第八十一話 ウキウキ地獄ツアー
黄泉醜女に近付き飴を一つ手渡した鈴音は、気絶してしまった女の魂を見下ろす。
「この場所に思い入れがあるいうよりは、舞台のセットか設定かに噴水があったんかなぁ。よっぽど好きなんやなぁ」
自分と同年代に見える女に同情しつつ、ふと疑問が湧いた。
「けどそんだけ好きやったら、俳優さんのトコに出るとか向かうとかするもん違うんですかね?一人でごっこ遊びせんと」
鈴音の疑問に答えたのは、飴を口に入れてご機嫌さんな黄泉醜女だ。
「都合よく狙った場所には出らんないよぉ?黄泉の国の入口と反対向きに進んだら、目の前真っ暗な筈だしねぇー」
「そうなんですか?つまり、真っ暗な中を逃げてる時に、澱にぶつかって悪霊化。悪霊化すると澱使って色んな事出来るのに、好きな人んトコへ突っ走るでもなく噴水前でお姫様ごっこしとったと。お姫様とかドレスとかに意味があるんかなぁ」
「こんなペラッとした服じゃなくてさぁ、さっきみたいな綺麗な格好で会いたかったのかもねぇー?相手がイイ男なら特にさ」
飴が入っていた小袋をクシャクシャと弄りながら黄泉醜女が笑う。
「そっか。綺麗なドレス着て、ヒロインとして王子様の隣に立ちたいと思て……その為の練習してたんか。うんうん。参考になるご意見やわー。でも何でドレスの事知ってはりますのんツシコさん」
ドレス姿の悪霊は、綱木が澱を消し去る前でなければ見られない。
どういう事かと半眼で見つめる鈴音から目を逸らし、黄泉醜女はろくに音の出ない口笛を吹いた。
「誤魔化すん下手くそか!もぉー、サボってましたね?とっくに着いてたのに見学してましたね?」
「すふゅーフヒュー……難しい事わかんなぁい」
口を尖らせて吹けない口笛を頑張る黄泉醜女にやれやれと息をつき、鈴音は飴を差し出す。
反射的に受け取ってから、訝しげに鈴音を見やる黄泉醜女。
「この人、どないなるんですか?悪霊にはなってもたけど、誰かに何かをした訳やないですよね」
「あぁ、そういう事かぁ」
女の魂を心配そうに見つめる鈴音に頷き、ポイと飴を口に放り込んで黄泉醜女は笑う。
「へーきへーき。普通に黄泉の国で暮らせるよぉ?人殺した訳じゃないし、黄泉の国の入口から逃げたぐらいじゃ怒られない怒られない。ま、アタシから逃げたらマズイ事になるけどねぇー」
「ツシコさんから逃げたらどないなります?実際やってしもた人いてるんですか」
もう一つ飴を手渡され黄泉醜女はニコニコだ。
「アタシこう見えて素早いからさぁ、まず逃がす事はないんだよ?でもアンタ達が澱って呼ぶアレを、逃げる事だけに使う奴とかたまにいてさぁー。そうすると逃げられちゃう事もあるっちゃあるよねぇー。逃げたら行くとこ無くなるのに馬鹿だよホント」
「行く所がなくなる?」
「そ。鬼が居る国も天使が居る国も選んでないからぁ、アタシ達の国に来る訳でしょ?そっから逃げたら居場所ないよねぇー?人界に残ったって消えちゃうだけなのにさぁ、何が嫌なんだろ」
不思議そうに言う黄泉醜女から空袋を回収し、また一つ飴を渡す。
「多いですか?澱使て逃げようとする悪霊」
鈴音の問い掛けに、これは何味だろう、と小袋を確認しながら黄泉醜女は頷いた。
「ここんとこ何か増えたような気がするわぁ。なんつーかあれよあれ、質が変わったぁ……みたいな?」
「質?悪霊のですか?」
「うんうん。なんかお利口ちゃんになってなぁーい?この子もフツーーーに喋ってたよねぇ」
思いがけずもたらされた情報に、黙って話を聞いていた綱木の表情が難しいものへと変わって行く。
綱木自身ここ最近悪霊の出現が増えたと感じていたし、鬼の話によれば閻魔庁も調査に乗り出しているとか。
やはり気のせいではなかったか、と思っていた矢先に黄泉醜女のこの意見である。
大して凶暴でもない悪霊の浄化に上が自分を指名したのは、何が起きているのか調べ手掛りを掴んでこいという事なのだなと理解した。
「あー、ちょっとごめん。今の話ごっつ気になるから、その魂に澱と接触した時の状況を確かめたいんやけど……」
いきなり会話に割って入った綱木を、黄泉醜女は何とも言えない表情で見やる。
「アンタ鬼ぃ?酷くなぁーい?」
じっとりとした視線を浴びて、困惑した綱木は目で鈴音へ助けを求めた。
しかし鈴音もまた何とも困った顔で唸っている。
「うーん……仕事としては当然やるべきなんでしょうけど。さっきの態度からしてこの人起こしたら多分、死ぬのは嫌やて騒ぎますよね。それは無理やいう事を諭さなアカンようになりますよね。どうにか理解して貰ても、ほなせめて死ぬ前にあの公演だけでも見してとか言い出す思うんですよね。それも無理やでとか言う私らに、何らかの情報与えてやろうと思いますかね?」
鈴音の推論に、ハッとした様子の綱木は拳で額を叩いて顔を顰めた。
「そうか……情報と引き換えに望みが叶うか思わしといて、それは無理やけど話だけ聞かせろ言う事になるんか。誰が喋るか!てなるわなそら。只々辛い思いさせるだけや……ちょっと考えたら解るのに焦ってしもた」
素直に間違いを認める綱木を意外そうに見つめた黄泉醜女は、飴の入った小さな袋を振りながら笑う。
「アンタいい子だねぇー。いいよぉー、黄泉の国で落ち着いたら話聞いといたげる。飴いっぱい貰っちゃったしぃ」
ご機嫌な黄泉醜女の手に鈴音が黙って飴を追加した。『どんだけ持ってんねん』というツッコミは心の中だけにして、綱木は深々とお辞儀する。
「お手数お掛けします。我々にとっては大きな問題なので、どんな些細な情報でもありがたいです。お願いします」
「りょーかーい」
敬礼付きの返事をしつつ、黄泉醜女は女の魂を小脇に抱えた。
「ふんじゃ、ツシコさん帰るわぁ。飴ありがとねぇ。ばいばーい」
笑顔で手を振る黄泉醜女に鈴音も笑顔で手を振り返す。
すると次の瞬間にはもう、気怠げな女の姿は消えていた。
「うわ速ッ!結構本気出さな負けるかも」
「あれが見えるんや勝負できるんや、へー」
対抗心を燃やす鈴音に遠い目をしてから、綱木は小さく息を吐く。
「ごめんやで。色んな現場見といた方がええやろとか偉そうに言うといて、助けられてしもた」
どうやら落ち込んでいるらしい綱木へ飴を差し出し鈴音は笑った。
「私は何もしてませんて。どっちみちツシコさんが同じような事言うたやろし」
「いやいや、普段あんな協力的ちゃうねんで?適当に来て暴れたり暴れんかったり、鬼さんとはえらい違いやねんから。何なん、やっぱりコレなん」
綱木は今手渡された飴を示しながら眉根を寄せる。
「そうみたいですね?美味しい物あげたら話聞いてくれるんかも」
鈴音に肯定され益々眉間の皺が深くなった。
「オッサンでも飴ちゃん持っとかなアカンのか……しんどいな」
「ふふふ。間違うてビー玉みたいなやつ渡さんようにせんと」
「ああコレな?みたいなやつ言うか実際ビー玉やで。ガッツリ霊力入れてあるけどね」
ポケットから出したビー玉を見せつつ頷き、飴と共に仕舞ってから綱木は腕時計を見る。
「まだこんな時間か。ついでやしこの近所の掃除してから戻ろか」
「それ私がやっときます。綱木さんは戻って休憩して下さい」
そう言いながら魂の光を灯す鈴音の申し出を、それなりに疲れている綱木はありがたく受ける事にした。
「ありがとう。ほな先に戻っとくわな。鈴音さんもある程度片付けたら、戻ってボーッとしといてええよ」
「解りました。行ってきまーす」
会釈した直後に鈴音は姿を消し、残った綱木は大きく伸びをしてから駐車場へ向かう。
「黄泉醜女と鈴音さんか……ホンマはどっちが速いんやろな」
猫の耳という名の地獄耳も、流石にこの呟きを拾う事はなかった。
終業30分前に店へと戻った鈴音は、遊んでいて構わないと言われたので、許可を取って店内の骨董品を写真に収めている。
「アリバイ作り?」
笑う綱木に鈴音は頷いた。
「親友に会社潰れた言うてもたんで、取り敢えずバイト決まったでーって報告しとかんと」
「あー、そら心配するわな」
「はい。後で役人になった言うたら、それはそれで心配されそうですけど。向いてへん思うけど大丈夫なん?て」
「ははは!街の困り事探して外回りする仕事やから問題無いて言うとき」
愉快そうに笑う綱木と会話している内に、30分はあっという間に過ぎた。
「ほなまた明日。お疲れさん」
「はい、お疲れ様でした。お先に失礼しまーす」
帰りもまた、アルバイトが出入りしている様子をご近所に見せる為、姿隠しのペンダントは使用せず駅まで向かう。
高校生達に交ざりながら、のんびりと地下鉄に揺られた。
駅前のスーパーマーケットに寄ってから急ぎ足で帰宅すると、骸骨はまだ戻っていなかった。
それならばと猫達の世話に続き先に風呂を済ませておく。
「オイシイニオイシテル」
「ウマイヤツカクシタ」
「タベル!タベル!」
自室で髪を乾かす間この調子でずっと喚かれたので、愛猫達と子猫にもベッド下収納に隠していたオヤツを与えた。
封を開けた訳でもないのに何故オヤツだとわかるのか、と鈴音はいつも不思議に思っている。
「後は全部猫神様の分やから」
食べ終えてもまだ欲しいという顔をしていた猫達も、白猫の分だと言われると大人しくなった。
「シカタナイ」
「イイナー」
「ネムイ」
ベッドに載って毛繕いを始める猫達をデレデレと眺めていると、窓をすり抜けた骸骨が帰ってきた。
「あ、おかえりー」
軽く手を挙げて応える様子から見て、今日はそこまで疲れ果ててはいないようだ。
「んー、なになに、今日はあまり遠出しなかった。黒猫様や猫さん達に会うのが楽しみで。なるほど、体力温存しといたんやね」
石板で説明する骸骨に頷き、心の疲労回復用にジュースは買ってあるから、とエコバッグの中身を見せる。
大喜びした骸骨はさっそく、りんごジュースを水筒に注いでいた。今飲むためというよりは、地獄見学の遠足用らしい。
その間に鈴音は猫用オヤツを外袋から出し、出来るだけゴミを減らした状態でビニール袋に纏めておく。
「オヤツよーし、紙皿よーし、小さいボウルでっかいボウルよーし」
持って行く物を指差し確認して頷き、骸骨を見た。
「ほな、行く?猫さん達が仕切る地獄、行ってみる?」
目をキラキラさせながら地獄だとか言う鈴音に、身体をユラユラ揺らしながら骸骨が嬉しそうに頷く。
明らかにおかしなやり取りだが、この部屋にはふたりと猫達しか居ないので、誰も気にしていなかった。
「ではでは、虎ちゃーん」
鈴音が呼び掛けるとベッドの上に通路が開く。
愛猫達と子猫を撫でてからオヤツセットを持った鈴音が潜り、猫達に手を振った骸骨も続いた。
もこもこの地面を踏み白猫の縄張りへ出ると、白猫も虎吉も既にテーブルで準備完了している。
今の所お客さんは居ないようだ。
「おう鈴音、骸骨、お疲れさん。オヤツ食う準備は完璧やで!」
黒目全開の虎吉に鈴音の目尻が下がり、平静を装う白猫に骸骨がくるくると回転した。
人界時間で一日一回オヤツを与えるという約束をしているので、とても楽しみに待っていてくれたのだろうなとは思うものの。
「オヤツ食べる準備てどんなんやねん!」
思い切りツッコんで笑い、テーブルへ近付いてボウルをそれぞれの前へ置いた。
ザラザラと音を立ててドライタイプのオヤツを入れ『召し上がれ』と一声掛ける。
待ってましたとばかりボウルに顔を突っ込む虎吉と白猫に、鈴音も骸骨もデレデレだ。
「そない急がんでも誰も取らへんのにー。あ、でも向こうはどうなんやろ。猫さん沢山やて茶トラさん言うてたけど」
首を傾げる鈴音に、食べ終えて口周りを舐めながらの虎吉が答える。
「地獄の事か?確かにようさん居るけど、黒猫父ちゃんが見守っとるから喧嘩にはならん思うで?」
「ホンマ?それなら安心かな。猫神様に地獄の猫さんの数お聞きするん忘れてたから、取り敢えず50食分ぐらい持ってったけど足りる?」
「足りる足りる。順番に入れ替わって、常に30匹ぐらいは地獄に居るようにしとんねん。他は休憩場所いうか待機場所いうかで好きに過ごしとる。こっちは数え切れんぐらい居るから、行かん方がええな。地獄で遊んどる時に鈴音が来たら、オヤツ貰えてラッキーいう感じでええんちゃうか」
虎吉の提案に納得の顔で頷き、鈴音は白猫に笑顔を向ける。
「虎ちゃんの案で行こ思います。猫さん達にオヤツあげるついでに、罪人共ぶん殴って来てもいいですか?」
これには骸骨も参加したいらしく、拳を握ってアピールしていた。
そんな様子を見た白猫は目を細めて頷き、右前足で軽く空を掻く。
するとふたりの近くに普段使うものとは別の通路が開いた。
「地獄へ続く通路やで。明かりは無いけど、骸骨も問題無いか?」
虎吉の気遣いが嬉しかったのか、くるくると回ってから骸骨は大きく頷く。
「ほな心配いらんな。黒猫父ちゃんに挨拶してから、好きなだけ遊び。鈴音はくれぐれも光消し忘れんように。罪人共にとって消滅は救いやからな」
「解かった、もう消しとこ。消えた?よし。ほなちょっと行ってきますー」
「おう、皆によろしゅう言うといて」
虎吉と白猫に見送られ、オヤツを持った鈴音と骸骨は真っ暗な通路へ入って行った。




