2
「ところで、今日はどうするの?」
「ああ。調査はおれ抜きでやるから、二人を護衛してくれ」
「そうなの?ボラボラさんは何するの?」
「おれは集落の人たちと話すのさ」
ボラボラの専門分野であり、ライフワークだ。未開の部族と接触し、適切な保護活動を行う。そのためには相手を知る必要がある。今回の相手はわけが違う。未曾有の危険地帯に住むマノミだ。燃えないはずがない。ボラボラの興奮が伝わる。
「分かったわ。でも通訳の人はナプー以外にいるの?」
ナプーはトキリの集落に住む女性で、ファジール語が話せる。偀語もカタコトだがいける。唯一の通訳者と思われた。
「ああ、いたよ。この間の訪問で知ったんだ」
「無駄じゃなかったのね」
ボラボラは楽しそうに語る。
「彼らは賢い。そして貪欲だ。ブレテ島に長く住んでるだけあるね」
「ナオミさん、何て言ってるんです?」
ハルが焦れて聞いて来た。テツもナオミを見ている。
「えっと、ボラボラさんは別行動ね。護衛がちょっと楽になった」
二人はまだ腑に落ちない。説明しようか迷っていると、良く通る低い声が聞こえた。目の前のチャンゴだ。
「今日は僕とサムエラだけだ。初めて護衛される。何か気を付けることは?」
ナオミは驚いた。入口の壁にいると思ったサムエラがすぐ横にいた。いつ近寄ったのか。不信感を与えるべきではない。
「3つだけです。1つ目は、慌てず騒がないこと」
二人はナオミの指を見る。
「2つ目は、我々の傍から離れないこと。3つ目は、必ず我々の指示に従うこと。これだけ守ってくれればOKです」
「分かった。必ず守るよ」
チャンゴの横でサムエラも頷く。姿勢が良い。今にも敬礼しそうだった。詳細は現地でいいだろう。ナオミはボラボラたちに業務連絡をした。契約書の要点も復唱する。絶対はない。万が一のことは契約に任せよう。ナオミが一通り話し終えると、ボラボラは不意に立ち上がった。
「中を案内するよ。荷物はそっちへ」
気になっていた内部だ。おそらく寝室と簡易な居住スペースだろう。滞在は一週間。必要な機材もあり、荷物は多い。重いバッグを持って奥へ進んだ。入口は操縦席とキッチンの間だ。ボラボラに続いて内部へ入った。
そこはホテルの寝室だった。天井はやはり低い。テツが手を伸ばせば届く。しかし狭く感じさせない奥行感だ。船首は当然細くなっているが、特に気にならなかった。壁は薄い設計だろうか。中央にダブルベッド、左の扉はきっとトイレだ。床が荷物置きなのは仕方ない。まだスペースは豊富にある。
「荷物はここに置いてくれ。そっちの隅がいいな。食料もたくさん積んであるぞ」
「おれ、いつかクルーザー買います!」
「じゃあお仕事がんばってね。早く行って」
しかし大人数では手狭だった。順番に荷物を運び込む。左の扉はトイレだがシャワーもあった。贅沢だ。残すは1つである。
「ボラボラさん、ルーフには何が?」
「忘れていたよ。案内しよう」
三人を連れて後部のテラスに向かった。横の階段を上る。かなり急だ。ボラボラの尻横で青がちらつく。徐々に日差しは顔を射し、風が吹き抜けていった。上がりきる前にルーフは一面の青空だ。
「気持ちーっすね!」
「おお!」
ルーフは真っ白だった。床、側面、ソファー、すべて白い。茶の机が目立つほどだ。階段の前は運転席だろう。サロンスペースにもあった。なんとソファーは2つある。後部に机を囲うソファーと、右前方だ。一体何人まで乗れるのか。そしてこの青空。贅の限りを尽くしている。ボラボラは優雅に歩き、ナオミに振り返った。
「ここはホテルだ。一週間寝泊まりする。粗相があれば、皆さんのパフォーマンスを下げてしまうだろ?」
「そうだけど、でも、」
ボラボラは笑顔で近づく。
「いいじゃないか。この仕事には価値があるんだ。存分に船の暮らしを満喫してくれ」
断る理由はない。満喫させてもらおう。調査が始まれば、たぶんそれどころではない。ナオミは後部のソファーに座った。良い眺めだ。最終日はここで打ち上げをしよう。きっとワインが美味しい。テツもドカッと腰掛けた。ハルは意外に運転席だった。同時に運転したらどうなるのか。
堪能した三人はサロンスペースに戻った。そろそろ出発である。ブレテ島には30分で行けるが、トキリにはそこから時計回りに迂回し、ジガリス川を南下する必要がある。プラス1時間はかかるだろう。ボラボラが運転席に座った。
「忘れ物はないか?」
「忘れ物はない?」
「ないっすよ」
テツも頷いた。準備は万端である。
「忘れ物はないわ」
「じゃあ出発だ!」
エンジンを始動し、クルーザーは動き出す。ナオミには二回目の出航だった。今回は違う緊張感だ。不安は大きい。しかし能力者の仲間がいる。マノミたちも仲間である。心強い。ボラボラはゆっくり加速し、向きを調整した。上手いものだ。外洋に出ると、一気に加速する。船内も騒々しくなった。
ナオミはデッキに移動した。しぶきがすごい。油断すると落ちそうだった。入口の壁にもたれる。なぜかサムエラと目が合った。外を見ると、ナイラ島はまだまだ近い。しかし遠ざかる。確実に小さくなっていった。誰か近づいて来る。
「ナオミさん、上に行きましょ」
「そうね」
テツは左ソファーでイヤホンだった。ナオミとハルは階段を上る。揺れが激しい。手すりを掴み、ぐっとルーフへ押し上げた。風が強すぎる。しかし良いところだ。二人は後部のソファーに移動した。後ろはまた違った姿のナイラ島だ。ハルの髪が激しくなびく。
「緊張してる?」
ナオミは大声で話した。
「はい!でもめっちゃワクワクしてます!」
ナオミは頷いた。それならきっと大丈夫だ。にしても風が強い。後ろをずっと見るのはつらかった。疲れて前を向くと、今度はブレテ島が近くに見えた。