『生贄』と『預言者』。
「相変わらず、殿下は愚かですわねぇ……いえ、この場合は褒めた方が良いのかしら?」
夜も更けかけた頃合いに、慌てた様子で現れた〝影〟の報告を聞いて、ディオーラはため息を吐いた。
大抵常識外れなことをした時は、ろくでもないことばかり起こるけれど。
今回に関しては、イルフィール陛下の安否がかかっている。
ーーー夜半ですもの。ハムナ王の瘴気のこともありますし、十中八九、『不死の王』に関わることでしょう。
それでも、殿下が近くにいれば、そこまで酷いことにはならない気がした。
「準備を致しますわ。少々お待ちを」
侍女のメルフィレスを呼んでドレスに着替えたディオーラは、彼女を自分の代わりにベッドに潜り込ませて、部屋を出た。
護衛として立てられている衛兵には、少しの間、眠りの魔術で眠っていて貰う。
ディオーラ自身は、余程の手練れが相手でなければ負ける程弱くはなかった。
腰に巻いた蛇腹刀があれば、肉弾戦でも引けは取らない。
まして今は、魔術の威力は多少弱まれど体調を崩す心配もないように、腕輪も身につけていた。
「では、参りましょう」
何事も起こらなければ一番である。
しかし〝影〟の案内でイルフィール陛下やワイルズ殿下の元に向かっている間に、巨大な音が響き渡った。
同時に、瘴気の気配も感じる。
「何か起こりましたわね」
多分、もう遠慮はいらないだろう。
ディオーラが近づくと、バタバタと慌てている従者達がいたので、こちらにも眠りの魔術をかける。
そうして通路を進んでいくと、〝影〟が呟く。
『ここから先に進めないのです』
言われて手をかざすと、確かに反発するような圧を感じた。
「結界、ですの?」
『おそらくは』
手のひらに魔力を込めて押してみるが。
まるで上妃陛下の展開した防御結界に触れたように、非常に強固な感触を覚える。
「これは、破れませんわね」
どんな存在が作り出したのかは分からないけれど、力押しではどうにもならなそうだった。
おそらくはこれも、古代文明の産物なのだろう。
どうしたものかと思っていると、ガコン、と何処かで音がした。
警戒していると、少し遠くに見知った魔力の気配を感じる。
「イルフィール陛下ですわ」
『え?』
「行きますわよ」
左右に伸びた通路の右側に進んでいく。
少し迷路のようになっているが、気配を探りながら進むと、前から来た誰かが剣を構えて……その後ろから驚いた声が聞こえた。
「ディオーラ嬢!?」
「ご無事ですか、陛下」
ディオーラが微笑みを浮かべると、おそらくは陛下の〝影〟らしき二人が剣を引いたので、イルフィール陛下の横にいる、白い民族衣装を纏うもう一人に目を向ける。
「そろそろ、事情をご説明していただけますか? ……ヘジュケ殿下」
※※※
ーーーその頃、ピラミッドが見える森林の外れにて。
「始まってしまいましたわね〜」
のほほんした声でそう呟くと、ちょっと呆れたような声が聞こえる。
「君にはいつも本当に驚かされるよ、リオノーラ。新婚旅行先としてハムナに行きたい理由を聞いた時は、半信半疑だったけどね。……この地に、太古の【魔王】が封じられている、なんて」
「たまたま〜、読んだ本に書いてありましたのよ〜。魔人王や魔王獣が出現する災厄のことも〜、聖教会の教書に書いてありますし〜」
リオノーラは、ライオネル王国の出身である。
あまりにものんびりし過ぎて王都の貴族学校を一年で落第した後、色々あって南部辺境領に行った婚約者、レイデンを追って辺境に住むことになった。
レイデンと婚姻を結んだ後、災厄に伴う魔獣への対処等の様々なことが起こり、その後始末を付けて、ようやく新婚旅行に赴くことになった時に、ふと気になったのだ。
各王国における、王家の歴史。
その内、災厄に対処する為に神から遣わされる歴代〝光の騎士〟や〝桃色の髪と銀の瞳の乙女〟に属さない血統の者や、その当時の国からの派生に入っていない者が、国を立てている例が幾つかあった。
一つが、ライオネル王国の北にあるバルザム帝国。
そして、帝国の東にある大陸の覇者、フェンジェフ皇国と属国のハムナ王国。
最後の一つが、ライオネルの西にある島国、アトランテ王国である。
「バルザム帝国は〜、周りの国が〝光の騎士〟の血統に囲まれておりますけれど〜、アトランテとフェンジェフはそうではありませんのよ〜」
それは、最古に王国が興ったというハムナを発祥とする二つの血統なのだ。
昔は英雄がそのまま国を興すことが多かった。
魔力の強い者が貴族になった、という歴史があるからだ。
では、英雄の血統ではないのに高位貴族になった者らは、一体何の血統を継いでいるのか。
「それが、【魔王】や魔人王の血統だと?」
「はい〜」
ただ、あくまでも推測である。
魔人王は人の中から生まれているのでないか、という仮説。
古代文明の跡地に立ち、謎の神獣が存在するハムナ。
そしてそのハムナから分たれた二つの血統。
「アトランテの祖は〜、魔獣使いであると言われておりますわ〜」
他のどこを見回しても存在しない、全ての魔獣を従える才覚を持つ獣使。
血統に依らず稀に生まれる紫瞳の者や、バルザム帝室の紅玉の瞳よりも希少な、唯一無二と言われる黒目と白眼の反転した瞳を継ぐ者が存在する血統。
それらの理由を、リオノーラは【魔王】側に由来するものと結論づけた。
またライオネル王国……正確にはその前身となった前アバッカム王国の始祖は、アトランテ王国が興る直前に一度戦争をしている。
そしてフェンジェフの血統が分たれたのもその頃なのだ。
この年代の符号から、リオノーラはある推測を立てた。
その頃に何が起こったのか、という推測である。
「よくよく調べてみると〜、アバッカム王国は〝光の騎士〟の血統で〜、アトランテは魔獣使いと〝桃色の髪と銀の瞳の乙女〟の血統でしたの〜」
アトランテの大島の出身であるアバッカム王国の初代王……〝光の騎士〟と、ハムナから侵攻してきた初代アトランテ王の衝突。
その戦争はアバッカム側の敗北に終わり、大島を逃れた〝光の騎士〟が、現在ライオネルの西にある魔獣の大樹林を抜けて建国したのがアバッカム王国だったのだ。
しかしアバッカムの初代妃は、通常〝光の騎士〟と結ばれる筈の〝桃色の髪と銀の瞳の乙女〟ではなかった。
そして大島を支配したアトランテの初代王は白目が黒、瞳が白の魔獣使い。
「もしかしたら〜、ハムナで生まれた【魔王】か魔人王が〜、災厄の際に衝突して〜、〝光の騎士〟が負けた歴史もあり得るのではないかと思いましたの〜」
アトランテとフェンジェフの結界を作る魔導陣、魔力を吸い上げることでそれを『浄化と防御の力』に変換するものだと言われている。
その力と相似の力が何かと言われれば、〝桃色の髪と銀の瞳の乙女〟……すなわち、強大な力を有する聖女のものだ。
「〝光の騎士〟が負けたのに災厄が落ち着いたのは〜、結界が魔の者の王の力を〜、遮断したからなのではないかと思いまして〜」
しかも、【魔王】あるいは魔人王が生まれたのにも拘らず、ハムナはその時滅んでいない。
それどころか、魔人王が見逃したとも取れる状況。
あるいは、支配したにも拘らずその地を放棄した理由。
様々な推測の上で、リオノーラは結論づけたのだ。
「アトランテの祖となった当時の魔の王は〜、自らを結界に封じる為に〜、〝桃色の髪と銀の瞳の乙女〟と大島に残された古代文明の結界魔導陣を欲したのではないかと〜、わたくしは思いましたの〜」
人から生まれたのなら、人の意思を残した魔人王も存在するのではないかと。
それなら、ハムナが滅ぼされなかった理由にも筋が通る。
なのに大島で〝光の騎士〟と争った理由も。
「そこまでは分かるけど。それで、何でハムナにその初代アトランテ王以外に、別の【魔王】が封じられていると?」
レイデンの問いかけに、リオノーラはふんわりと微笑んだ。
「言ったでしょう〜? 最古の王国に近いハムナもまた、その興りに〝光の騎士〟や〝桃色の髪の乙女〟の血統を有していませんのよ〜。なのに、初代アトランテ王は大島に向かいましたの〜。彼が魔導陣のことを知っていた理由は〜、同じようなものがハムナにあって〜、自らを封じられると知っていたからではないかと〜」
そして、現代においてまた災厄は起こった。
しかも、これまでにない規模で。
世界的な【魔獣大侵攻】が起こり。
帝国の帝都が危うく瘴気汚染地になりかけ、歴代考えられない程の数と強さの魔人王や魔王獣が生まれた、災厄が。
「太古の【魔王】が本当に封じられているのであれば〜、呼応して目覚めるのではないかと〜、思いましたのよ〜」
あの、宙に浮かぶ封印の構造物……逆さ黒ピラミッドの内に封じられた、存在が。




