あら、魅了ですの?
「ディオーラ! 私は目覚めたのだ!」
パァン! と音が鳴りそうな高らかな声音で、ワイルズが宣言する。
学期末舞踏会の場は、学生なのでエスコートの有無は問わない、という変わった慣例がある。
それでもいつも、ワイルズと共に入場していたディオーラだったけれど、今回彼は迎えに来なかった。
一人でやって来たディオーラが入場すると同時に、ざわり、と周りがさざめき立つ。
彼らの視線を追うと、そこには肩をすくめて居心地悪そうにしているフェレッテ・アルモニオ伯爵令嬢と、彼女にべったりなワイルズ。
そして何故か取り巻きを連れてワイルズと対峙している、オーリオ・ザッカーマ公爵令嬢がいた。
「何事ですの?」
という問いかけと共に歩み寄ると、開口一番、得意そうな口調でワイルズが口にしたのが、冒頭のセリフだった。
「フェレッテ嬢こそ、我が最愛の女性! これほど慕わしい気持ちになったのは、母上以来だ!」
「随分、堂々としたマザコン宣言ですわね」
「ええいうるさい! この私の行動に口を出すな、ディオーラ! というかまたバカにしたな!?」
キー! と地団駄を踏むワイルズに、最初に対峙していたオーリオ公爵令嬢が呆れた顔で扇を広げる。
「誠に不敬ながら、そこのフェレッテ嬢がディオーラ様に勝る部分はごくわずかですわ」
「そのごく僅かについて、詳しくお聞きしたいところですけれど、それは置いておいて。……殿下? それはつまり、わたくしよりもフェレッテ様に恋心を寄せておられる、ということですの?」
「その通りだ!」
ふん、と胸を張ったワイルズは、熱っぽい視線でフェレッテを見つめる。
「……ひぃ」
なぜか怯えた様子の彼女に気づかず、ワイルズは語り始めた。
「君が病気で寝込み、非常にストレスフリーで快適な学校生活を送るうちに、私は気づいた! 今なら、いつも君に先回りして止められるような、スリリングなことが出来るのではと!」
「……なるほど、わたくしが手伝わない間に溜まった公務から逃避していた、と」
「ギクッ!」
「今ギクッておっしゃいまして?」
「き、気のせいだ! 必要な分はやっている、必要な分は!」
「必要最低限しかやっていない、ということですわね」
ワイルズは、ディオーラと違ってかなり頑丈なので、三日くらい寝ずに作業を片付けることも出来る。
面倒くさがりさえしなければ。
そのやる気を出させるのが、基本的にはディオーラの『手伝い』の一つであり。
ワイルズ自身も、仕事の手助けそのものより『ディオーラの監視』を必要としていそうな面がある。
それはそれとして、聞き逃せないことがもう一つ。
「スリリング、とおっしゃいましたけれど、それ、授業をサボっておられたということですわね?」
ワイルズは子供っぽいけれど、この国で陛下や妃陛下に次いで高貴なご身分であること自体は、ある程度弁えておられる。
なので、悪さをすると言ってもせいぜいその程度の悪さだ。
「サボっていたのではない! 羽を伸ばして療養していたのだ!」
「ご健康そのものでしょうに」
―――本当に愚かですわねぇ。
人目があるので心の中でこっそりと呟いて、ディオーラは話を先に促した。
「それで、その先でフェレッテ様と出逢われた、と?」
「うむ、そうだ! 可憐な彼女は、学園内の魔法生物部らしくてな! その世話をする際の、慈母のような振る舞いに心を打たれて近づき……!」
「近づき?」
「喉が渇いていたので、彼女が手にしていた水をもらって飲んだのだ! するとその瞬間、まるで雷に打たれたように彼女が光り輝き、慕わしい気持ちが湧いてきた!」
「……あぁ、大体理解出来ましたわ」
オーリオ公爵令嬢同様に扇をはらりと広げて、ディオーラは冷たく目を細める。
フェレッテはますます肩をすぼめ、オーリオは呆れたような目で、従兄弟であるワイルズを見ていた。
「……【懐き薬】を誤飲したのですわね」
ディオーラの問いかけに、フェレッテが泣きそうな顔で頷いた。
【懐き薬】は、魔法生物を世話する際に危険が及ばぬように飲ませる為の薬だ。
飲んだ者は、初めて見た相手を親のごとく慕うようになる効能がある。
それを、ワイルズが口にしてしまったのだ。
「何故、訴え出なかったのです?」
「ば、罰されると思いまして……」
「殿下ご自身が勝手に飲んだのでしょう? そんな事では罰されませんわ」
ディオーラはため息を吐くが、まるでやり取りが聞こえていなかったかのように、ワイルズが口を開く。
「いいか、ディオーラ! 私はフェレッテ嬢と出会って、真実の愛を知った! ゆえに、私は君との婚約を破……!」
とまで言いかけたところで、ワイルズが硬直する。
「あら、どうされましたの?」
「ぬ、ちょ、ちょっと言葉に詰まったのだ! いいかディオーラ、私は、君との、婚約を、破……破棄……!」
グググ、とまたワイルズの体に力がこもり、同時にメキメキと額に青筋が浮かび上がる。
「……殿下?」
その尋常ではない様子に、ディオーラは少し慌てた。
「殿下! 薬の効能に逆らってはなりません……!」
「わ、たし、は、ディオーラとの、婚約を、破棄……など、しない……!!」
宣言と同時に。
プツン、と糸が切れたようにワイルズが倒れ込んでしまった。
「……衛兵!!」
ワイルズの様子がおかしいことから、事前に会場の外に控えさせていた兵らに声を掛けると、ワイルズを運ばせる。
騒然となった学期末舞踏会は一時中断し。
騒ぎを収めたディオーラは、オーリオにフェレッテのことを任せて、急いで王城に運ばれたワイルズの後を追った。
※※※
そうして、効能を解除する薬を飲ませた後。
無理な抵抗をしたせいで、一日安静を言いつけられたワイルズの枕元で、ディオーラはこんこんとお説教をしていた。
「魔法薬の薬効に、意識が戻ったからといって無理に逆らってはなりません。本当に愚かなことですわ。下手をすれば精神が崩壊する危険がございます」
「……」
「また、他人から許可もなく物を取ってはなりません。喉が渇いたからなどと、小さな子どもでももう少し分別がありますわ」
「……ちゃんと、飲んでもいいかと聞いた」
「返事を待たずに取り上げていれば一緒です。だから愚かだというのですわ」
「むぐぐ……」
「全く、もう少し慎重になられませんと。だから陛下にも妃陛下にも『後先を考えない』と言われてしまうのです。聞いていますか? 殿下」
プイッと、ベッドに寝転んだままそっぽを向いたワイルズは、拗ねたように呟いた。
「……それでも、自分の意志でもないのに、二度も婚約破棄を君に告げるのは嫌だったんだ」
そう言われて、思わずディオーラは言葉に詰まる。
「病み上がりだろ。薬のせいだって分かってたって、弱ってるところにそれを言われたら傷つくだろ」
「殿下……」
―――本当に、子どもみたいなのですから。
ディオーラは微笑んで、ワイルズの髪をそっと撫でる。
「浮気をされたのかと思うような光景を見せられても、傷付きますわ」
「……ごめん」
やっぱりそっぽを向いたまま、そう言われて。
「本当に愚かですわ。……でも、今回は許して差し上げますわ」
ディオーラは、そう言って小さく笑った。
―――そんな風に言われたら、許さないわけにはいかないではないですか。本当に、ズルい殿下。
惚れた弱みに、つけ込んで。
こんな阿呆を愚かわいいと思ってしまうディオーラちゃん、不憫。
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