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第八十八話 思い出

 一つ眼の巨人の死体を飛び越えながら鈴音達が近付いて行くと、神人一行は産まれたての鹿だか馬だかのように脚を震わせ立ち上がろうとする。

「虎ちゃんの威嚇が効きまくりやね」

「ちゃんと加減してんけどなぁ。人にはキツかったか」

「難しいよねー、加減。山なんか消すつもりじゃなかったんだけどなー」

 ちょっと基準がおかしい発言が交じっているのは置いておいて、確かに手加減は難しいと鈴音も思う。

 かなり気を遣って掌で腹を押したのに、それでも大の男が吹っ飛んでしまったりするからだ。

 指一本で突いてみようかと思う事もあるが、ダメージが点で集中し過ぎて穴でも空けてしまうのでは、と心配してしまって試せずにいる。

「ロボット相手なら平気で出来るねんけどなぁー」

 そういえばスーパーコンピューターが支配していたあの世界は、無事に復興への道を歩んでいるだろうか、等とぼんやり思い出している内に神人一行の前へ到着していた。


「無理に立たんでもええですよ?聞いて貰わなアカン話あるし」

 鈴音の声にサントリナと男達はすぐさま諦めてへたり込んだが、イキシアだけは杖を支えに暫く粘り、悔しそうな顔をしながら結局崩れ落ちた。

 そしてそのまま顔を上げ、鈴音を睨み付ける。

「笑いに来たんですか?見下しに来たんですか?あの程度の怪物すらまともに倒せない者が神人の訳がないだろうって。強い神獣も手に入れている自分こそが神人に相応しいんだって」

 挑戦的な表情で捲し立てるイキシアを見ながら、首を傾げて鈴音は言った。

「いや全然思てへんけど。なあ、アンタは何と戦うてんの?」

 日本では最早お馴染みの台詞だが、この世界の人物それも神の代理人にとっては大変新鮮で衝撃的なものだったらしい。

 ハッ、と目を見開いたイキシアは口を開きかけ、言葉が出て来なかったのか黙って唇を噛む。


「あと、神獣を“手に入れる”て言い方イヤやわー。動物は生き物やで?そこらの置物ちゃうねんで?出会って仲良なって、一緒に居ったってもええよて向こうが思てくれて初めて成り立つ関係やで?ちょっとでも嫌われてみ、かなり遠い位置からでも『こっちな!!』てな感じで威嚇されまくりよ切ないでー……」

 遠い目をする鈴音を虎吉が意外そうに見上げた。

「猫に嫌われた事あるんか」

「んー、外で大っきい茶トラかもとったらボス猫やったみたいで、下剋上(ねろ)とったらしい別のイケニャンが拗ねた。浮気バレた人の気分てこんなんかな、て思たよね。別にイケニャン私の飼い猫ちゃうのにね」

「そら災難やったなぁ」

 鈴音の話に何か思う所があったのか、目を伏せて考え込むイキシアから先程までの刺々しさが消えている。

 友好的になった訳では無いが、これなら取り敢えず会話は成立しそうだと鈴音は小さく頷いた。


「ほんでね、皆さんに聞いて貰わなアカン話やねんけども。んー……、まずはあの柵見て、どない思います?」

 一部が損壊してしまった村の柵を指して尋ねるも、全員が怪訝な顔をして首を傾げている。

「何が言いたいんか解らん、いう顔ですねぇ」

 頭痛を堪えるような顔で骸骨と顔を見合わせ、溜息と倶に肩を落とした。

「あれ直すのにお金も時間も掛かるんですよ。……なぁ、何で村の方に向けて攻撃したん?私、腹立って腹立ってもうちょっとでそっち攻撃するとこやったわ」

「だって、村に近い怪物から倒さないと、村人達の命が危ないでしょ」

 当然の事ではないかと言わんばかりにムッとした表情を見せるイキシアに、鈴音が言葉を掛けるより先に虹男が口を開く。


「あっちの森の方に誘き寄せてからやればよかったのに」

「そうそう、その通り……て、山消した男が何かマトモな事言うてる……!そんな考え方出来るクセに海割って湖干したん何でや」

 愕然とした鈴音はふと、虹男にボコボコにされた世界の神を思い返した。

「イケメンやったな膝抱えて遠い目してた神様。もしかしてサファイア様を口説いたりしたんやろか」

 鈴音の呟きに虹男が明らかな動揺を見せ、横を向いて口笛を吹き始める。たぶん誰かさんの真似だ。

 その態度で色々と察した鈴音は、これなら山と一緒に動物達が誤って消される等という最悪の事態は起きていないだろう、と密かに安堵した。


「えーと、今うちの兄さんが言うた通りでね?囮の役が出来る男性が二人もおるねんから、村と逆方向に巨人を誘導して、森側に向けてドカンとやったら良かったんです」

 タイマスとアジュガを手で示し、一つ眼の巨人が逃げて行った森を指して説明する。

「巨人が囮に反応せんと村の方へ行きよる時はもう、さっきの方法でもしゃあないけど、それなら一撃で仕留めな。被害いうんは、建物を壊されることも含むんやから」

「壊れたものはまた作ればいいでしょ?人は死んでしまったら作り直せないもの、とにかく怪物を倒すのが先だと私は思う」

 真剣な眼差しで主張するイキシアへ、鈴音は少し寂しげな笑みを見せた。


「もしそっくりに作り直したとしても、それはもう別の物やねん。思い出が沢山詰まった建物は二度と戻らんのよ」

「……思い出……」

 鈴音の言う事を理解しようと頑張っている様子のイキシアへ頷きながら、村の方へ視線をやって続ける。

「例えば若い夫婦が家を建てて、そこで子供が生まれたら。子供の成長に関する思い出がたっぷり詰まった家が出来る。もし子供が結婚して孫でも生まれたら、柱や棚の高さと孫を比べて『あんたの親が同じ年頃の時はもう少し小さかった、あんたは大物になる』とか言うてみたり。物置に入り込んで遊び始めたら『小さい時のあんたと同じ事してるで』とか言うてみたり」

 色々な状況を想像してみたのか、イキシアのみならず大人達も少し遠くを見るような目になり、口角がほんのりと上がっていた。


「そんな家で今度は子供が親を見送ったら。ああ、天気のええ日は窓際の椅子で日向ぼっこしてたな、とか。台所に立つ妻なり夫なりを見ながら、そういや体調崩した時は口当たりの優しいもん作ってくれたな、とか思い出したり。家に付いた傷や汚れ、匂いに至るまで全部が思い出と繋がっとったりするんよね」

 全員の親が健在なのかは分からないが、皆揃って村の方へ顔を向け、何とも言えない表情をしている。

「けど、それが解るんは、失くしてからの事が多いねん。今日みたいに光の球やら火の球やらが乱れ飛んで、村や街がボロボロになった後。家は壊れてしもたけど生きてただけでも儲けもんや、て最初は思うらしいわ。取り敢えず他所で生活しながらどうにか家建て直して、やった我が家が戻った!て思うねんて」

 含みのある言い方に、全員が鈴音を見つめ緊張気味な表情だ。


「確かに、借り物の家やない安心感と自由はある。けど、積み重ねた思い出が一つも無い。それに気付いて、急にどうしてええか解らん寂しさが襲って来たりすんねんて。ただ、私らみたいな若い世代は大概の人がまだなんとか耐えられるねん、新しく作られて行く思い出の方が多なるから」

 転勤族の友人も『前の家思い出してホームシック?あるあるー。けど、住めば都とか言うた人天才や思うわ。次の街に引っ越したら、この街を思い出してホームシックなんねんから』と笑っていた。

 その友人の笑顔と、以前真夜中の道端で出会った老人の顔を思い出しながら、鈴音は小さく息を吐く。


「問題はお年寄り。残りの人生のんびり行こ思てたのに、いきなりの環境変化。恐ろしい目に遭うて、見える景色も変わり果てて、住み慣れた家も失くして。新しい家やでいうて用意して貰て、ありがたいとは思うものの、何やもう、どっと疲れた。……ああ息子に娘に孫に会いたいなあ……あれ?そない言うたらお爺さんどこ行ってしもたんやろか。いや、ちょっと待ってそんな事より、ここどこ?誰の家?こんなピカピカの家知らんよ?嫌やわ、早よ自分の家帰らな」

 背を丸め肩を落とし俯きがちになって、キョロキョロと辺りを見回すと、口元に手をやって驚いた表情を作る。

 鈴音が見せる老婆の演技に、神人一行の目は釘付けだ。

「うわあ全然知らん場所やわ、何で私こんなとこに居るんやろ。誰かに道聞こかな、でもここはどこですかなんて聞いたら変な人や思われるわ、やめとこ。とにかく大きい道よ大きい道、街道。あれに出たらきっと分かる大丈夫や」

 ふらりとあらぬ方向へ歩み出そうとする鈴音に、イキシアが慌てて手を伸ばす。


「駄目だよお婆ちゃん!」

 そう叫んでから、直ぐに我に返って耳まで真っ赤になった。

 成る程、本来は素直な子なんだな、と微笑んだ鈴音は背筋を伸ばす。

「……まあ、お年寄りの記憶がごちゃ混ぜになってまう理由は、勿論これだけや無いねんけどね。心にポッカリ穴が空くような出来事や、急激な環境変化が良くないのはホンマみたい。で、皆さんもっぺん(もう一遍)あの柵見て貰えます?」

 鈴音の手が示す方を見た神人一行に、怪訝な顔をする者はもう居なかった。

 全員が申し訳無さそうな表情をしているので、追い討ちを掛けるような真似はしたくないのだが、後から聞くよりはマシだろうと自分に言い訳しつつ鈴音は口を開く。


「うちの兄と骸骨さんが頑張ってくれたんで、被害はあれだけで収まってます。せやから村長さんも『助けに来てくれた事に変わりは無いから』て言うてくれてます。……ただ、今日まで皆さんが関わった街や村に住む人々が、皆さんをどう思ってるかはー……ねぇ?」

 眉を下げて残念そうな顔をする鈴音の指摘で、神人一行の顔色がどんどんと悪くなって行った。

「どうしようサントリナ……謝りに行ったら赦してくれると思いますか?」

「それは……どうでしょう……」

「行かないよりは良いと思いますが……」

「かえって恐ろしい記憶を呼び起こしてしまうかも……」

 やっとまともに喋ったと思ったらとんでもない事を言うアジュガに、『アンタらどんだけの事しでかして来たん!?』と問いたくなる鈴音。

 しかしそれをやると話が長くなりそうなので、他に気になっていた事を言うだけにしようと決めた。


「ところで、皆さんはこの大陸の人やないんですね?」

「えっ?ああ、はいそうです。西にある遠い島から、こちらの大陸にある神殿を目指してやってまいりました」

 答えたのはサントリナだ。

 このグループのリーダーは神人のイキシアという事になるのだろうが、実際に取り纏めているのは彼女で間違い無いだろう。

「そうなると、大陸特有の常識とかはご存知無いですよね?」

「特有の常識、ですか」

「はい。あの一つ眼の巨人、一遍に倒さんと増える種族やそうですよ。この大陸では小さい子でも知ってる常識やとか」

 しれっと言う鈴音に絶句したサントリナは、両頬に手を添え一点を見つめて考え込む。

 脳内の図書館で該当の記憶を探し回っているんだろうなあとのんびり待つ鈴音の前で、がっくりと項垂れたサントリナが首を振った。


「知りませんでした……鈴音様はご存知だったんですか」

 恨めしそうな顔を向けられ、顔の前で手を振りながら鈴音が笑う。

「私らも遠い遠い島国から来てるんで、当然知りません。さっきヨサーク君に教えて貰たんですよ」

「ヨサーク君……あの少年ですか」

「ええ。せやから、地元民がそばに居る時は怪物の事にしろ何にしろ、情報収集した方がええですよ。今回みたいに、やったらアカン事教えて貰えたりしますし、場合によったら弱点知ってるかもしらんし」

 再び項垂れたサントリナが力無く幾度も頷く。

「そうですね、冷静さが大切ですね。早く倒さなければとそればかり考えて、慌ててしまいました。助ける側が落ち着いていないと……」

 喋りながら遠くを見るその目には、自分達の辿って来た道が映っているようだ。

「……どっちが怪物だか判らない事態に陥りかねませんものね……」

 大きな溜息と共に吐き出された言葉で、神人一行が伏し目がちになりどんよりとした空気を纏った。


「うわあ。お説教が効き過ぎた」

 実害を被った人々からすればまだ足りないと思うかもしれないが、目の前でこうも素直に反省されると、被害を受けていない鈴音としてはもういいだろうという気にもなる。

「あれや、後は村の皆さんに任そ。あのー、村長さんがね、ちょっとした宴会するから参加せぇへんかって。さっきまでの皆さんならお断りやろけど、今なら歓迎される思いますよ。まあ、チクチクッとやられるかもしれませんけども」

 村と一行を見比べて少し困ったように笑う鈴音の誘いに、一も二もなくサントリナが頷いた。

「ご招待をお受けしましょうイキシア様。これまで御迷惑をお掛けした方々に謝りたいと言うのなら、ここで逃げては何も始まりません」

「そうですよね。解りました、行きます!」

「御心のままに!」

「心得ました!」

 真顔で頷き合う神人一行を眺めつつ『どちらの戦場に出陣なさるおつもりで?』というツッコミを飲み込んだ鈴音は、彼らを案内すべく先頭に立って歩き出す。

 倒した一つ眼の巨人を見やり、これをどうするのかも聞かなければと考えながら、開け放たれた村の柵を潜った。

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