4
クルーザーのエンジンが止まった。周囲はやけに静かだ。ファジールは乾季で水位が低い。ナオミは川に浸かっていたであろう場所に飛び降りた。二度目の上陸である。動物の気配はない。ロープを大木に結んだ。テツとハルも飛ぶ。他の三人は板をかけて上陸した。ボラボラが先導する。
「すぐそこだ。付いて来て」
「テツは最後尾を。ハルは私と前を」
二人は頷く。六人でぞろぞろ進む。目の前は森だった。しかし川沿いを歩くと様子が変わる。何者かが通った跡だ。森の中へ通じていた。マノミの道である。
「こっちだ。この先にある」
ボラボラは進む。ナオミは警戒を強めた。念のためだ。大所帯で刺激するかもしれない。開けた空間が見える。人工物だ。家のようだ。ボラボラは立ち止まって振り返る。
「いいか、彼らに従うんだ。勝手なことはするなよ」
チャンゴとサムエラは頷いた。
「彼らに従って。勝手なことはしないでね」
「了解っす」
テツは親指を立てた。みな緊張しているようだ。無理もない。ファーストコンタクトである。突如、不意にテツが警戒した。緊張のせいじゃない。ナオミは振り返る。全員トキリの方を向いた。人影だ。見覚えのある姿だった。ボラボラが笑顔で近寄る。
「やあ、ナプー。友人を連れて来たよ。ナオミとは以前に会ったね」
ファジール語の会話だった。ナオミはナプーを見る。短髪で小顔の綺麗な女性だ。前髪ぱっつんで幼く見えるが、手足はすらっと長い。マノミではかなり長身である。赤く染めた腰蓑と、植物で編んだ紐を身にまとう。乳房は隠さなかった。小麦の肌には赤い塗料が映える。きっと腰蓑と同じものだ。
ナオミはナプーと目が合った。小さく会釈する。ナプーも覚えているようだが、笑顔はなかった。
「よく来た。歓迎する」
「ありがとう。まずは長老に挨拶したい」
「ついて来い」
ナプーに付いて歩く。低い声で毅然とした様子だ。綺麗な顔に似合わなかった。素の顔は別にあるだろう。前からマノミが来た。ジガリス川へ向かうようだ。もちろん凝視されたが、特に警戒はされなかった。一行はすぐに集落へ入った。
トキリは100人くらいの小さい集落だ。森の中に家を建て、隠れるように暮らす。狩猟採集で生活し、農耕はしない。というよりできないのだろう。トキリでは女性も狩りをする。ナプーは優れた狩人らしい。
家は簡易な作りである。2mほどの木を先端部で交差させ、縛って直立させたものを2つ用意し、その間に木を通して固定した骨格に、植物で編んだ屋根を掛けるだけだった。屋根は一面のみで中は丸見えだ。プライベートはない。ほとんど無人だった。そんな家が密集するでもなく、かといって離れすぎない距離に集まっていた。
集落の中央には広い空間があった。共同のスペースらしい。日中でも焚火があり、そこに子供が集まっている。大人も数人いた。留守番をしているようだ。子供は無邪気に遊び、大人がたしなめる。未開も文明も変わりなかった。
そこを抜けると長老の家だ。特に凝った作りはない。むしろ質素である。中に年配の男性が座っていた。髪はぼさぼさで、白髭をたっぷり蓄える。頭には鳥の羽を付け、首から骨を下げていた。彼が長老である。
長老はナプーに気付いて立ち上がった。がっしりした体格で、姿勢も良い。杖を手に取った。あり得ないほどゴツい。長老と同じサイズである。大木の根元を丸ごと引き抜いたような杖だった。
「また来ました。よろしくお願いします」
ボラボラは挨拶すると、荷物から何かを取り出す。手土産だろう。現地で摂れるハチミツや果物が入っていた。文明のものはない。未開部族への配慮だった。
突然、大声が響く。ビクッと反応する。長老だった。獣のそれである。近くの大人が寄って来て、手土産を持って行った。名前を呼んだらしい。長老はまた何か言っていた。皆がナプーを見る。
「感謝する。マノミはそなたたちを歓迎する」
「ありがとうございます」
ボラボラは深く頭を下げた。ナオミたちも下げる。ボラボラは話しを続けた。
「今回は、ナプーの狩猟採集に同行させてもらいますが、よろしいですか?」
ナプーは長老に耳打ちした。しばしの間だ。事前に伝えているとはいえ、緊張があった。長老はナプーと話す。会話が何度か往復し、ようやく長老が振り返った。話す声色から大丈夫そうだ。皆ナプーに注目した。
「よかろう。同行を許可する」
「ありがとうございます」
再び頭を下げる。長老は皆を一瞥した。視線は流れ、ナオミのところで不意に止まる。目が合った。何か考えているようだ。突如、再び大声を上げた。よろよろ近づいて来る。お香のような匂いだ。ナオミは動けなかった。
長老は目の前で止まる。今度は杖を振り、何かを唱え出した。意味は分からないが、心地良い響きである。長老の顔が近い。白髭がゆらゆら動き、口元は見えなかった。肌が黒く焦げている。何かの病気かもしれない。
長老は唐突にやめた。次にテツを見て接近し、唱え出した。最後はハルである。同じように唱え終わると、そのまま家に帰って行った。ボラボラはナプーを見る。
「今のは何をしたんですか?」
「精霊の加護を唱えた」
「精霊の加護?それは何ですか?」
「天の声だ」
ボラボラはそれ以上聞かなかった。ナオミを見て肩をすくめる。マノミの歴史は深い。過酷な環境を生き抜いた知恵だ。理解できないのは当然である。ボラボラは再びナプーを見た。
「他に通訳できるものはどこに?」
「そのうち戻る」
ボラボラは頷き、皆に振り返った。
「おれは長老たちと話すから、皆はナプーとがんばってくれ。それじゃ」
ナオミが何か言う前にボラボラは離れた。早速子供と遊んでいる。仕方ないのでチャンゴを見た。
「これからどうするの?」
「そうだな。どうしようか」
頭を掻いている。考え中のようだ。ナオミはサムエラを見た。頷いてナプーに近寄る。
「私はサムエラ。そちらの準備はできているか?」
「まだだ」
「こちらもまだだ。それでは、準備ができたらここに集まろう。それでよいか?」
「それでよい」
サムエラは振り向く。
「準備ができたら、ここに集合してくれ」
「了解」
サムエラが頼りになる。しっかりした男だ。チャンゴはへらへらしていた。変わった男である。一行はいったんナプーと別れ、各々準備を始めた。しかしフロンティアは万全だ。しばしの待ちである。
「なあ、ナオミ」
「何?」
テツがナプーの背中を見ている。
「あいつ、能力者だよな?」
「たぶんね」
「そうなんですか?」
「とても上手く隠してる。ここで生き抜くための技術でしょ」
「長老はおれらが能力者って気付いたな」
ナオミは気配を消していた。潜伏の基本だ。しかし容易に気付かれた。再度周囲をうかがってみる。
「みんな気付いてるかもね」
「まじっすか?大丈夫ですかね?」
ハルがキョロキョロする。たぶん大丈夫ではない。日夲では問題なかったが、ここは本物の未開島だ。レベルが違った。同じ人間でも差があった。動物はナオミたちの抑えた氛に反応するかもしれない。それは問題である。フロンティアはまだまだ未熟者だ。
「気を引き締めましょう。社長もユキエさんもいない。私たちでやるしかない」
ナオミは二人を鼓舞する。しかしテツは余裕そうだ。
「大丈夫だよ。マノミは潜伏に特化してるだけだ。殴り合いなら負けねーよ」
「そうだといいけど」
「おれ、殴り合いでも自信ないっす」
ナオミはハルの背中を叩く。
「あいた!」
「弱気になってどうすんの。現場では不要よ」
「そうだぞ。おれは最強だって思ってりゃいいんだ。実際の強さなんて関係ない」
ナオミはテツを軽く睨んだ。そうかもしれないが、混乱も招く。
「日々の鍛錬を思い出して、最善を尽くせばいいのよ。迷っても直感を信じて動く。結局それしかできないんだから」
テツがハルの肩を抱く。
「今回はおれらもいる。心配すんな」
「了解です。最善を尽くします」
ハルが落ち着いたところで、ナオミはサムエラを探した。チャンゴは隣に座っている。サムエラがいない。よく見ると遠くにいた。迷彩服で分かりにくい。カメラを持っている。トキリを撮影しているようだ。集落の防衛体制が気になるのか。
マノミは定住しないと聞く。トキリもまだ日が浅そうだ。家が簡易な理由の一つだろう。森に溶け込む作りである。自然と調和し、身を隠すのが防衛の基本だ。周囲を見張る大人も多い。探知能力に長けた者もいるだろう。
すぐにサムエラは戻って来た。ナオミは周囲を観察しつつ、ナプーの到着を待った。




