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藪の内と外  作者: 菅原やくも


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前編

 目覚めの良い朝、とは言えなかった。

 寒川(さむかわ)は上半身を起こして部屋を見渡した。壁は無機質な白色、窓は無く、通路に面した部分は一部が鉄格子だった。


 警察署の留置場で一人、一晩過ごすのも考え方によっては悪くない、と彼は思った。少なくとも宿代はかからなかった。だが晩秋に経験するはもうごめんだ、とも感じた。


 いずれにせよ、こうした経験が初めてというわけでもなかった。以前にも——といっても片手で数えられるほどだが——警察の厄介になったこともあった。ともあれ今回は、相当に話のこじれた事態になりそうな予感だった。

 彼はベッドから出て用を済ませ、彼が住んでいるアパートのものよりも小さな洗面台で顔を洗った。

 そうしていると職員が朝食を持ってきた。配膳口から入れられたそれは、いかにも安請け合いでつくってます、という雰囲気の仕出し弁当だった。


 寒川は、世間で言うところの迷惑系ユーチューバーとでもいうもので、コールドリバー66(シックスティシックス)というハンドルネームで活動していた。彼にとって世間体的な評判は重要ではなく、動画再生回数が全てだった。

 もっぱら各地の廃墟や廃線、廃トンネル、閉鎖された施設といったような、あまり人が立ち入らない場所を専門としていた。


 今回、彼がターゲットに選んだのは関東地方のC県I市にある“藪知(やぶし)らず”と呼ばれるパワースポットだ。不知森(しらずのもり)という名でも呼ばれ、いわゆる禁足地とされる場所である。

 人が決して敷地に立ち入ってはならず、もしも入れば、神隠しに遭うという言い伝えが残されている土地だった。


 その由来に関しては日本武尊(やまとたける)陣屋(じんや)説、平将門(たいらのまさかど)の墓所説などがあり、あるいは“敷地の中心部に底なし沼がある”などという説も挙げられていた。

 江戸時代に書かれた文献にも、伝承について触れたものが多々あった。さらには水戸黄門(みとこうもん)の愛称で知られる、水戸藩藩主の水戸光圀(みとみつくに)公が旅の途中で道に迷って入り込んでしまい、現れた妖怪に案内されて無事に出ることができた、といった逸話も残されていた。


 とにかく、寒川が調べた限りでは、現地へ行ってみた系の動画はあるものの、実際に敷地内へ侵入する内容の動画は見つからなった。これは一番乗りするチャンスだ、と彼が考えたのは無理のないことだった。


 ひと月前にも現地に下見に訪れていた。

 立地は市街中心地、意外と人目のつく場所だった。徒歩圏内には私鉄とJRの駅があり、すぐ横には大きめの駐輪場、裏手には住宅が並んでいた。目の前の道にいたっては交通量の多い国道で、近くには市役所の庁舎が立っているのも見えた。


「なんとも、こりゃ……」彼は現物を目の前につぶやいた。「神隠しだかなんだか知らんが、おっかねえ伝承がある割にこんな街中にぽつんとあったんじゃ、肩身が狭そうだな」


 そうは言ったものの、狭い土地から溢れんばかりに密集する竹林は、ただならぬ気配を漂わせているように感じるのも事実だった。


 予想よりもかなり街中にあるということが分かり、彼は計画を変更することにした。もともとは真っ昼間に撮影するつもりだったが、夜間にしようと決めた。

 仮に撮影しているところを通報されたとして、罪に問われるのは不法侵入か軽犯罪くらいだろう、とタカをくくった。彼はどのみち、どちらも経験済みだった。それに夜中の撮影中に警察がやってきて騒ぎになるザマを想像すると、それはそれで面白い配信になりそうだ、と思ってほくそ笑んだ。


***


 寒川は、お世辞にも美味しいとは言えない弁当を食べながら、昨日のことをあれこれと思い返していた。


「まったく、冗談キツイぜ……」と、いつもの口癖をつぶやいた。


 彼がちょうど食事を終た頃合いに、彼のもとに近づいてくる人の姿があった。

 少々くたびれたスーツ姿の無精髭の若い男と、二人組の制服警官だった。制服の方が鉄格子のドアの鍵を開けたけ、それから無精髭の男が口を開いた。

「どうです? よく眠れました?」

「ああ、住んでるアパートに比べたら、静かなもんよ」

 彼は皮肉を込めて答えた。

「それは良かった」

 相手はぎこちない笑みを浮かべた。「僕は刑事の根岸(ねぎし)といいます。ええと、」

「俺は寒川だ」

「どうも。では、これから」

 根岸刑事は、なにか説明をはじめようとしたが、寒川は遮った。

「ああ、だいたい分かるさ。黙秘の権利がどうたらとか面倒なやつ。あとは取り調べと、それに指紋も採るんだろ? 知ってるぜ」

「そうですか……」

 刑事は一瞬面食らったようすだったが、慣れたものだった。「でもまあ、規則なので説明させてもらいます」

「はいはい」

 いずれにせよ、寒川が以前に聞いたものと、似たり寄ったりの内容だった。


 取り調べ室もおおよそ見慣れたものだった。全体的に灰色で無機質、窓がある場合は鉄格子入りで、ドラマにあるみたいなマジックミラーの有無は場所によって違うことがあった。今回はマジックミラーの無い部屋だった。

 もう一人、中年の町田(まちだ)という刑事も部屋にいた。こちらは、憮然とした表情で腕を組み、壁にもたれてジッと寒川のことをにらんでいた。

「それで、」向かい合って座っている根岸刑事が言った。

「この免許証だけど、どこで手に入れたのかな?」

 根岸刑事は、透明なビニールの証拠品袋に入れられている免許証を手にした。

「どこって、都内の免許センターに決まってんだろうが」

「そうかい……」

 免許証はもちろんのこと、財布にスマホ、腕時計等々……彼の持ち物は、全て没収されていた。

「今、詳しく調べているんだけどね。この免許証は確かに、ICチップもついているし、データも入っている。だけど、その参照すべき先に該当するデータが存在しないんだ」

「俺が知るかよ、そんなこと」

「滅多にあることじゃない」

 町田刑事が横から言った。「いや、通常ならあり得ないことだ。つまりは、その免許証は巧妙に作られた偽造品、と私は考える」

「けっ、そんな大それたことするかよ」

「あんたが、詐欺集団や窃盗団の一味という可能性もある」

「んな訳ねーだろう。冗談キツイぜ」


 そもそもこうして警察のやっかいになるきっかけは、彼自身の通報からだった。

 藪知らずでの撮影を終えたのち、近くのコンビニ戻ってみると、止めて置いていたはずのバイクが無くなっていたのだ。

 ついでに言えば、敷地のすぐ外に置いていた定点撮影用のカメラも無くなっていた。ただ、これまでにも撮影中にカメラを壊したり、失くすことはよくあった。彼にしてみればカメラの一台くらいは大したことではなかった。

 とにかく、コンビニまで戻って自分のバイクが無くなっていることに気づき、「俺のバイクがない!」と口に出して驚いたわけだった。

 さすがの寒川も警察に通報せざるをえなかった。どう考えても盗難だと思った。それに事故だとか犯罪に使われた、なんてことになったらたまったものではなかった。

 ただ、その後の免許証の参照で、記録の不備が云々(うんぬん)といった話になり、それから署まで任意同行を求められ、気が付けば留置場で一晩過ごすことになったのだ。

 ただ今にいたるまで、藪知らずに入ったことは黙っていた。


「まあまあ、それはともかくとして。君は、ええと……ユーチューバーだと言ったね?」

「そうだよ。」

 わざとらしくため息をついて続けた。「それで前にも、警察の厄介になったことがある。さっき、取り調べの前にスキャナーで手の指紋を採って、綿棒で口の中もぬぐったろ! データベースってやつとかで、参照すれば、俺が言わずとも身元は一発で分かるだろうが」

 根岸刑事は一瞬、町田刑事に視線を送ったが、町田刑事のほうは肩をすくめるだけだった。

「まあ、DNAの参照は……一週間くらいかかるから、すぐには無理だけど。指紋については該当なし。それに名前も調べたけど記録には載っていない。あるいはもしかしたら、なにか手違いがあったのかもしれないけど」

「じゃあ、そっちの落ち度じゃないか?」

 そのとき、ドアをノックする音が聞こえた。町田刑事がドアを開けると、職員が一人、書類を差し出して何か呟いていた。

「ああ、わかった。一応、範囲を広げてくれ」

 町田刑事はそれだけ答え、書類を受け取った。

「君の言う、バイクについてだ」そういって仰々しく書類に目を通した。「うむ……少なくとも関東一帯で、ナンバー登録の記録に該当はない」

「そんなこと、俺が知るかよ」

 寒川は不満げに首を振った。

 それから小一時間近く、不毛ともいえるようなやり取りが続いた。


 束の間、退室していた町田刑事が取り調べ室に戻ってきた。

「本籍地について問い合わせの、結果が来た」それから、いらだち交じりに書類を机の上に投げ出した。「そもそも該当するものが、本籍地にもどこにも、記録に載っていない!」

 一方の根岸刑事は、落ち着いたようすで、たしなめるように言った。

「まあまあ。じゃあ、ちょっと話題を変えてみましょうか」

 そうして、手元の書類をめくった。「その、バイクが盗まれたと通報した夜、君はそもそも、いったいどこで何をしていたんだい?」

「ああ、それは……」と、寒川は思わず言いよどんだ。

「なにか言えないことか?」町田刑事も詰め寄った。

「いや、」

 少し逡巡して、ため息をついた。「まあ、不法侵入だろう、ってのは認める」

「なんだと、どこだ? 強盗にでも入ったか!」

「違うってえの、()()()()だよ」

 それを聞いた途端、刑事たちの表情が固まった。

「なに? どこだって?!」

「だから、や・ぶ・し・ら・ず」寒川はわざとらしく強調した。「あの、禁足地とかなんとか言い伝えのある、ちっさい竹林だよ、市役所近くのアレ。ついでに言えば、あのとき外に置いていたカメラも無くなった。まったくツイてない」

「なんてことだ……」「入ったって? 本当なのかい?」

 二人の刑事が動揺したそぶりを見せて、今度は寒川のほうが困惑した。

「ああ、そうだ」

「敷地に入って、なにをした?」

「べつに、ちょっと……動画撮りながら、適当にぐるっと歩いただけだ。あと、真ん中の、くぼ地みたいなとこも見た」

「なんのために?」

「動画配信だって。ユーチューバーだって言ってるじゃねえか。それに同じようなことをしたやつがいないようだから、再生回数を稼げると思ってね。俺が一番乗りだ」

 これまで、まるで犯罪者扱いだった町田刑事の態度が、急に穏やかになった。

「いいかね、寒川君。ほんとうに、藪知らずに入ろうと考えたのが、君が初めてだと思うか? よく考えてみろ」

「そんなの知るかよ。案外、世の中には腰抜けが多いんだ。俺が初めてでも不思議じゃないね」

「では、入って出られなくなるとか、神隠しだとかの事態に遭うと本気で思っていたわけじゃないんだな?」

「当たり前だろ。でなきゃ中に入って、動画撮るとかしねぇし。なにか問題でもあんのか?」

「実際のところ、かなり深刻だよ」

 根岸刑事も口を開いた。「僕らも、科学的確証を持っているわけではないけど。だけど、あの藪知らずは自由に出入りができる」

「じゃあ、何が深刻なんだよ」

「まだ、分からんのか?」町田刑事が続けた。「君に関する、参照すべき記録が、なに一つ見つからんのだ」

 その言葉で、寒川の頭の中に一つの考えが浮かんできた。


 入ったら出られないというような、単純な場所ではないのか? あるいは入ったら、世の中から自分の存在が無かったことになされる、とでも言うのだろうか?


 それならば、一連の出来事を上手く説明できなくもない、と彼は思った。

 外に置いていたカメラやバイクが無くなったのも、免許証が参照できないのも、本籍地に記録がないということも。それに、これまでに中へ入ったという人の話を聞かないことも……。

「なんだ、その……藪知らずは、その、入った人の存在が無かったことにされる、そうでも言いたいのか?」

「端的には、そういうことだ」

 そう言われたもの、寒川は完全に納得できるわけなかった。

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