いつもの殿下。
その日の夜。
ワイルズは、こっそり自室を抜け出していた。
『ディオーラ様に怒られますよ』
聞き覚えのある〝影〟の声……父上の命令で、ワイルズの監視役兼ディオーラへの告げ口要員になっている忌々しい相手である。
「お前が黙っていればバレないだろう」
『それを言うのが私の仕事です、殿下』
「……口止め料とかどうだ?」
『姑息なことを考えず、大人しくしているのが良いかと思いますが』
「不敬だぞ」
『こちらの王家に対して不敬な行動をしているのは、殿下では?』
ああ言えばこう言う。
どいつもこいつも、アトランテ王国王太子を何だと思っているのか。
「ちょっと神獣を見に行くだけだ。ほんのちょっと。動いているのが見たいだけだ。きっとディオーラも怒らない筈だ」
『いや、それがダメなんですよ……そもそもパング公爵令嬢は怒りません。お仕置きされるだけです』
ワイルズは、小うるさい〝影〟を無視して歩を進めることにした。
そもそも〝影〟では自分に敵わないので、強引に連れ戻されることはなく、適当にあしらっていても問題ない。
神獣を見た後、〝影〟がディオーラにバラす前にどうにか説得すれば良いのだ。
ハムナは、夜は肌寒い。
昼間はあんなに暑いのに理屈がよく分からないが、熱が溜まらないからどうとかディオーラが言っていた。
右から左に聞き流していたが。
王宮の中から庭に出ると、警備の目に止まらないようにこっそりと移動して、労働者がピラミッドの方に向かう出入り口とやらを探し始めたのだが。
「……迷った」
ワイルズは方向音痴なのである。
特に知らない場所を、星や月の位置を頼りに、みたいなのは大の苦手だった。
自分が今どこにいるのか分からない。
とりあえず建物の影に隠れて、ワイルズはこっそり呟く。
「おい、〝影〟。ピラミッドはどっちだ?」
『お部屋にならご案内致しますよ』
何だか笑いを堪えているような〝影〟に、ワイルズはぐぬぬと呻く。
「お前、私が王になったら覚えておけよ……」
『その時は、王妃になられるパング公爵令嬢に嘆願致しましょう』
ピラミッドの方向を教えてくれる気はないらしい。
多分、王宮の奥だから、とワイルズは暗い中で黒々としている王宮建物を見上げようとして……ふと、明かりが灯っている吹き抜けの通路を、誰かが歩いて行くのを目に留める。
「……ハムナ王?」
先頭を歩く従者が掲げるランタンの明かりに、白い服の人物が浮かび上がっていた。
その後ろに付き従っているのは……イルフィールである。
「何をしているんだ?」
そういえば、イルフィールは用があるからこの地に赴いたと言っていた。
だが、こんな夜遅くとなると怪しい。
「まさか……」
ワイルズは、クワッと目を見開く。
「奴ら、私に内緒で神獣を見に行くつもりか……!!」
『そんな訳ないでしょう』
〝影〟が何か言っているが、ワイルズの耳には入らない。
―――許せん!!
行くなら誘ってくれれば良いものを、コソコソと。
と思って、はたと気づいた。
「ああ、後をつければ良いのか」
神獣を見に行くのであれば、当然彼らが向かう先はピラミッドに決まっているのである。
「ふふふ、やはり私は冴えているな!」
『冴えている人は夜中に出歩いたりしないんですよ……』
何だか呆れた様子の〝影〟に、ワイルズは言い返した。
「知的好奇心というやつだ!」
『絶対違うでしょう』
従者を含む列が通り過ぎたところで、ワイルズは彼らの後を追う。
どうやら昼間に行った建物の上の方のテラスではなく、もう少し下の階から、王宮の外に設置された階段を登って何処かに向かっているようだ。
しばらく進んで従者達が立ち止まると、どこかの通路の周りを警戒するように半円形に広がる。
そしてハムナ王とイルフィールに、高位の従者だけが従って入って行った。
通路には途中まで屋根がなさそうで、上を見上げると多分テラスの下辺りに繋がっているようだ。
「ふむ」
ワイルズは従者達の死角になる辺りから屋根の上に向かって跳躍すると、足音を立てないように通路の上辺りに移動した。
予想通り、テラスの下辺りにある建物に入っていくようで、そこには入り口前を警戒する従者がいない。
ひらりと降りると、ワイルズは姿勢を低くして中に入って行った。
するとバチッ! と何かの音がして、ビクリと肩を竦める。
振り返ると、ワイルズの影の中にいた筈の〝影〟が、尻餅をついてそこにいる。
「音を立てるな馬鹿者……!」
「申し訳ありません、中に入れないようです……! おそらくは、魔術的な結界かと……!」
「はぁ?」
ワイルズは入れているのに、何故〝影〟が入れないのか。
『……お戻り下さい、殿下。さっきの屋根の上からでも、おそらく神獣は見れます』
トプン、と近くの陰に再び沈んだ〝影〟の真剣な声に、ワイルズは流石にこれは結構不味い状況なのでは、気づいた。
「もしかして、神獣を見に行っているのではないのか……?」
『最初からそう言っているでしょう……!』
「いや……なら、お前はそこで待っていろ」
『は!?』
「ハムナ王は何か嫌な感じがするヤツだからな。イルフィールを連れて行った理由が知りたい」
何だか危険な気がしたので、ワイルズはそう告げたが。
『殿下の御身に何かあるのも問題なのです……!』
「私は大丈夫だ。心配ならディオーラに伝えに行っていいぞ」
そう言い置いて、ワイルズは先に進んだ。




