第九話 綱木善行とアドバイザー
頑張る、という宣言通り、鈴音はひたすら同じ事を繰り返し、どうにかこうにか魂の光量調節術を会得した。
それに掛かった時間がどれくらいだったのかは、見当もつかない。
そこから更に、走る際のスピードとジャンプの高さを制御出来るよう、これまた地道に反復練習。『猫の能力があれば出来て当たり前』と、虎吉先生はスパルタだった。
練習に関しては弱音を吐かなかった鈴音が、途中何度か“愛猫達と子猫に会いたい病”の発作を起こし、実際会いに戻った程なので、全て合わせて相当な時間を費していたものと思われる。
勿論、人界の時間はまるで進んでおらず、愛猫達と子猫は仲良く眠っていた。
「ふぁー、疲れてへんけど気分的に疲れたー」
もこもこ地面へ大の字に倒れた鈴音を、白猫は尻尾の先で擽り、虎吉は腹の上に乗る事で労った。
嫌がらせではない。猫好きにとってこれはご褒美以外の何物でもないのだ。
「くふふ、こしょばいですよ、重いですよ、んふふふふふ」
現にその顔は見事なまでに崩れている。白い尻尾を突付いたり、虎吉の頭を撫でたりとデレデレだ。
と、何の前触れも無く、鈴音がハッと目を見開いた。
「ああ!!わかった!!湊川やー!!ゴフッ」
声の大きさではなく、その脈絡の無さに驚いて飛び上がった虎吉にそのまま着地され、一瞬呼吸が止まるも急いで起き上がる。当然、虎吉が落ちないよう抱える事は忘れない。
「湊川の商店街や、四万十川の頂天眼は。急に出たわ。クイズ番組観てる時みたいやん」
腿の上へ降ろされた虎吉は、鈴音を見上げながら首を傾げた。
「シマントガワとミナトガワ、チョウテンガンとショウテンガイ。川の方は“と”しか共通してへんぞ?」
「うん。けど他に思い付く川やと掠りもせんのよ。湊川なら商店街が有名やし、合うてると思う。広い広い商店街やから、蕎麦屋もコットン扱うてる店もあるやろけど……そのままの意味ではないやろなー」
難しいな、と口を尖らす鈴音を見て、白猫が優しく高い声で鳴く。
「ぅひー、可愛いッ!!ナニゴトでございますかッ」
「猫神さん、鈴音こんなんなるから。面倒臭いから。迂闊に鳴いたアカンて。あー、鈴音?正気に戻ったか?猫神さんが、もっかい犬神さんに聞いて来よかて言うてはるで」
スナギツネ顔の虎吉を抱えてグネグネと身悶えていた鈴音は、その言葉で我に返った。
「え、いやいや、そんな、取り敢えずいっぺん現地に行ってみます!何か判るかもしらんし。どうしても判らんかった時は、お願いします。それと、判る判らんにかかわらず、犬神様にお礼言いたいんで、ご都合のええ時に私も連れて行って貰えませんか?犬神様用のオヤツか何か用意しますから」
うんうん、と頷いていた白猫だが、オヤツ、で目がキラリと光る。これは通訳を待つまでもなく、理解出来た。
「勿論、猫神様と虎ちゃんの分も。ちなみに犬神様の好物は、やっぱりお肉?」
「肉やろな多分。一緒に食事する機会が無いから、実際は知らんけど。ほんで、体は猫神さんよりデカいで。馬ぐらいあるわ」
「馬!?馬にも色々おるけど、どの馬やろ」
鈴音が見た事のある馬といえば、動物園でポニーにシマウマ。そして別の場所でもう一種類。
「あれや、同じトコ大勢の奴らでグルグル周回するあれ、あれで走っとるデカい奴や。普段であのぐらいのデカさやったな」
「メリーゴーラウンドかな?ははは、なんでやねん。あー、やっぱりサラブレッド並の大きさかー、どんだけ食べはるやろ」
そう、一度当時の同僚について行った競馬場で見たサラブレッドは、それはそれは大きかった。
そのサイズの犬となると、普通のジャーキー等では物足りないだろう。
「肉の塊買うてった方が良さげやなぁ、けど、A5ランクは無理なんで許して下さい」
まだ見ぬ犬神に手を合わせ謝る。そして、『何が何でも就職を成功させなければ。懐具合的にも』と決意も新たに拳を握って頷き、虎吉を降ろして立ち上がった。
「よし、ほんなら取り敢えず戻って、時間見て出掛けるわ」
「おう。もし上手いこと担当者に会えたら、成る程こら犬神さんが紹介したなる逸材や、て判るように“2”ぐらいに光らしとき」
LED照明のイメージで魂の光を消せるようになって以降、今度は攻撃の威力を調節する為、5段階で光量を固定出来るよう特訓した。
勿論、5が光量全開の鈴音特別仕様“ビッッッカー”で、1が虎吉の知る一般的な輝光魂の“ピカー”である。
よって2なら『ちょっとだけ多めに光っとけ』と虎吉はアドバイスした事になる。
「ん、解った!場所が合うてて、向こうさんと奇跡的に会えますようにー」
小さめに柏手を打ち、白猫を拝む。キョトンとする白猫だが、自身が神だと思い出したらしく、鷹揚に頷いた。
「猫神さんに願い叶える系の力は無いで?」
「ええねん、気持ちの問題やねん」
不思議そうな虎吉に、ビシ、と親指を立てて笑い、通路を繋げて貰う。
「ほな、ちょっと行って来ますー!」
お辞儀をし、気合いを入れながら鈴音は自宅へと戻った。
戻ってすぐに身体を軽く動かし、異常が無い事を確認する。
特に疲れも無く、まだ時間も早いので、出掛ける前にと水回りの掃除を簡単に済ませ、愛猫達と子猫が起きて来たところで掃除機のスイッチをオン。
愛猫達は慣れた様子で素早く距離を取ったが、子猫は全身の毛を逆立たせ、背中を山なりに丸め威嚇のポーズだ。鈴音が『体モリッとなって、毛ぇボーンなるやつ』と言って喜んでいたあれである。
けれど、精一杯の強がりも虚しく、掃除機がグイと近付いた途端に兄さんズの方へ慌てて逃げた。
音がうるさくて聞こえないが、『ナニアレコワイ』『ニゲルガカチ』等と会話していそうな雰囲気で、可愛らしさに鈴音のニヤニヤが止まらない。
目尻と口角がユルユルのまま掃除を終え、自室へ戻ってポイントメイクと着替えを行う。
着慣れたシャツとパンツスーツに身を包むも、ふと小首を傾げ、シャツの上にVネックのニットベストを追加した。
「んー、よし。後は若干多めに光ったら完成」
自身の目で光は見えないが、出来ていると褒めてくれた虎吉を信じてイメージを固める。
「ほな行こか。おチビは大丈夫かな」
危険な場所へ続くドアは閉めてあるとはいえ、やはり心配は心配だ。リビングへ向かい、窓際で日向ぼっこしている愛猫達に声を掛ける。
「ニャーちゃんヒーちゃん、姉ちゃん今からちょっと見回りに出るから、おチビの事よろしくね?」
「イイヨー」
「ワカッター」
「ありがとう」
愛猫達を順番に撫で、掃除機との戦いで疲れたらしい子猫が猫ベッドで熟睡している様子を確認してから、鈴音はそうっと家を出た。
最寄り駅から地下鉄に乗り、殆ど商店街直結となっている駅で下車。
地上へ出るとすぐに、買い物客で賑わう商店街が見える。
「うわー、買い物したい。蕎麦屋とかコットンとか忘れそうやわー」
歩きながら、あちらの店こちらの店と視線を動かしていると、目的が何だったのか本当に忘れてもおかしくはなさそうだ。
「んー、アカンアカン。商店街の蕎麦屋にあるコットン……商店街の蕎麦に、間違うた、蕎麦屋に……ん?そばに?そば?商店街のそば?」
邪魔にならぬよう道の端に寄り、ピタリと立ち止まる。
「……蕎麦屋ちゃう。商店街の近くの、いう意味の“そば”やコレ。え、嘘やん、犬神様の神使の中に、そば言うたら蕎麦に変換されてまう子がおるん?ほんで更に変換して蕎麦屋?食いしん坊かッ」
スマートフォンを取り出し検索をかけながら、蕎麦屋の暖簾の下で尻尾を振る犬を想像した。
「ぶッ。可愛い。いやいや、妄想にデレとる場合ちゃう。うん、コットンでは何も引っかからんかったし、やっぱこれも別のもんやな」
バッグにスマートフォンを仕舞いながら唸る。
「住所は市までしか合うてへん、川の名前は豪快に間違える、商店街は金魚の名前になって、そばは蕎麦屋に変換する、そんな愉快な神使達の言うコットンやで、さあ何をどない空耳したんや」
脳味噌フル回転状態で、取り敢えず商店街から出ようと歩を進める。何かヒントになりはしないかと、周囲をキョロキョロ見回しつつ。
すると、向こうから歩いて来る中年男性と目が合った。
短く切り揃えられた白髪混じりの黒髪に、ジャケットの上からでも判る引き締まった体型。警察官消防官自衛官さあどれでしょう、と言いたくなる細マッチョのイケてるオジさん、イケオジだ。
そのイケオジの目が驚きで見開かれているが、鈴音に心当たりは無い。
今は空耳の謎解きに忙しいのである。結果、無視する形で通り過ぎかけたのだが。
「すみません、あなたもしかして、鈴音さん?」
声を掛けられた。しかも何故か名前を知っている。
保護者の友人や知人が一方的に子を知っていて、親しげに話し掛けては子を困惑させるあれか、と一瞬思ったが、すぐに鈴音は思い出した。
自分が今、一般的な輝光魂より多めに光っている事を。そしてそれが、何の為だったのかを。
「はい、そうですが、あなたは?」
「ああ、こら失礼。綱木、言います。綱木善行。犬神様の神使から連絡貰てまして」
そこまで聞いた鈴音は、思わず小さなガッツポーズをし、事情を知らない綱木をポカンとさせてしまった。
「っと、すんません。ちょっとした行き違いがありまして、綱木さんの住所が結構な暗号になって伝わってたもんですから、この奇跡の出会いに喜びが隠せず」
「……暗号?」
益々ポカンとしてしまう綱木と共に端へ避けて、ここへ至るまでの経緯を掻い摘んで話した。
何が起きていたのかを理解するのと比例して、綱木の顔に笑いが広がって行く。
「な、成る程、ぶふッ。そうか、コットンね、くふふ。犬には馴染みが無いわなそら。けど、コットンて、っくく」
「えーと、大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫、申し訳無い、面白過ぎた。答え合わせは、実際に見て貰た方が早いと思うんやけど、どうやろか」
手の平で行き先を示す綱木に、鈴音は大きく頷いた。
「お願いします」
まだ笑いの残った顔のまま、綱木は商店街から外れる路地へ進む。鈴音も黙って続いた。
そして、商店街のほんの近所で鈴音が見たものは。
「……骨董……ッ!」
路面側の大きなガラス窓に“骨董屋・綱木”と書かれた、骨董品店だった。
「商店街のそばにある骨董屋!蕎麦屋やのうて骨董屋!……屋ぁの位置ぃッ!!」
地団駄を踏みそうな勢いの鈴音に、笑いが止まらない綱木。
「綱木さん、ゲラ(箸が転んでも笑うタイプの人)ですか?」
悔しそうな半眼で見つめられ、笑ったまま違う違うと手を振った綱木は、ドアの鍵を開けて店内へ入る。
後に続いた鈴音は、定番の皿やら壺やら置物やらが並ぶ棚に触らぬよう注意しつつ、店の奥、事務作業スペースらしき場所へ進んだ。
向かい合わせに置かれた椅子に鈴音を座らせ、綱木は小型の冷蔵庫からお茶を取り出す。
「いや、もう、犬達が順番に空耳して、それを順番に伝えてったんか思たら、可笑しいて可笑しいて、ふふふ」
「あー、確かに。四国犬か土佐犬が居るんか、とか、中国出身の犬が居るんか、さては英語ネイティブも居るやろ、とか考えてまうかも」
「ぷっくっくっく。やたらエエ発音でコットンて言うたんやろか。それを犬神様が伝えはったんか……て、誰に?」
どうにか笑いが落ち着いて来た綱木は、お茶を勧めながら自らも椅子に腰を下ろした。
「俺が聞いとんのは、犬神様の昔馴染みが輝光魂を神使にした。仕事を探しているらしいから、使ってやってくれないか。取り敢えず面接だけでも。てな感じなんやけど、鈴音さんはどなたの神使なんかな」
穏やかな笑みを浮かべた綱木の問い掛けに、居住まいを正した鈴音が答える。
「夏梅鈴音23歳、とある偶然をきっかけに、猫神様の神使となりました。……ん?ここは猫神様の敬称外すべきやったかな?」
途中まではキリリと締まった表情で格好も良かったのだが、結局最後は普段の鈴音に戻って呟いてしまった。
その様子に笑う綱木は、まるで娘を見守る父親のようだ。
「人の世界ならそうかもしらんけど、相手神様やからね。敬称は付けといてええよ。猫神様ね、そうか犬神様の友達は猫神様か。想像したらほのぼの可愛らしいな」
小さくお辞儀した鈴音は、実際の大きさを目にしたら驚くだろうなあ、と思うものの口には出さない。
「ちなみに輝光魂やと、割と幼い内から怪異に遭遇して、お寺や神社なんかへ相談に行った関係で、後々この仕事に勧誘されたりすると思うねんけど……そういうのは無かったんかな?」
「あー、その辺ちょっと事情がありまして」
「事情?ほんなら、神使になったきっかけ、偶然?それはどういう?」
「えー、どない言うたらええか、かなり荒唐無稽というか……、あの、アドバイザー呼んでいいですか?」
どこからどこまで話せば良いのか、そもそも信じて貰えるのか、こういう世界に免疫の無い鈴音には判断がつかなかった。
なので、最も簡単に信用を得られる方法を選択する。
「アドバイザー?かまへんけど、近所に居てはるんかな?」
「ええ、それはもう。虎ちゃーん」
鈴音が声を掛けるや否や、スポッとその胸元から顔を出す虎吉。
「ぉわっ!?猫!?」
「うはは、やっぱりこっから出るとウケるんやな!」
「ほらなー、やるやろな、思てん。ベスト着てって正解やったわ」
「喋った……そうか、神使か……」
「はい、神使の先輩で、色々教えて貰てます。名前は虎吉です」
突如Vネックから生えた猫と、それをごく当たり前に撫でる鈴音を交互に見やり、綱木は驚きの表情で固まった。