なんだよ。危ないからって取り上げられたら、生きていけねーんだ。……だから両陛下は、それを俺たちから奪おうとはしなかった」
それでもなるべく危険を犯さずに済むように作られたのが、魔獣狩りギルドなのだと。
「……そういう、ものなのか」
自分の全く知らない世界の話に、ワイルズは眉根を寄せる。
「ただ、金を与えれば済む……という問題でも、きっとないのだろうな」
その辺りは、散々両親やディオーラに叩き込まれてきたことだ。
ワイルズの王太子としての業務の中には、一部の国内整備に関する公共事業に対して、予算を割り振る仕事が含まれている。
さほど緊急でもなければ重要ではないが、そこに予算がないと困る、というような類いのもの。
今回の祝賀祭では『自ら人を訪ねて金を集める』という、今までにない形の仕事に四苦八苦していたが、『決められた予算の中で数字を割り当てる』というような作業はいっぱいしてきた。
今までは、ただの紙に書き連ねられた数字でしかなかったが。
ある時、ディオーラが言っていたことを思い出したのだ。
『殿下。資材が潤沢になければ、確かに整備は行えませんわ。けれど、そこにばかりお金を掛けて人件費を削れば、仕事をする人々が飢えます。逆にお金をたくさん与えたり、人を増やせば仕事は楽になるでしょう。けれど今度は資材や仕事の方がなくなって、本来の目的である整備が滞ることになるのです』
その為に『割り振り』という仕事があるのだと、彼女は言っていた。
『足りないのなら、予算を増やせばいいではないか』
その時も、確かワイルズは今回の祝賀祭の時と同じようなことを、ディオーラに告げた。
すると彼女は、ため息を吐いてこう言い返してきたのだ。
『愚かですわねぇ、殿下。予算は無限に湧いてくるものではありませんわ。それは、民が納めてくれた『国をより良くする為のお金』です。元々は民のものであり、還元も有限なのですよ』
ただの数字、ではない。
―――アガペロのような境遇の者でも、少しでも良い暮らしが出来るようにする為の。
ワイルズは、やっぱり自分は阿呆なのだと思う。
自分で体を動かしたり、直接見聞きしないと、ただ勉強や実務で知ったことが何を意味するのか、さっぱり理解出来ないのだから。
自分と同じように学んだ筈なのに、その部分をきちんと理解しているディオーラが、どれだけ優秀か。
―――ディオーラ達が『国をどうして行きたいか』を私に問う理由は、これだったのか……。
自覚を持て、責任感を持て、というのを、うるさいと思っていたことを、ワイルズは恥じた。
「殿下」
呼びかけられて、ワイルズは我に返った。
会話の最中なのに、自分の考えに耽っていたことに気づき、慌てて目を上げると、アガペロは真剣な表情でこちらを見ていた。
「金だけ渡せば済む問題じゃない、ってのは、その通りだよ。いや、俺たち魔獣狩りにとってはありがたいだけの話なんだが、それだとどうしようもない問題が他にあるんだ」
「ま、まだ問題があるのか!?」
この上どんな問題が、とワイルズが身を乗り出すと、アガペロはあっさりと答えた。
「お貴族様の人数が足りないんだよ」




