食事ですわ。
「殿下。お野菜もちゃんと食べられませ」
夕食時。
ディオーラは、ワイルズが好きなものばかりに手をつけているのを見て、そう告げた。
ウォルフに酔い止めを貰って、半日ほどですっかり元気になったので、遠慮はしない。
するとワイルズは顔をしかめて、むむ、と唸った。
「これから食べようと思っていたのだ! 好きなものは、腹が減っているうちに食べた方が美味いだろう!」
「愚かですわねぇ、殿下」
ワイルズの子どものような返しに、ディオーラはクスクスと笑う。
「お腹が膨れてから嫌いなものを食べると、そちらの方が食が進みませんわ。それにお腹が空いている間は、嫌いなものでもそれなりに美味しく食せます。その上、より美味しいものが食べられる楽しみが待っているでしょう?」
「デ、デザートを食べれば良いではないか! そうすれば、好きなもので終われるだろう!」
「あら。殿下にしては一理ありますけれど、満腹感で嫌いなものの食がより進まなくなることへの回答にはなっておりませんわ」
「む……なら、嫌いなものを食べなければ……」
と、ワイルズは目を泳がせる。
多分この後、『殿下?』と圧をかけられるとでも思っているだろうけれど。
「それは名案ですわね」
と、ディオーラは応じた。
「は?」
拍子抜けしたのか、ワイルズがこちらをまじまじと見つめるので、ディオーラはニッコリと笑みを返す。
「健康に気を遣いながら好きなものだけ食べるには、嫌いなものを克服して、好きなものを増やせば良いだけですものね。その為には、やはり嫌いなものを減らす為に食べ慣れる必要がありますわね? 殿下は、食べられない訳ではないのですから。それは、喜ばしいことですわ」
と、ディオーラは皿に乗ったサラダの中にある、エビが乗ったものに目を向けた。
昔から体が弱かったのだけれど、何故かエビやカニを食べると全身に発疹が出て動けなくなるのだ。
ディオーラの言う『食べられない』はそういう意味である。
それを知っている殿下は、歯軋りしそうな顔で悔しがっていたけれど。
根が優しいので、そこに対して強行に言い返しては来ない。
結果。
「ぐぅ……! いつもいつも屁理屈ばかり……! 食べれば良いのだろう、食べれば!」
と、モニョモニョと吐き捨てるに留まった。
「屁理屈など申し上げておりません。駄々をこねる方に理を解いているのです」
そうして、渋々嫌いなものに手をつけ始めたワイルズに、食卓を共にしていた従兄弟のメキメルが呆れた顔を向けた。
「ワイルズは相変わらず、ガキっぽいな。そもそもいい歳して好き嫌いとか言ってるなよ」
「お前は、年下のくせにいつも偉そうだな!」
ガルルル、と矛先をそちらに向けた殿下に、ふん、とメキメルが鼻を鳴らす。
「少なくともワイルズよりは賢いからな」
今年貴族学校に上がる12歳のメキメルは、基本的に態度が尊大である。
実際に、そうであるだけの魔術の実力と賢さあってのものなのだけれど……。
「殿下を虐めて良いのはわたくしだけですわ、メキメル様。上妃陛下に貴方の悪戯をバラしてもよろしくて?」
「それはやめろ!」
好奇心が強すぎて、色々やらかしてもいるのが彼である。
ディオーラが『内緒にしておいてくれ!』と頼まれている失敗も、それなりに握っているのだ。
すると、横で聞いていたウォルフがいつも通り大声で笑う。
「しかし兄上! 義姉上の仰る通り、好き嫌いは良くないですよ!!」
「……というか、少々うるさいのですが。皆揃って、もう少し静かに食事を取れなくて?」
ウォルフの横で、黙って上品に料理を食していたオーリオが、口をナプキンで拭きながらピシリと言う。
「申し訳ない!!」
「ええ、特に声が大きいのがウォルフ殿下です。そんなに大きな声を出さずとも、聞こえておりますわ。横にいるのですから」
そんなやり取りを聞いて、もう一人、食卓を共にしている人物が、堪えきれなくなったように笑みを浮かべて顔を伏せた。
「申し訳ありません、ヘジュケ殿下。他国の王族がいらっしゃるのに、目の前で」
「いえ、お気になさらず。アトランテ王国の女性はお強いのですね」
ヘジュケ・ハムナ。
彼はフェンジェフ皇国の属国であるハムナ王国の王太子で、今回の旅行に関してイルフィールから案内を命じられた人物らしい。
物腰静かな人物で、暑い国の出身らしく肌が浅黒い彼は、金の瞳を持っていた。
攻撃魔術に長ける人物の瞳の色なので、おそらくは護衛も兼ねている……イルフィールの信頼が厚い人なのだろう。
民族衣装らしい白いターバンに同色のヒラヒラとした服を身につけていて、異国の装いは客船の中でも目を引く。
皇太子指名の式典に参加した後、ディオーラ達はイルフィールの勧めで、ハムナ王国に観光に赴く予定だった。
ハムナ王国には『王墓』と呼ばれる特徴的な三角錐の墓碑が砂漠の中に立っていて、すぐ側に非常に高齢のスフィンクスとスフィンジェという幻獣が侍っている、という。
基本的には動かずに王墓を守っているそれらは、非常に稀な、誰でも姿を目にすることの出来る珍しい魔法生物なのである。
ハムナ王国の王朝は長く、かつての王族がその王墓の中にミイラとして納められており、今でも聖地として、重要な祭事はその中にある礼賛の間で行うのだという。
「ハムナ王国の女性は、あまり男性に意見をなさいませんの?」
「そうですね。というよりも、結婚まで極力、異性と触れ合わない土地柄なのですよ。『女性は極力、家の中で一生を過ごす』だとか『外に出る際は肌を一切見せぬよう顔までを布で覆う』と……フェンジェフ王国の傘下に入るまでは、法典で定められていたので」
「まぁ、一生を?」
オーリオが、少し驚いたように目を丸くする。
「ええ。今も、多くの者はそうして過ごしております。法の定めが消えたと言っても、基本的には神のお定めになったこととして、敬虔な信徒は特に厳格に守っていますね」
「では、ヘジュケ殿下から見て、わたくしどもは、はしたなく見えますわね?」
ディオーラがそう尋ねると、ヘジュケは首を横に振った。
「そんなことはありませんよ。文化の違いがある、というだけのことです。それに……そうですね。少し面白い話をすると、現在の諸外国と少々違う点が、他にも我が国にはありまして。意外に思われるかもしれない話です」
「どんな違いがあるんだ?」
野菜を食べ終えたワイルズが興味ありげに尋ねると、ヘジュケは目を細めた。
「ーーー女性用の手洗いが、家の外にほとんどないのです」
そう言われて、ディオーラはオーリオと目を見交わす。
「それは……」
「確かに、遠出は出来ませんわね……」
「ええ。流石に用を足すことが出来ないとなると、あまり家から遠くまでは行けないでしょう」
野ざらしの場で用を足す、というのは、確かにディオーラ達からするとあり得ないことだ。
「ご安心ください。今回赴く王墓は王宮近くにあり、王宮は当然、女性も快適に過ごせる場所です」
「それなら良いが」
用足しの話以降、少々不機嫌そうになったワイルズが、そう応じる。
「今は、そうした場所の建設も進めてはおりますが、まぁ、なかなか利用者がいないとなると、予算も降りないので。こうして私は積極的に、諸外国の方を観光に誘っているのです。観光地として良い土地と思われれば、色々と諸外国との繋がりも増えますしね」
「お考えに納得いたしますわ」
アトランテ王国にしても、交易の拠点としてだけでなく、風光明媚な土地を生かした観光業は大切な産業と思っている。
この豪華客船に乗ったのも、当然興味はあったし面白がっているけれど、島国の特色を生かした遊覧船の参考にしたい、という面もあった。
「それで、後どれくらいで着くんだ?」
ワイルズが明らかに話題を変えたがっているのを見て、ディオーラはそれに乗ってあげることにした。
「お暇ですか?」
「いいや、別に暇ではない。この客船には面白そうな遊戯場も幾つかあるしな」
「この後、向かいますか?」
案内役の顔に変わったヘジュケの言葉に、皿が下げられて食事の時間から歓談の時間になったのだろうということを察し、ディオーラは提案する。
「この場で出来る、何か面白そうな遊戯はございまして? 旅は少々時間がありますし、遊戯場の設備は、追々楽しんで行けば良いですから、急く必要はありませんわ」
「それはそうだな。どうだ? ヘジュケ殿」
「……ええ、では、一つ我が国で親しまれている遊戯がありますので、それをしますか? カードがあれば出来るものです」
と、ヘジュケが全員の顔を見回すが、誰も異論はないようだ。
こういう時にまぜっかえしそうなメキメルも、興味がある様子で彼の顔を見ている。
ヘジュケは、彼と同じ格好をした侍従にカードを持って来るように命じた。
「どのような遊戯ですの?」
待つ間にディオーラが尋ねると、ヘジュケが穏やかな笑みを浮かべたまま、その遊戯の名を口にする。
「『王のしもべ』という遊戯です。……民衆の中に潜み、不死なる王への生贄として人々を攫う、王の僕を見つけ出すと言う設定の、遊びですよ」
はい。と言うわけで、ディオーラたちは遊ぶようです。
『王の僕』は、いわゆる『人狼ゲーム』ですね。羊の中に混ざった狼を見つけて追放する、というアレです。
誰がどう振る舞うのか、お楽しみに〜♪




