第八十話 ツシコさん
綱木は空に浮かぶビー玉達が作る円を狭めつつ、走って大噴水へと向かう。
後に続きながら鈴音が見上げると、いつの間にかビー玉達は綱木の上空で彼一人だけを囲う円になっていた。
「骸骨さんが作る青白い光の輪っかみたいやなぁ」
過去を見る際や火の玉を見せてくれた時に使われた、骸骨の力。
火の玉の動きを思い出すと、あの円には内と外を隔てる壁の役割があると考えられる。
「このビー玉の輪っかがあれと似たような感じやとするとー……、取り敢えず壁で悪霊の攻撃は防げるんかな?」
澱で作り出した武器を使用したり、澱そのものをぶつけて来たりといった悪霊による攻撃は、鈴音も一応体験済みだ。
鈴音や鬼には一切効かなかったのであれがどれ程厄介なのかは謎だが、普通の人は当たらない方が良いのだろうという事ぐらいは解る。
悪霊が負の力を垂れ流していたせいで人が寄り付かなかった前回とは違い、今回この公園には結構な数の人が居る事を考えると、好き勝手暴れさせる訳にはいかない筈だ。
「あの輪っかで人を守りながら戦うんかなー?」
一応想像はしてみるものの、実戦経験が乏しい上に作戦の類を必要としない鈴音には、綱木の戦い方など分かる筈もなかった。
そうこうしている内に、大噴水が見えてくる。
大量の水が作り出す涼しげで美しい芸術の前に、妙に芝居がかった動きをする明らかに場違いな存在が居た。
動く死体のような色艶の無い見た目は確かに悪霊なのだが、纏っている澱の形状がおかしい。
自らの身体に赤黒い糸のような澱を複雑に張り巡らせ、パニエでスカート部分をたっぷり膨らませたプリンセスラインのドレスに仕立て上げている。
髪型もまた、高い位置にシニヨンを作り羽根やら花やらの澱製ヘアアクセサリーで飾り立てられていた。
「花嫁……にしては頭の飾りが変。動きも何か変」
鈴音の呟きが聞こえた訳ではないだろうが、胸元に手を当て伏し目がちだった悪霊が顔を上げる。
その視線の先に綱木を見つけると、驚いた表情を作ってからゆっくりと微笑んだ。
「まあ……!来てくださったのね、王子!」
作った高い声でそう言いながら、振り付けか何かのような動作で綱木に向け腕を伸ばす。
「…………へ?」
そもそも澱のドレスを見てポカンとしていた綱木が、瞬きを繰り返してから鈴音の方へ振り向いた。
「…………え?」
釣られたように鈴音も振り向き、背後に何も居ない事を確認して綱木に向き直って顔の前で『いないいない』と手を振る。
それを見た綱木は悪霊、鈴音、悪霊、と視線を行ったり来たりさせてから『え?俺?』と自身を指しながら鈴音に目で問い掛けた。
鈴音も鈴音で『たぶん?』と自信なさげに首を傾げる。
綱木は若々しいし身体も引き締まっているし精悍な顔つきだしで、男前である事は間違いない。こんな父親なら自慢だろうと思う。
だがどう見ても王子ではない。
「どっちか言うたらお侍さん?町娘に助け求められたなら似合うけども……王子て」
鈴音の呟きに綱木も思い切り頷いた。
「無理があるどころの騒ぎやないで。何かの芝居か?自分を認識出来る男なら取り敢えず王子か」
状況を整理する綱木へ、伸ばしていた腕を戻し再び胸元を押さえた悪霊が切なげに声を掛ける。
「何故だか急に胸が苦しくなったの、助けて下さらない?」
「いやそれ綱木さんの攻撃のせいやがな」
ついうっかりツッコんでしまった鈴音を、悪霊の暗い目が捉えた。
「何やのアンタ。今は姫と王子の場面やで?なんでモブが喋んねんな。黙っといて!!」
地声らしき低い声で言い放ち、刺々としたソフトボール大の澱の塊を複数空中に作り出すと、鈴音へ向けて勢いよく飛ばす。
「あーれーお助けー」
飛び道具は避けないと決めているので、棒読み演技をしながら鈴音は突っ立っていた。
すると鈴音の前に綱木のビー玉達が現れ、澱の塊全てを迎撃し粉砕する。
「おおー、かたじけないー、恩に着るでござるー」
「町娘か思たらちゃうんかい」
綱木のツッコミに笑いながら、鈴音は戻って行くビー玉達を目で追った。
「孔雀明王が綱木さんは防御担当や言うてたから、攻撃は苦手なんか思てました」
「ああ、基本は防御担当やで?鬼さんや黄泉醜女と組む事が多いから。彼らがスムーズに仕事出来るようにサポートするんが俺の仕事、みたいなとこあんねんけど……」
ビー玉を悪霊の周囲へ展開しながら綱木は続ける。
「今日みたいに彼らより先に現場に着いた時は、片付けられそうなら片付けてまう」
「そうなんですね。ほなこの悪霊もサクッと」
親指を立てる鈴音にニヤリと笑った綱木が頷いた。
そんなやり取りと、自身を取り囲むビー玉達を訝しげに見やってから、悪霊は綱木へ微笑む。
「王子、どうなさったの?私がわからないの?そう、悪い魔法が掛かっているのね。まさか伯爵の娘が魔女だったなんて!」
大袈裟に表情を変えながら放たれる台詞は、悪霊の中では物語が成立しきちんと繋がっているらしい。
ただ、言われた方がついて行けるかは別の話で。
「いやいやいやこっち見ながら謎設定ブッ込まんといて!?さっきモブや言うたくせに適当やなー」
どうやら魔女役に指名されたらしい鈴音が呆れ返っている。
「まあ、魔女みたいな事出来そうではあるけどなあ」
うんうんと頷きながら、ビー玉を悪霊の頭上へ急上昇させた綱木が、大きく一度柏手を打った。
途端に、悪霊の頭上にある小さな円の内側にだけ綱木の霊力が降り注ぐ。
「キャアアアアアア!!」
滝のように降って来る強烈な力に耐え切れず、悪霊は悲鳴を上げ澱は不気味な音を立てつつ次々と砕け散った。
「うわー。これで悪霊が浮いとったらUFOに連れ去られる人みたいやのに、惜しいな」
ビー玉の円から真っ直ぐ降り注ぐ綱木の力を光線に見立て、鈴音が残念そうに呟く。
かなり派手な攻撃を見せたにも関わらずこの微妙な反応をされ、綱木はちょっとだけ凹んだ。
「もうちょい驚いて貰えるか思てんけどな……ははは」
サプライズに失敗したお父さん感漂う綱木を見て、『やってもうた』という顔をした鈴音が大慌てで褒めちぎり始める。
「いや、凄いです、凄いですよ!?ほらもう澱が消えて無くなりそうですよ、わあ凄いなあ!」
澱を失いごく一般的なワンピース姿になりつつある悪霊を指し、凄い凄いと小学生並みの感想を口にして拍手する鈴音。
「あー、うん、ありがとう、気ぃ使わしてごめんやで」
「いえいえ、とんでもない、凄いですよホンマに!」
全ての澱を消し終え、へたり込んだ悪霊の周囲にビー玉達を降下させて牽制しながら、綱木が申し訳なさそうに笑う。
対して営業用スマイル全開で拍手する鈴音は、心の中で大反省会を開いていた。
広域を浄化したり大量の澱を一度の攻撃で消し去ったり、人の身でこれだけの事が出来る綱木はどう考えても凄い。
異世界を経験する前の鈴音なら度肝を抜かれていただろう。
大勢の人々を一瞬で跡形も無く消し去る女神と比べたりするからおかしな事になるのだ。
『サファイア様は別格……ちゃうやん、この時点で既におかしいがな。神様はみんな別格や。うん。うん?いや別格以前に、人界での出来事に対して神様がどうこう言うてる時点でおかしいんかな?でも私神使やしな。あれ?ようわからんようになってったぞ?』
拍手の途中で首を傾げ、何やら考え込んだと思ったら顎に手をやり難しい顔をして固まってしまった鈴音に、気を使わせ過ぎたかと慌てた綱木が手を振る。
「おーい鈴音さん大丈夫か?」
「はっ。すんません、神様について考えとったら迷子になりかけました」
「お、おぉ、そらまたえらい壮大な話やね」
何でまた急にとは思うものの、下手につつくとろくな事にならない予感がした綱木はそれ以上聞かなかった。
「それにしても、綱木さんを御指名の割にあんまり暴れん悪霊でしたね?」
調子を取り戻した鈴音の指摘に、呆然としている女の魂を見ながら綱木は首を傾げる。
「暴れはせんかったけど、澱取り込んだ状態でえらいハッキリ喋ったし変な格好しとったし、何やおかしかったな」
「あ、確かにそうですね、私が消滅させかけたアホの悪霊は、澱がひっついとる間あんまり流暢に喋れませんでしたね。あっちが普通なんですか?」
鈴音が猫殺しの悪霊を思い出しながら尋ねると、綱木は幾度か頷いた。
「俺が見てきた限りではあっちが普通。ワーッと欲望のままに吠え散らかして暴れる感じやなあ。こんな、演技みたいな事する奴初めて見たわ」
「まあ、演技は下手くそやったしドレスとヘアアクセサリーの組み合わせも変やったし、この人……いや霊も、何らかの欲望が暴走したんやろなとは思いますけど」
「うわ、バッサリやな」
容赦ない鈴音の批評に笑って、どうやら自分の置かれた状況を理解し始めた様子の女の魂へ綱木は近付く。
「自分が誰か、何が起きたか、解る?」
綱木の問い掛けに顔を上げた女の魂は、思い詰めた表情で小さく頷いた。
「私、車に轢かれたんやわ。それで何か光が見えて……けどそっち行ったら死ぬ思て引き返した、うん、そうや引き返した。これ、あれでしょ?今身体は仮死状態か何かで、早よ戻らなアカンやつでしょ?臨死体験。ほんでアンタらは天使か死神」
早口で一気に喋る女の魂を見つめ、鈴音は気の毒そうな表情になり、綱木は黙って首を振る。
「え?なに?どこか間違うてた?」
訝る女の魂に辛い現実を突き付けねばならない。
こればかりは何度やっても慣れないなと、深い溜息を吐きながら綱木が口を開きかけた所で、背後から鈴音のものではない女の声が響いた。
「もう死んでるからぁー、生き返るとかないからぁー」
気怠げなその声の方へ振り向き、綱木は会釈する。
鈴音も倣って会釈しつつ、のんびりと現れた女を観察した。
膝まである長い黒髪に青白い肌、これといった特徴の無い顔。
貫頭衣に足首まで隠れる裳のような物を巻いた服装で、靴は無く素足だ。
手指の黒く鋭い爪は不気味だが、鬼に比べれば死者が覚える恐怖は無いに等しいと思われる。
「ヨモツシコメさんですか?」
問い掛ける鈴音を見た女は薄っすら笑って頷いた。
「そ。ヨモちゃんでもシコちゃんでも好きに呼ぶといいよぉ?ところで何か食べる物もってない?お腹空いちゃってさぁ」
「ど、どういう事!?生き返られへんて嘘でしょ!?」
ジャケットのポケットを探る鈴音が挨拶をする前に、黄泉醜女の言葉に愕然とした女の魂が悲鳴のような声を上げる。
しかし黄泉醜女はそれを無視し、鈴音が何を出すのか興味津々で見つめていた。
「飴ちゃんしか無いですけどよかったら」
「おーぅ、飴いいねぇ、好き好き」
「ほなどうぞ。私は鈴音と申します。ヨモちゃんシコちゃんはピンと来ぇへんかったんで、ツシコさんと呼ばせていただきます」
飴を口に入れた黄泉醜女はきょとんとし、次いで大笑いした。
「きゃはははは!ツシコさん……!!真ん中辺りから取らないよぉ普通。鈴音か、アンタ面白いねぇー」
ひとしきり笑った黄泉醜女は漸く女の魂へ向き直り、ゆっくりと近付いて行く。
「ハァイこんにちは魂ちゃん。何でとっとと黄泉の国に来なかったのぉ?お迎えめんどいんだわぁ」
コロコロと飴玉を口内で転がしながら、言葉通り面倒臭そうな表情で女の魂を見た。
「だってそっち行ったら死ぬやん!!せっかく次の公演で神席当たったのに見んと死ぬとか有り得へん!!」
女の魂が叫んだ内容で、彼女が謎の演技を披露していた理由が何となく解かった鈴音と綱木は黙って頷き合う。
舞台演劇のヒロインあたりに成り切っていたのだろうな、と。
澱を取り込んで出てくる欲望がそれだったり、生き返りたい理由が公演を見たいからだったり、随分とその舞台に思い入れがあるようだ。
「主演俳優が推しかな?」
「推し……心の恋人的解釈で合うてる?」
「この場合はそうや思います」
「ちゃう場合もあるんか……ややこいなぁ」
女の魂は黄泉醜女に任せ、二人並んでコソコソと会話する。
ただこの会話、黄泉醜女には聞こえたらしい。
「ふぅーん。心の恋人。でも、どんなに見たくてもぉ、会いたくてもぉ、無理なものは無理ぃー。何故なら?もう死んじゃったからだねぇー残念残念」
悲しげな表情を作りつつ、右手を伸ばした黄泉醜女は女の魂の頭を掴んだ。
すぐさま綱木はビー玉を回収するとポケットへ仕舞った。
「痛い!離してよ!!」
暴れる女の魂に顔を近付けた黄泉醜女は、飴を噛み砕きニタリと笑う。
次の瞬間、特徴の無かった顔がカラクリ人形のような早さで恐ろしいものに変わった。
眼球が消え只の空洞となった目、耳まで裂けた口から覗く黒い剣山のような牙。
「ヒッ……キィャアアアアアア!!」
完全に不意を突かれた女の魂は絶叫の後に気を失い、その場に崩れ落ちた。
「わ、びっくりした。いきなりどないしたんやろ」
黄泉醜女の後頭部しか見えない鈴音は首を傾げ、何が起きたか解っている綱木は遠い目をする。
立ち上がって振り返る黄泉醜女の顔は元に戻っており、鈴音を見てニッコリ笑った。
「飴噛んじゃったわぁ、もう一個ちょうだい」




