変わり者伯爵令嬢と、学者肌の公爵令息。【前編】
フェレッテ・アルモニオ伯爵令嬢は、自分が令嬢としては大変生きづらい性質を持っていることを、自覚していた。
物心ついた頃から、幻獣、つまり魔法生物が好きだった。
ほんの小さな生き物の世話に始まり、育て方の本などを読むうちに勉強に目覚めて、のめり込んでいた。
対して、社交は苦手だった。
人と話すのはいつまでも慣れずに緊張して、受け答えはどもってしまうことも多かった。
そんな引っ込み思案な性格故に、友達と呼べる者もほとんどおらず。
生き物への興味も、家族にはあまり理解されなかった。
ーーー魔光虫? そんな気持ちの悪いものを見ていないで、ドレスの選び方の一つでも覚えたらどうです?
ーーー君が社交界でどう呼ばれているか知っているかい? 『オタク令嬢』だ。お陰で僕までバカにされる。
兄や母は特に辛辣で、親戚からも似たようなことを言われるのが常。
それでますます萎縮してしまう悪循環だったが、一人だけ理解者がいた。
父だ。
『やりたいことを好きなようにやっていい。お前は穏やかで控えめな性格をしているから、苦手なことも多いだろう。だけれど、流石に結婚もせずに遊んでいて良い、とは、当主としては言えない。だから、学生の内に好きなことを学ぶのと並行して、淑女として必要なことも最低限は身につけなさい』
と、淑女学科の授業をある程度受けることを条件に、魔法生物学科への進学を認めてくれたのだ。
嬉しかった。
そして同時に、期待には応えなければと、せめて恥ずかしくない服装を必死で覚えて、化粧を侍女に頼むだけでなく一人で出来るよう努め、礼儀や淑女の教養とされるものも頑張って覚えた。
元々、物覚えは悪くないほうだ。
興味が向かないことにはどうにも食指が動かなかっただけで、父の応援がその理由になった。
でも、魔法生物学科に女性は自分一人で、引っ込み思案には拍車がかかってしまった。
学科の人たちは皆ちょっと変わっていて、『多少は見れるようになった』と母や兄に言われるフェレッテを、口説くようなこともなく、普通に……あるいは他人への無関心さ故に……同級生の一人として接してくれた。
魔法生物に関することだけなら普通に話せるフェレッテなので、授業には支障がなかった。
逆にその空気に染まって、ごく普通のご令嬢とはますます疎遠になってしまっていた。
このままじゃいけない。でも、心地よい。
そんな日常は、ある日呆気なく壊れた。
唐突に現れた王太子殿下の手によって。
いきなり現れた高貴な存在に硬直したフェレッテから、水だと思って【懐き薬】を奪い、飲み干してしまったのだ。
そして、王太子殿下がフェレッテに懐いた後は、急転直下の大嵐に巻き込まれた。
あれよあれよと言う間に、畏れ多くもディオーラ様とオーリオ様という、令嬢の最高峰にしてニ代大巨頭のお茶会に呼ばれるようになったかと思ったら、公爵令息との婚約が整ってしまったのだ。
泡を吹きそうだったけれど、王太子殿下の件があって『拒否権はない』と言われてしまった。
母と兄は手のひらを返してフェレッテを褒め、父は公爵家との繋がりが出来ることと、令息が魔法生物に造詣が深いことを知っていたから、ことの他喜んでくれた。
顔合わせでも、お相手となる方は穏やかに丁寧に両親らに接し、またフェレッテを大切にすると約束してくれた。
でも、フェレッテ自身は不安で仕方がなかった。
ーーーここ、こんなわたしに公爵夫人が務まる訳が……!!
地獄のような未来への重圧。
こんなぺしゃんこに潰されてしまいそうな重みに平然となさっているディオーラ様がたは、同じ人間とは思えない。
フェレッテは、魔法生物学科へ通い始めてしばらくしてから、一人独立して、魔法生物の研究に一生涯を捧げたいとすら思い始めていたのに。
ーーーなんで、こんなことに……!
「フェレッテ嬢」
「ひゃ、ひゃいっ!!」
緊張のあまり意識を飛ばしていたフェレッテは、呼びかけてきた目の前の公爵令息に、上ずった声で返事をする。
今の時間は、婚約者同士のお茶会の場。
目の前にいるのは、王弟である大公閣下によく似た、長身の穏やかな笑みを浮かべる青年。
学者のような雰囲気を纏う細身な方で、縁の薄い眼鏡を掛けている。
淡い金髪を額を出すような軽いオールバックにし、深緑の瞳を持つ彼は、白眼の部分が真っ黒だった。
その特徴的な瞳には、意味がある。
『闇を飼う』と言われているその目は、幻獣使いの素質を持つ者の瞳なのだ。
一昔前は、邪眼と呼ばれて迫害された歴史があり、境遇に不満を持った者の一人が魔王を名乗って、強力な幻獣を従えて戦争を起こしたこともあったという。
その『幻獣戦争』と呼ばれる戦争は、島を一つを己の領土として覇権を握ったことで和平交渉が行われて終息したという。
島国アトランテの建国神話だ。
ゆえに、この国の学校には魔法生物学科が設立されていて、その研究が他国よりも進んでいたのである。
遥か昔のことであり、多くの者はもう幻獣使いの処遇などに関心など持っていないけれど、偏見の目は薄い。
「私と一緒にいるのは、あまり面白くないかな?」
「そそ、そういうわけでは、あの……!」
上手く言葉が出てこないフェレッテを、彼は静かに待ってくれている。
フェレッテは、顔を赤くして伏せた。
「面白く、ない、わけではないのです、サーダラ様。ただ、緊張している、だけで。……不安がある、ので」
サーダラ様は、優しい。
そして魔法生物に造詣が深いというのも、その目を見れば納得出来る。
彼は、本当に魔法生物と共に生きることの出来る、数少ない人物の一人であり、それで興味を持ったのだと本人も言っていたから。
どちらかと言えば、サーダラ様と話すのは楽しい。
魔法生物の話をしても戸惑わずに、むしろ熱心に付き合ってくれて自分よりも遥かに、それこそ教授と同じくらい博識な人には、会ったことがなかったから。
素敵な人だ。
だからこそ、不安が増していく。
「どんな不安を感じているのか、私に教えてもらうことは出来る?」
あくまでも優しい問いかけに、フェレッテはますます肩を縮こめた。
「…………わたしに、公爵夫人など、本当に務まるのでしょうか…………」
社交が上手くはなれなかった。
あの一件から王太子殿下も気遣ってくれるし、ディオーラ様もオーリオ様も良くして下さるけれど。
「勉強は、好きです。でも、人と関わるのは、に、苦手で」
「なら、社交をしなければ良いよ」
さらっとそう言われて、フェレッテは驚いて顔を上げた。
「母は、上王陛下の末娘だ。母は権力に興味がないし、私も一人息子で跡取りだから、王位継承権をさっさと放棄してる。うちの家は、お金儲けにも興味がない。次代もそうならそのまま先細って行くだろうけど、それで良いと皆が思ってる。苦手なことを無理にする必要はないよ」
「そう……なんですか……?」
「うん。私も得意ではないけれど、幸い社交は無難にこなせる。それに、社交界って実は一つじゃないんだよ?」
茶目っ気を滲ませて、サーダラ様が指を立てた。
「ひ、一つじゃない、とは?」
「うちは、貴族社交の場では目立たないけれど、実は各国の学会との繋がりが強いんだ。写本を交換したり、意見や研究の情報を交換したりね。それこそ、君が通う魔法生物学科の生徒達が卒業後に身を投じるような場では、私はそれなりに名が通っている」
「!!」
「フェレッテ嬢がそちらに興味があるなら、そういう人たちとの社交に力を入れてくれて良いんだよ。魔法生物の研究をして、知識を蓄えて、それを披露する。……おや? 今までの生活と同じだね?」
笑みを深めたサーダラ様に、フェレッテは驚愕と、遅れて来た感動で身動きが出来なかった。
「今までの君の話は、斬新で興味深かった。実際の飼育に造詣も深い。魔法生物学会関係者と対等に話せるだなんて、普通のご令嬢にはない、フェレッテ嬢の強みだよ。今まで努力してきたから得られた力だ」
「……今まで通りで……良いんですか……?」
それが、強みと呼んでもらえる日が来るなんて。
フェレッテは、目尻に滲む涙を堪え切れなかった。
「わ、わたし……」
「どうぞ」
サーダラ様の差し出したハンカチを受け取って、フェレッテは化粧が崩れないように目を伏せる。
「申し訳、ありません……う、嬉しくて……」
「うん。だから、君は気にしなくて良いんだよ。今まで通りでいい。そして、何か面白いことを思いついたら、私に話してくれないかな。この歳まで、中々話の合うご令嬢がいなくて、私も嬉しいんだよ」
婚約者になってくれてありがとう、と言われて、ついに嗚咽まで堪えきれなくなって。
でもサーダラ様は、フェレッテが泣き止むまで、優しく、優しく、付き合ってくれた。
というわけで、フェレッテ嬢編です。
前のオーリオ嬢の話と合わせて番外編のように見えると思いますが、一応本編ですよ!
後、五話くらいで多分全部繋がるので、しばしお付き合いを。(愚かわいいにしてはちょっと長めの話)
構わんよ! って人は、ブックマークやいいね、↓の⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎評価等、どうぞよろしくお願いいたしますー!




