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藪の内と外  作者: 菅原やくも
2/2

後編

 映像には暗がりの駐輪場が一瞬映ったあと、寒川の顔が映った。

「準備は整った。ここは隣接している駐輪場。これから、例の禁足地への進入を試みる。“藪知らず”の中だ」

 それからカメラは、すぐ横のフェンスを映し出した。そのすぐ近くには、三脚に乗せられた小さいカメラも置かれていた。

「外部からの定点観測もしておく。万が一、俺が消えたとしても映像は残るわけだ」

 小馬鹿にしたような小さい笑い声が入る。「まあ、そんなことはあり得んだろうけどね。おっと……」

 それから小声で「通りに通行人だ」と言って、カメラを手で押さえる場面が一分ほど続いた。

「よし、オーケー。通りのほうで人が歩いてた。今、見つかって通報されるわけにはいかない。計画がおじゃんになるのはゴメンだ」


 それから寒川は、フェンスを乗り越えて敷地内へ、軽々とした動作で入った。

 フェンスの外のカメラに向けて手に持っているカメラを向けてから、再び自身の顔を映した。

「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩になるだろう」

 彼は、忍び笑いを含ませて言った。それから映像には、地面が落ち葉に覆われ、竹が密集している敷地内が映った。

「ああクソ、」

 唐突に不機嫌そうな声が入る。「ネットの接続が切れた。まったく! ほんとに冗談キツイぜ」

 また映像がぶれたが、音声はしっかり入っていた。

「ダメだ。なぜかエラーが出る。とりあえず、撮影は続行。もしかすると、ここには磁場の異常があるかもしれない。動画は後日アップだ」


 そうして、密集して生えている竹を押しのけ、乗り越えるようにして進んだ。


「ひでぇ竹林だ。手入れは、ロクにされてない。これじゃあ、道に迷うにも無理ないね」と、冗談を言って笑った。

 「まあ、あっちに街灯の明かりはみえるし、ときどき車の走っていく音も聞こえる。少なくとも、方角を見失うことはない」

 それから束の間、沈黙のまま進んだ。

「さて、たぶんここが中心近くだろうと思う」

 映像には直径二メートルほどの、クレーター状のくぼ地が映った。

「噂によると、」

 突然、映像が激しく揺れ、見ている方が驚くような叫び声が上がった。

 それで映像はいびつな角度で地面が映る。

「まったく……冗談キツイぜ」

 ゼイゼイ聞こえる吐息とともに呟きが聞こえた。それから、寒川本人の顔が映る。

「驚かせたな。たぶんデカい虫か蛾か、でなきゃコウモリ。よく分からんが、いきなりヘッドショット食らわせて逃げていった。今夜で一番ビビったよ」

 笑いながら、額の汗をぬぐった。

「さて、続きに戻ろう」

 それから、そのへんに落ちていた長めの木の枝を手にした。

「噂によると、この中心部にあるくぼ地は、底なし沼だという説もある。確かめてみよう」

 くぼ地に近づいて、落ち葉にまみれている、その中心を木の枝でつついた。「ああ、全然硬いじゃんか。これじゃ、とても沼とは呼べない。ぜいぜい出来たとしても水たまり、うわ……」

 くぼ地の落ち葉の中から、大きなムカデがカサカサと音をたてて出てくると、暗がりに消えていった。

「やれやれ、あんな奴に噛まれたくはない。くぼ地のなかに足をつっこむのは、やめにしておくことにする」

 彼は、さらに落ち葉を掻きまわした。

「ああ? ゴミだらけじゃねぇか」

 そこには、お菓子の包みと思われる包装プラの切れ端、錆びついた空き缶やタバコの吸い殻まで落ちていた。

「ひでぇもんだ。環境汚染はこんなところにまで影響を与えている」


 それから適当に、敷地内をぐるりと歩いてまわり、進入を試みたフェンスのところまで戻ってきた。

「あっ、くそ! カメラが無くなってやがる」

 寒川は唐突に言った。フェンスの外に、カメラを載せて置いていあった三脚の姿は無くなっていた。

「ああもう、夜中だから油断してた。誰かに持ってかれたか」 

 そうして、ぶつぶつと悪態をつきながら、フェンスを乗り越えて敷地の外へ出た。「まあ、カメラを失くすのは初めてじゃないから……いいとしよう。どうせ安物だ」

 それから咳払いが聞こえて、再び寒川の顔が映る。

「ひとまず、今夜の探索はこれにて終了」


***


 二人の刑事は画面から顔を上げた。 

「動画は、これで全部か?」

「まだ、オマケがひとつある」と言って、寒家は次の動画ファイルを再生した。

「撮影を再開」

 再び寒川の顔がアップで映った。

「なんと、なんと今日という日はツイてない」

 それから、煌々と明かりを放っているコンビニが映った。

「信じられないかもしれないが、ネタじゃないぜ。ここに止めてた俺のバイクが盗まれちまった。マジで冗談キツイ。詳細はまた後日!」

 二つ目の映像は、それだけのごく短いものだった。

 町田刑事は、寒川のカメラを証拠品袋に戻しながら言った。

「まだ信じられないというのか?」

「ああ、そうだ。どっちかと言えば懐疑主義だからな」

「分かった」町田刑事はうなずいた。「君のアパートは都内だな? では、いっしょに、行ってみることにしようじゃないか」

「本気で言っているのか?」

 寒川は訝しげな顔をしたが、町田刑事は本気のようすだった。

「百聞は一見にしかずというだろう?」

 それから三人はパトカーに乗り、寒川の自宅アパートへと向かった。

 寒川の部屋は一階の角部屋だった。

「君の住んでいるという部屋が、ここか?」

「そうだ」

「よし、入ろう」

 部屋には、寒川が持っている鍵で入ることができた。だが、そこには何もなかった。入居者が入る前のような、クリーニングが済んだ状態のまっさらな状況だった。

「どう……なってんだ……」寒川は唖然とした。

 彼は部屋の中を見回し、収納スペースやベランダを何度も確かめた。

「これで、分かっただろ?」

 町田刑事は言ったが、寒川は納得しないようだった。

「わかったぞ!」突然、閃いたように言った。「これはドッキリ番組だな。ユーチューバーを出し抜こうと、下手なこと考えるテレビ局の仕業だろ!」

 それから、彼はベランダに出て喚いた。

「どこに隠れてる! いるんだろ? 撮影クルーはコソコソと隠し撮りしてるんだろ! 出てこい!」

「落ち着いて、静かにしなさい」

 町田刑事がたしなめるように言ったが、寒川は聞かなかった。玄関ドアから廊下へ飛び出した。

「降参だよ! 俺の負けだ。一杯食わされた。さっさと出て来い。それから俺の家財道具一切合切を返して、元通りにしろ!」


 しかし、怪訝そうな顔の通行人がいるだけで、テレビ局のカメラクルーが現れるような気配は全くなかった。

 寒川はようやく、事態の重大さに気づき、意気消沈して呆然となった。


 再び警察署まで戻ったが、寒川は落ち着かないようすだった。

「それで、俺は、これからどうすりゃいいんだ……」

 さすがの彼でも、現実がどうであれ、実際問題として現状を受け入れざるをえなかった。

「選択肢は二つだ」

 町田刑事がゆっくりとした口調で言った。「一つ目は、このまま釈放。君は身元の保証も、社会保障もなんにも無い状態で世の中に放り出される」

「おいおい……それはそれで冗談キツイぜ」

「まあ、聞け。二つ目の選択肢だ。藪知らずの土地を管理してる八幡宮で働く」

「けっ! そんな簡単に神社に就職なんてできるのかよ」

 根岸刑事が小さく笑った。「その神主が、事情を知らないとでも思ってるんですか?」

 それを聞いた寒川は、ぽかんとした表情になった。

「はあ……なるほどな」

「私と根岸君を含めたごく限られた関係者が、このやっかいな現象を一つの事実として受け止めている。それに私だって職業柄、冷徹ではあるが冷酷ではない」

 寒川は大きくため息をついて、めまいをはらうかのようにかるく首を振った。

「青のカプセルを飲むか? 赤のカプセルの飲むか? みたいな……そういう話か?」

「君も映画好きだな」

「ふん、動画を撮る人間は、いろんな映画を見なきゃ良い動画は撮れないからな」

「いずれにせよ、これは夢じゃないぞ。それに帰るべき場所もないだろう?」

「言ってみただけさ」

「とにかく、君もその歳なら、身元もなにも保証されてない人間が社会に出てどうなるかくらい、想像はつくだろう?」

「まあ、そうだ」

「それに警察の手間も増えるかもしれん」町田刑事は苦笑した。「少なくとも、神社で住み込みなら衣食住に困ることはない。今の宮司は昔からの知り合いだ。寒川君がこれから誠意を持って仕事に励むのなら、悪いようにはしないだろう」

「選択肢は事実上一つだ、って言いたいんだろ」

「決めるのは、君自身だ」

 結局のところ、寒川にとって選べる道は一つしかなかった。


 建物の外は、すっかり日が落ちて、薄暗くなっていた。根岸刑事は黙って書類をチェックしながら、ときおり何か書き込んでいた。

「自分の体験を、」町田刑事は、寒川の所持品を返しながら言った。「大っぴらにひけらかすような真似は、するんじゃないぞ」

「仮にしたところで、誰か信用するのか? 俺自身がまだ信じ難いってのに」

「まあ、そう思ってるなら、良しとしよう」

「だが、疑問だな。ここまでおおごとなら、多少は本当の話が、噂話程度でも流れそうなもんだろ?」

 その言葉に、町田刑事の表情が険しくなった。「どうして、自分の存在を忘れてほしいと願う人がいないと断言できるのだ? もし、ほんの噂程度でも、本当の話が広まったとしたらどうなると思う? 治安上、重大な懸念も考えられる。あるいは、多くの人が押しかけてくる可能性も。それだけは阻止しなければならない」

「ふむ……」

 寒川としても、おぼろげながら想像がついた。


 世の中にはたしかに、こんなクソみたいな社会からいっそのこと忘れられてしまった方がマシという人もいるだろう。それに、指名手配犯や連続殺人犯みたいなのが逃げ込んだらどうなるか? たしかに面倒なことになるなるだろう。


「いずれにしても、寒川君は運がいい。私と根岸君が担当でなければ、路頭に迷うところだっただろう」

「はいはい、どうも。これから先、悩むことがあったらその言葉を思い出すことにするよ」

 すると町田刑事は名刺を取り出し、裏に何か書き込んだ。

「一応渡しておくよ。何か相談ごとでもあれば、この番号に連絡をしてくれ。あるいは根岸君の方でもいい」

「もっとも、いつも相談に乗れるわけでありませんよ」根岸刑事も言った。「僕たちも、暇ではありませんから」

「おう、それはそうだろうな」

 それから、三人は取調室を出た。


 警察署の玄関ロビーには一人の男性が待ち構えていた。上着を羽織っていたが、足元の服装だけみても神職だと分かる人物だった。

「寒川さんですね? お話はうかがっております。よろしいですか?」

 その問いかけに、寒川は黙ってうなずいた。

 さて、これからどうなることやら……あるいは、神社のPR動画でも撮ってやるか?  寒川はくだらないことを考えながら、どことなく自嘲的な笑みを浮かべて神職の男性の後に続いた。

 だが直後にハッとした表情になった。


 まったく別の可能性が彼の頭をよぎった。実はここは、俗に言うパラレルワールドというやつで、藪知らずに入った人物は自分が存在しない世界線へ移動させられたのではないか……

 もう一度、あの藪知らずに入ってみればいいのではないか? もしかすれば元の世界に戻れるかもしれない、と考えつくなり寒川は駆け出した。

 見送りに出ていた町田刑事と、突然のことに驚く宮司の呼び止め声も聞かず、寒川は全力で藪知らずに向かった。


「待ちなさい! 寒川君!」

 追いかける町田刑事の声が聞こえたが振り向きもしなかった。

 通りにはそれなりに人が歩いていたが、寒川は構わずに正面から堂々と飛び込むように敷地内に侵入し、中心へ向かった。

 もしもパラレルワールドなら、最初に見たときとなにか差異があるのではないか、と思った。そして中心部のくぼ地を観察した。

 クレーター状のへこみ、大量の落ち葉、細々と堆積したゴミたち……しかし、なにかしらの差異は見当たらなった。

 しばらくして、追いかけていたはずの町田刑事の声が聞こえないことに気が付いた。


 昨晩に出入りしたところへ向かってみると、フェンスのそばに三脚が倒れていた。それに見覚えのあるカメラもあった。

「こいつは……」

 寒川は手に取り、次はバイクを止めていたはずのコンビニに向かった。そしてそこには、彼のバイクがあった!

 それにスーツ姿の男二人組が、なにやらバイクを観察してメモを取っていた。 寒川はその二人の横顔に見覚えがあった。

 それから迷わず近づいていくと、相手は「なんだね、君は?」と怪訝そうな表情で聞いてきた。

「もしかすると、このバイクの所有者ですか?」

 寒川は相手二人の質問に答えず、問い返した。

「あんた方はもしかしたら、町田刑事と根岸刑事だよな?」

 その言葉に二人は眉をひそめた。

 束の間、沈黙があったが、根岸刑事のほうが答えた。

「はい、そうですけど……以前に、どこかでお会いしましたか?」

「つい昨日、俺は君たちから取り調べを受けたと思うがね」

「すみませんが、なにか、勘違いされているのではありませんか? そもそも昨日は非番でしたので」

「じゃあ、もう一個聞くが……あんた方は“藪知らず”に関して、専門の担当かなにかをしてるはずだよな?」

 険しい表情で黙っていたいた町田刑事も驚きの表情をみせた。

「なぜ、それを知っているんだね?」

「ええと、それで君は」根岸刑事のほうは困惑していた。

「俺は寒川だ。ユーチューバーをやってる。それとこのバイクは俺のだ」

「それでは寒川さん。その、よければ警察署までご同行いただいて、少しお話を願えませんか?」

「もちろんいいとも」

 寒川は、どことなく勝ち誇ったような笑みをこぼした。

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