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囲炉裏の前には、長老ともう一人、銀髪のように綺麗で長髪の、おそらく白髪であろう髪を後ろで縛り、目はぱっちり二重で、すらっと長い手足に、張りのある肌と小ジワの女性だ。なるほど、色恋も頷ける。
「えっと、ナプー、」
「ああ、彼女がそうだ。事情は簡単に説明した。治療は、可能だそうだ」
ユキエがパッと振り向いた。
「治療は可能だって」
「おお!」
「すごいですね!」
さすがに嘘はないか、本当にできるとは。
「だが、問題もある」
「問題って?」
「能力は万能ではない。ハルの毒が治せるかどうかは、実際に会ってみないと、分からない」
「そう」
ユキエがちょっと、沈黙して、すぐにこちらを見た。話しを聞くと、なるほど、これは当然、会ってもらうしかない。でも、どうやって、
「方法は、どうします?」
「ハルは動かせないから、もう、来てもらうしかないわね」
「まあ、そうですよね」
「ナプー、」
ユキエはナプーを呼んで、たぶん、その内容を伝えているだろうが、どんな風にだろう、ファジール語は分からない。強気にいったか、下手に出たか、いずれにしても、ハテマは素直に応じない気がする。ナプーはユキエと話すうちに、顔がだんだん厳しくなった。でも振り返って、ハテマと話し始める。ユキエは溜め息をついた。
「難しいかもって、ナプーが言ってた」
「ですよね」
「ダメだったら、ハルを連れて来ますか?」
「いや、危険すぎるわ。確証がないと、」
ん、ハテマの声が、大きくなった。やはり揉めているようだ。さて、どう話しが転ぶのか、ここはナプーの交渉術に頼るしかない。あれ、ナプーがこっちを向いて、もう戻って来る。でも、終わった様子は全然ない。
「ナプー、どうしたの?」
「島からは、出たくないと言っている」
「ああ、やっぱり」
「それと、問題はもう一つある。仮に、ハルを治療できるとしても、ここでしか、治療できない。ハルはどっちにしろ、ここに連れて来ないといけない」
「なるほど、だから連れて来いってことね」
ユキエがこっちを見て、腕を組んでいる。なるほど、話しを聞くと、確かにハルを連れて来れば効率が良い。が、こんなブレテ島の奥地なんて、無事に連れて来るのも大変だし、もしダメだった場合、ハルが往復の運搬に耐えられるのか。
「最初は、絶対に来てもらうべきですよ」
「もちろんよ。そこは譲らないわ」
「じゃあ、うんと言わせる方法を考えないと」
しかし、そうは言っても、そんな方法すぐに思いつかない。
「っていうか、何でハテマは渋ってんですか?ちょこっと来るだけなのに」
「もともと、外部との接触には猛反対してたからね。越えちゃいけない一線、みたいなのがあるのよ」
「マノミと大違いですね」
うーん、どうしよう、ここは強引に、いや、そういえば、ボラボラに相談するのもありか。フロンティアで話していると、後ろの方から声が聞こえた。タケルか。
「こういうのはどうでしょう、国からの正式な依頼として、治療に関する全面的な協力をお願いする、というのは?依頼と言いつつ制裁みたいなものですが、貢献の度合いによっては、制裁の緩和が望めます」
なるほど、国を使う手があった、けど、
「その前に、タケルがそんなこと決めちゃっていいの?」
「もちろん相談しつつですが、OKです。私たちのボスは、コンティスタの幹部なので」
そういえばそうだった。移民派とパイオニア、両方ともコンティスタの息がかかっていた。
「タケルさん、ハテマに制裁のことはもう伝えたの?」
「いえ、まだです。まずはそこからですね」
ハテマ、軍、マノミ、パイオニアで話し合うそうだ。場所を中央の家へ移し、そこにナプーも混ざって話し始める。さっきの件はパイオニアが進めてくれるらしいが、時間はしばらくかかるだろう。フロンティアはちょっと休憩だ。
ユキエはどうやら、傍で話しを聞いている。ユウジは壁にもたれて、腕を組み、目を閉じている。そっとしておこう。テツとアキラは家を出て、一緒に集落を散歩しているようだ。ナオミも二人について行き、カメラを回してやる。
「アキラさん、この、床が地面から浮いてる家の作りって、何て言ったっけ?のどまで出かかってるのに、思い出せないんだよ」
「高床式住居でしょう」
「それそれ、高床式だ、スッキリしたぜ」
「カメラ回ってるからね」
「えっ!?」
三人は話しをしながら、家と木の間をぬって歩く。ハテマもマノミのように、周囲の木はほとんど切っておらず、空いたスペースに家を建てている。けっこう家は密集して、そのせいか場所は強引なものも多く、四方を大木に囲まれた家もあった。でも、大木が家を貫くところは、中央の一つだけだ。
「そういえば、年配のハテマが多いな。マノミは少なかったのに」
「ハテマは体が強いからね。襲われても、生き残る確率が高いんじゃない?」
「そういうもんかね」
「彼女もいますしね」
それもそうか。治療系の能力があるなら、思い切った行動ができるかもしれない。しかしハテマは綺麗好きだ。集落は雑草などがきれいに除去されて、ゴミもないし、マノミはもっとこう、自然な感じだった。
「話し合いは、どうなりますかね?」
「どうだろう、でも、ファジールは本気っぽいしね。テレビ会議もつないでたし、上が出て来るかも」
「ハテマに勝ち目なんてないだろ。あんまり、ひどくならないといいが」
「そこは、パイオニアに任せましょう」
しばらく外を歩き、時間をつぶしていると、ユウジからチャットが来た。もどってこい、と書いてあるだけだが、取り敢えず、いったん戻ろう。三人で中央の家に行き、中へ入ってみると、どうやらまだ、話し合いの途中らしい。ユキエとユウジが寄って来る。
「進展があったんですか?」
「ええ。祖母は来てくれるって」
ユキエが指差す先に、祖母がいる。そうか、それは良かった。手段はどうであれ、ハルにとってはプラスである。祖母の隣にはナプーがいて、二人が一緒にやって来る。祖母の様子は、これは、とても真剣で、控えめで、ことの大きさを自覚したような顔だった。ユキエによると、どうやら話しはまだ途中だが、ハルの件は最優先にしてくれたらしい。ナプーが祖母と話し、頷いている。
「こっちは、いつでも出れる」
「分かったわ。それじゃあ、みんな、ハルのもとへ帰りましょう」
帰りはユウジが頑張ってくれた。祖母にマラソンはつらいので、ユウジが氛の右手で包み込み、運んでやる。そういえば、あの右手の中は、いったいどんな感触なのだろう。ナオミは包まれたことがない。運ばれる様子は、もちろん快適そうに見えるけど、どちらかというと、お風呂みたいに気持ちよさそうで、ちょっと包まれたいと思ってしまったが、たぶん頼んでもやってくれない。というより、何だか握りつぶされそうだ。
しばらく走って、無事にトキリへ着いた。ボラボラとジオンが出迎えて、事情を説明し、一応ここは長老にも会っておこう。ちらっと祖母を観察する。久しぶりの、再会かもしれない。長老のところへ案内すると、二人は静かに近づいて、黙ったまま、しばらく見つめ合っている。お、長老が何かを話して、少し会話し、雰囲気は穏やかな感じだが、すぐに祖母は背を向けた。ナプーと目を合わせ、頷いている。
「ハルのところへ、行こう」
「分かったわ。船に乗りましょう」
ふう、あと1時間くらいか、そろそろ日が暮れてしまう。急いで船に乗り、出発する。祖母は、思ったより普通というか、周囲に無関心で、指示された椅子に座り、対岸の景色を見ているようだ。ナオミは祖母の視線を横切って、ユキエの隣に行く。風が、やっぱり強い、側面の手すりに掴まった。
「何で彼女は、来てくれるようになったんですか?」
「詳しくは分からないけど、ひょっとしたら、ナプーの影響かもしれない!」
「ナプー?」
ユキエによると、ファジール側は映像を通して文明の偉大さ、強大さを伝えたそうだが、そのときにナプーが色々と補足をしていたらしい。ただ映像を見せられただけじゃ納得しなかっただろうけど、ナプーは実際に見て体感しているから、その言葉が決定打になった、かもしれない。つまり、ファーストフードを食べさせて正解だった、かもしれない。
しばらく進んで、ジガリス川の河口を通過し、海へ出た。取り敢えず、普通に帰って来るという目標は達成できそうだ。でも、きっとまた戻って来る、ハルを治療しに。次の目標は当然、ハルを治すことである。船は軽快に進み、ナイラ島が見えて来た。祖母の様子は、とても、集中している。きっと真摯に対応してくれる。
ナイラ島へ着き、すぐにタクシーを乗り継いで、病院に到着した。もう日が暮れる。急いで先生のところへ行き、事情を説明して、ようやくハルのもとに着いた。ふう、静かにドアを開け、集中治療室に入る。中はやっぱり重苦しい。
祖母は、何も言われなくても、分かったようだ。機器に囲まれたベッドへ近づき、弱々しいハルの手を、握った。これは、氛、だろうか、なるほど、治療というだけあって、心地が良い。傍にいるだけで、何かが治ってしまいそうな、あれ、祖母の氛が、小さくなっていく。ハルの手をそっと置き、こちらを向いた。えっと、もういいのか、それに何だか、頷いている。
「ナプー、」
「ああ」
ナプーが近づき、耳打ちをする。もどかしい、何を話しているのか。
「ねえ、ナプー、どうなの?」
ゆっくりこちらを見た。
「ハルは、治せる」
そうか、治せる、のか。テツとアキラが安堵して、先生も隣で驚いている。本当に治るか分からないが、ひとまず、良かった。さて、これからどうするか、もう暗くなってきた。当然、ハルはもう連れて行けないし、祖母を帰すのも危険である。
「申し訳ないけど、彼女には、ここに泊まってもらいましょう」
「そうですね」
ナプーが事情を説明し、どうやら、納得したようだ。祖母を部屋に案内する。今日はおそらく、ナプーも同じ部屋に泊まって、ずっと一緒にいるだろう。慣れない環境で体調を崩さないか心配だが、そこはナプーに任せよう。
それよりも、明日の準備である。どうやってハルを安全に運ぶか、さすがにちょっと疲れて来たが、話し合わないと。今日はまだまだ、気が抜けない。




