第九十七話 速いのはどっちだ
火バサミ片手に軽く腿上げ等し始める黄泉醜女を、半眼で見つめながら鈴音は考える。
どう見ても走る気満々だ、それはつまり。
「クイズ、何故急にツシコさんはやる気を出しているのでしょーぅか!三択です。1、ツシコさんとの競争に勝たないと帰れない。2、それを決めたのはナミ様だ。3、何故なら面白いから。さあ正解はどれ!」
ビシ、と掌で黄泉醜女を指名すると、ご丁寧にも早押しボタンを叩く仕草をしてから答えてくれた。
「4、全部ぅ!」
「正解!……うわぁー、やっぱり競争ですか。どっからどこまで?」
嫌そうな顔をした鈴音が出口に通じる横穴を見ると、黄泉醜女は頷きながら楽しげに笑う。
「あの道の入口から黄泉の国の出口までだねぇ。どんな手を使っても良いよぉって言いたいトコだけどぉ、鈴音ってさぁ当たったらヤバい系の攻撃しか無いじゃん?」
「あー、まあ確かに。ほな、当たっても怪我せぇへん事ならしてもええんですね?」
「いいよぉー?楽しみだわぁ」
悪い笑みを浮かべる鈴音に対し、黄泉醜女もまた口角を吊り上げて応える。
どうせやるなら気分を盛り上げようと、揃って一騎打ち風の雰囲気を出した。
すると、心配したらしいヒノがすっ飛んで来る。
「な、仲良しだよね?ね?」
鈴音と黄泉醜女の間に入って仲を取り持とうとするヒノの健気さに、離れた場所でナミが勝手に撃沈。
黄泉醜女も目尻をこれでもかと下げて、もうちょっとで溶けてしまいそうだ。
「仲良しですよぉー?今から鈴音が中津国に帰るからぁ、向こうまで競争するよってだけでぇ、喧嘩ではないですからぁー」
「ライバル対決……えーと、強さが近い者同士が張り合ってる感じを出したら、観てる方も面白いんちゃうかなぁ思て。驚かしてすみません」
笑顔で答える黄泉醜女と鈴音を見て、ヒノはホッとした表情になる。
しかし直ぐに鈴音を見上げ、眉を下げた。
「鈴音、もう帰っちゃうの?」
「はい。猫神様にお魚持って帰る大事な任務と、その前にちょっとした雑用があるんで、急いで戻らなアカンのですよ」
「そっかぁ……。また来るよね?」
「えーと……来られるんですかね、ここ」
困った顔で笑う鈴音からナミへと視線を移したヒノは、澄んだ目で只々じっと見つめる。
「可愛……ッ!ダ、ダイジョーブ、鈴音はいつでも来られるよぉ、私の力取り込んでるしぃ。だから安心してヒノたん」
それを聞いたヒノが『母様大好き!』と笑った途端、ナミは胸元を押さえ幸福そのものの笑みを浮かべながらゆっくりと倒れた。
「母様!?」
「大丈夫ですよヒノ様。大好き言われたんが嬉し過ぎて、ちょっと横になっただけですから。そっとしといたげましょ」
「そ、そうなんだ、解った」
心配そうにしながらも頷いたヒノが、今度は黄泉醜女を見上げる。
「中津国には火事があるんでしょ?怪我しないように僕の力をあげるね?」
小さな両手を伸ばしながら小首を傾げるヒノを見て、黄泉醜女は天を仰いで大きく息を吐いた。
「お願いしまぁす」
3秒程待ってから気合の入った顔で手を差し出すも、結局ヒノの両手が触れた瞬間、目尻が下がってデレデレになる。
「子供好きなんやなぁツシコさん」
虎吉を撫でながら呟く鈴音の前で、火への耐性を身につけた黄泉醜女が幸せそうな顔でヒノへ飴を渡している。
「ありがとうございますヒノ様ぁ。よっしゃこれで鈴音が火ぃ吹いても怖くないよぉ?」
「吹くかッ!怪獣やあるまいし!」
自信満々の黄泉醜女と素早くツッコむ鈴音の様子に、ヒノはとても嬉しそうだ。
「どっちも頑張ってね。僕、今度鈴音が来るまでに、火が上手に使えるように練習するよ」
「おー、いいですね。楽しみにしときますね。ほな、ナミ様ヒノ様、お世話になりました。今日はこれで失礼致します」
笑顔でお辞儀する鈴音へヒノは手を振り、復活したナミは楽しげに笑う。
「お世話になったのはこっちだよぉー。そんな恩人に悪いんだけどさぁ、黄泉醜女に捕まったら入口からやり直しだからぁ、チョー頑張って?」
「うわぁ。挨拶しといて戻って来んのめっちゃ恥ずかしいやん。こらもう、本気の全力や」
言うや否や鈴音は魂の光も神力も全開にした。
ドンと震えた空間と真夏の太陽のような眩い光に、ナミは目を細め、ヒノは目を丸くし、黄泉醜女は遠い目になる。
「こーれはかなり疲れそうかもぉ。本気出すのいつ振りぃ?糞野郎振りぃ?」
そう呟く黄泉醜女からも強烈な神力が迸った。
「きゃはは、いいねいいねぇ!ヒノたん、こっちで母様と一緒に観よぉ?」
ヒノを手招きするナミのそばに、丸く大きな鏡が出現する。
そこに映るのは光り輝く鈴音と、眼球の無い目と耳まで裂けた口から黒い剣山のような牙を覗かせる黄泉醜女の姿。
ナミがヒノを膝に乗せて観戦体勢が整った所で、鈴音はスタート地点に立つ。
その背後、手を伸ばしても鈴音にギリギリ届かない位置に立った黄泉醜女は、別の横穴からこちらを覗う者達へ火バサミを投げ渡して手を振った。
「今日はアタシひとりで勝負するからぁー。来なくていいよぉー」
誰だろう、と顔を向けた鈴音の視界に、黄泉醜女にそっくりな姿の女達が映る。
「ツシコさんがいっぱい」
「そそそ。みんな黄泉醜女。糞野郎ん時は全員で追っかけたよねぇー。逃げ切られたけどさぁー」
大勢の黄泉醜女より、ナミの元夫が彼女らから逃げ切ったという事実の方に鈴音は驚いた。
「足速いんですねぇ糞野郎さん」
「え?あぁー、いやー、そだねぇー」
何やらはっきりしない黄泉醜女に怪訝な顔をした鈴音だが、取り敢えず今は自分の事を考えようと切り替える。
「ほな行きますか。スタートの合図はナミ様に?」
「うんうん、任せてぇー」
振り向いた鈴音へナミが手を挙げて笑った。
「んじゃ、位置についてぇー」
会釈した鈴音は前を向き、黄泉醜女はその背を見つめる。
「よぉーい」
表情を引き締めて構え。
「どぉーん!!」
掛け声と共に揃ってロケットスタートを決めた。
一歩踏み出すと同時に背中へ伸ばした手が空を切り、黄泉醜女は目を見開く。
「マジか!速いわ鈴音ぇ!」
思い切り離されるような事はなかったが、鈴音と黄泉醜女の間に距離が出来ていた。
恐らく猫の瞬発力を存分に活かしたスタートの分だろう。
その後は差が開くでも縮むでもなく、同じ間隔を保ったままの競争が続く。
『長いわー。どこまであんねんな。けどこれ、一回でもミスったり躓いたら負けやなぁ。慎重に行こ』
ただ、そうやって鈴音が順調に走ったとしても、黄泉醜女には地の利があるのだ。
最後の最後、ここぞというポイントで仕掛けて来るに違いない。
『息遣い聞き逃さんようにせな』
集中力を研ぎ澄ます鈴音の目に、針で突いた穴のような明りが見えて来た。
あれが出口かと確認した所で、鈴音の耳は黄泉醜女が大きく息を吸い込む音を捉える。
慌てる事無くポケットに手を入れた鈴音は、『いっひっひ』等と言い出しそうな悪い笑みを浮かべた。
「捕まえたぁー!」
ラストスパートに入り手を伸ばした黄泉醜女へ向けて、鈴音の右手から放たれた小さな何かが降り注ぐ。
「え!?あ?おぉー!?」
反射的に避けようとして、それが飴の包みだと気付いた黄泉醜女は、迷わず全て空中でキャッチした。
「やったぁ、飴じゃぁーん!」
そう、降り注いだのは飴の雨。
両手にある色とりどりの包みを見て、黄泉醜女はご満悦だ。
「桃に蜜柑に林檎に葡萄にぃ…………。桃?葡萄?」
はたと気付いて顔を上げると、鈴音はもう遥か彼方、出口まであと少し。
飴に気を取られたせいで、黄泉醜女のスピードはすっかり落ちていたのだ。
「ま、ま、またやっちゃったぁーーー!!」
飴を素早く裳のポケットに仕舞い込み、『うぎゃーくやしぃー!!』と叫びながら黄泉醜女は出口へ急いだ。
ひと足お先にゴールした鈴音は、薄暗い中見える光景にキョトンとしている。
明りの見える方へ走り穴を潜り抜けた筈なのに、出た先は日が落ちた薄暗い世界。
そして視界に入る賽銭箱や駐車場。
「ここはー……日本のどっか?どこやろ、見当もつかへんなぁ」
振り向けば大きな岩が二つあるので、この間から出て来たのだなとは解ったが、それだけだ。
仕方がないのでスマートフォンを取り出して、地図アプリを起動する。
「ぅわーぉ、関西ちゃうかった。中国地方や」
驚く鈴音の後ろから、勢い良く黄泉醜女が飛び出して来た。
「むっきゃー!!ムカツクむかつくムカつくー!!」
「ぶッ。めっちゃ悔しがってますやん」
余裕の笑みなど見せてみると、黄泉醜女はジタバタと駄々っ子のように暴れる。
「にーかーいーめー!!この手に引っ掛かるの二回目ぇえ!!」
二回目、またやっちゃった、逃げ切った糞野郎、のキーワードから鈴音は大体の事情を察した。
「糞野郎さんも同じ事しよったんですね」
「そう!!アイツは山葡萄とタケノコだったけどねぇ!!醜男達は桃投げられたって言ってたしぃー!!キーッ!!」
思い出して更に悔しさが増している様子の黄泉醜女に、鈴音はとっておきの情報を与え鎮まって貰う事にする。
「ツシコさん、はいコレ。これ見て?」
検索結果を表示させたスマートフォンの画面を、黄泉醜女の顔の前へ突き出した。
「えぇ!?なに!?」
眉間に皺を寄せる黄泉醜女へ鈴音はニッコリ笑う。
「子供が好きな料理の作り方。ヒノ様が喜ぶんちゃうかなぁー?」
「なにそれ詳しく!!」
神速で鈴音の手ごとスマートフォンを掴んだ黄泉醜女は、どこで覚えたのか上手にスワイプしてレシピを食い入るように見ている。
「みんな大好きサクジュワ唐揚げ、子供ニコニコ野菜入りハンバーグ、バターが決め手とろとろ卵のオムライス」
カッと目を見開きわなわなと震える黄泉醜女。
「に、煮物は駄目だったんだぁぁぁー……」
「あはは、大人向けですかねー、煮物ねー。後はカレーも好きや思いますよ。甘口の。ただ、市販のルーが無いと作るんめっちゃ大変です」
「ちょうだぁい、市販のルーちょうだぁい、甘口の美味しいやつちょうだぁぁぁい」
真顔でグイグイ迫る黄泉醜女の圧に負け鈴音は小刻みに頷く。
「つ、次お会いした時に渡しますんで。取り敢えずは唐揚げやらハンバーグやらを試してみて下さい。野菜が割と苦手みたいな事仰ってたんで、小さめにするとか刻み倒すとかしたらどないでしょ」
「解ったぁ。カレーのルーよろしくぅ。あ、これは何だろう、生姜焼き、豚カツ、角煮……」
ヒノの為にも暫く黄泉醜女に付き合いレシピを覚えて貰った。
「ほな、そろそろエエですか?ここが日本やと時間過ぎるから、のんびりしてたら家にお母ちゃん帰って来てまうんで。取り敢えず神界に行かな」
「あ、そっかぁゴメンねぇー。うん、結構覚えられたわ新しい料理ぃ。帰ったらソッコー試してみるねぇ」
顔を上げて笑う黄泉醜女は、競争に負けた悔しさを忘れてくれたようだ。
スマートフォンを仕舞いつつ、鈴音も笑顔を見せる。
「どんな反応しはったか、今度教えて下さいね」
「任して任してぇ。ふんじゃ、今日はありがとねぇー、またねぇー!」
手を振った黄泉醜女は身を翻し、素早く岩の間へと消えて行った。
「ふぅ。ほな私らも行かな虎ちゃん。いつまでも毛玉の真似しとらんと、通路開けてー」
「うぅー……エラい目に遭うた……」
スポンと脇から顔を出した虎吉は、左前足を出して伸びをするついでに通路を開ける。
「お疲れ様。虎ちゃんにも猛禽類以外に怖いもんあったんやねぇ」
優しく頭を撫でながら笑う鈴音に、半眼の虎吉は鼻で溜息をつく。
「死神なら怖い事あらへんねんけどな。あれは死そのものやからな。猫の本能がもう、どないもならん勢いで怖がりよるんや」
「へえぇー……、ほな黄泉の国に行く時は虎ちゃんはお休みやね」
「せやな。あのチビには悪いけどな」
頷き合い通路を潜って白猫の縄張りへと戻った。
よいしょと通路を出た所で、白猫の頭突きを食らい鈴音はもこもこ雲の上に引っくり返る。
「ごッフ!!……威力が3割増し……!」
フンフンと鼻を鳴らしながら鈴音の匂いを嗅いだ白猫は、立てた耳を反らし音がする勢いで尻尾を振った。
「そして何故か怒ってはる!」
上体を起こした鈴音は慌てて虎吉を見る。
「鈴音に怒っとる訳ちゃうから大丈夫や。黄泉の国の匂いにムカついてんねん。大事な眷属に何してくれてんねんいうて」
「あ、そうなんや。けどあれやん、ナミ様のせいちゃうから、そこは訂正しとかんと」
「おう、任しとけ」
鈴音の腕から降りた虎吉が、白猫に事情を説明する。
その間に鈴音は神々の元へと近付き、空中に浮かぶ映像を見た。
「ただいま戻りましたー。どないなってます?」
白髭の神のそばへ寄りつつ尋ねると、まだ鈴音が靄に包まれ消えてから然程時間は経っていないとの事。
「あの黒い鎧の中身が若い娘の姿をしておってのう。あの子らはそれを追って森の奥へ進んでおる。鎧の怪しげな力でそなたが何処かへ隠されたのだと思うておるのう」
白髭を引っ張りながら説明してくれる神に礼を言い、鈴音は笑う。
「私が神様なんやとしたら、あんな弱いのんに負ける訳ないのに」
「まあ、そなたや骸骨からすれば弱い相手であろうが、人からすれば充分に恐ろしい相手であるからのう。そう思い込むのも無理はなかろうて」
「あ、そうか、腕に覚えのある部隊が負けてるんでしたっけ。感覚がズレてました、アカンアカン。ほなあれですね、このまま私いうか神様が戻らずに、あの子が鎧と話してうまい事浄化出来たら、神様がしくじった事をやってのけたいうて自信つくんちゃいますか?」
名案ではなかろうかと胸を張る鈴音と、それも有りかもしれないと頷きかけた白髭の神が、ふと見上げた映像に。
『木がさー、邪魔じゃない?全部切っちゃう?そしたら原っぱになるから、鎧探し易くなるよ?』
名案だろうと胸を張る虹男と、それは絶対に無しだと慌てる骸骨が映っている。
「あー……、やるわ。このままやと確実にやりよるわ」
「ホッホッホ。可及ぅぅぅ的速やかに戻って貰うてええかのう」
老いを感じさせぬ早さで杖を振り通路を開く白髭の神。
「ハハハ、そうですね急ぎましょう。うん、私の役目は虹男の暴走を止める事やった。忘れとったなー。虎ちゃーん、行くよー」
「おう」
走って来た虎吉が腕に収まる。
「ほな今度こそお魚ゲットしてきますね猫神様!行ってきまーす」
目を細めて頷く白猫に手を振り、鈴音は再び異世界への通路を潜った。




