12
森は起伏が激しくなった。斜面を登り、崖を飛び降り、また斜面を登った。サルやチンパンジーがちらほら見える。大型の草食恐竜ともすれ違った。立派な角と襟飾り、ナオミでも知っているトリケラトプスだ。しかし素通りである。次の斜面はダラダラと長かった。
しばらく登ると、不意にナプーは地面に降りた。周囲の様子が変わる。大木が目に見えて減り、樹冠の隙間から青空だ。そして小高い丘の頂上に来たとき、突然ビニマ山が出現した。トキリ周辺では分厚い樹冠によって見えなかった。ナプーは見晴らしの良い崖で止まる。
「良い眺めっすね!」
「はあ、そうね」
テツがどすどすやって来る。
「はあ、はあ、着いたのか?」
「テツさん、見てくださいよ」
「見えてるよ!」
快晴のビニマ山は中腹まで緑が覆い、以降は焦げ茶の山肌が頂上まで続いた。裾野は広くなだらかで、綺麗な対称を崩すように一部がえぐれている。動く影が所々に見え、何やら巨大な生物もいるようだ。前方のやや窪んだ地形のせいか音が反響し、鳴き声や地響き、何かが擦れる音、色々な音が湧いて聞こえた。ナオミは一瞬叫びたくなったが止める。自殺行為である。
「あそこを見ろ」
ナプーの指す場所は周囲と違った。森が禿げている。
「何があるの?」
「これだ」
ナプーはナイフを取り出すと、ブレード部分を軽く叩いた。コンと心地良い音が響く。
「堅く乾いた木材だ。我々の道具に使う」
「ふんふん。木材があるって。危険な場所?」
「問題ない」
ナオミは不意に思い出し、カメラを回した。ビニマ山、景色の一望、木材のある場所、ナプーの後ろ姿も撮っておいた。テツは息が上がっている。
「おれを撮るな!」
「最初にバテた人」
「おれも撮ってください」
ハルは映えなショットで構えている。
「さ、そろそろ行きましょう」
「ナオミさん!」
ナプーは周囲を警戒し、丘を降り始めた。今度は慎重な動きだった。距離は遠くない。しかし危険が多いようで、ナプーは何度か足を止め、大きく迂回した。ナオミには何を気にしているのか分からなかった。徐々に緑は減少し、目的の場所に着いたようだ。ナプーは目の前の木に触れた。
「これだ」
ナオミはカメラを回す。4~5mの小さい木だった。見た目は普通、これといった特徴はない。しかし幹に触れると恐ろしく堅かった。金属のように締まり、かといって重い感じはない。指で弾くと澄んだカーン、木材の音ではなかった。テツは手ごろな枝を掴み、枝を折ろうと歯を食いしばる。なかなか折れない。もう一度食いしばる。しかしダメで、意地になって再度食いしばった。
「っだ!やっぱ無理!」
「ははっ」
ナプーが笑った。咄嗟にカメラを向ける。油断した可愛い声だった。
「手で折ろうとするアホは初めて見た」
「ふんふん。テツみたいな勇敢な人は初めてだって」
「なんだそりゃ?」
ナプーは勇敢な男の隣に行き、ナイフを顔の前で構える。氛は一点に集中した。距離が近い、すぐ目の前、空気は皮膚を刺し、同時に圧迫して、ナオミは一歩後退した。そこまで堅いのか。ナプーらしからぬ凶暴な氛、ナイフを頭上に構え、振り下ろす。ドンッと鈍い音がした。直後に枝が落ち、地面には何かが衝突したような窪みがあった。
「ふー。こうやって切り落とす」
ハルがアチチと枝を拾った。
「マジすげーっすね、これ。真っ二つ」
「おれたちには無理だな」
ナオミの腕くらいの太さだった。確かに無理である。
「でも、ちょっと強引なやり方ね。ナプー、他に方法はないの?」
「ある。しかし時間がかかる」
「結局これがベストなのね」
やることは他にもあった。この辺でしか取れない植物や木の実があり、ナプーに教えてもらって採集した。食べられるもの、食べられないもの、どんな特徴があり、何に使うかなど、ナプーの説明をカメラに忘れず記録する。巨大な昆虫も発見した。20cmくらいのカマキリだった。興奮してハルが手を伸ばす。
「これ、めっちゃでかいっすよ、」
「触るな!」
ハルがカマキリみたいに硬直した。ナプーはハルの手を下すと、おもむろにしゃがみ、その辺の石を拾った。直径5cmはある。案の定カマキリに投げた。しかも速い、ぶつかる、と思った瞬間にカマが伸び、石を掴んで粉砕した。
「ひえぇ」
ナプーは人差し指をハルに見せ、ナイフで第二関節をトントンした。ハルはいまさら指を隠す。ナプーに取られるわけではない。
「むしこえー」
テツは自分の指をまさぐっている。
「指って鍛えられるのか?」
「あなたの得意分野でしょ。てか挑戦しないでね」
指が切れるのは見たくない。一行はカマキリを放って仕事に戻った。それにしても順調である。カメラが途切れることはなく、材料も徐々に集まって来た。危険な動物とも接触していない。ナプーがいつも以上に気を張って、しばしば身を隠した。見つかれば死、という緊張感もあり、それだけで良い経験だ。しかし隠れて採取しての繰り返しだと、やはり消化不良である。テツが焦れている。
「なあナプー、えっと、ハント!」
テツは携帯に言って聞かせた。ナプーは考える。難しい顔、あごに手を当て、普段は見せない表情で悩む姿も絵になるが、今はハントである。ナプーはビニマ山をちらっと見た。
「山に近づくほど危険だ。マノミは普段、ここより奥へ入らない」
「ふんふん、山の方が危険だって。マノミも近づかない」
「やっぱりか!雰囲気あるもんな」
テツは嬉しそうだった。ナオミはビニマ山にカメラを向ける。角度が少し変わり、さっきよりも圧迫感があった。ナプーは携帯に寄る。
「最近は山が荒れている。特に危険だ」
「なるほど。それで狩りは避けたいと」
ナプーは頷いた。テツも渋々頷くが、カマキリでビビったハルは嬉しそうだった。しかしナプーの顔はまだ浮かない。
「それに、良くない噂も聞く」
「ん?良くない噂って?」
「翼の生えたマノミがいる」
「んん?翼?」
ナオミは考える。ナプーたちのことではない。「マノミ」はマノミの言葉で人間という意味らしい。マノミとは別の人間、つまり別の部族がいて、さらに翼が生えている。ブレテ島ならあり得そうだ。
「えっと、確か、ハテナだっけ?ボラボラさんが言ってた、別の部族の名前」
「確かそんな名前でしたね。でも、クエスチョンじゃないっすね。皆最初に間違えてましたよ」
「そうだったね。あ、思い出した、ハテマだ。ナプー、ハテマのこと?」
ナプーは否定した。「ハテマ」も人間みたいな意味だろうか。
「2人のマノミが見た。マノミの姿で、翼を生やし、空へ飛んで行った」
「ふんふん、なるほど」
テツとハルに説明する。信憑性はなくはない。マノミの心配事である。ファジールとフロンティアで調査しても良いだろう。テクノロジーがあればきっとはかどる。
突然、背中に風が吹いた。今日はほぼ無風だ。ビニマ山を向いて会話に夢中だった。ナオミは振り返り、見上げる。まだ見上げ、さらに見上げて、そのまま尻餅をついた。スローモーションで滑稽だったろう。なぜか目の前に巨大な生き物、犬なのか、しかしなぜ気付かなかったのか。茶色の毛並み、フサフサだ。はるか上空から顔が下りて来て、ナオミの匂いを嗅いだ。ゴールデンレトリバーに似ている。しかし声が出せなかった。
「落ち着け」
ナプーがそう言った気がした。次は目の前がナプーになった。今度は携帯だ。画面に落ち着けと書いてある。体は動くようだ。慌てず、声は出ないが騒がず、落ち着いて立ち上がった。テツとハルも座っていた。手を貸してやる。
「大丈夫だ。食ったりしない」
ナプーの携帯は目に入らなかった。取り敢えず見上げる。顔の位置は10mくらいか。遠くに尻尾、四足歩行、しなやかな身体、やっぱり犬だ。背中が膨らんでいる気がした。ペロッと鼻先を舐め、突然動いた。前足、当たる、ナオミは咄嗟に目を閉じ、ゆっくり開けるともういなかった。飛び越えていったようだ。やっと声が出せる。
「い、いまのは?」
「強い動物だ」
「ストロングアニマル?見りゃわかるぞ」
テツは汗だくだった。ハルは放心状態である。ナプーが携帯に話す姿は文明人っぽい。
「強い動物と弱い動物がいる。強い動物は、マノミのような弱い動物を殺さない。強いとは、そういう意味だ」
ブレテ島、恐るべしである。ナオミたちはごく一部しか知らなかった。種族の超えられない壁、あまりにも高い。キヨタカはいつも感じているだろう。しかし出会ったのが強者でよかった。中途半端なら死んでいた。
「何とか生き延びたわね」
ハルの肩に手を置く。
「なんか、自分ちっぽけっすね」
「だったら大きい男になりなさい」
「はあ、がんばります」
ナプーは歩き出した。テツが続く。ナオミはカメラを拾い、不意に撮らなかったことを後悔した。せめて録画中に落としていたら、などと思ったがまた会える気もした。次はきっと尻餅はつかない。ナオミは荷物を持ち上げると、そろそろ中身がいっぱいだった。
「ナプー、あとどのくらい?」
「そろそろいいだろう。一度トキリに戻る」
日が高くなっている。乾季で朝晩は過ごしやすいが、もう暑い時間である。三人は荷物をまとめ、堅い木はテツが持った。再びマラソンだ。ナプーが先頭で走り出す。ペースは遅くて安心した。重い荷物で走りにくいが、きっとテツの方が大変だ。
しかし走り出してすぐ、ナプーは立ち止まった。動物だろうか。ナプーが三人の方へ振り返ると、ナオミは息を呑んだ。




