7
村に戻ると、子供がすぐに寄って来た。珍しいのだろう。ハルが人気だった。頬の毛を引っ張って笑い、口に手を突っ込んで笑う。それが子供である。ハルは動けず可哀そうだ。意外とナオミも人気だった。テツには寄って来ない。
「どこに持って行きゃいいんだよ」
「ナプー、どこ?」
ナオミは足を持ち上げる。重かった。1本100キロくらいか。テツはもっと大変だろう。数百キロはある。そして持ちにくい。無理やり担ぎ、氛もフルパワーで運んだ。しかし文句一つ言わないのは流石である。ハルが一番うるさかった。
ナプーは共同スペースに誘導した。獲物を置く。ようやく解放である。周囲を見ると大人が多い。かなり増えた。どこか陽気である。まだ日は高かった。ナプーは何かを言い、大人が子供を追い払う。獲物の下準備である。ナオミはサムエラを呼んだ。
「ナプー、何かあるのか?大人がたくさんいる」
「何もない。仕事から帰っただけだ」
「まだ昼過ぎだぞ」
「こいつを獲ったからな」
確かに量は十分である。しかしタイミングが良い。獲ったのは数十分前だ。
「まるで知っていたかのようだな。準備が良い」
「当然だ。私が伝えた」
「ナプーが?どうやって?我々と一緒にいたぞ」
「ホトムが伝える」
サムエラは驚く。ナオミはもっと驚く。氛をコミュニケーションに使っていた。理屈は分かるが、信じられない。マノミは想像を超えて来る。
「何を伝えられる?話せるのか?」
「それは無理だ。事前に決めた、いくつかの言葉だけだ」
万能ではなかった。まだ発展途上のようだ。それを知ってナオミは安心する。ふと隣にボラボラだ。様子がおかしい。近づくと酒臭かった。
「ちょっと、飲んでるの?」
「当たり前だ。マノミの誘いは断れん」
「おい、ボラボラのおっさんは酔っぱらってるだろ」
「そうね。もう仕事って感じじゃない」
上陸してまだ数時間。しかし色々あって疲労が溜まった。テツとハルもお疲れだ。サムエラは疲労困憊だろう。チャンゴは興奮冷めやらないが、そろそろ頃合いか。
「休憩にしましょう」
「そうしましょう。シャワー浴びたいっす」
ナオミは皆に了承を得て、いったん解散にした。緊張感は一応ある。しかしブレテ島の村とは思えなかった。気分は休日の宴だ。すでに酒が入る。これも生き抜く知恵なのだろう。絶妙な加減。手抜きにも見える。ナオミは身を任せて良いか不安になった。ボラボラは千鳥足で戻る。身を任せた例である。
「おい、お前たち、ついて来い」
「どこへ行くんだ?」
「水浴び場に案内する。それから警告だ。絶対にジガリス川に飛び込むな。食い殺される」
サムエラは絶句していた。理由を聞いて肝が冷える。
「あぶねー。おれやるところでしたよ!」
ナオミもやるところだった。死ぬなら地上が良い。
「川に近づくときは気を付けましょう」
ナプーはそんなジガリス川の上流へ進む。森に入り、少し歩くと水の流れだ。流量は多い。それを遡ると滝があった。落差は3mほどか。シャワーを浴びやすいように、筒状に加工した竹を滝口に指し、流れを複数に分割していた。男がバシャバシャ体を洗い、子供が滝壺で泳ぐ。マノミの日常である。
「好きに使っていい」
「ありがとう」
ハルは早速服を脱ぎ、下着で入っていった。
「私は後でいいわ」
「分かった。おれも入るか」
テツが脱ぎ始めると、サムエラとチャンゴも脱いだ。男の時間である。ナオミは目を逸らした。滝壺は不透明で、濁った水が流れ出す。川は本来透明だろうが、これはこれで絵になった。ナプーも目を逸らしたようだ。マノミに男女のマナーはあるのか。
「トキリ、戻る」
「そうね」
二人は村に到着した。ナオミは一度クルーザーに戻り、飛び乗ってエンジンを始動した。シャワー室へ入り、蛇口をひねる。綺麗な水だ。ジガリス川の水だろうか。汚れが落ちていく。
しかしあの瞬間、初めて見た衝撃は焼き付いて離れなかった。矢を放ち、倒れる獣。氛の芸術だ。一体どれほど濃密な時間を武器と過ごしたのか。ナプーだけではない。数千年、あるいはそれ以上続くマノミの歴史。DNAに刻まれた、一族の叡智である。ナプーに結晶している。まだ何かあるはずだ。ナオミは全てを見たくなった。
シャワーの後、ナオミはルーフに上がった。日で焼けるように暑い。森は蒸し暑かった。ナオミは衛星電話でユキエに掛ける。
「もしもし?」
「ユキエさん?ナオミです。森に行きましたよ。マノミすごいです。ユキエさんも絶対来るべきでした。本当にやばいですよ、」
「分かったから、落ち着いて話して」
ナオミは全てを話す。夢中で暑さを忘れていた。
「ナオミ」
「はい、何でしょう?」
終始黙っていたユキエが話す。
「ぜひナプーに会いたい。というか、ぜひフロンティアに」
「無理ですよ」
冗談よ、と笑う。
「護衛の仕事は全うしてね。でも、それ以外はあなたたちに任せるわ」
「了解です。何かあれば、また連絡します」
少し世間話をした。ユキエの愚痴だった。向こうも忙しそうである。ナオミは電話を切り、再びトキリに戻った。テツとハルもいる。シャワーから戻ったらしい。焚火の横でキョロキョロと浮いていた。可哀そうなので近寄る。
「どこ行ってたんですか?」
「ごめんごめん」
「なあ、これからどうすんだ?」
確かにどうしよう。さっきより大人が増えた。ナプーは子供たちと話している。
「ボラボラさんに聞いてみよう」
ファジールは3人で集まっていた。隣の焚火に陣取る。マノミの男性もいる。顔を寄せて話す姿は似ていた。きっと祖先は共通に違いない。ファジール語を話せる理由だろうか。
「ボラボラさん」
「おう、ナオミじゃないか。お前たちも座れ」
腕を引っ張られた。力が強い。取り敢えず座った。
「ジオン、マウン」
ファジール語だろうか。マノミの男性が立ち上がる。かなり若い。整った顔立ちだ。背も高く、ナプーに似ているかもしれない。そのままどこかへ行ってしまった。
「彼はジオン。どうだ?俺に似てハンサムだろ?」
「はいはい、そうですね」
「はっはっは。彼はナプーのいとこだ」
「へえ、どうりで。ナプーのいとこだって」
二人の反応は鈍かった。言葉が分からないのはストレスだろう。マノミの言葉、ファジール語、偀語が飛び交う。特にマノミは声がでかい。怒っているように聞こえるので、どうしても気になる。一番は長老だった。心臓に悪い。すぐにジオンは戻って来た。手に飲み物だ。すっとナオミに差し出す。
「サ、サンキュー」
咄嗟に偀語が出た。ジオンを見ると、笑顔でどういたしましてと言った。なるほどハンサムである。マノミの爽やか系男子だ。今どきの女子にはモテるだろう。
「でも外見なんて意味無いでしょ?マノミの男は狩りができないと」
ついコップに口を付けたら酒だった。不思議な味である。
「そうだろうな。いつの時代も強い男がモテる。おい、ジオン!」
ボラボラは配膳を終えたジオンを呼び、何やら話している。不意に笑顔を見せ、ジオンの肩を叩いた。
「ナオミ、ジオンはモテないって。狩りができないそうだ。ナプーはすごいのに、可哀そうだな」
「報告しなくていいよ。たぶん本人も気にしてるから」
ジオンは間違いなく苦笑いだ。マノミもそんな表情をするのか。
「ボラボラさん、そんなことより、これからどうするの?」
「ん?これからって?」
「今日の調査はもう終わり?」
ボラボラは酒を一口飲んで、隣のチャンゴと話す。こちらもどうやら酔っ払いだ。サムエラに酔った様子はないが、顔が疲れている。聞くまでもなく終わりだった。
「ねえ、今日は、」
振り返るとこっちも終わりだった。二人は酒を飲んでいる。ナオミもひと口。意外とフルーティーで癖になる。美味しいかもしれない。日中の焚火も雰囲気があった。




