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クルーザーは迂回していた。一定の間隔を保ち、決して近寄らない。たぶん安全な距離だ。襲われることはないだろう。しかしナオミは目が離せなかった。木々や岩礁が立体に浮かび、打ち寄せる波は数えられた。もうブレテ島は遠くの景色ではない。そこにある。今度はあの森に入っていくと思うと、ナオミは見ずにいられなかった。
皆も同じのようだ。テツは船内にいなかった。たぶんルーフだ。ナオミは気分を変えにルーフへ上がる。風は強いがもう慣れた。というより優先順位が下がった。テツは右前のソファーにいる。寝転がって横を向くが、どこか警戒中のようだった。ナオミの座るスペースはほとんどない。
「ちょっと!」
パンと足を叩く。テツは膝を曲げた。ナオミは空いた隙間に座る。
「ここ、襲ってこないよな?」
テツの声は良く聞こえる。正直、本当に襲われないか自信はなかった。陸に比べて海は被害が少ない。氛との相性もあるし、単純に危険な動物と接する機会が少ない。しかしブレテ島だ。次の瞬間には何か水面から飛び出す可能性もある。油断できない。ナオミは左こぶしを構えた。
「この距離なら、カウンターよ!」
「はっ!」
テツは笑いだか気合いだかの声を上げた。再び島を見る。同じような景色だ。外観は普通の島である。山肌や深い森が続き、険しい岩礁が目立った。たまに砂浜が見える。平原もちらついて、起伏が激しい。動物の気配は特になかった。稀に遠くで飛翔物体が見える。翼竜かもしれない。
「あとどんくらいだ?」
「1時間くらい!」
テツはちょっと考えた。足を下し、靴を履く。
「何か食って来る!」
「私も!」
お腹が空いて来た。少し休憩だ。二人はサロンスペースに下りた。サムエラがいない。奥へ進むと運転席にいた。ボラボラと代わったようだ。リビングに入るとボラボラだ。
「食べ物をもらうわね」
「ああ、好きなだけいいよ」
保存食が多い。この際ジャンクでいいだろう。色々持ってサロンスペースで開ける。結局みんな食べ始めた。お菓子をつまみ、窓の外を眺める。景色が枠で切り取られ、ドキュメンタリー映像を見ている気分だった。壮大な自然と、そこに生きる生物たち。しかし視聴者参加型である。主演はフロンティア。それなら靖熱大陸だろうか。再び運転はボラボラに代わり、クルーザーは進む。
「みんな、そろそろジガリス川だ」
間食が落ち着いたころにボラボラは言った。ジガリス川はブレテ島の主要河川だ。流域面積も広い。外を見ると、対岸が徐々に後退していく。すぐにひらけて、周囲に陸地はなくなった。
「でかい川っすね。びっぐりばー」
「ああ、でかい川だ」
ボラボラはハルに応えると、クルーザーの舵を切った。景色が変わる。ブレテ島に突入である。
「いよいよって感じだな」
「そうね」
クルーザーは川の中央を走る。川幅が広いので、さきほどより対岸が遠かった。しかしどんどん狭くなる。圧迫感があり、どこか息苦しい。ナオミはデッキに移動した。簡易ソファーに座り、左右の状況を確認する。日はもうだいぶ高い。ハルもデッキに移動して、テーブルに手を付いた。
「もうそろそろですか?」
「あと20分ぐらいね」
ハルはナオミの隣りに座った。
「えっと、マ、マミ、何でしたっけ?」
「マノミ」
「それです。どんな人たちなんですか?」
「警戒心が強いけど、マナーを守れば安全ね。話しも通じるし」
しかしハルは不安そうだ。ナオミは足を組み替える。
「大丈夫。話しはボラボラさんたちと私でするから。あんたは黙ってればいいよ」
「了解です!それならできそうっすね」
「フロンティアの任務は護衛よ。そっちに集中しなさい」
ハルが頷く。テツもデッキに近づいて、入口の壁にもたれた。三人で迫る対岸を眺める。みんな顔付きが良い。準備は良さそうだ。川は次第に蛇行して、クルーザーも旋回した。
「集落はどっち側だ?」
「左側よ」
テツは反対の壁にもたれた。左が見える側だ。クルーザーも左へ寄っていく。対岸まで数十メートルだろうか。安全な距離である。景色も外周と変わらなかった。しかしもうすぐ到着だ。ナオミはサロンスペースに移動し、冷蔵庫のジュースを飲んだ。
「ボラボラさん、あとどのくらいだっけ?」
「あと10分くらいだ」
トキリは川の中流にある。やや下流寄りだろうか。そこまではほぼ平野で起伏が少ない。クルーザーで横付けできる。これは本当に幸運だった。トキリが森の深くにあれば、下手すると半世紀は接触が難しかったはずだ。まず見つけるのが至難である。ナオミはふと思い出した。以前聞きそびれた疑問だ。合図してボラボラの隣りに座った。
「トキリはどうやって見つけたの?」
ボラボラは不意に笑う。しかし舵は慎重だった。
「世間にはイカれたやつがいる。お前さんのボスみたいに」
ナオミも笑った。キヨタカはよくネタにされる。
「ファジールにもいたんだよ」
「へえ、どんなやつ?」
「資源を採りに来たのさ。船でここまで」
ブレテ島は未開の島だ。キヨタカのように魅せられるものも多いだろう。ボラボラは肩をすくめた。
「それであろうことか、対岸に近づいた。好奇心ってやつだ。ちょっと上陸したらしい。そのとき、森の奥にトキリを見つけた」
「なるほど」
「そいつは無事に生還して、おれたちはここにいる」
イカれたやつは世の中も動かす。感謝しないといけない。
「でも、よく無事で帰れたわね」
「マノミの警戒に、普通の人間は引っかからないんだろう」
「それもそうね」
ナオミは妙に納得した。氛の弱いやつに構う暇はない。ボラボラにお礼を言って、ナオミはデッキに戻る。しかしテツがソファーにいた。二人で会話中だ。今度はナオミが壁にもたれる。チャンゴはさっきから右ソファーで寝ていた。マイペースである。
しばらくしてクルーザーが減速した。三人は互いを見る。ようやくだ。ボラボラの呼ぶ声が聞こえた。全員集合する。
「もう着くぞ。あの辺だ」
ボラボラが示した先は、緩やかなカーブの中腹だった。一見すると何もない。ただ森があるだけだ。しかしトキリの集落がその奥に広がっている。ボラボラは手前でクルーザーを止めた。
「気合い入るな!」
「そうっすね!」
「さあ、準備しましょう」
クルーザーはここにある。ホームだ。いつでも戻れる。準備は最小限でいいだろう。携帯電話と救急セット、麻酔針にナイフくらいだ。あとは食料である。身軽な方が良い。サムエラは肩から銃を下げている。ルールを守れば大丈夫だろう。
ナオミは迷彩ズボンにブーツ、フロンティアの黒Tシャツだった。キヨタカが大陸調査で身に付ける恰好だ。ゲン担ぎである。テツとハルにも着させた。ナオミはユキエに衛星電話で一報を入れる。護衛開始である。