狂人はいつだって
仮面をつけた能力者の世界と現代世界の並行世界間渡航が題材のライトノベルを読み終えて、俺は一息ついた。
その物語の主人公は狂人だった。
世界の狭間で、彼はヒロインを守るために自分の臓器を捧げて死んでいった。なんて愚かなのだろう。
もし俺がその物語の主人公だったとしたら、自分の保身のために、平然とヒロインを売っていただろう。
そう、人間は皆愚かである。
自己顕示欲の塊であり、かつ自己中心的な生き物。自己の欲求の追求だけを考え、溺れていく。それが人間――狂人なのだ。
そう、そんな俺も実は狂人なのかもしれない。
自分の欲求の追求のために、北海道に飛んで、墜ちた。大惨事だった。
俺の乗った飛行機で生き残ったのは俺一人だった。パイロットもクルーもコックさんも隣に座っていた子どももその家族も、皆死んだ。
その日の出来事について小説を書け、と言われたら克明な描写ができるだろう。五感がそれを覚えているからだ。
今でも飛行機は怖い。だから、米軍基地のあった厚木から俺は飛行機の航路にならない、この山奥の町に引っ越した。
こうやって、俺はここまで生きてきた。
そんな俺は、強靭なのかもしれない。いや、狂人か。
誰もいない屋上で、ライトノベルを火鉢の上に載せる。インクが化学反応を起こし、炎の色が変わっていく。
火だけは怖くなかった。そりゃそうだ。事故のつい一か月前まで、俺は現役の消防士だったのだから。火が怖くて消防士が務まるか? ボールが怖くてサッカーができるか?
俺は黙って、最早炭になったライトノベルをトングで取り出して、バケツの中に放り込む。さて、メインイベントだ。
俺は脇に置いてあったビニール袋から例のものを取り出して、火鉢の上に置いた。それはやがて煙を放出し始める。匂いは芳しく、脳内麻薬のように俺の心をとろけさせる。
やっぱり、俺は狂人なのかもしれない。
いや、しかしこれは公共政策なのだ。食の提供は日本人の立派な持て成しであり、好感度を上げる道具でもある。食文化の共有に誰も文句を言うはずはない。
だから俺は平然と、病院の屋上で……
「あーもう、屋上でくさやを焼かないでくださいって言っているじゃないですか!」
いい具合に焼けてきたくさやの横に、もう一匹を追加させようとしたときだった。
白衣を着て、頭に白いナースキャップをかぶった看護士が、怒鳴るような声と共に肩を怒らせながら、俺の元へと詰め寄ってきた。
「この匂いがたまらないんですよ」
怒り心頭の彼女に動じずに俺は笑いながら言う。さすが、北海道産のくさやは匂いだけでも一級品だ。
「あの真っ白いシーツが目に入らないんですか、塚本さんあなたは!」
看護師の声はヒステリックだった。こうしている間にも、煙は屋上の角に干してあった真っ白いシーツへと向かっていく。
「いいじゃないですか。美味しいですよ? なんだったら後で医局の皆さんにも配りましょうか?」
「そういう問題じゃないんですよ!」
看護師は怒って必死に煙を吹き消そうとする。……無駄でしょう。バケツの水でもかけりゃいいのに。それかシーツを避難させるとか。
しかし、今の状況は面白そうだったので、何も言わずに彼女の行動を観察することにした。
「ったく、怒られるのは私なんですよ!」
看護師の悲鳴にも似た文句は、狂人には至福の、常人には形容しがたいような不快な臭いと共に、白くたなびくシーツに染みこんで行くのだった。
終
割と何なんだろうこの小説、書いた人が狂っているんじゃないか。なんて、執筆して10年後の作者はつぶやきます。加筆修正なし。大学時代に書いたそのまんまは「五線譜に~」と同じです。
なんかお題を出されて書いたはずなんですけど、何だかさっぱり思い出せません。何がお題でこんな小説を書いたのか、さっぱり思い出せません。
しかしこれも自分の書いてきたものの一つなので、今回放出することにしました。いかがでしたでしょうか。
ちなみに「くさや」がテーマではありません。それだけは確かです。しかしながら、食べたことないので食べてみたい湯西川川治でした。また書きます。
了