第九十五話 ナミ様
鈴音の後から部屋を出て来たヒノを見て、黄泉醜女はまた目元を押さえる。
「ヒノ様が出て来たぁ……ありがとねぇ鈴音ぇ」
「いえ、私は何も。ヒノ様がお決めになった事ですよ」
そう言いながら鈴音は、どうやらヒノを泣かせかけた事は大目に見て貰えたようだ、と胸を撫で下ろした。
「ふんじゃ、みんなでナミ様んトコに行こっかぁ」
笑顔を見せる黄泉醜女に頷き“美女の名はナミ”と脳内の情報を更新しておく。
小さなヒノに合わせてゆっくりゆっくり歩を進め、皆で美女ことナミの居る部屋へと向かった。
暫く歩き、ナミの居る部屋の灯りが見えてくると、緊張した面持ちのヒノが足を止める。
胸元を押さえ深呼吸する姿を見た鈴音は、黄泉醜女へコソコソと耳打ちした。
「先に行って、ナミ様に興奮せんように伝えて貰えませんか?ヒノたーーーん!!みたいな勢いで来られると、多分ビックリして熱なって、それがショックでまた凹むかもしれませんし」
「あー、そだねぇ。とにかくナミ様に怪我させたくないんだもんねぇー。わかった、ユルい感じでって伝えてくるわぁ」
頷いた黄泉醜女が屈んでヒノに声を掛ける。
「アタシ先に行って母様にヒノ様が会いに来るよーって言ってくるんでぇ、ゆっくりでいいですからねぇー」
「……うん、ありがとう」
微笑むヒノに目尻を下げ、手を振った黄泉醜女はその場から走り去った。
「相変わらず速いなー」
「鈴音とええ勝負やな」
黄泉醜女を見送ってからポケットを探った鈴音は、飴が無い事に気付き一旦虎吉を下ろしてボディバッグを開ける。
中にある巾着袋から飴をたっぷりと掴んでポケットへ入れ、一つをヒノに手渡した。
「はい、ヒノ様。甘い物食べて気持ち落ち着けましょ?」
「ありがとう」
嬉しそうに受け取り中身を口に入れたヒノから包装を回収し、ふと気になった事を尋ねてみる。
「ヒノ様がご飯食べへんかったんは、そのー……美味しなかったからですか?」
こうして飴は食べるし、出された料理も少しは食べていた。
つまり、当初考えたハンストやら自分への罰やらとは違うのかもしれないと思ったのだ。
黄泉醜女も『マズいのかなぁー』等と言いながらその辺りを悩んでいたようなので、どさくさ紛れに聞いてしまった。
するとヒノは、困った顔になりながらも小さく小さく頷く。
「食べなきゃ駄目なんだけど……しいたけが……ナスも……」
「あー、それはハードル高いですねぇ……。子供ん時は美味しさがわからん系の代表格やわ。大人になっても嫌いや言う人もおるし。よし、わかりました。ツシコさん……黄泉醜女さんに、子供はこんな料理の方が好きちゃうかなぁー?て、コッソリ言うときますね」
任せろとばかり胸を叩く鈴音に、ヒノは目を輝かせた。
「ホント!?じゃあね、後ね、ピーマンとニンジンとグリーンピースとタケノコとセロリと……」
「好き嫌い多いな!?そして黄泉の国の食材の豊富さ!!セロリて!!」
「何でも食わな大きなられへんで」
「えぇー……」
大人らしい虎吉の意見に口を尖らせるヒノを見て、緊張は解れたようだと安心した鈴音が頷く。
「入ってるて分からんぐらい刻むとか、何かしら頑張って貰いましょ。ほな、そろそろ向こう行きましょか」
バッグを背中側へ戻し虎吉を抱えた鈴音が指す先を見て、ヒノは素直に頷く。
「僕、頑張る」
「その意気です」
笑顔で励ましつつ、再びゆっくりとナミの待つ部屋へ歩き始めた。
ヒノがナミに会う前に呼吸を整えたいと言うので、鈴音は一足先に部屋という名の巨大空間へ入る。
直後、部屋を間違えただろうかと、自らの目を疑った。
というのも、座って待っているナミがそれは見事な変貌を遂げていたからだ。
先程までのしどけない姿はどこへやら。
豊かな黒髪はきっちりと結い上げられ、身体を包むのは寝間着代わりの布ではなく色鮮やかな貫頭衣と裳。
口には紅まで引かれているではないか。
「うわー、めっちゃベッピンさんな女神様が居る」
鈴音は同意を求めようと虎吉を見るが、ヒノは大丈夫でもやはりナミは怖いらしく、毛玉状態に戻ってしまっていた。
「うーん、まあ確かに凄い御力やもんね。これを神力て呼んでええんか?いう、よう解らん圧力。本能でビビってまう感じ」
別嬪と言われてご満悦なナミを見ながら、虎吉にしか聞こえぬ程の小声で呟く。
異世界の創造神達も、ちょっと力を出せばこんな感じなのかもしれない。
しかし普段はただの猫好きとして鈴音にも好意的に接してくれるので、今回初めて、神の恐ろしさを正しく体験していると言えそうだ。
「別に嫌われてへんけど、向こうの気分ひとつでどないでもなるヤバさはあるよなー……サファイア様も怖かったけどまたちょっと意味合いちゃうかったし」
夫婦喧嘩で虹男が木っ端微塵にされていたのは確かに恐ろしかったが、あの力が自分に向くかもしれないという恐怖は無かった。
今回も既にナミから“糞野郎探知機”としての役割を与えられているので、一応は大丈夫だろうと思っている。
思ってはいるが、ヒノが泣き出したりしたらどうなるかは分からない。
「全ては可愛いヒノ様次第やなー……あぁ怖ッ」
怖いと言いながらも楽しげに、鈴音はゆっくりと振り返る。
「さ、ヒノ様どうぞ。お母様が首を長ぁくしてお待ちですよ」
そんな鈴音の声にも悠然と構えるナミ。
圧倒的強者、女神としての堂々たる振る舞いはしかし、巨大出入口の暗がりからトコトコと歩いて来た息子の姿を見た途端に崩れた。
「くぁ……ッ」
息を吸い込むと同時に何かを叫びかけたナミへ、最早光の速さなのではと疑う勢いで鈴音と黄泉醜女が反応。
『堪えろ!!』
という物凄い眼力で、恐らく『くぁわいぃいー!!』とか何とか叫ぶ所だったナミを抑え込む。
慌てて口元を手で隠したナミは、大きく息を吐いてから優しく微笑んだ。
それを見たヒノはのぼせたように顔を赤くし、鈴音の陰に隠れてしまう。
「あらら、お母様が綺麗過ぎて照れてしまいましたか?」
こうでも言っておかねば、
『鈴音が邪魔でウチの子が見えないんだけど』
と無言の圧力を掛けながら傾いたり伸び上がったりしているナミに、指先一つでどうにかされかねない。
「ご覧の通り、お母様はヒノ様の事が大好きなので、緊張せんでも大丈夫ですよ」
バスガイド宜しく動かされる鈴音の手に導かれてヒノが顔を出すと、ジタバタしていたナミは素早く体勢を整え優雅な笑みを湛える。
その笑顔で勇気が湧いたのか、ヒノがおずおずと前へ進み出た。
迎えるナミも笑顔ではあるが、どこか緊張気味だ。
「あ、あの……母様……ッ」
胸元を握り締め声を震わせながら己を見上げる我が子の姿。
これまでの日々が脳裏を過ぎったのか、笑みを作っていたナミの目が一気に潤む。
「ぼく、僕はもう、母様に怪我をさせたくないから」
必死に訴え掛けるヒノを驚かせまいと、ナミはただ黙って頷く。
「僕の力を母様にあげます。そうしたら、もう熱くなくなると思うから、だから、えっと……えっと……?」
堪え切れなくなったナミの目から涙が零れ落ちた。
見上げるヒノは困惑して脇に控える黄泉醜女を見る。
しかし黄泉醜女もまた泣いていた。
何か間違えてしまったのかと両手で胸元を握り、不安な顔でヒノは鈴音の方へ振り向く。
すると鈴音は満面の笑みを浮かべていた。
「神様も嬉し泣きしはるんですねぇ」
「嬉し泣き……?」
鈴音とナミを見比べて首を傾げるヒノの辞書に、その言葉は見当たらないようだ。
「嬉しぃて感動して、言葉にならん思いが心の奥底からグワーっと上がって来て、目から溢れてまうんです」
腹から胸、喉から顔へと右掌を這わせるように動かし、最後は指で目から涙が溢れる仕草をする。
「要するに、めっっっちゃ喜んではりますよ、お母様。ツシコさんも」
歯を見せて悪ガキのように笑い親指を立てる鈴音。
暫しポカンとした顔をしてから、意味を理解したらしいヒノはナミへ向き直った。
「母様、僕がんばって熱くなくなるようにするから、そしたら、い、一緒に寝てくれる……?」
照れ臭そうに頬を染め、目を輝かせながら小首を傾げるヒノ。
背後で見守る鈴音には表情が見えないにも拘わらず、『子犬か何かかな?』とそこそこのダメージを被る破壊力。
当然、真正面で受けたナミなど真夏の炎天下に放り出されたソフトクリームと化す。
「いっじょぬぃぬぇぅうぅうー」
「あはは、一撃で溶けたなー……さすが火の神」
滝のように涙を流しながら前へ倒れ込み謎の言葉を発するナミを、鈴音は愉快そうに見つめた。
地獄で黒猫や茶トラ猫を前にした自分がどうなっていたか等、記憶に無いらしい。
「鈴音、どうしよう、母様が何て言ってるかわからないよ」
慌てるヒノに手を振りながら鈴音は笑った。
「大丈夫です。あれは喜びの雄叫びなんで、解らんでも問題ありません。ちょっと待てば落ち着きますから」
「……そ、そっか。うん、わかった」
素直に頷いたヒノが見つめる中、暫し後ナミはどうにか理性を取り戻し身体を起こす。
「っはぁー、ごべんねぇヒノだん。んんー、鼻、鼻かばないど」
黄泉醜女が持って来た大きな布で鼻をかんでから、ナミは改めて嬉しそうな笑顔でヒノを見た。
「ヒノたんは今から母様に力をくれるんでしょぉ?そしたらぁ、今日からずぅっと一緒にいられるよねぇー?そう思ったら嬉し過ぎて涙出ちゃったぁ。もちろんー、一緒に寝ようねぇー」
デレッデレのナミと顔を輝かせるヒノを見ながら、鈴音はふと気付く。
「ナミ様、寝る時ヒノ様はどの場所に居るんが安全なんですかね?」
顎に手を当て首を傾げる鈴音を見やり、ナミもまた首を傾げた。
「安全?」
「だって、大きさが。寝返りとか危ないですよね?」
子猫と寝る時の緊張感を思い出しつつ指摘したので、鈴音は真顔である。
真剣な鈴音、ヒノ、自分自身、と順番に視線を巡らせたナミは、両頬を手で包み青褪めた。
「ちょ、ヤバくない!?私ヒノたん潰しちゃうじゃん!!」
「うわホントだぁ!!どうするんですかぁー!?」
慌てふためくナミと黄泉醜女をヒノが不安そうに見ている。
しかしこればかりは鈴音にもアドバイスのしようがないので、成り行きを見守るしかなかった。
すると、目に強い光を宿したナミが鼻からフンッと息を吐く。
「縮むわ」
「あー。……えぇ!?何言ってんですかぁ、今のそれが精一杯縮んだ姿でしょうよぉー」
「まぁだイケるってぇ。母ちゃんナメんな?」
呆れる黄泉醜女と男前な笑みを浮かべるナミを、ヒノは興味津々で、鈴音は笑いながら見つめた。
「母の愛で限界を超えるんですね」
「超えるよぉー?本気見せちゃうよぉー?」
「よっ、ナミ様!」
掛け声で後押しする鈴音にニヤリと笑い、ナミが力を凝縮させて行く。
「ちょっと鈴音ぇ、ヨッじゃないよぉ。無理に決まってんじゃぁーん」
腰に手を当て首を振る黄泉醜女の前で、ナミの身体が徐々に縮み始めた。
「は?」
あんぐり、という表現がぴったりな顔をして、黄泉醜女が固まる。
「母様すごいすごい」
ヒノが手を叩いて喜び、鈴音も腿を叩いて拍手代わりにした。
見る見る縮んだナミは、身長2メートル程まで来た所で大きく息を吐く。
「ふー……、これが限界。どぉ、鈴音。大丈夫そぉ?」
「はい、バッチリですね。これならヒノ様を抱っこ出来てしまいますねー」
そう言われた親子は揃って目を輝かせ、すっかり縮んだ主を見た黄泉醜女は地団駄を踏んだ。
「お世話するアタシらが今までどんだけ大変だったかー!!愛で縮めるならさっさとやって下さいよねぇー!!」
「いやー、それより服ごと縮むのが意味不明で面白いです。神様の不思議パワー?」
叫ぶ黄泉醜女と首を傾げる鈴音へナミが笑う。
「しょーがないじゃーん、ヒノたんへの愛は特別だしぃ。あと、服は私の力で出来てるから一緒に縮むんだよ、便利でしょぉ」
そう得意気に答えてから、ナミはヒノへ向かって両膝をつき、腕を広げた。
「さ、ドーンとおいでヒノたん!そんで、母様に力を分けてちょうだい!」
少し躊躇う様子を見せたヒノだが、ナミのとんでもない力を感じ取った事で怪我をさせる心配はないと理解したようだ。
ぎゅ、と両拳を握って駆け出した。
「母様!!」
そのままの勢いでヒノはナミの胸に飛び込む。
人の親がこれをやられると、衝撃で引っくり返る恐れがあるがそこは神。
がっちりと受け止めるや否や、ナミは猫もびっくりする程の頬擦り攻撃を仕掛ける。
「わあ、擽ったい、擽ったいよ母様、じっと、じっとしてくれなきゃ、力をあげられないよ」
抱き締められるのも初めてだというのに頬擦りまでされたヒノは、嬉しい恥ずかしい擽ったいと様々な感情が混じり合ってジタバタと暴れた。
「母様、母様ってば」
段々とヒノの声に困惑の色が見え始めたというのに、ナミが大人しくする様子は無い。
そこで鈴音は必殺の一撃を放った。
「しつこいと嫌われますよー?」
次の瞬間ナミはヒノの身体を優しく離し、そっと小さな手を握って最上級の笑みを見せる。
「ごめんねぇヒノたん。母様ちょーっとやりすぎちゃったぁ。えへ」
「う、うん。大丈夫だよ?じゃあ、僕の力をあげるね?」
そのやり取りを見ていた黄泉醜女が黙って親指を立てて頷き、鈴音もまた親指を立て返して頷いた。
いい仕事をした鈴音と黄泉醜女が見守る中、ヒノが目を閉じて集中する。
「……あ、来た来たぁ、いいカンジだよヒノたん」
繋いだ手からヒノの神力が流れ込んだらしく、ナミが幸せそうに笑った。
どうやら上手く纏まった様子の親子を見つめ、これで漸く帰れそうだと鈴音はホッと息を吐く。
最初にこの部屋へ入る時に通った横穴へと視線を移し、神人一行は無事だろうかと異世界に思いを馳せた。




