高貴な公爵令嬢と破天荒な第二王子。【後編】
「さぁ、着きましたよザッカーマ公女!!」
馬車に乗って向かった先は、まぁ予想した通りに海だった。
島の港、その少し奥まった道が途切れるギリギリの位置。
島でも珍しい白い砂浜が広がっており、その横には黒々とした岩肌を見せる、波によって抉れた岩が崖となって聳えている。
水平線の向こうには、もうすぐ夕日となる落ちかけた太陽が見えていた。
眩しく、暑い。
そんな中、オーリオは日傘を侍女に差し掛けさせて、先に行って制服の上着を脱いでいるウォルフ様を追いかけた。
「なぜ上着を?」
「それは勿論、敷くためですよ! さぁどうぞ!」
満面の笑みで、砂浜ギリギリの草の上に上着を置いたウォルフ様に、オーリオは少し躊躇う。
ドレスが汚れてしまうことを懸念したのだが……磯の風を浴びてその臭いが鼻をつくのに、今更かと諦める。
潮風を浴びたドレスは、どちらにしたって塩がキラキラと光る痛んだ生地のものになる。
大人しく礼を言って彼の上着に腰を下ろすと、彼はオーリオの真横にドサッと尻を落とした。
「距離が近いですわ」
「これくらい普通ですよ!」
へへ、と笑うウォルフ様に、歯を見せるなと説教するべきか……この段になって無粋な気もするので、どう接して良いのか分からなかったオーリオは視線を前に戻した。
「何故このような場所に?」
まさか夕日を見せるためではあるまい。
美しくはあるけれど、あんなに急いで連れてくる程でもない景色だ。
「貴女と二人きりになりたくて!」
「侍女がおりますけれど」
使用人など数に入らない、とでも言うのなら、話は別だが。
「すみません、冗談です! 今からここに、空鯨の群れが通るのですよ!」
「は?」
思わずオーリオが聞き返した時に、ピィー、と笛のような甲高い音が響く。
「間に合った! あれ、空鯨の鳴き声なんです! 耳を澄ませてみて下さい!」
最初の一音から、まるで示し合わせたかのように、高低硬軟織り交ぜた笛の音に似た音が、響き始める。
それは、自由なようで調和の取れた、波打つような音楽にも聴こえた。
「……これは、不思議な音色ですわね」
「そうでしょう! オレ、人よりちょっと耳が良くて! 昨日からずっと聴こえてたので、ザッカーマ公女に見せてあげようと思ったんですよ!! あ、来ましたよ!」
ーーー昨日から聴こえてた?
それは耳がいいで済ませて良いような話ではない気がするけれど。
問いかける前に、ウォルフ様が指差した先で、ゆらり、と巨大な何かが揺れ。
それが水飛沫を上げて海面を割り、ザパァ、とそのまま空に浮き上がる。
胸ビレと対になる背中に近い位置に、もう一対、胸ビレよりもさらに長い背ビレが生えていた。
その翼のような背ビレを大きく力強くはためかせると、魔力の余波で七色の光の粒が舞い散り、赤い夕日と共に、水飛沫がそれを映して美しく煌めく。
ーーーあんな大きな体で。
空を。
「綺麗でしょう!?」
思わず息を呑んだオーリオに、興奮したように声を上げるウォルフ様。
ピィー、フィー、と音を奏でながら、次々と大小様々な大きさの空鯨が、舞うように空を駆け、水の中に戻っていく。
それから、黙って群れが優雅に通り過ぎるまで、二人で黙って見送った。
ほう、と思わずオーリオが息を吐くと。
「ザッカーマ公女。オレは、海が好きです」
「海以外に興味も持てなくて、王子なんて生まれにウンザリしてました!」
突然の告白に、オーリオは戸惑う。
「いつか、王宮なんて飛び出してやろうって思ってたんですけど! 父上や母上は、オレを否定しなかったんです!」
そっと横顔を見ると、彼はキラキラと目を輝かせていた。
「オレがやりたいようにやって良いって! 海に関わる産業は国にとっても大事だからって、好きなように学ばせてくれました!」
バッ、とウォルフ様がこちらを振り向いて、オーリオは思わずわずかに身を引く。
「だからオレは、ザッカーマ公女にも海を好きになって欲しい! オレと一緒に、海に近くを駆け回れとは言いません! でも、あんな神秘的な景色が見られるのも、海があるからで。ーーー国を潤す航路を、商品を、民を満たす海の幸が生まれる場所のことを! オレと一緒に考えて欲しい!」
オーリオは、ハッとした。
そしてウォルフ様の顔を見ると、彼は満面の笑顔のまま、ポケットから細長い箱を取り出して、蓋を開けると中から何かを取り出す。
「まぁ……!」
オーリオは、驚きに目を見張った。
それは、真珠のネックレス。
しかも宝石や金よりも高価であろう……一目で分かるほど大粒なものや、質が良いものをセンス良く組み合わせた、薄桃色の艶がある最高級の品だった。
「これは、オレが初めて海で真珠入りの貝を取った時から、何年もかけて集めたものです! いつか、オレの奥さんになってくれる人に渡そうと思って、選りすぐった球なんですよ! これも、綺麗でしょう!?」
勢いよく言われて、思わずうなずく。
「え、ええ」
「今、これと同じくらいの質のものを、養殖出来るような研究をオレが提案して始めてます! まだまだ全然ダメですけど!」
「真珠を養殖……?」
「ええ。魚でも味が落ちるように、養殖品は今は粗悪です! 真珠は、貝が砂粒に何年もかけて球を作って生まれるんで、運頼みな部分もありますし! でも、貝に魔力を注いだり魔導具で環境を調整することで早く大きくしたり、美しい球になるように皆で頑張ってるんです!」
宝石よりも遥かに希少なものを、自分の手で。
目利きは出来ても、自分の手でそれを生み出そうなんて考えたこともなかったオーリオは、その考えに衝撃を受けた。
海狂いの第二王子。
礼儀知らずの破天荒な王子。
でもそれは……確かに一面ではあるけれど、ウォルフ様の全てではないのだと、今更気づく。
「オレは、貴族が何を楽しんで、女の人が何を好きかなんて、基本的にはサッパリ分かりません! でも、綺麗な景色が好きだったり、宝石が好きだったりする人もいるってことは分かりますから、空鯨や真珠なら喜んで貰えると思いました!」
海にまつわるものなら、何となく分かるんです! と、ウォルフはブレない。
「ザッカーマ公女以外には、オレと結婚して良いよって人、居ませんでした! 父上に、命じたりしないでくれって頼んでたんです!」
「そうなのですの?」
「ええ、でもオレ、ザッカーマ公女で良かったと思ってます!」
「何故……ですの?」
オーリオも、喜んで嫁ぐつもりはなかった。
『公爵令息をフェレッテ様にお譲りするなら、わたくしはウォルフ様に嫁ぎますわ』と、確かに父に対して口にはしたけれど。
ーーーでも、この方は。
「公女の髪は、夏の日差しに照り返る海みたいで、とても綺麗です!」
確かに、王族としてはあまり外聞の良い人ではないかもしれないけれど。
「瞳の色は、紺碧の海のようです!」
苦手だというなら、オーリオが引き受けてフォローすればいいだけの話。
「それに、乗り気じゃなくてもオレに気遣って付き合ってくれる、広い海みたいな心の持ち主です!」
そんなことより。
ーーーウォルフ様は、相手の気持ちを、ちゃんと思いやれる人だった、のですね……。
人の話を聞かずに振り回すような、そんな人だと思っていたのに。
海のように広い心を持っているのは、きっと、貴方の方で。
でも、オーリオの好みは。
「ザッカーマ公女!」
年上で落ち着いていて。
こんな風に、感情豊かに笑顔を浮かべる人じゃなくて。
「オレの作ったこのネックレス、受け取ってくれますか!?」
淑女として感情を表に出さないよう努めている、オーリオの気持ちに視線や仕草で気づいてくれるような人で。
決して、相手の好みかも分からない高価なネックレスを……自分で真珠を集めて作るような方向に、労力を向ける人じゃなくて。
「……ウォルフ様」
大人の男性が、理想だった、はずなのに。
年下の……こんなに。
こんなに器の大きな優しい人じゃ、なかった筈なのに。
「わたくし、貴方がわたくしのような女性を喜ばせる方法を、それも簡単な方法を、一つ知っておりますの」
なんだか、自分の不甲斐なさや視野の狭さに泣きそうになったオーリオは、扇で口元を隠しながら告げる。
「本当ですか!?」
目を輝かせるウォルフに、ええ、と頷いて。
「わたくしを、名前で呼んで……そのネックレスを、つけていただければ、よろしくてよ?」
違うのです。
この扇は、ただ、泣きたい気持ちを隠すためのものなのです。
決して、決して熱くなった頬や耳を見られたくないからでは、ないのです。
「喜んで! オーリオ嬢!」
「嬢、もいらないですわ」
「オーリオ!」
「はい。ウォルフ様」
この日。
オーリオは、婚約者に恋をした。
自分の婚約者は、背丈の低いちっとも好みじゃない人だけれど。
隣で支えたいと思う、大きくて包み込む海のような人だったから。
作者、ウォルフみたいな性格の子、好き。
というわけで、オーリオさんの相手は海狂いの第二王子でした!
二人にも幸あれ! と思われた方は、ブックマークやいいね、↓の⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎評価等、どうぞよろしくお願いいたしますー!




