10
しばらくして夕食の準備ができた。中央にマノミが集まっている。ファジールとフロンティアは集まって食事を囲んだ。今日の収穫がテーブルに並ぶ。
「うまいぞ、これ!」
テツは右手で右手を振り回した。マノミは料理が上手だ。ゴリラの獲物は半分が丸焼きで、もう半分は土中で蒸し焼きだった。いずれも丁寧に下処理され、マノミの調味料で味付けされた。内臓も熟知しているようで、不要分は取り除き、残りを土中でしっかり蒸した。木の実や植物と一緒なので、容器に盛り付けたら料理だった。味も絶品である。
「手が止まんないっすね」
「恐竜もいけるな」
こちらは燻製だった。保存用なのだが、テツの殺したやつは目の前にある。そういうところはちゃんとしている。しかし丸ごと1体は持って来なくていい。何とか一部にしてもらった。恐竜の燻製は旨みが凝縮され、癖になる味だった。
「チャンゴ、この恐竜は知ってるの?」
「信じられない。恐竜を食ってるなんて」
「感謝してね。それで名前は?」
「分からない。化石の知識がほとんどだ」
ごもっともである。近年は技術が発達したので、安全に大陸の映像を得られるようになった。恐竜の新種も見つかっている。しかし本当に最近だ。範囲も大陸のごく一部だし、撮影の費用も高額である。好奇心に負け、大陸へ行って命を落とす者は未だに後を絶たない。フロンティアが救うべき命だった。
「くそ、なぜカメラを持っていなかったんだ」
「サンプルをもらったんだから良いでしょ。ほら、骨もあげる」
しゃぶっていた骨をあげたら喜んだ。冗談も通じないほど夢中である。辺りはすでに真っ暗だ。赤道はあっという間に日が落ちて、焚火はパチパチと綺麗だった。
「ハル、美味しいやつ!」
ジオンが喜々と料理を持って来る。本当に仲が良くなった。
「おえー」
「何じゃこれ?」
料理はグロテスクだった。見た目はでかい脳味噌だ。ジオンが頭をトントンした。
「ブレイン!」
笑顔で言っても脳味噌だ。しかしイケメンである。
「なぜおれに?」
「あなたが持って帰ったからじゃない?」
「余計におえー」
「うるさい」
「ハルは食べないのか?ならおれが食うぞ」
ボラボラは手でよこせと言っている。ファジーリアンは平気だ。伝統的な料理では、生きた豚をその場で解体し、調理することがよくあるらしい。サムエラも一見グロテスクな内臓をバクバク食べた。しかしチャンゴは意外と苦手そうだ。大穴の空いた背中を舐めるように撮るチャンゴをナオミは思い出した。
「だめ!ハルが食べる」
「ジオン、ハルを見ろ。あんな顔のやつが食えると思うか?おれが美味しく食べてやるから」
「だめ!」
ジオンはなぜか譲らない。ナオミは考えた。
「きっと感謝の気持ちよ。恐竜に襲われたでしょ?あのとき恐竜の目の前で、ジオンは死を覚悟した。そこにハルがヒーローのごとく現れ、女性ならホレるであろうシーンを演じてしまった。ジオンにとってハルは未知の存在、でも同年代で快活な救世主だった。ジオンが傾倒するのも分かる。言葉が通じないからこその行動、たとえ言葉が通じてもあふれ出る思いがジオンの中にあって、あのボラボラでも歯が立たなかった。だからハル、」
ナオミはハルの肩に手を置く。
「食べなさい」
「やっぱりおえー」
ボラボラはなぜか拍手している。ジオンの熱い思いに気付いたのだろう。ジオンの期待する目、サムエラのチラ見、チャンゴはガン見、テツは食い気だった。手づかみのハードルを乗り越え、ハルは千切れた脳味噌の欠片をつまんだ。唾を飲み、大口を開け、プルプルした欠片を中に放り込んだ。
「おえー、」
「それで、味はどうなの?」
「おお、え、お、美味しい!」
茶番だった。脳味噌は高級食材で珍味と聞く。目の前の食事は全て値段が付けられない。いくらでも払う人はいる。それにジオンのお礼だ。感謝して食べるのが筋である。ナオミも一口もらった。レバーを柔らかくしたような食感に、マノミの香りが鼻を抜け、素材の旨みが強く、微かな甘みと苦味、多少のえぐみもあって、風味が口に残った。つまり苦手な味だった。ここはチャンゴに同意せざるを得ないが、なぜガン見していたのか。
「ジオン、ありがとう。これは貴重なの?」
「貴重。本当に強いマノミしか倒せない」
「そうね。でも、ナプーがいれば、いくらでも倒せる」
ジオンは首を横に振った。
「ナプーは強い。でも、獲物もすごく強い。たぶん全力で打った。恐竜とも戦った。数日はまともに戦えない」
「そうなの?そんな風には見えない」
「それがナプー。弱いところは見せない」
全く気付かなかった。すごいと言うより異常である。氛の喪失は隠せるものではない。何がナプーを支えているのか。まるで見当は付かないが、ナプーがお人好しであることは確定した。全力を見せてくれたことがナオミは嬉しかった。
「ナオミさんはいいんですか?脳味噌」
隣でボラボラが分け前を堪能する。なぜか様子を見てしまった。これか、とナオミは思ってチャンゴを見るが、脳味噌はもういらない。ナプーはどこにいるのか。
「全部食べていいよ。それよりジオン、ナプーはどこ?」
「たぶん家」
「もう休んでる?」
「大丈夫。案内する」
二人が立ち上がると、ハルが茶化してきたのでナオミは蹴りを入れた。一度クルーザーに寄ったあと、ジオンに付いてナプーの家に向かう。あえて似せる必要はないが、髪を伸ばし、金髪に染めれば後ろ姿はきっとハルだ。所々に焚火があり、夜でも人が良く見えた。村の外れ、小さな家の前でジオンは止まる。
「ここだ。通訳する?」
「いらないわ。ありがとう」
家の前にも焚火があり、その横にナプーがいた。道具の手入れ中だった。幼く見えたのは気のせいではない。化粧を落としている。熱心な横顔、振り返ればもうジオンはおらず、前を向くとナプーがこちらを見た。
「ナオミ」
「ナプー」
しばしの間、焚火がパチッとはぜた。ナオミは勝手に近づいて横に座る。ナプーしか見ていなかったが、周囲は道具や手入れ用品でいっぱいだった。しばしの間、焚火はパチッパチパンとはぜる。
ナプーは手入れを再開した。左目を閉じ、矢尻に右目を近づける。左手は添えて、右手で矢を小さく回転、矢尻の切っ先を見ているようだ。たまに左目が開いては閉じ、開いては閉じて、その度にナプーは小首を傾げた。
「ナプー」
ちらっとナオミを見る。矢尻はOK、上下を持ち換えて、次は羽を熱心に見る。
「ありがとう。ナプー、私を助けた」
「ナオミ、マノミを助けた。同じ」
羽は指で触れると滑らかに変形し、元の位置に戻った。控えめだが緑や黄が混じり、光沢がある。焚火でキラキラと表情を変え、羽の根本は持ちやすく固定されていた。どうやら真上から見たら十文字である。
「綺麗ね」
ナプーはまたちらっと見た。均整の取れた顔が再び歪み、美しい羽は再び回る。
「ナプー、なぜ、偀語とファジール語、話せる?」
今度はちゃんとナオミを見るが、一度焚火に移り、再び戻って口がもごもご動いた。言いたいけれど、偀語が出て来ないに違いない。しかしそれはおごりでもある。本当は言おうかどうか迷っている。こんなやつに言っていいのか、言うに値する女か、否、とナオミは悲観的だった。
「グア、ファアザア」
「ファアザア?ファーザー、お父さん?」
「父、ナオミ、同じ」
「父が私と同じ??」
つまりナプーは腹違いの妹、もしかして姉?と思ったところで落ち着いた。
「そんなわけないか。えっと、」
ナオミは地面に人を書いた。
「これ、ナプー、OK?」
「イエス」
地面のナプーに頭から線を生やす。それは二つに分岐し、再び人をそれぞれに書いた。
「ファーザー、マザー、男、女、OK?」
「イエス」
父の隣に別の母を書き、ナプーの隣にナオミを書いた。繋げてナオミを生ませる。
「これ、私、ナオミ。このことを言ってたの?」
普通に偀語で話してしまったが、意味は通じたようだ。ナプーは父とナオミの繋がりを指で断ち切った。さらに父の頭から線を伸ばし、二つに分岐して人を書いた。
「グア、グン、ファーザー」
「ああ、祖父のことね。グランドファーザー」
「イエス、グランドファーザー」
ナプーは思い出せて喜んでいる。さらにナオミの場所とそれ以外を線で区切った。ナプーたちの方を指差す。
「トキリ」
「なるほど、こっち側はトキリね」
今度はナオミたちの方を指差した。
「ここ、外。ナオミ、外」
「私たちの世界ね」
ナプーは外の世界に指を置く。ゆっくり動かし、トキリの方へ線を引いた。境界を横断し、その先端はナプーの祖父に辿り着く。
「外から、来た」
「え?」
「祖父、外から来た。ナオミと同じ」
「えーー」
やはり文明の血が混ざっていた。力はマノミだが、通りで今風の顔である。従兄弟のジオンもだろう。こちらはもっと色濃く、幸か不幸かもはや文明人だった。
「えっと、それじゃあ、その、」
「ナオミ、少し落ち着け」
たぶん落ち着けである。いったんナオミは落ち着く。
「えっと、ジオンも?」
「イエス」
「他にも誰かいるの?」
ナプーは小首を傾げた。可愛いけれど分かっていない。ボラボラ、と思って立ち上がろうとするが、そこでナオミは止まった。酔っ払いを呼んでいいのか。二人の時間に乱入するボラボラ、興奮して無遠慮に聞くボラボラ、ドン引きするナプー、良い方向には進まない。サムエラも想像してみたが、やはり文明人を呼ぶべきだ。
「ジオン、呼ぶ、OK?」
「イエス」
ナオミは立ち上がろうとしたが、ふと気になった。今のイエスに力がない。何度か聞いたイエスは展開を生み、次の行動を促す力があった。しかし今のイエスはナオミを止めた。ナプーの本音、疲れていてもそれを見せなかった。気付いて欲しかったのだろうか。それとも、もっと二人で話したかったのか。そう思うのはおごりだろうか。
「ナプー、ごめんなさい。ええっと、」
仕方なく文明に頼った。携帯を取り出し、ファジール語を調べる。偀語で話すのでファジール語は全くだった。シシリアを狙うハルみたいに必死で調べる。決して狙っているわけではないとナオミは否定した。
「ナプーは疲れてるね。ごめんなさい。また今度、色々と聞かせてください」
と話すうちにナプーは元気になった。驚いている風にも見える。突然ナオミからファジール語が出たので当然である。意味は伝わったようだ。
「イエス」
ナプーのイエスは心地良い。大きな口で発音し、笑顔がちらっと見える。やや低めの声色、威厳を出すためにあえて低くしているような、しかし地声かもしれない、ミステリアスな声だった。
「ナプー、私はね、日夲に住んでるの。ナプー、マノミ、ボラボラ、ファジール、ナオミ、日夲」
「ナオミ、ニホン?」
「そう、ニホン」
ナオミは楽しかった。酒の力もあっただろう。ブレテ島にいることを忘れ、ナオミは気の済むまでナプーと話した。