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ナプーは不意に現れた。急ぐ様子はない。ナオミは警戒していたが、途中まで気付けなかった。さすがである。ナプーは何か背負っていた。弓だ。そこまで大きくない。使い勝手は良さそうである。腰にはナイフだろうか。数本下げている。どうやら木製だ。それに植物で編んだ入れ物である。何が入っているのか。
「待たせたな。出発する」
「分かった」
サムエラが出発の合図をした。ナプーに付いて行く。しかしどうだろう。ナプーの雰囲気が違う。武器を持って明らかに変わった。今は村人ではなく狩人だ。安心できる。ナオミはナプーの勇姿が見たくなった。
トキリは広くない。歩き出して数件の家があり、以降はもう手付かずだった。昼なのに薄暗い。ナプーはその境界付近で止まった。静かに振り返る。
「これから言うルールを守れ。守れなければ命はない」
サムエラが頷く。遠くで何かが叫んでいる。
「私の指示に従え。私の傍を離れるな。静かに行動しろ」
サムエラは振り向いて復唱した。まともな内容だ。従えば死なずにすむだろう。しかしナプーはナオミたちを見る。まだ何か言いたそうだ。スッと近くにやって来た。
「お前たち、ホトムを使えるな」
ナオミはサムエラを見たが、ナプーは構わず話す。
「あなた、使える、ホトム」
次は偀語だった。理解できたが、ホトムは分からない。
「ホトムって何?知ってる?」
テツを見るが、首を横に振っていた。
「全然分からん」
「あ!」
ハルが大声を出し、すぐに口を手でふさぐ。
「すんません。でも、氛のことじゃないっすか?」
たまに勘が良い。おそらく正解だ。ナオミはハルに同意して、ナプーの前に立った。手を差し出す。ナプーが手を取った。一番分かりやすい方法だ。ナオミは静かに氛を放つ。
「これが、ホトム?」
偀語で話した。正解だろうか。ナプーの顔を見ると、特に驚いた様子はなかった。分からない。しかし端整な顔である。大層おモテになるだろう。顔をまじまし見てやった。ふと気付く。ナプーの様子が変だ。口角がゆっくり上がった。何だろう。笑うのか。
「イエス」
ただの肯定だった。すぐ元に戻り、笑顔らしいものは消えた。「イ」の発音は笑顔に見える。全く思わせぶりである。何だろう、またナプーの様子がおかしい。今度は何をするのか。不意にナプーが氛を放った。ナオミは突然で驚くが、これも挨拶である。
ナプーの氛は不思議だった。フロンティアの鍛錬されたものとは違う。むき出しの氛というか、動物のそれに近い。むしろ当然だ。ブレテ島には「動物」しかいなかった。本来の姿である。ここではフロンティアが異端だった。
ナオミはふと不安になる。ナプーに拒絶されないだろうか。でも大丈夫だ。今度は笑っている。口角を上げ、白い歯を見せる。思ったより可愛い。たぶん年下だとナオミは思った。しかし笑顔は突然消える。また狩人である。手を放し、ナプーはサムエラを呼んだ。
「お前たち、とても弱い。すぐに死ぬ」
サムエラが困惑する。何を言われたのか。
「いいから伝えろ。お前たちは弱い。護衛で来たのか知らないが、役に立たない。だから、絶対にホトムを使うな」
サムエラは全て伝えた。困惑するのも当然だ。まさかここまで言われるとは。不思議と腹は立たなかった。
「何て言われたんだ?」
「私たちは弱くて役に立たないから、氛を使うなって」
「ふざけんな!」
やはりテツは吠えた。ナプーにズカズカ詰め寄る。
「やってみなきゃ分かんねーだろ」
日夲語でも通じるだろう。ナプーはテツを見上げる。顔二つくらい小さい。でも全く動じなかった。不意にナプーは振り返る。森に向かって歩き出し、手でついて来いと合図した。
「行きましょう。気配を消して。あんたは落ち付いて」
「分かったよ」
テツが絡み、状況が少し変わった。ナプーは何かする。力を見せる。テツを黙らせてくれるはずだ。ナオミの期待は高まった。チャンゴとサムエラはカメラを出す。いよいよだ。一行は離れないよう後を追った。
森は熱帯雨林である。木は太く捻じ曲がり、ときには互いに絡みつき、どのくらい高いか分からないほど伸びる。樹冠は空のようだ。稀に鳥が羽ばたいた。足元には草花が群生し、色鮮やかである。ツタは木々に絡みつき、よく見ると蟻が列で登っていた。まだ安全な営みである。
ナプーはとても慎重だった。周囲に気を配り、客人もちゃんと観察する。しかし歩みは早かった。すいすい進む。トキリに近いからだろう。道もまだ歩きやすかった。ナオミはナプーに近づく。
「どこへ、向かってる?」
「強い、動物」
拳を上げて、力こぶを作った。ゴリラかサルかもしれない。ナプーが強いと言うほどだ。楽しみである。テツとハルに伝えよう、そう思ってナオミが振り返ると、チャンゴが少し遅れていた。夢中で何か撮っている。
「チャンゴ!」
「あ、ああ。すまない」
へらへらと戻って来る。彼は動植物に詳しかった。ここは宝の山だろう。しかし危険である。サムエラはナプーの傍を離れなかった。フロンティアの信用が揺らぐ。食い止めねばならない。突如、淀みなく進むナプーが止まった。
「静かに」
皆も止まる。気配はない。周囲を見渡すが姿もなかった。ナプーは指で前方を示す。
「分かるか?」
「何も」
「本当に何かいるのか?」
「ナプー、」
ナオミが呼ぶと、ナプーは両手の爪を立てて、シャーと猫真似をした。可愛い動きだが、本物は可愛くないだろう。
「道を変える」
ナオミはサムエラをつついた。
「何かいるのか?」
「獰猛な猫のようだ。今は接触を避ける」
チャンゴが近寄って来た。
「たぶんファジールジャガーだな」
「知ってるの?」
「ああ。ジャングルの最奥に住む、幻の動物だ。姿を見たら、生きて帰れないと言われる」
テツとハルに伝える。早速お出ましだ。しかしナプーに余裕があった。一人なら殺っていただろう。ナプーは90度向きを変え、再び歩き出す。チャンゴは名残惜しそうだった。
「クソ、やっぱり探知じゃ無理だ」
「張り合わない。命取りよ」
「分かってる」
後方を見た。ハルは静かに付いて来る。動揺はない。ナプーがいなければ、ジャガーと出会ってジエンドだったかもしれない。そこまで頭が回らないか。大変な仕事になりそうである。
ナプーはより慎重になった。危険が増している証拠だ。目的の場所は近い。ナオミはチャンゴに近づいた。
「ねえ、ファジールにゴリラかサルはいるの?」
「いるよ。でも強くない。動物園で見れるぞ」
「そう。なら新種かもね」
「本当か?」
「止まれ!」
再びナプーが止まった。全員止まる。少し先の地面を指した。草木が邪魔だ。何も見えない。しかしナプーはナイフを持った。木製である。何をするのか。不意にナイフを振りかぶった。淀みはない。力みもない。一瞬氛が高まり、ヒュッと微かに音がした。
「来い」
ナプーに付いて近寄る。蛇だ。50cmほどある。斑模様でどす黒かった。すでに頭はない。ナイフが貫き、土にめり込んでいる。あり得ないとナオミは思った。身体能力だけじゃ無理だ。ナプーはナイフを拾う。




